私の見る夢の中
起きると目の前にアホ猫がいて顔を覗き込んでいた。
なんとなくムカついたので頭突きしようとしたらあっさり避けられる。
「はぁい、私。気分はどうかしら?」
「最初に視界に入るのがケーキだったら最高だった」
「あらそれは残念ねぇ」
そう言ってアホ猫の体が人に変わる。何度も何度も両親に見せられた魔女の姿、肌ばかり白く髪も目も真っ黒、くるっと回ると首筋に小さな角が二本生えていることが確認できる。角以外の外見は私と変わらない。
とりあえず色々言いたいことはある。よく見なくてもここは私の知ってる場所じゃないというか本当に何も存在していない。足元に何もないのに立っている、光だけがあるなんか変な場所だ。ただそれ以上にあのアホ猫に言いたいことがある。
「ほぼ同じ見た目で裸でいないで」
「うん、まぁあなたも裸だけどねぇ」
なんだと、と自分を顧みれば確かに裸だった。無駄に白い肌を見ていたら杏仁豆腐が食べたくなる。
そんな私を見ながらアホ猫がくるっと回るとアホ猫の周りにふわりと黒一色ドレスが現れる。
私も服が欲しいなと思ったらどこからか現れた白いドレスが体が包み込む。同じ形なのが少し嫌悪感があるが私のものは胸元に赤い宝石が付いているのでまぁよしとする。しかしこのドレス、杏仁豆腐にしか見えない。胸元の宝石がクコの実にしか思えなくなってきた。
そう考えるとあっちのは羊羹に見えてきた。もはや羊羹にしか見えない。甘い栗を添えてやりたい。そう思っているとアホ猫の胸元に黄色い宝石が現れた。そして奇しくもデザインはお揃いになる。
「……栗羊羹イメージした?」
「ういろうの方が良かった?」
そう聞き返すとアホ猫は黙り込んだ。呆れた様子だがわかってしまった自分に対しての分もあるように見える。ところであれだ、お腹が空いた。杏仁豆腐食べたい。そう思ったら目の前に杏仁豆腐が現れた。
パッとキャッチするとスプーンがない。そう思うとスプーンが現れる。味を占めて杏仁豆腐を食べるために雰囲気作りとして中華のお店の様子を想像するとドラマのセットの様な部屋が現れた。アホ猫は部屋の外、これで美味しく食べられる。
気分良く椅子に座るとアホ猫が扉から入ってきて額を抑えていた。よく考えたら猫耳もない完全な魔女の格好だしアホ猫という呼び方はどうなんだろう。
「ちょっとぉ、私を放置して杏仁豆腐食べるってどういうことよ」
そんなに杏仁豆腐が食べたいのか栗ようかんのくせに。そう思うと机の上に栗ようかんが現れる。
「……羨ましいとかじゃないのよぉ。普通驚かない?驚かないにしてももう少しどういうことなのか考えない?状況探ったりとかしない?」
そう言いつつ椅子に座って栗ようかんを切り分ける。熱いお茶を隣に出すあたりできる。
「あとここでいくら食べても体が空腹ならお腹は膨れないわよ」
そんな馬鹿なと私が驚くとアホ猫は少し嬉しそうにしながら羊羹を一口食べる。
「つまり、ここは……」
「ここは?熱ッ……」
アホ猫が復唱し、お茶を飲もうとして熱かったのか息をふうふう吹きかける。
「空腹という一番美味しく食べられるコンディションで無限に甘味を味わえる……」
しかし軽くお腹が満ちた状態というのもそれはそれで満足感があるのだ。両方を味わえないのを嘆くのは流石に贅沢というものか。
「……その結論に至るのねぇ。まぁ私らしいけど」
ならいいじゃないかと杏仁豆腐にスプーンを入れようとすると杏仁豆腐が消えた。明らかにアホ猫が消したのだろう、自分だけ甘味を楽しもうとはなんという外道。
左手をアホ猫に向けると虐殺できる君が現れる。栗羊羹だけ回収して口の中に広がる餡子の上品な甘味を味わいながら、引き金を引き顔面に主砲をお見舞いする。
「そんなおもちゃじゃ私は倒せないわよぉ?」
顔の前に何かしらの障壁を張って砲弾を受け止め笑うアホ猫に対し私がうざいなと思うとそこに壁ができてアホ猫が隔離される。
その時ふと脳裏に電撃が走る。私のドレス、苺のショートケーキにも見える。なら純喫茶だなと思うと周りが純喫茶風に変わる。
誰もいないのが少し残念だ。ちょっとダンディなマスターがいてコーヒー豆を挽く音でもしていればいいのに。
そう考えると次の瞬間目の前でアホ猫がコーヒー豆の袋を持っていた。丁寧に服まで着替えて一体何をしているのやら。
「いい感じの音楽かけるしコーヒーも美味しく淹れてあげるから少しだけ話聞いてくれないかしら?」
めんどくさいと思っていると、それが顔に出ていたのかアホ猫がはぁと溜息をつく。
「コーヒーとケーキのセットを頼んだ待ち時間って、コーヒーを挽くリズムと心地よい音楽に耳を傾け、徐々に香るコーヒーの香り、マスターの話、異論真野があってそれら全てが後に来るケーキとコーヒーを最大限に美味しくする環境でしょう?」
なるほど、と私が頷くと私の着てる服が変わる。レモン色のワンピース、純喫茶にいる客としては妥当な服装だ。私がこの雰囲気を尊重したいと思ったからだろうか、まぁ正直理屈はどうでもいい。ただ美味しいものに期待すればするほどそのものも美味しくなるかもしれない。それだけでいい。
カリカリカリカリ、カリカリカリカリ、アホ猫が一定のリズムでコーヒーミルを動かし始め、伴う様にゆったりした曲が流れ出す。穏やかでなんとなく上品な曲、でも上品そうだけど気後れしない程度には親しみやすい空気がある。そしてたっぷりと間を取ってアホ猫が口を開く。
「ここは私の夢の世界。頭の中であるここには私しかいられないの」
少し話すとまた間を開ける。
「今は体は眠っているわねぇ。薬物か何か使われてるのかとってもふかぁい眠りよ」
カリカリカリカリ引いている豆の音が心地いい。正直言ってる内容はよくわかんないけど。眠っている時って普通頭は動かないものじゃないんだろうか、レム睡眠とかいう奴かもしれないけど本当に薬物飼われてるならそんなこともないだろうし。
「そんな生死の境とかの深い眠りの時にだけ作用する魔法で作った空間がここ。体が十八になるまで私はここにいるの。そして十八になったらこの空間は消えて私は解放される。そして魔女になる」
「じゃあ、今ここにいるあなたがアホ猫?」
よくわからないけどこのアホ猫が魔女ならまだ体の外にいる筈のアホ猫がいつの間にか体の中に入って来ていたという事だろうか。
「あぁ、外にいるのは私の使い魔よ。あのバカ猫自分が魔女だなんて嘘言ってるけど魔女は私、この体の中でずっと眠っているだけなの」
「じゃあ……魔女って呼ぶけど。魔女が復活すると私はどうなるの?」
アホ猫は乗っ取ると言ってたけどすでに体の中に魔女がいるなら二重人格的にできないだろうか。そしてそれ以上に気になるのが薫り始めたコーヒーの良い香りとオーブンから香るリンゴの香りだ。明らかにアップルパイを焼いている。ショートケーキの口なのに、すでに体はショートケーキを欲しているというのに。でも香りだけでわかる、このアップルパイは美味しい。絶対に美味しい。
「私に取り込まれるのよ。二百年以上ずっと生きてきた私の自我に取り込まれる。溶けて混ざってほんの少し変わった私が一つあるだけ」
正直よくわからない。取り込まれるって何なのか、それ以上に魔女はさっきから私のことも私と呼ぶし魔女自身も私と呼ぶしどの私がどの私なのかわからなくなってくる。後アップルパイはどれくらい待てば焼き上がるのか、気になって仕方がない。コーヒーを入れるタイミングに合わせられているのならそれほど待つことは無いと思うけど。
「アップ……正直よくわからないんだけど」
そう言うとどう言ったらわかるかしらねぇ、と言いながら魔女はコーヒーを淹れ、焼き上がったアップルパイをワンピース切り分けて出す。私がブラックは苦手だからとミルクを取ると魔女はそれを見ながら少し微笑んだ。
「コーヒーにミルク加えるみたいな感じね。ミルクを少し加えてもほんの少し色が変わってもコーヒーはコーヒーでしょう?私がコーヒーで、私がミルク」
コーヒーでという時に魔女が自分を指差して、ミルクという時に私を指差す。やっぱり両方私と言うのはわかりにくいと思う。
つい聞き返してしまったことでこっちからも何か言わなければいけない感じがもどかしい。アップルパイが食べたいんだ、この脳まで染み渡るような強い甘い香りを放つアップルパイを無心で食べたい。
あれ、というか今ちょうど会話の途切れるところじゃないか。適当に頷いてアップルパイにフォークを入れる。サクリという音が音楽の中でもしっかりと聞こえ、私はたまらず頬張る。
甘い。砂糖と相まって濃厚なリンゴの甘味が生地と相まってちょうどいいより少し甘い味になる。飲み込んで少し甘さの残る口にコーヒーを含むと、酸味と苦味が後味の無駄な甘さを連れ去っていき、幸福感が口の中から胃を通り全身へと広がっていく。
「ちなみに今食べてるアップルパイは私のレシピよ」
「嘘だ」
どう考えたってこの味は素人が適当に作って作れた味じゃない。どれだけ魔法が使えようが料理がおいしいかどうかは別の筈だ、土屋先輩の洋菓子よりも美味しいなんてことがあり得るものか。でもあり得てるし嘘吐く理由もないか。
「本当よぉ、私が一回死んだの三十年ぐらい前なんだから、引退して子供達の代になってからは趣味のスイーツめぐりとスイーツ作りに人生捧げたのよぉ。あの人も甘いものは苦手だとか言いながら付き合ってくれててねぇ……」
五十年ぐらいで引退したとしたら二百年ぐらいかけたのか。本当なら確かに美味しくてもなんら不思議じゃない。まぁ美味しいが全てだ。
それから魔女は色々な昔話をした。楽しかった事、辛かった事、外国で食べた美味しかったスイーツ、たい焼きにはつぶあんかこしあんどちらが合うのかの持論、魔法で前衛芸術的な見た目のスイーツを作った職人がいた事、見た目にこだわりすぎて不味かったことなどなど。
話せば話すほど魔女は私にとって魅力的だった。
趣味が合う、意見が合う、魔女は私で私は魔女で、ある意味当然だった。そして同時に思うのだ。私がやって来たのはなんだったのかと。
こんなに似ていて、そもそも同一人物で、中身もほぼ変わらない。体を取られても吸収されても実は大して何も変わらないんじゃないかと思った。
私は意味なく殺し続けただけだったのか。そう思うと何かが失われた気がした。




