第3話 なんて優しいリーコック辺境伯……ッ!
投稿日時で察していただきたい、作者の悲しみと業というものをーーッ!
椅子もクッションもない馬車に揺られること八時間。不思議なことに旅人や行商人らと一度もすれ違うことはなかった。
いっそ道中盗賊に襲われたり、馬が驚いた隙に逃げ出せたりしないかなあ、などという甘い幻想を抱いていたけど特に何も起きなかった。
御者の話によれば最近リーコック辺境伯が気合を入れて盗賊を取り締まったらしい。おかげで物凄く治安が良くなったと。
取り締まった盗賊を食べたりとかしてないよね?『女の肉と男の肉を交互に挟んで焼くと美味しい』みたいな料理に凝ったりしてないよね?
自分がこれから辿るであろう料理行程に戦々恐々としているうちに城壁が近づく。
そしてついに城に到着してしまったのだ!
夕日をバックに聳え立つ黒城は控えめに表現したとしても『魔王城』が相応しいだろう。
それほどまでにおどろおどろしい雰囲気があった。
城までの大通りを馬の蹄と鼻息だけが響く。夕暮れという時間帯なら帰宅する住民とすれ違ってもおかしくないとは思うが、人っ子一人見当たらない。
目立つのを避けるために人気のない道を選んでいるのか、それとも住民は盗賊に間違えられて取り締まられたのか、はたはたまたとっくに胃袋の中なのか。
真相はまもなく明らかになるだろう。
ガラガラと石畳の上を馬車の車輪が回転し、城門へと近づく。御者が手をあげると衛兵がビシッと敬礼を返した。特に確認する訳でもなく、そのまま入城していく。
適当な場所で馬を停めると振り返って私の顔を見た。
「到着しました〜。まもなく旦那様、じゃなくてリーコック様が迎えにきます。それまでお待ち下さい」
「そう……」
硬い金属の上に座っていた所為で身体の節々が痛い。精神的にも肉体的にも限界が近いというこの状況では隙を見て逃げるなど不可能だろう。
遠い目をしながら過去に思いを馳せる。悪役令嬢の末路は没落ではなく胃袋の中。なんとも悪役令嬢らしい人生の締めくくりだろうか。
享年16歳ーー短い、人生でしたね……。
「ルチア・フォン・クロウハイツ嬢が到着したとは本当か!」
静寂を破ったのはハキハキとしたよく通る声だった。その声に衛兵が背筋を伸ばし、御者にしたものよりも気合の入った敬礼をする。
体育座りはさすがに公爵令嬢としてのあるまじき振る舞いなので(ものすごく今更)、さながら『道中、私は優雅に立っておりましたが何か?』という澄まし顔をしながら立ち上がる。勿論、スカートの折れをこっそり直しておくのも忘れない。
ーー来たッ、リーコック辺境伯の登場だ。
侍女や執事、使用人を従えた男性が姿を現す。先頭に立つ男は足首までの外套を羽織り、誰よりも高価な衣服に身を包んでいた。歩く拍子に首から下げたネックレスが揺れる。
彼は金髪を無造作に後ろで結え、釣り上がった碧眼で御者を睨み付けると肩幅に足を広げて腕を組む。
「おい、ヘクター!この馬車を使うなと言ったはずだッ!」
「すいまっせえ〜ん、旦那様。ですが仕事はこなしたんで、これで失礼しま〜す」
「まったく……」
御者改めヘクターが肩を竦め、ヘラヘラと笑いながらその場をそそくさと立ち去った。リーコック辺境伯はやれやれとでも言いたげに頭を振ると私の方に向き直り、恭しく一礼する。
リーコック辺境伯が人を食うかどうかはともかく、これまでの動作で私が不利益を被った事実はない。
馬車の件もどうやら彼の指示したことではないようなので、ここは一旦水に流しておこう。
礼儀正しく接された以上は礼儀正しく返していきたい。
さて、ここで貴族の階級を整理しておこう。
貴族の中でも公爵、伯爵、男爵と段階的に位が分かれている。同格である場合、家柄の歴史の長さでマウントを取るという伝統に基づく慣習があることも忘れてはいけない。
私の生まれたクロウハイツ家は代々続く公爵家だ。その歴史は建国前に遡るという。ゲイザーのくだらない自慢話によれば30代目当主らしい。
一方で国境の警備を任されている辺境伯は国王からの信頼は篤い。私軍の所有を認められ、優秀な者ならば商会とも繋がりを持っていることもある。
そういえば過去に辺境伯と伯爵家を混同して問題を起こした輩がいるらしいと風の噂で聞いたことがある。気をつけたいものだ。
リーコック辺境伯が何代目なのかは私は知らない。少なくとも建国以降だとは思う。
歴史の長さで語るならば辺境伯は公爵家に劣る。だが、国王から与えられた権威を加味するならば立場は同等。
確かに立場は同等だ。しかし我がクロウハイツ家はリーコック辺境伯のお陰で没落を免れたので社会的な立場は相手が上回っている。
この場合は少し丁寧に挨拶をした方がいいと判断する。
両手でスカートを摘み、『やや』腰を曲げるカーテシーを行う。この時のポイントはほんのちょっとだけ視線を下げることだ。
「これはこれはどうもご丁寧にありがとうございます。先ほどは部下が無礼を働いたようですね。このような馬車では道中の景色を楽しむ暇もなかったでしょう」
彼はポケットから鍵束を取り出し、目当ての鍵を素早く錠に差し込む。カチャンという錠前の外れる音が響き、鎖を取り払うとようやく扉を開けられるようになった。
「お手をどうぞ」
ここで握らないでいるというのも不信感を与えそうなので、おずおずと手を握る。触れた時に剣ダコの存在に気付いた。
顔に出ないように表情筋を固定し、転ばないようにゆっくり馬車のタラップを降りる。
「私はカイン・ジェラルド・リーコックと申します。この地の夜は冷えますので、話の続きは中でしましょう」
『体を冷やしては風邪をひいてしまいますからね』とお茶目に微笑みながら外套を私の肩にふわりとかける。
あ、この人顔が良いだけでなく優しそう!こんな優しくて礼儀正しい人に『人食い』なんて恐ろしい異名がつく訳がない!
きっと性根の捻じ曲がった銀髪妖瞳のクソみたいな男や万年腹痛に悩んでいそうな中年ちょび髭達が結託して心無い風評でも垂れ流したに違いない!
なんて酷いやつらなんでしょう!ルチア、許せませんわ!
いきなり嫁に貰いたいなんて言われたり、檻としか思えない馬車に放り込まれたりした時はどうしようかと思ったけど、案外どうにかなりそうで良かった〜〜!
前世でも今世でも主人公の好きな言葉は『歯には歯を、目には目を』だとか『因果応報』です。
※ジャケットを外套に変更しました。