第6話 侍女長セレナ
次の日、軽い朝食をさっさと済ませた私はさっそくセレナにあれこれ聞くことにした。
ちなみにカインは急な仕事が入ったそうで朝日が登るよりも前に出かけてしまったらしい。
「カイン様について教えていただけませんか?彼の人となりから好物まで、どんな些細なことでも構いませんし、口外は致しませんわ」
私の問いかけにセレナは一瞬だけ動きを止め、思考を巡らせているようだった。すぐさま気を取り直し、紅茶をコップに注ぎはじめる。
差し出されたコップを受け取りながらバレない程度に彼女を観察する。
朝日に照らされたセレナの髪色はよりいっそう艶めいていて、まるで漆を塗られた上質な木材のようだった。
王都で話題になっていたローズ色のリップを使っていることからかなり身嗜みに気を使う人間のようだ。
やがて考えが纏まったのか、彼女はポットをワゴンの上に戻すと形の良い唇を開いた。
「……カイン様は部下を大事にしてくださるお方です。私も仕事がなく、路頭に彷徨っていたところを雇っていただきました」
「あらそうなの。貴女の他にそういう経緯で雇われた使用人はいるのかしら?」
「はい、シェフのジェイクをはじめとして誰もがカイン様にお仕えすることに喜びを感じております」
相槌を返しながらもセレナの顔色を伺う。脅されているという表情でもない。薄らと頰を蒸気させ、瞳は何処か遠くを見ているようにも思える。
これはもしかして、使用人と主人の禁断の恋愛か……⁉︎
いけない、いけない。セレナとカインの関係性も気になるところだけど、それよりもまずはカインの素行調査だ。
「最近盗賊を一斉に取り締まったらしい、と風の噂で聞いたのですがこの辺りは治安が悪いのですか?」
「私は一介の侍女長なので詳細は存じ上げませんが、クゼンタ帝国の交易品を狙う輩が多いそうです」
セレナの話を聞きながら紅茶を飲む。今日は渋みの少ないアッサムの茶葉を使っている。
『人食い』の話をどう切り出そうかと悩んでいたところ、セレナがなにやらソワソワしだしたので視線を向ける。
「……あの、ルチア様。私は貴女様の侍女ですので敬語をお使いいただく必要はございません」
「それもそうね。気を遣わせちゃったかしら?」
「いえ、そのようなことは……」
戯けたように微笑めばセレナは露骨に安堵した表情を見せた。身分が上の人間から敬語で話しかけられることに違和感を感じていたのだろう。
気もほぐれたところでちょっと揺さぶりをかけてみようかな?
「セレナ、貴女はカイン様が王都でどんな風に噂されているか知っているかしら?」
スッとセレナの瞳から穏やかな色が消える。彼女の纏う空気がふわふわとした柔らかいものから警戒するような鋭さを伴ったものに変化した。
唇は微笑を維持しているが、彼女の目元は僅かに痙攣している。過度な精神的ストレスに晒された影響だろう。
「いえ、王都は私には縁のない場所でございますので……僭越ながらどのような噂なのか、御教授いただけますか?」
それでも彼女は取り乱すことなく、冷静な態度を保ったまま取り繕った。
ルージュの色だけで『王都に縁がない』という彼女の発言を嘘だと決めつけるのは早計だ。揺さぶりをかけるはずが牽制されてしまった。
なるほど、侍女長を務めるだけあって機転が良い。
さて、質問を切り返された以上回答しないと不自然だ。
王都から来た私がカインの噂を知らないと答えれば彼の面子を潰すことになる。『人食い』と答えれば間違いなく彼女は彼に報告するだろう。間違いなく悪い方向へ話をねじ曲げられても文句は言えない。
この状況での最善はすなわち––––!
「……彼以外に『辺境伯』は務まらない、よ。そしてこれは私の意見なんだけど、初対面の私に緊張させまいと気さくに振る舞われる、そんな優しいお方ね」
とりあえずある事ない事でっちあげて持ち上げておく。さりげなく『昨日のミス』も混ぜ込んでおけばそれっぽく良い話になった。
私の話を聞いていたセレナのブリザードのような視線が徐々に融解していく。終盤には唇の端がふるふると震え始める。
「そうですか! カイン様は王都でも覚えめでたくあらせられるのですね。このお話、ルチア様さえ良ければ共有しても構いませんか?」
あ、やべ。思った以上にセレナにとって好印象を与えてしまったっぽい。……まあ、いっか!
「恥ずかしいから、使用人の間だけにとどめておいてね?」
流石に本人も王都でどう噂されているか知っているかもしれないので制限をかけておく。複数の使用人を経由すれば元を辿るのに時間かかるだろう。
『この女、俺に露骨に媚び売ってるな』って思われませんように!
「勿論でございます!」
セレナはすごくキラキラした瞳で首を何度も縦に振っている。
これは話に尾鰭どころか胸鰭まで付いて拡散されると見た。
悪口じゃないし、問題ないでしょ。多分、きっと。
「……引き止めて悪かったわね。仕事の途中でしょう、戻って良いわよ」
「ご配慮いただきありがとうございます。紅茶のおかわりはいかがですか?」
「遠慮しておくわ。それより城の中を少し散策してもいいかしら?」
「ご案内いたします」
セレナが恭しく頭を下げると他の使用人に合図を出してワゴンを下げさせる。私の代わりに恭しく扉を開ける。
彼女の案内の元、私は城の散策に乗り出したのだった。