第1話 Re:マイナスから始まる悪役令嬢……ッ!
独房にぶちこまれたルチアの運命や如何にーー⁉︎
ーーやらかした。
ゲームのシナリオでもどの道独房に放り込まれていたので最悪ではないと信じたいところだが、それも難しい。なにせ、独房に放り込まれた後の話は語られていないからだ。
石造りの独房をぐるぐると歩き回りながら自分の愚行を反芻する。だが、どれほど悔いようとも後の祭り。
王室不敬罪として投獄されてしまった以上、もはや公爵令嬢としての名誉や地位はない。
独房に放り込まれて暫くはユリウスへの罵詈雑言で埋め尽くされていた脳内も今や冷静を取り戻した。
もう一人の私の記憶。これは前世というものだろう。前世の私の記憶によれば未来から過去に転生することもあるらしい。
真冬の深夜に浴びるほど酒を飲み、長風呂に浸かったところで記憶がない。なんと情けない最期なのか!
今世の私と前世の私。揃いも揃って碌な死に方をしないとは、もはや呪われているに違いない!
前世の私は多少法律を学んでいたが、今世とは情勢も法令も尽く異なるから期待は出来ない。
それよりも、だ。
前世の記憶を思い出す前、あれほど執着していた王妃という席に全く興味が湧かない。一族没落よりも自身の命が助かれば良い。いっそ没落して平民として生きたいとも思ってる。
ユリウスとの婚約破棄に至っては『あのクソ男と結婚しなくて済んだ!』と喜んでいる始末だ。
「記憶が人格を作る、ね。言い得て妙とはこのことかしら」
ブツブツと独り言を呟いていると見張りの兵士がこちらをチラリと一瞥する。『見せ物じゃないわよ!』という気持ちを込めて睨み返せば慌てて視線を逸らした。
ふん、と鼻を鳴らして独房の中を再びぐるぐると回り始める。むしゃくしゃして脱ぎ捨てたハイヒールを足で退かしながら一定のスピードを保つ。考えをまとめるときの癖だ。
思考はついに、考えることを拒否していた事柄に差し掛かった。
「悪役令嬢……恋路を阻むお邪魔役、それがルチア・フォン・クロウハイツ」
『シンデレラナイト』。それは王太子ユリウスと一人の侍女、ホリィの恋物語である。
灰かぶりと蔑まれた乙女はユリウスに想いを寄せるが身分の違いを理由に気持ちに蓋をする。
彼女の主である魔女がホリィを哀れに思い、舞踏会に出席させた。そこで見事王太子の心を射止めたが、そこで壁が立ちはだかる。
悪役令嬢、ルチアの存在だ。婚約者という身分を盾にホリィを貶す。挫けることなく自らの出生に隠された秘密に辿り着き、身分を手に入れたホリィ。
想い合う二人を阻む壁はもはやルチアのみ。悪が栄えた試しなし、とでも言わんばかりに正義を振りかざす。
自業自得とも言えるルチアの破滅により物語は最高潮に盛り上がり、二人の結婚式で締め括られる。
終わりは勿論、『こうして二人は真実の愛を手に入れました。めでたしめでたし』。
タイトルにもあるようにシンデレラという童話に擬えたストーリーの構成だ。
「反吐が出る……ッ!」
実直な気持ちを吐き捨てる。なにが『真実の愛』だ。
好きな人がどのように苦しんでいたのか知らなかった癖に?
婚約者との関係を精算せずに手を出した癖に?
タンタンと蟠りを床にぶつける。気が晴れるわけではないが、こうでもしないと怒りで我を失いそうだ。
とうに日は昇りきり、朝を告げる鳥の鳴き声も聞こえなくなった。ようやく気持ちが落ち着いてきた頃、見張の兵士の鎧の音に混じって複数の足音が聞こえてくる。
茶髪の髪を後ろに一括りした青年、クリスが独房の格子が嵌められただけの窓を覗き込む。
「ルチア様、お客様です」
それだけを告げると数歩移動して私のいる位置からは見えなくなった。扉を開けるつもりはないようだ。
「話は聞いたぞ、ルチア」
神経質そうな男、ゲイザーの声が独房に響く。クリスとは違い独房から少し離れた位置にいるようだ。
目を閉じてもクロウハイツ家当主ゲイザーのわざとらしいちょび髭を触る癖が再生されることに顔を顰める。
「折角私がお膳立てした婚約を……事もあろうにフレイハート伯爵の小娘に奪われた!それだけでなく……王太子に口答えまでするとはッ!」
ヒステリックな金切り声が脳に突き刺さる。耳の穴に指を突っ込みながら無言を貫けばさらにゲイザーは口汚く私とフレイハートを罵る。
主に男尊女卑を主張するような内容だったので聞く必要はないと判断した。こういう輩は相手にしないのが一番だ。
ひとしきり罵倒して気が済んだのだろう、はあはあと荒い息を整え、咳を一つする。
「いつも人の揚げ足をとるお前に比べてユリウス殿下のなんと寛大なことか!多額の金銭を納めれば不問にするという慈悲を見せてくださった」
忌々しいやつめ、と更に付け加えるゲイザー。
「そのために私は奔走したとも!出来の悪い娘に金を捻出するなど腹わたが煮え繰り返りそうだった!……聞いているのかルチア!」
ガンッ、と独房の扉が蹴られる。見張りの兵士もクリスもゲイザーを止めるつもりもないようだ。
「聞いています」
「ふんっ、どうだか……。まあ、いい。そこで金を払う代わりにお前を嫁に欲しいという酔狂な輩が現れた」
勿体ぶっているつもりなのか、そこで一旦言葉を切るゲイザー。扉の前をゆっくり行ったり来たりしているらしく、革靴の音が一定の間隔で左右に移動している。
「カイン・ジェラルド・リーコック辺境伯、お前の夫となる人の名前だ。よぉく覚えておけ」
「リーコック辺境伯って、あの『人食い』と名高い……⁉︎」
「ふん、見張りの兵士でもそのぐらいは知っておるようだな。そうだ、『人食い』のリーコック辺境伯だ」
得意気に解説を始めたゲイザー。くどくどと辺境伯を貶めるような発言を始める。
「なんでも己の醜さを恥じて陛下の招集に応じない。ヤツが笑うのは人を殺した時だけ。魔法を操り、夜な夜な乙女の生き血を啜る。おお、なんと悍ましい!」
見張りの兵士が息を飲む。饒舌に喋り終えるとようやく話が本筋から逸れたことに気づいたようだ。
「とにかく、お前はこれからリーコック辺境伯のいる領地に向かう。気にするな、迎えの馬車はあちらが既に手配している。これが今生の別れとなるだろうな」
最後にもう一度独房の扉を力一杯蹴ると靴音を鳴らしながらその場を去った。癖の強い父親だった。
クリスが独房の窓を覗き込む。憐むような視線を存分に注いだ後、口を開いた。
「ユリウス殿下からの伝言です。『罪を認めるならば愛妾に取り立てるのもやぶさかではない、どちらが公爵家に生まれた者として最良か判断すると良い』とのことです」
愛妾だって?冗談じゃない!
どちらが公爵家に生まれた者として最良か判断すると良い?うるせー!口喧嘩に負けた癖に偉そうにしやがって!身分を傘にクリスを嗾けて楽しいか!ばーかばーか!
「絶対にお断りだね!……ですわっ!」
思わず素で答えたが慌てて取り繕う。クリスの反応は長い溜息だった。
「……保留、ですね。かしこまりました」
「違うわよッ!人の話聞いてまして⁉︎」
ツカツカとクリスも独房の前から立ち去る。独房の扉に詰め寄って訂正を求めたが、すでに彼の背中は遠かった。
「その……ルチア様、心を強く持ってください。応援しています」
「生暖かい目で私を見ないで頂けますかね!」
親指を突き立てる見張りの兵士に苛立ちを覚える。抗議の声をあげるが、見張りの兵士は無視を決め込むことにしたようだ。独房に閉じ込められた私はあまりにも無力だった。