憧れとしきたり。そして、苦悩
昼休みの一コマ。教室ではお弁当を囲む女子生徒が目につく。男子や運動部員は学食や各々の部室に行ってしまい、意外と閑散とするのだ。
「ねぇ、楓。今日部活休みでしょ。放課後にお茶でもしない? 良いお店見つけたんだけど」
「ごめん、今日も自主練してから帰ろうかと思ってるんだ」
「また? 先週も、先々週もだったじゃん。ちょっと頑張りすぎじゃない?」
「仕方ないよ。私はみんなより遅れてるんだから、その分努力するのは当たり前の事でしょ」
「そっか、なら仕方ないね。また今度誘うから、その時は必ず来るんだよ?」
「うん……」
その含みを持った返事にあえて指摘する者はいない。それは彼女、牧村楓の苦悩を一番理解している親友ゆえかもしれない。
牧村楓は和宮高校の一年生で、軽音部に所属している。和宮高校の軽音部は『全国バンド甲子園』という年に一度全国の高校生バンドマンが集い、その実力を遺憾なく発揮しパフォーマンスをするというイベントにおいて最優秀賞を獲得したのが今から六年前のこと。
それからは毎年のように優勝や準優勝を何度も獲得し、今では優勝候補筆頭の強豪校となっていた。
そんな強豪校の軽音部で楓はメインボーカル兼ギターを務めていた。
幼い頃から歌を歌うことが好きで、歌唱力でなら誰にも負けないという自負があった。そのため本当は合唱部に入るつもりだった楓だが、ある時動画投稿サイトに上げられていたギターの弾いてみた動画に楓は衝撃を受けた。
画面の中で一人の女の子が黒いギターを華麗に操っている。服の上からではっきりとした事は分からないが、しなやかな指にスカートから伸びるシャープな太腿が楓よりスタイルが良いと訴え掛ける。
後から調べたことだが彼女はスイレンという名前で活動しており、動画内で着ているのは『夏のソラ、冬のキミ』という人気ラブコメアニメの主人公の通う高校のセーラー服に薄めのベージュのカーディガンを腰に巻くという作中のヒロインスタイル。作品の人気もあってか再生回数は公開されてから二年が経った今では二百万再生を超えている。
しかし、楓が惹かれたのは彼女のギターテクニックだった。
彼女が弾いていた曲は『夏のソラ、冬のキミ』の主題歌で他にも同じ曲を弾いている人は山ほどいたが、彼女はまるで格が違う。月とスッポン。それはプロとアマチュアを比べるに等しいことだった。
指板の上をすらっと長い指がまるで意志を持った生き物ように、自由気ままに踊る。速さもさることながら、驚くのはその正確さだ。リズムが狂わないのは当然としても、一曲フルで弾くとなるとプロでも多少のミスタッチや音程の甘さが出てしまうものだ。しかし彼女には全くそれがない。正確無比で、独創的。ただ譜面を追っているのではなく、彼女の演奏には何か強い思いが込められているように感じるのだ。演奏法も他もギタリストとは根本的に異なり、彼女の音は心の底から響いてくる。彼女のギターへの真摯な姿勢は見た目からも感じられ、服装はコスプレであるにも関わらずギターは光沢のない地味な黒。しかも塗装が所々剥げており、その練習量を物語っているようだった。
彼女はその他にも不定期で動画を何本も投稿しており、そのチャンネルの登録者は二十万人を超えていた。
それからは寝ても覚めてもその娘の事しか考えられなくなっていた―もちろん憧れや尊敬的な意味で―。
時期が丁度合唱部への入部を決めかねていた頃だったので、楓は軽音部の募集に飛びついた。勿論楽器など弾いたことない楓はその日のうちにネットでエレキギターについて調べ倒した。
彼女が弾いていたギターはストラトキャスターという種類で、初心者向きなギターであることや彼女が多用している技法をカッティングと言うことなど。
そして楓はその翌日に貯金の一部を下ろし、大型ショッピングモールの楽器屋へ足を運んでいた。休日ということもあって人の姿があちらこちらに見える。
楽器売り場の一角、ギターコーナーにたどり着くと壁面にギターが何十本も吊るされており、その光景は圧巻という一言に尽きる。最初は憧れの黒いストラトキャスターを買おうと思っていた楓だったが、十八万円という額を見て渋々購入を断念。その次に楓の目を引いたのは壁面ではなくギタースタンドに立て掛けられ隅の方に置かれていた白いギターだった。そのギターはボディーがクワガタの角の様な形状をしているソリッドギターという種類で、ストラトキャスターに比べると少し重く、フレットも分厚いが握った時のフィット感は格別だった。
予算的には五万円程度と思っていたため八万六千円はかなりの予算超過だったが、展示品の売れ残りらしく元値十六万九千円から半額ほどまで値引きされた掘り出し物だった。その日はそのまま帰宅し、夕食の時に母親にその件を相談すると意外にもあっさり残りの額を工面してもえる事となった。もちろんお年玉の後払いで。
こうして楓は晴れて初心者ギタリストとなったのでした。
だが、順調だったのはここまで。
いざ軽音部に入ってみると一年生部員は楓だけでバンドメンバーすらも不足している始末。
その結果、楓は繰り上がり的な感じで正式メンバーとなったのだが……。
「まさかボーカルがギターもそこそこ弾けないといけないとはね……」
「ん!? 何か言った?」
「いや、何でもないの。何でも、ね」
楓はその歌唱力を買われバンドのメインボーカルになったのだが、ここで問題が発生した。和宮高校軽音部で結成されるガールズバンド【ゼロ】では歴代のメインボーカルが必ずギターを弾くことがしきたりとなっており、楓も例外ではなかった。
あとのメンバー四人は五年以上の経験と学外で個別のバンドに所属しているアマチュアであり、完全な初心者である楓はお荷物でしかなかった。
楓は比較的素質のある方で一月で何とか演奏を形にするレベルまで到達していた。しかし、それは一人で練習している時の話。バンドで他のメンバーと合わせるのは難易度が格段に上がる。そのため合わせの練習は楓が入部してから二ヶ月が経つが、未だまともに成し得ていない。
責任感の強い楓はバンドメンバーに迷惑をかけないように部活がない日も一人で居残り練習をしているのだが、いまいち成果が出ていないのが現状。
やっぱり、憧れだけではこれが限界なのかな……。
そんな弱音が演奏に出てしまい、ミスタッチ。慌てて立て直そうとするがもう手遅れだった。
「はぁ……」
溜め息を吐き、スマホで流している打ち込みの原曲を止める。曲はまだ二番が始まったばかりだった。
窓の外に視線を向けると、いつもの茜色が―――。
「えっ……」
音楽室の入り口の戸が開いており、そこには一人の男子生徒が立っていた。
「あ、あの何か御用ですか? 教室に忘れ物とか」
見覚えのない顔だったため笑顔で丁寧に対応した楓だったが、男子生徒の言葉は端的だった。
「下手くそ」
えっ、今なんて……。下手くそって言ったの……? 初対面の私に!?
楓は意味が分からなかった。
もちろんまだ始めて二カ月足らずの自分が上手くないのは分かっている。だが、それを初対面の相手に指摘される筋合いはない。しかも悪口とも取れるような言葉で。
しかもそれ以上は何も言わないのだ。黙って楓を見ているだけ。
「何処かで会ったことありましたっけ?」
「いや別に」
「ですよね……」
楓はそれ以上言葉が見つからなかった。
彼女は比較的明るい性格で初対面の人でも苦もなく話せるのだが、この時ばかりはそうはならなかった。楓自身この男子とは合わないと直感したのだろう。
もう下校時間が迫っていることもあって帰り支度をしようとギターのストラップに手をかけた時、静寂が破られた。
「初心者?」
もちろんこの場にいるのは二人だけ。つまりその質問は楓に向けられた以外ありえないのだ。
「二ヶ月くらいですけど」
「なるほど。少しは才能あるのかもな」
また失礼な発言を予想していた楓にその言葉は意外で、上から目線ではあったものの一応褒め言葉ではあった。あまり嬉しくはなかったが。
するとその男子は楓の近くまで歩み寄って来て、視線をギターに向けた。値踏みするように十秒以上かけて、吐き捨てる様に放つ。
「粗悪品か。こんなんじゃいくら練習したところで上手くなるわけない」
そう言い終えると踵を返し、教室を出て行こうとする。
「ちょっと、それどういう意味よ? 粗悪品って何?」
追い縋る楓に立ち止まると、一瞬の間を置き振り返りキッパリ一言。
「もし上手くなりたいんだったら、付いて来なよ」
そう言い残すと次は振り返ることなく音楽室を出て行った。
どういうつもりなの……。一体何がどうなってるの……?
いまだに思考が停止気味の楓だが、選択しなくてはいけない。自分で。
確かに彼がかなり変な奴ということは否定しようのない事実。しかし彼の物言いにはそれを裏付ける何かがあるような、そんな気がした。もちろん女の勘だ。
どうせもう十数分もすれば帰宅のチャイムが鳴る。そうなれば部活動生や居残りの生徒も帰宅しなくてはいけない。
どうせこのまま暗い気持ちで練習するくらいなら、少しくらい付き合ってやるのも悪くはないと楓は思った。
「片付けするから少し待ってて!」
もう姿も見えない彼に向かって叫ぶが、返答はない。だが廊下を覗くと窓に寄りかかって形態を弄っており、一応待ってくれるつもりはあるらしい。
まあ、彼から言ったことなのだから当たり前なのだけど。
楓はギターをケースにしまい、教室を施錠。鍵を職員室に返しに行く。担任の先生に呼び止められそうになったが急用があると言って切り抜け、下駄箱に行くと遠くに見える正門に寄りかかっている彼の姿が見えた。
口数が少なく小難しい性格みたいだけど、律儀なとこもあるんだな。
そう思いながら楓は下駄箱から靴を取り出し、足早に玄関を出る。