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 あらぬ方向に顔を背け、単調に事実を告げた花盗人に、レキが大きく目を見開いた。

 穴があくほど青年を凝視したあと、ものすごい勢いで隣の人形を見返る。ことん、と自分の肩に軽い身体を預けている人形――ハナに手をかけ、揺さぶった。


「ねえ、起きてよ、ハナ!」


 かける声は調子が外れ、甲高く割れている。


「起きてったら! そのままだと、死んじゃうんだよっ」


 眠ったままでいると死んでしまう。

 そんなこどもらしい認識の飛躍でもって、レキは反応のない人形を大きく揺さぶった。


「――レキ」


 その激しさを見かねて静かに名を呼んだイサを、目の淵に涙を溜めたレキが振り仰いだ。


「目、さめないよっ、どうしよう!?」

「おちつくんだ、レキ」


 興奮してしまっているレキを鎮めようと、イサがことさらに淡々と一言一句区切るように、言葉を紡ぐ。


「そんなことをしても、ハナはめざめないよ。だからこうして、花盗人をひき止めたんだ。彼なら悪夢に掴まってしまった人の呼び戻し方を、知っているはずだからね」

「……そ、なの?」


 よく似た顔の、違う色の二対の双眸が注がれた先で、青年が小さく頬をかいた。


「一応、ね」

「じゃ、」

「けど! それで目がさめるかどうかは、本人たち次第だよ? 下手すれば、ミイラとりがミイラになるけど、やる?」


 勢いこんで目を輝かせたレキを制し、頼りない科白をよこした。

 イサが怒りを内包した、冷たい表情を男に据える。


「なら、あなたがやればいいでしょう。もとはといえば、あなたが原因なんですから」


 男は、おぉ怖っ、と軽く首を竦めてみせてから、


「おれはやらない」


 きっぱりと首を横に振った。


「ミイラになることがわかりきってるから。というより、ミイラとりにもなれない。おれはやり方は知ってるよ。でも、それをするテクニックはない」


 平然と言い切った男に、イサは『まったく役にたたない』という呆れを顕著に滲ませ、吐息を地面におとした。


「とりあえず、その方法とやらを言ってください。それを聞かないと、できるもできないもありません」

「はいはい――夢追草ゆめおいそう、ある?」

「夢追草?」


 夢追草は標高の高い地域では比較的よく見られる多年草だ。その葉を揉んで乾燥させたものを焚くと、香りと煙によって眠りに誘われ、自分の見たい夢を見ることができる。


「なるほど……それで、彼女の悪夢を追うわけですか」


 ただ、テクニックさえあれば、その香によって他人の見ている夢にはいっていくことができるのだ。


「そ。意識が心の奥底に捕らわれてる状態は、寝てるってことと同じだからね。香に導かれてる間に、この子が自分の闇と決着をつける方向へ促してやれば、起きる」

「わかりました」


 男の説明を聞くのもそこそこに、イサがすっと立ちあがる。動きにあわせて目線をあげたレキの頭を軽く叩くと、足早に店へと戻っていく。

 次に扉のベルが音をたてた時には、イサは掌におさまるほどの小さな壺を持っていた。


「今あるのは、これだけですね」


 結んであった紐を解き、蓋の代わりに被せられていたなめし革をはがす。夢追草は壺の中ほどくらいまで詰まっていた。

 イサの手元を覗きこんだ青年が、思案げに顎を撫でる。


「うーん、焚き続けて……一時間ってとこかなぁ。できる?」


 眠りへと誘うだけならば、一摘みもあればこと足りる。

 だが、他人の夢をたどろうとするならば、香を絶やすことはできない。その煙と匂いが夢と現を繋ぐ道になるのだ。

 もし、香が途切れれば、意識が自分以外の者の夢にとり残され、もう戻ってくることはできない。よくて夢の中にとりこまれて消滅し、最悪はいりこんだ人の意識にまで歪みを作り、発狂へ至らしめる。


「一時間……人の意識など、中にはいってみないとわかりませんが、ことは可否の問題ではありません」


 やるんです。


 ことの難しさをわかっていないわけでもないイサは、しかし決然と言い切った。

 善は急げと壺を左手に持ち、空いた右手にベンチにある人形をおさめようと手を伸ばす。

 その手をさっと幼い手が掴んだ。


「ぼくもいく!」


 なにごとかと瞬くイサに、強い意志を秘めた目が陽光を返して黄金色に輝いた。


「きっと、ぼくが一緒にいった方が、いいと思うんだ」


 こどもらしい正義感とも思いこみともとれるそれに、花盗人の青年が薄く苦笑う。


「きみには、一緒にいけないよ。人の夢にはいるのは難しいしね。第一、二つも別の意識が潜りこんだりしたら、パンクする」

「ここで夢追草が使えないのは、あなたくらいです」


 イサが、言って聞かせる風の言葉をのせる青年を、そう冷ややかに一瞥し、レキに目を戻した。


「だけど、この人の言ってることもたしかだよ、レキ。ほかの人の夢にはいるということは、ただでさえ双方の負担になる。そこに受けいれる意識が増えたら、ハナは耐えられない」

「だったらっ」


 ぼくがいく、と叫びそうな唇をイサの長く細い指がそっと押さえた。


「人に心の闇を作るものはなんだと思う?――過去の出来事だろう?」


 あ、とかすかに息を飲む音がする。

 それにイサは浅く頷いた。


「だったら、僕の領域だ」


 低く強く断言したイサに、レキは勢いが萎んでいくように肩をおとした。

 その肩にイサは宥めるように手を置いたあと、ふと思いついた顔つきでズボンのポケットを探った。


「これを預けていくよ」


 ちゃり、と金鎖についた留め具をズボンから外し、掌におさめたそれをレキの手へ握らせる。


「! これ……」


 自分の掌へと視線をおとしたレキが、目を瞠ってイサを仰いだ。

 そっと開かれた両手の上にあったのは、とろりとした蜂蜜色に輝く鎖時計であった。


「それだったら、僕が夢の中へ確実に持っていくことができる。夢追草の道には叶わないけれど、連絡手段くらいにはなるからね。なにか、レキの力が必要なことがあったら、これでレキを呼ぶよ」


 だから、レキもなにかあったらこれに呼びかけてくれればいい。


「――わかった。大事に、預かるね」


 手の中の時計を、なにがあっても放すまじ、とぎゅっと握り締める。幼いながらに真剣なレキに、イサはかすかに頬を緩めた。


「頼んだよ」


 そうして、もう一度レキの頭を撫でると、彼の傍らで眠りこむ人形を器用に右手で抱きあげる。


「では、僕は店の中で夢追草を使います。窓から見ていれば様子がわかるでしょう。時間内にはハナを連れて戻りますが――万が一、全部が燃えつきそうになったら、レキをつうじて連絡を」


 青年に言うだけ言って踵を返したイサの背に、気怠げな声がかかった。


「わかったけど……おれがこのまま逃げるとか、思わない?」


 花盗人の言に、イサはぴたりと足を止め、首だけで見返ると顔に華やかな笑みを貼りつけた。


「そんな無責任なこと、しでかしたらどうなるか……わかっていますよね?」


 意味深に釘を刺し、イサはハナを連れ、木扉のむこうへと姿を消した。




 店内のテーブル席のソファに人形を座らせると、イサはカウンターの奥へと足をむけた。戸棚をあけ、手早く目的のものをとりだす。

  ソファへと戻ったイサが手にしていたのは、大きな陶器の平皿であった。

  それをテーブルの上へとのせ、今度は夢追草の詰まった壺を手にとった。中身の半分ほどを右手にあける。握りこんだ香を、イサは皿の上へとすこしずつおとしていった。

  皿の中心から外側へむかって、渦を描くように零していく。手にしていた分がなくなると、残りのもう半分で同じ動作を繰り返した。

  それもなくなるころ、皿の上には大きな香の渦ができあがっていた。


  イサは皿を眺め、満足そうに手を払った。

  人形の傍らに自らも腰をおろすと、用意してあったマッチを擦る。小さな摩擦音のあと燃えあがった炎を、イサは慎重に渦の端へとよせた。

  ちりちりと乾いた葉がマッチの火の中で燃え踊る。香に火種が移ったことを確認すると、イサはマッチを軽く振って火を消した。

  わずかに焦げ臭い匂いがして、白い煙が散る。

  ついで、香からゆらりと煙がたちのぼり、あたりに樹木のようなどこか甘い香りが広がった。視界を閉ざせば、森閑とした深い森にいるかのような心地になる。


  イサは一つ大きく深呼吸をすると、隣にあった人形を手にとった。膝に抱くようにして座らせる。

  香はいまやイサを包むように、彼をとりまいていた。

  その中にあって、イサは鋭く精神を尖らせていく。

  漠然と香りを感じるのではなく、意識的に空気の中のそれを探る。薄く目を開け、淡く煙る風景の奥にあるものを見つめた。

  しばらくの間、そのまま彫像のように動かなかったイサは、やがてゆるやかに瞼をおとした。



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