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 どこからか、楽しげな音楽が聞こえてくる。陽気なそれに混じって、歓声と雑踏のざわめきがかすかに届く。


 イサは耳の受けた刺激に、全身の感覚を呼び起こされるようにして、両目を開いた。二度三度、ゆっくりと瞬くと、おもむろにズボンのポケットへと手をさしいれた。


「――五分」

 すこし、遠かったな。


 鎖時計に目をおとし、独りごちると、イサは無造作にそれをポケットに戻した。


「ここは、遊園地かな」


 思案気にあたりを見回す。


 ソファに座っていたはずのイサは、いつのまにか野外のベンチに座っていた。

 丁寧に刈りこまれた植木と手入れされた花壇が続く、通路だろう場所に設置されたベンチで、目の前にはメリーゴーラウンドが回転している。遠くには観覧車やコースターの影もある。

 柔らかな陽射しがさんさんと降り注ぐ、温かで楽しげな光景だ。

 しかし、イサの目にはその景色はひどく異質なものとして映っていた。


 まず、人の姿がない。

 彼の耳はたしかに人の気配を捉えているにもかかわらず、視界のどこにも人影はなかった。目前にある木馬でさえ、だれ一人のせておらず、ただくるくると回っているだけだ。

 そしてなによりも、ベンチの脇で枝葉を広げる桜の木が異様であった。

 周囲は緑にあふれているのに、この木だけが、命の色のない枯れた葉をひらひらとおとし続けている。花壇に咲く花がチューリップで間違いなければ、この季節は春のはずなのに、だ。

 それほど葉が枝に残っているわけでもないのに、桜は絶え間なく葉を降らせる。枝を離れた枯れ葉は、地におちると積もることもなく、風に吹かれて消えた。

 まるで、薄紅の花の代わりのように、茶色の葉がそこにはあった。


「――咲かない花に、舞い続ける枯れ葉。桜だけ、っていうのが意味深だ」


 傍らの桜を見上げていたイサが、ふと視界の端に映ったとある変化に、視線を道の奥へ投げた。

 三人の人影がイサの方へと近づいてきていた。徐々に大きくなってくるそれは、どうやら親子連れのようだ。


「真ん中が、ハナ。両端はお父さんとお母さん……なんだろうね」

 ちょっと、変わっているけど。


 姿をよく捉えようと目を眇めたイサが、口の中で小さく呟く。

 一人ベンチに腰かけるイサを気に留めるそぶりもなく、ハナたち親子は彼の方へとむかってくる。


 傍目にも真ん中に挟まれたハナは、ひどく嬉しげな様子で歩いていた。

 右手に自分の背丈の半分もあるような大きな人形を抱え、左手で母親らしい人物の手を握っている。スキップでもしそうな足どりで、時折確かめるように左右を仰ぐ。

 母親なのだろう女性はハナの手をとり、娘の顔を微笑んで見つめながら、幼い歩調にあわせて緩やかに足を動かしている。ただ――足元には、あるはずの影がなかった。

 一方の父親は、娘のためにもらったと思しき風船を手に、やはり横の二人にあわせる形で歩いていた。その様は優しげに思えたが、母親と同じく笑顔なのかはわからない。なにせ、彼には顔がないのだ。

 影のない母親と顔のない父親の間に、見ているこちらが幸せになる満面の笑みを浮かべた少女という光景は、正直不気味としか言いようがない。


 しかし、イサはその異様さの一つひとつをたしかめるよう、三人へじっと視線を注いでいた。


「……あそこで、いい子にして待っててね」


 柔らかい、だが擦れて不安定な声が、すこし離れたイサの耳に届いた。

 親子連れはイサの座るベンチから二十メートルほど離れた場所で立ち止まっている。母親がわずかに身を屈めながら、ベンチの方を指さしていた。


「わかった! いい子で待ってる」


 にこにこと母親の手を離したハナが、代わりに父親の手をとろうとした。

 けれど、小さな手はすげなく遮られ、代替品のように風船が握らされる。


「あそこにいなさい」


 低く硬い声だ。

 少女はそれに一瞬驚いた表情を見せたものの、ものわかりよく頷いた。母と父の顔を交互に振り仰ぎ、


「早く戻ってきてね」


 どこか寂しさを滲ませた笑顔で告げる。

 ただ、大人二人は首をぴくりとも動かそうとはしなかった。

 ハナはそんな両親にはかまわず、たっと足音も軽くベンチにむかって走ってくる。一度だけ振り返り小さく手を振った。

 イサが座っていることに臆する風もなく駆けよってくると、くるりと背を返して飛びのるようにして腰かける。弾みで風船が大きく上下した。


 少女がそこに座ったのを確かめたあと、男女はそれぞれに進行方向をわけた。

 母親はもときた道をたまに見返りながら、父親はそのままベンチの前を急かされるようにとおりすぎていく。

 背中あわせに別々の方へと歩き去っていく両親に、ハナは不安げな視線を送った。が、ひき止める言葉をどちらにも投げようとはしない。

 静かに二人の背を見送り、そのどちらも見えなくなったころ、彼女は小さく息をついた。手持ち無沙汰なのか、腕に抱えた人形を髪をひっぱったり、叩いてみたりと弄ぶ。


 イサはしばらく隣に座したハナの様を黙って見下ろしていたが、おもむろに口を開いた。


「やあ、こんにちは」


 今までイサを意識していなかったらしいハナが、地面におとしていたまなざしをはっと彼へとむけてくる。びっくりしたと物語る顔は、しかし訝る色も怯える色もない。逆に、はじめて意識した対象物をまじまじと興味深げに見つめてくる。


「一人なの?」


 あたりさわりのない言葉を重ねたイサに、ハナは小さく頭を上下させた。


「そっか。じゃあ、さっきのはお父さんとお母さんかな?」

「うん。そうだよ」

「一人でちゃんと待っているんだ、えらいな」

「うんっ」


 なにげなくイサが褒めた途端、ハナがぱっと破顔した。店でいつも見せていた微笑みではなく、嬉々とした思いが伝わってくる笑顔に、イサがわずかに目を細めた。

 ハナはイサの変化に気づいていないのか、気にしていないのか、もっと褒めてほしいとばかりに目を輝かせる。


「あのね、わたし、いい子で待ってるんだよ。ここで待ってるの、約束したんだ」

「そう。二人とも早く戻ってくるといいね、ハナ」


 ここでイサが意図的に、少女の名を口にしてみた。

 だが、少女は笑顔で同意するばかりで、なんの疑問も呈さない。

 イサが自分の名を知っていることに、なんの不思議も感じていないのだ。警戒心もない。

 その一方で、イサのことを見知っている風情もない。現に、言いたいことを言ってしまうと、ハナは隣の男に興味を失ったらしく、再び人形を乱暴に弄りだした。


「――あそこでの記憶はないみたいだね。むしろ、きみにとってはあそこでの出来事こそが、夢なのか」


 語りかけるように呟くイサに、少女が顔をあげた。


「なにか言った?」

「……いや」


 そっか、とすぐに人形へと戻ったまなざしは無機的で、ついさっきまであった感情の色は綺麗に拭われている。淡々と人形を手荒く扱う様は、年相応のこどもらしさを欠いていた。

 そんなハナへ紫の瞳を据え、無遠慮に観察しながら、イサは思考を巡らせていた。


 ここはハナの悪夢――心の闇だ。であるならば、この状況にこそ、ハナは捕えられていることになる。

 彼の見るかぎり、キーワードとなりそうなものは四つだ。

 季節にそぐわず葉を散らし続ける桜。

 影のない母親と、顔のない父親。

 そして、少女が痛めつける――あちらで彼女が意識を宿らせていたのと、同じ人形。

 単純にこれらだけを考えるのであれば――


「――一人で寂しい?」


 静かにおとしたイサの問いに、ハナは一瞬手を止めた。ぎゅっと人形を握り締めたかと思うと、大きく首を左右にした。


「……寂しくなんかないもん。一人でいい子に待てるの、わたしは


 頑なに首を横に振り続ける。

 無言で彼女の様子を見遣ったイサは、返事の代わりに宥めるようハナの小さな頭を撫でた。その傍ら、ハナに悟られないようそっと息を吐く。


 ――おそらく、彼女の捕らわれた闇は、この少女自身なのだ。


 熱の感じられない少女に触れながら、イサは結論づける。

 心の中にあっても、自分の孤独を認められない。どこまでも自分を偽らなければ、作らなければ、自分というものを保っていられない。

 彼女の抱えているものは、そんな矛盾する不安定さだ。

 探るべきは、『なにがハナをそうさせているのか』だろう。そしてそれは、レキにも告げたとおり、少女のこれまでの生き方に要因があるはずだ。


「力を使えば、過去を探ることなど造作もないけど……」


 口の中でイサが独りごちる。

 そう、イサには簡単なことだ。彼にとっては店でお茶を淹れるのとなんら変わりはない。

 ただし、ここがハナの意識のうちであることが、問題であった。


「力の影響がどう及ぶか、わからないし」


 無闇に試して、少女の閉ざした心をひっかき回す結果になったらことだ。下手をすれば精神の崩壊にも繋がりかねない。


「……しょうがないか」


 若干煩憂の色を滲ませ、イサはハナの頭の上でぽんぽんと軽く手を弾ませた。

 イサの仕草の変化に、俯いていたハナがかすかに首をもたげた。上目遣いに、なんだ、と質してくる黒い瞳へ、イサは柔和な微笑みを浮べてみせる。


「ハナは、お父さんとお母さん、好き?」


 唐突さにか、問われた内容にか、ハナがわずかの間押し黙った。

 目が地面へと戻り、なにか言いたげに口が開いては、また閉ざされる。探す言葉が見つからないのかしばらくそうしていたが、最後にはこくりと頷いた。

 すぐには『是』と答えられない程度には、複雑な関係があるらしい。

 そう、イサは頭の中でさきほどあげた要素につけ足しておく。

 今のハナならすぐにも好きだと言うかとも思ったが、このあたりの思考は、現実の彼女の意思が反映されているようだ。


「さっき一緒にいたのがお父さん?」


 どう問いかければ、彼女から情報をひきだせるか。

 思案を巡らせながら、イサは探るように言葉を重ねていく。

 話の運びを誤って、彼女の触れられたくないところに触れれば、ハナは口を閉ざしてしまうだろう。ややもすると、はいりこんでいるイサが拒絶され、心から弾きだされてしまうこともある。

 そうして、少女がより深い闇に沈みこんでしまえば、手の施しようがなくなってしまう。


「僕には……顔がなかったように見えたんだけど、どうしちゃったんだろう?」

「え、知らないよ?」


 きょとんと不思議そうにハナがイサを見上げた。

 表情が映す疑問は、父親の顔がなかったことに対するものではない。どうしてそんな『あたりまえ』のことを聞くのかがわからない、と物語っている。

 仮にも好きだと答えている以上、自らの父親という存在自体を知らない、とは考えにくい。また、知らないのならば、顔がない状態とはいえ、ここに現れるのは不自然な気がする。

 だとすると、ハナは父親のことをよく覚えていないか、どんな人物かもわからないほど存在を希薄にしか感じていないか、である。

 それがどういう状況なのかの判断は、今のイサにはつかない。

 ただ、父親にすげなくあしらわれたことを、駄々もこねず受けいれたハナには、諦め慣れている節があった。


「─お母さんは、優しそうな人だね」


 これ以上、父親のことに関して追求しても成果は得られないと踏んだイサが、なにくわぬ顔で話題を移した。

 案の定、ハナは断ち切られた父親の話に未練を見せるでもなく、はにかむように唇に笑みを刻んだ。


「うん。優しいよ。このお人形もお母さんが作ってくれたんだぁ」

「へぇ」


 あいづちを返して、ハナの手元を見遣れば、変わらず彼女は人形を叩いている。


「……そのお人形は、大切なもの?」

「うん! お母さんが、わたしのために作ってくれたものだもん。かわいいでしょ?」

「そう、だね」


 かすかに混じったイサの怪訝さにも、じっと人形に注がれている視線にも頓着しないハナが、自慢げに言葉を継いだ。


「妹がほしいってお願いしたら、お母さんが作ってくれたんだよ」

「そうか、お人形のことが好きなんだ」

「お人形は好き」


 にこにこと頷くハナに、イサが軽く片眉をあげた。


「じゃあ……」

『嫌いなのは、なに?』


 反射的に唇にのせかけて、危うく留まる。

 ハナの顔に含みは見られない。滑りでた言葉は無意識なのだ。そこを意識させることでどう転ぶかを試すには、まだ得た情報がすくなすぎた。

 ただイサにわかることは、ハナが人形に愛情のほかにもっと別の感情を抱いているということだけだ。

 無自覚に人形を痛めつける様は、憎しみに近い感情を思わせる。それでいて、あの世界で人形を意識の依り代にしていたことは、一体なにを意味しているのだろうか?


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