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「え? なに、どうしたの?」
朗らかな態度から一転した男に、レキが双眸を瞬かせる。状況についていけず、視線が彼とハナの顔をいったりきたりする。
男は大きく溜息を吐くと、帽子をとって髪をぐしゃりとかき混ぜた。陽光に、黄金色のきらめきが散った。
「失敗した、って言ったんだよ。……こどもだと思ってたから、油断したなぁ」
「しっぱい、って……」
不穏な単語にレキの眉根がきゅっとよる。
不安に駆られ、言葉を継ごうとした少年の耳に、カロン、と聞き慣れた音が響いた。
「レキ? そこで遊んでいるなら、そろそろ中にはいった方がいい」
雲行きが怪しくなりそうだよ。
「イサ!」
イサの声が届くのと、レキが扉の方を見返るのはほぼ同時だった。
どこか焦燥の滲むレキの表情と、人形に戻っているハナ、そして彼らの前にしゃがみこんでいる見知らぬ男の姿に、瞬時にイサの目が険しさを帯びた。
青年はさっと帽子を目深にかぶりなおした。レキたちにむかって歩いてくるイサに背をむけ、手早く鞄を閉める。
ぱちぱちん、と留め具の音が鳴った。
「あなたは、そこでなにを……」
その背にかすかな棘を含んだイサが問いかける。が、それはレキの声に阻まれた。
「お兄さんが幸せかってぼくらに聞いてきたんだ。だから、幸せだって答えたら、協力してくれないかって花の種を渡されて……ぼくのは咲いたけど、ハナは途中で寝ちゃったんだ。そしたらお兄さんが、失敗したって!」
ことの次第を口早に言い募るレキは、大人二人の発する雰囲気の異様さに怯えるのか、上擦っている。縋りつくように腕を伸ばして、イサの袖をひいた。
そんなレキを手で宥めながらも、イサの面はどんどん厳しさを増していった。射るまなざしで、青年の上から下までを観察している。
背中越しにでも彼の視線を感じるのだろう。男は居心地悪そうに身じろいで立ちあがると、首をレキの方へと捻った。
「――お嬢ちゃんは寝てるだけだよ。じゃぁ、きみの花ももらったことだし、おれはそろそろいくよ」
「えっ、ちょっ、お兄さ……」
慌ててひき止めようとするレキの声を背中で撥ね、籐の鞄を持ちあげる。しかしながら、
「待ちなさい、花盗人」
踏みだした一歩は、背後からかかった冷えた声音に、地面に縫い止められた。
「彼女の状態を見抜けなかったあなたの責でしょう、これは。それを素知らぬ顔で捨てていこうなど、どういう了見です」
「……どうして、わかっちゃったんだろうなぁ?」
単調な分、返って突きつけるようなイサの物言いに、深く長い吐息についでそんな科白が吐きだされる。
だれへともなく問うそれに、イサが眉一つ動かさずに応じた。
「最近、よく噂を耳にするんですよ。明るい希望の色をした花盗人が出没しているとね。それに、さっきちらっと鞄の中身を見たかぎりでは、詰まっていたのは福花禍実の花だった。そんなものを持ち歩くのは、古今東西花盗人と決まっています」
「よくできた耳と目だこと」
いやになっちゃうね。
肩を竦めて、去ることを諦めた男がゆっくりと身体を反転させる。その様を隙のない目つきで見つめていたイサは、くいくいと袖がひかれる感触に、ちらりと斜め下を見遣った。
「――ねえ、『花盗人』ってなに?」
好奇と不安の混じった、幼い双眸がイサを見上げている。
イサは自分にかかったレキの細い腕を、ぽんぽんと叩くと、一瞬微笑みを浮かべた。それもすぐに奥に退くと、青年を軽く顎で示した。
「彼は『幸せをわけてくれないか』と言ったんだろう? 了承したレキが種を握ったら花が咲き、その花を彼が摘みとった」
確認するイサに、レキが大きく頭を上下させる。
「花盗人っていうのは、そうやって人から幸せをかすめ盗っていく人のことを言うんだ」
「かすめ盗っていくって……人聞きが悪いなぁ」
抗議ともつかない文句をおとす青年に、紫の瞳が冷たさを増す。
「そのとおりでしょう」
「……でも、お兄さんはぼくの幸せの欠片を、今度は幸せじゃない人にわけてあげるんだって言ってた。そういうのは、泥棒って言わないと思うんだけど」
「お、いいこと言うねぇ」
「あなたは黙ってなさい」
レキの無邪気な疑問の尻馬にのる形で男は頷いたが、イサの有無を言わせぬ一言に、おどけた様子で首を竦ませた。
「いいかい、レキ。たくさんの幸せの一部を、不幸だと思っている人にただわけてあげるだけなら、僕もこんな言い方はしない。だけど、違う。彼ら花盗人は、親切面で辛い目にあっている人や悲しみにくれる人によっていって、他人の幸せを高額で売りつけるんだよ」
「おかね、とるの?」
じっとイサへむけていた視線を、驚きに男へと移す。
問うまなざしに彼は答えようとはせず、口元に薄く微笑を浮べた。
「一種の悪徳商法だよ。だから、こうして不測の事態が起きても、対処もせずに逃げようとする」
「悪徳商法とは心外な。別に効きもしない幸運の壺とか売ってるわけじゃなし。幸せは本物だし、求める人がいるから売ってるにすぎないよ。それを高いと思うか安いと思うかはその人次第だろう?」
「そう胸を張れるのならば、アフターケアもしっかりとしていってもらいましょうか」
イサがレキによりかかって座る人形を目顔で示す。
無言で人形を見下ろした花盗人は、わずかに顔をそらすと小さくぼやいた。
「こういう面倒なことになるのが嫌だったから、元気に笑ってるこどもをターゲットに選んでたのに……こどものふりした人形だったなんて、失敗した」
「ハナが人形に宿った心だとわからなかった時点で、あなたの力量が知れようというもの。力に見合わないやり口は、相手も自分もなにかしら損なうことになるのだと知りなさい」
「おれは若いからね。そんな年寄りじみた考え方は持ってない」
「幼いこどもばかりを狙っておいて、よくもまあぬけぬけと」
互いに牽制しあう会話に、レキは状況がわからずおろおろと二人を見上げるしかない。
ただ少年にも、人形に戻ってしまったハナが、よくない状態にあるということだけはわかった。
「ねえ、早くハナをなんとかしてあげてよ! どうしてハナはこうなっちゃったの? いつもみたいに寝てるだけじゃないの?」
業を煮やしたレキが二人へ声を張りあげる。
レキのそれに、イサがどこか気まずげな表情をよぎらせ、だがすぐさまつくろってレキの前に膝をついた。
「ハナは寝ているんじゃない。自分の中の不幸に捕らわれてしまっているんだ。だから、いつもみたいに起きることは、できない」
「……なんで?」
「福花禍実は、心に根をはるんだ。そこから『幸せだと感じている気持ち』を栄養にして、花が咲く。でも、その『気持ち』が心になかったり、すくなかったりすると、根は栄養を探してどんどん伸びていく。そうして、根はその人の心の奥の感情をあばいて……掘りだしてしまう。その力があんまり強くて、幸せを感じていない人が種に触れてしまうと、掘りだされた悪夢に意識が掴まってしまうんだよ」
どんな人でも胸の奥底には、なにかしら負の感情が眠っているものだ。ただでさえ幸が薄いと思っている人物の深層には、どれほどの闇が眠っているかも知れない。
そうイサは言葉をつくしてレキに説明する。
だが、「わかるかい?」との問いかけに、少年は首を傾げるような、縦にするような曖昧な仕草をみせた。なんとなくわかる大変な事態に感じる恐れと、理解できない戸惑いに、表情が揺らいでいる。
「――だって、ハナ、自分で幸せだって言ってたよ? どうして、根っこに掴まっちゃうの?」
「そうだね、レキと遊んでいた時は幸せだったんだ、きっと。でも、その『幸せの気持ち』は、花を咲かせるには足りなかった。もっともっと大きな苦しいことが、ハナにはあったんだよ。だから、ここに迷いこんでしまったように」
レキの薄い肩を両手で包み、今にも零れそうに潤む琥珀の瞳を覗きこんでいたイサは、ちらりと横の青年に一瞥を投げた。
「それに、さっきこの人が言っていただろう。こういうことになるのが面倒で、元気に笑うこどもを選んでいたって――人はね、口と顔ではなんとでも表すことができるんだ。不幸でも幸せだって笑える。傍から見たら幸せそうでも、運がないって泣くことだってある。外を見ただけじゃ、その人が本当に『幸せな気持ち』を持っているかなんてわからない。だから、まだつくろうことを知らない無邪気なきみみたいなこどもに声をかけるんだ」
「……じゃ、まちがって種に触れて、掴まっちゃったらどうなるの?」
イサへ、そして立ったままの男へ、レキは震える声で問うた。
沈黙したイサの空気は、あきらかに青年に答えを強要する圧力を纏っている。
彼は幾度目かの溜息をついた後、嫌そうに口を開いた。
「――悪夢と決着がつくまで、目はさめない。といっても、眠ったままのやつが大半だね。掴まったら最後、死ぬまで、ね」