スイレン
「こんなとこがあったんだ」
学校の門を出てかれこれ十分も無言で先を歩く少年を追いかけ、たどり着いたのはこじんまりとした落ち着いた雰囲気の建物。扉には『OPEN』という木製札が掛けられており、何かの店であることが分かる。
「そんなとこで突っ立ってないで入ったら?」
一人先に扉に手をかけた少年がさも興味なさそうに言う。楓は煽られているような気分だった。だから言葉にも軽く怒気がこもる。
「は、入るわよ……」
少年の後を追い店内に入ると、独特な―例えるならば図書室のような―匂いがした。すぐ目に飛び込んできたのは壁一面に吊られた多種多様なギターやベース。ここは楽器店だったのだ。
興味津々に周囲を見回す楓には目もくれず、まっすぐ店内の一番奥。そこにあるレジカウンターに立つ男性店員に嫌味っぽく言い放つ。
「相も変わらず暇そうだな」
「おっ、珍しいお客だな。そう思うならお前が何か買ってってくれよ?」
皮肉を全く気にした様子もなく飄々とそう返すのは金髪にピアス、ルーズな格好にデニム生地のエプロンをしたチャラめな男性店員。いかにもバンドマンといった佇まいで、ここが楽器店じゃなかったらなかなか厳しめのルックスだ。
「客はこっちじゃなくて、あっち」
「えっ……」
そう言いながら指差されたのは壁にかけられたギターを楽しげに物色していた楓だった。
楓を見た男性店員は意外そうな表情をした後ニヤニヤしながら耳元で何か囁いていたが、あっという間にあしらわれていた。どうせ「もしかして彼女?」とかいうお約束のフレーズなのだろう。
「なるほどね、新米女性ギタリストってわけか。で、そんな将来有望な彼女がうちみたいにしがない弱小楽器店にどういった御用で?」
改めて楓を見た男性店員はいきなり初心者という点を指摘。こんな見た目でもかなりやり手なのかもしれないと楓は思った。しかし客観的に見れば物色する態度や背負っている新品同様のギターケースを見れば大まかな予想はつくものだが。
「それが私にもさっぱりで……」
「君、名前は?」
「楓です、牧村楓」
「楓ちゃんね。俺は啓輔ってんだ」
そんな会話をしていると、
「スタジオ借りるぞ」
それだけ言うと少年はレジカウンターのすぐそばにある扉を開けて、ずかずかと奥に進んでいく。
「って、おいおい。貸すのはいいけど、一番スタジオは今使用中で、二番はギターアンプが故障中。使うなら一番奥の関係者用にしろよ。ちょうど調整が終わったあれも置いてあるしな?」
笑顔でそう言う啓輔に対し少年の顔が少し曇った気がした。
それはそうと、あれって何?
楓は啓輔に促され扉の中に入るとそこは灯りのない廊下で左右に扉があり、左からはギターやベース、ドラムの音が聞こえてくる。どうやら左が一番スタジオのようだ。
躊躇いなく奥にある『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた扉を開ける少年に付いて楓も扉を潜ると、そこは六畳ほどのスペースで机と椅子、アンプが何種類か並んでいた。もちろん初心者の楓にその違いはよく分からない。
少年は部屋の隅の床に直置きされた長方形の箱。黒いハードギターケースを机の上に置き、ロックを解除しその蓋を開ける。
どうやら下手くそと言ったお詫びにお手本を聴かせてくれるということか。楓も言われっぱなしは癪なので、イマイチだったらここぞとばかりに反撃してやろうと心に決める。
彼はケースから取り出したギターのストラップを肩にかけ、振り返る。
えっ………!?
その瞬間、楓は言葉を失った。何故なら彼が持っていたそのギターは見覚えがあった。
オーソドックスなストラトシェイプにゼブラのハムバッカーが二つ。光沢の薄いマットな黒いラッカー塗装に、所々木の下地が見えるレリック加工といういぶし銀のような渋さが漂う佇まい。
それは何度も何度もテープなら擦り切れてしまうほどに観返した憧れのギタリストのギターそのものだったのだ。
「そ、そ、そ、そのギター、何処で売ってるの!?」
態度が急変し、食い気味な楓にうんざりしながらも一応は答えてくれる。
「売ってない。これはもうない工房のオーダー品だから」
オーダー品ってことは唯一無二ってことで、同じものはないってこと。でも楓はこのギターと全く同じギターを見たことがある。気になったら聞かずにはいられない質なのだから、仕方ない。
「あのさ、スイレンってギタリスト知ってる? 動画投稿サイトに弾いてみた動画を不定期投稿してるんだけど」
「はぁっ!!」
それまで反応が薄かった彼が一番の声を発した。しかも嫌悪的な。
「あちゃ~、これは予想外の展開だね」
楓が振り向くとそこには何か面白いネタを見つけたように笑みを浮かべる啓輔の姿があった。それを睨む少年。
「この際だし、教えてあげたら?」
そこから数秒の間があり、少年は無言でギターをアンプに繋ぐ。そして一息吐くとぶっきらぼうに言う。
「ちぇっ、冷やかしかよ。仕事はどうしたんだよ」
「いいんだよ。どうせ客なんて来ねえんだから」
そう言いながら啓輔は楓にパイプ椅子を差し出す。自虐的な言葉も屈託なく笑うとそうは聞こえないもんで、むしろ彼に対する皮肉だったのかもしれない。
楓はパイプ椅子に腰かけ、鞄を地面に置きギグバックを抱き抱えるように支える。
「はぁ……。『季節ハズレノ雪』でいいか?」
溜め息交じりに口にしたその曲名は、楓が散々聴いてきた『夏のソラ、冬のキミ』の主題歌だった。憧れから何度も何度も動画を観返して夜更かししてまで練習し、その末に挫折した楓にとっては始まりの曲だった。
「えっ、う、うん」
楓の返事を聞くと大きく深呼吸。そこで空気が、少年の目つきが変わった。
彼の左手が指板の上で踊り出し、右手のピックがメロディーを爪弾く。その音色は力強くもあり繊細で、一音一音がキラキラと輝いていた。ベースもドラムもキーボードも、ギター以外の音色は何一つないのにそれだけで曲として完成しているように感じてしまう。それほどに彼の演奏には圧倒的な説得力があった。
約四分半の演奏を終え、スタジオ内には静寂が訪れる。そんな中で楓は一人興奮を隠せずにいた。
す、すごい、すごすぎる……。あの演奏をカンコピ……いや、実際に聴くと迫力は動画の比じゃない。
目を丸くしている楓を見て少年は面倒くさそうに頭を掻く。
「これくらい出来てまあ聴けるレベル」
かなり上から目線な発言だが、今の演奏を聴かされては悔しさなどあろうはずもない。
「すごいね。ホントにすごい。まるでスイレンみたいだった」
褒められ慣れていないのか居心地が悪そうな彼の顔が一瞬で呆れ顔に変わる。
あれっ、私何か変なこと言ったかな?
「もしかして、楓ちゃんって結構鈍い人?」
そう言ってくる啓輔。だが楓にはそれが何の事だか分からなかった。
「そういえば同じようなギターも持ってるし、やっぱり君もスイレンのファンなの?」
その瞬間、時が止まった。気がした。
「はぁ……。それ、僕」
「はぇ……?」
「だから、スイレンは僕」
「んっ……? えっと……――――。えぇぇええええぇぇぇぇぇぇ――――――――――!!」
スタジオいっぱいに響き渡る絶叫。
楓が憧れ、目標としていたのはこんなに身勝手で無愛想で。しかしそんなことどうでも良くなってしまうほどの新事実。スイレンの細くしなやかな手も、色白で憧れるほどの美脚もそれは目の前にいる少年の女装だったのだ。
「やっぱ驚いたか」
「いやいや、見りゃ分かんだろ。心ここに非ずって感じだぜ?」
「大袈裟」
「いや俺がこの娘の立場でもこうなるっつうの」
絡む啓輔にそれをあしらう少年。二人の会話は楓には全く届いていなかった。
「そろそろ戻ってこれるかな?」
啓輔が楓の肩を揺らすと迷宮に入りかけた思考がその場に引き戻された。
「あっ、はい。何とか……」
何とも複雑そうな表情を浮かべる楓を見て、少年は面倒くさそうに頭を掻くとギターをケースに戻す。そして、楓に向き直る。
「お前がどう思ったかは知らないけど、僕の演奏は変わらない。それにそれくらいで感想を変えるようなら、やっぱセンスないよ」
その言葉は鋭い刃の様だった。
そう言い残すと少年は楓の横を抜け、スタジオを出る。入り口で呆れ顔の啓輔とすれ違った時何か言っていたようだが、楓には聞き取れなかった。
楓がその後を追おうとするがそれを啓輔が制止する。
「あ、あの……」
「気にしないで。あいつ気難しい奴だからあんな言い方しかできないんだ。でも、君はスイレンの何が好きなの? 衣装とかスタイルの良さ?」
楓は否定できなかった。
もちろんそれだけじゃない、と思う。でも、それも全くないではなかった。
すらっとした長い指に魅惑的な太腿は女性目線で見ても羨ましい限りだったし、その所作は可憐だった。でも今彼の演奏に痺れたのは間違いないようのない事実。
「いや、私はっ―――」
「冗談じょーだん、少しいじわるしただけだよ。訊くまでもなく演奏を聴く君の反応を見たら一目瞭然だったしね」
啓輔の子供っぽい笑みとウインクがギャルっぽさをより強調する。茶目っ気も豊富らしい。
「それにあいつに君のこと頼まれてんだよね」
「えっ、私のことを……ですか!?」