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彼女の先にある物は…

 少年は陰湿な虐めを受けていた。体の彼方此方に理由のない暴力を受けて出来た痣が幾つもあり、何故…その様な不条理に曝されてしまっているのかも分からず、自分を目の敵にする同級生の心情も解らなかった。他のクラスメイトや先生も助けてはくれず、話も聴いてはくれない。そして家族や幼馴染みには心配をかけたくない。しかしこのまま今の“生き地獄”が続くなら彼は“死”を選ばなければならないだろう、少年は自分の部屋のベッドの上で蹲り啜り泣く。

 しかし其処へ少年の携帯端末に知らないアドレスからメールが入った。彼は特に考えずメールを見ると…其処には驚くべき内容が書かれていた。


…“もし貴方が死にたいと思える程に追い込まれているのであれば、ソレに対抗出来る力を与えましょう”。…










 最高級レストラン・ギルマンハウスにてハイドラは乃衣子と彼女に抱き上げられたクトゥルーを連れて入店し、店員に予約しているビップルームへと案内される。其処には既に二人の男性が居り、一人は背広を着た大柄の短髪男性。もう一人は背は差程ではないが着物を着、威圧的で鋭い目をした初老の男性が此方を睨みながら席に座っていた。


「随分と待たせたかと思えば、へんな縫いぐるみ抱いた牝餓鬼なんぞ連れて来おって…。」


 不快げに初老の男性が不遜な態度で物を言い、大柄の男がドスを利かせて怒鳴り声を上げた。


「おどれ等ウチの“組”ナメてんのか、ぁあっ!」


 突然の罵声だったが、乃衣子は蔑む様にヤクザの二人を見下し、クトゥルーも久し振りに乃衣子に抱き上げてもらっているのでこの程度では気分を害する事はなかった。しかしハイドラはその瞳に殺気を宿し、店内の空気自体も不穏なものとなっていた。二人のヤクザが周囲を見渡すと、何故か全ての店員が二人に敵意の視線を向けていた。


「あまり粋がるな、人間。

この店は我が“財閥”の直営店、お前達は我等の胃袋の中にいるのだと心得よ!」

「んだとこのアマ、此処で突っ込んでヒイヒイ言わせたろかゴラアッ!?」


 大柄の男が立ち上がり、ハイドラと一触即発となる。…だがそれを止めたのは乃衣子であった。


「ハイドラ、もうストップ。

此以上は本当に面倒くさくなる。おっさんの方もいきり立たず座ってくんないかな?」


 ハイドラは大人しく乃衣子の言う事を聞いたが大柄の男はこめかみに青筋を立て更に怒りを露わにした。


「糞餓鬼がああっ、誰に口きいとるんじゃああっ!!」


 其処に初老の男性が割り込み、大柄のヤクザを一声で止めた。


「いい加減にせえ寺川、その餓鬼の言う通り話が出来んじゃろがぁ!」

「すっ、すいやせん会長オヤジ…。」


 乃衣子は自分を呼んだ本当の理由を理解した。ハイドラは礼儀を重んじ、相手が人間であろうとそうそう高圧な態度はとらない。 しかしヤクザやマフィアの不遜不義理な態度と言動を極度に嫌い、過去に数え切れない程の裏組織をハイドラはその手で“皆殺し”にして来た。しかし今回はそんなヤクザ嫌いのハイドラが提案した会食はヤクザを引っ掛ける為の“罠”で、綱戸組を全滅させた際にハイドラは生き残りをわざと一人だけ用意した。その生き残りより話を聞いた事で御門会がマーシュ財閥にコンタクトを取ってくるとハイドラは予測していたのだ。もしかしたら水池乃衣子の殺しの請負を受けたのは御門会で綱戸組はその依頼を稼ぎの少ない上納金を理由に投げ寄越された可能性があるからである。

 …だとすれば御門会の会長である角島牧男は依頼主と何らかの関係を持っているかも知れないのだが、今のままでは互いの言い分は伝わらず、ハイドラも相手の態度に憤慨して何も聞けずに二人を殺してしまいそうであった。


「クトゥルー、アンタもちょっとは話に入ってよ?」


 乃衣子は自分の膝に座らせているクトゥルーに助けを求めてみるが、クトゥルーは周りを無視してウェイターを呼びつけてロースステーキを頼んでいた。


《焼き方はレアだぞ、程良い焼き具合のレアが我は大好きなのだ。》


 その瞬間、乃衣子の眉間が“ビキリ”と青筋が走り、クトゥルーのぶよぶよ頭を指がめり込む程に鷲掴みで握り締めると壁端に思い切り放り投げた。

 ベシャンッと厭な音がしてクトゥルーは壁に貼りつき…ゆっくりとズレ落ちる。レストランの従業員は顔を青醒めさせて狼狽え、ハイドラも同じく青醒めた顔で凍りついた。

 角島牧男と寺川は縫いぐるみと思っていた物が言葉を話した異常さに驚愕し、顔を青くさせていた。乃衣子は大きな溜め息を吐くと初老の男性…角島牧男を見据えた。


「其方には悪いけど、アンタ達に夕食奢るなんて癪だから予定の“会食”は中止。

そしてあたしは面倒な腹の探り合いは嫌いだから一方的に話すわ。最近あたしヤクザに殺された挙げ句、友達が巻き込まれて傷つけられたの。幸い“強姦”はあたしの勘違いで友達は“整理痛”だったから未遂と分かったけど…、怖い思いをしたのは事実…だから綱戸組の奴等には“みんな死んでもらった”。」 御門会会長…角島牧男は乃衣子の話した内容が全く理解出来ない上に何故この様な小娘が偉そうにこの場を仕切り出したのか全然解らなかった。


「牝餓鬼、貴様の言っている事は一語一句解りゃせん。

殺されたと言うが今の貴様は何じゃい?

貴様の友達が強姦だの整理だの儂には関わりない事だ。

そして綱戸組の連中を皆殺した言う意味は儂等御門会に喧嘩売ってるのと同義じゃぞ。

大体貴様何様のつもりでものいっていやがるんじゃコラッ?」


 角島も静かながらも厚顔不遜な乃衣子に怒りを覚え反発するが、乃衣子は眉をひそめ角島牧男を睨んだ。


「…そんなにあたしの立場を知りたいなら教えたげる。

あたしは水池乃衣子、名目上だけどマーシュ財閥の“会長”とクトゥルー教団の“姫巫女”の肩書きを持っている牝餓鬼よ。

実質的運営は全てハイドラに任せているけど、クトゥルー教団では事実上“No,1”の座にいるわ。さっきハイドラがおっさん達はあたし達の胃袋の中にいるって言ったけど事実よ、あたしが一声かければアンタ達なんて“深きもの共”の餌に成り下がるわ。」


 途端、レストラン内の全ての従業員の姿が歪み魚と蛙が混ざり合った様な怪物に変化した。…海の魔物、“ディープワンズ”である。大柄の寺川も角島を守ろうと胸元から拳銃…ワルサーP99を抜いて深きもの共に銃口を向けるが…、銃を持ったその手をカタカタと震わせ、肩もガタガタと小刻みに震わせていた。

 角島も表情に焦りを見せるが寺川の様には狼狽えず、乃衣子の目を見据えた。


「…そうか、女子高生と云うのは“隠れ蓑”か。

おかしいとは思っていた。この場にマーシュ財閥の会長が来ると言われて来て見れば…、電話越しに話をした会長秘書のハイドラ言う女と怪しげな化けもん連れた女子高生しか現れなんだからな。

そして儂等二人以外は本当に化けもんの巣窟とは…B級ホラーも馬鹿には出来んな?」 角島は軽い冗談を言って乾いていく舌を湿らす。乃衣子は目を細めると足を組み右手を軽く上げる。すると店内のディープワンズは皆後ろへ退がり姿を消した。


「自分達の立場を理解した様ね。

じゃあ、あたしの聴きたい事を聞くわ。

…あたしを殺せと依頼を受けたのは御門会?

…それとも綱戸組?」


 暫し…沈黙が店内を支配し、乃衣子とハイドラが角島を凝視する。


「…“三十億”だ。」


 二度ハイドラの目が鋭く光った。角島牧男はこの期に及んで金を要求して来たのだ。


「儂等の“エダ”を折り棄てた賠償金と迷惑料だ。払うなら教えてやらんでもない。」


 広域暴力団に所属する末端の組を“エダ…枝”と例えている。角島は此方の足元を見て命懸けの“賭け”に出て来たのだ。三十億を払えば互いに良し、払わなければお互いが望まぬ結果が待っている。ヤクザは相手にナメられたら商売が出来なくなる。角島は命よりも極道としての稔侍を優先したのである。

 此に乃衣子は呆れたと同時に感嘆してしまう。命を賭した角島の恐喝行為をどう切り崩そうかと考えると傍らのハイドラより念話が届き、その内容に乃衣子はあからさまな嫌悪を示した。…しかし長くこの状況を伸ばすのは得策ではないと乃衣子は思い、本意ではないがハイドラの方法を取る事とした。


「霧木田芳恵…三十九歳、バツイチ。

息子・霧木田貴士…十六歳、高校一年生。

二人暮らしで〇〇町に在住…。」


 それを聞くや、角島はガタッと勢いをつけて立ち上がり乃衣子を敵意の眼差しで見下ろした。


「我、儂の“娘と孫”に何するつもりじゃあっ!!!?」


 声を荒げ、角島は今にも乃衣子に掴みかからんとした状態となる。寺川には先程までの勢いはなく、肩を怒らせた角島を宥めようと彼の肩を掴んだ。


「オッ、会長オヤジ、此処は気をお鎮めになって…」

「わかっとるわっ、手ぇ離せえボケェ!!」


 寺川の手を払う角島だが、座ろうとはせず乃衣子をずっと歯軋りをして乃衣子を睨み続ける。乃衣子はその眼孔を受け止め、話を続けた。


「あたし達がアンタの家族に何をするかは…今のアンタの誠意次第よ。

“お互いに良い結果を残しませんか”、御門会会長…角島牧男殿?」


 水池乃衣子の言葉は角島牧男の心中を深く抉り、彼は護らなければならない者の為に引き下がるしかなかった。










 結局、御門会は水池乃衣子の殺しを請け負ってはおらず、綱戸組が独自独断で引き受けたと言う事で一応の決着が着いた。


 角島達が帰っても乃衣子は席に座ったまま突っ伏し、自分が人質を取った事実に嫌悪していた。


《お疲れであったな…、乃衣子。》


 気付けばテーブルの上にクトゥルーがぽてりと座り、俯せの頭を撫でていた。「…頑張ってなんかない…。あたし、関係のない人達の命を交渉の道具にしたわ。

…あたしは下衆でカスで屑な牝餓鬼よっ!」

《それでも、乃衣子はいつも我等を照らしてくれておるぞ。

…我が姫巫女よ…。》


 乃衣子は必要とあれば人間を顔色一つ変える事なく殺められるが、その心の底では強い罪悪を背負っていた。

 あの日の自分の命を狙い、梶宮貴美子をレイプしかけた二人のヤクザを殺した時も心中では罪悪感で一杯であった。だから残った一人を逃がしたが…、彼はノーデンスの手の者に殺されてしまった。

 乃衣子の往く道は両親を失ったあの日から死者の血溜まりが行く手を阻み、その度に“彼”の声が道標の様に灯る。この醜悪な容姿の邪悪な神の言葉だけが彼女への重圧を和らげ、そのまだ年端もいかない少女の心を救ってくれていた。










 次の日、乃衣子を待っていたのはやはり血腥い事件であった。

 この学校の一年生男子生徒が二人…惨殺死体で発見されたと言うのだ。朝礼で二人の生徒への黙祷と今日より事件が解決するまで放課後の部活動は自粛され、昼休みの短い時間のみとなった。井守多英は新体操部の短い練習時間に不満を露わにして愚痴を放課後の教室で乃衣子と貴美子に長々とたれていた。


「本っ当にいい迷惑だ!

夏の大会を控えてるってのに二十分三十分で練習が足りるかっつうの!」


 梶宮貴美子は苦笑いをしながら多英の愚痴に耳を傾けるが、乃衣子は今朝話にあった殺人事件の事を考えていた。(二人の殺人死体か…、あたしへの襲撃からずっとトラブル続きだ。

…厭な予感がするわ…。)


 三人で下駄箱まで行くと、廊下の方で気になる名前が呼ばれていた。


「待って、貴士君!?」


 乃衣子は声のした方を覗くと背の小さなショートヘアの少女が一人の少年の方へ走って行った。

 そしてその少年を見た瞬間、乃衣子の内に潜む魔導書…“ルルイエ異本”が強く反応して乃衣子はその感覚に痛みを覚え自分で制服の胸倉を掴み締めた。


(ルルイエ異本があの男子生徒に反応した!

…まさかあの男子、魔導書を持っている!?)


 水池乃衣子の魔力の源は邪神クトゥルーその物であり、体内に宿る魔導書ルルイエ異本を通じて随時乃衣子にクトゥルーの力が送られており乃衣子はそのエネルギーの供給が絶たれない限りは死ぬ事はなく、言わばクトゥルーが滅びない限りは乃衣子は不死身なのである。

 ルルイエ異本の様な強大な力を秘めた魔導書は幾つも存在はしており、そうそうお目にかかれるものでない筈なのだが…確かに乃衣子は“彼”から強い魔力を感知した。


「乃衣子さん?」


 貴美子に呼ばれて乃衣子は向き直る。


「なっ、何、貴美子?」

「いえ、ちょっと顔色が悪い気がして…。」

「乃衣子、風邪でも引いた?」


 心配そうに乃衣子を見つめる貴美子と多英。


「ううん大丈夫、何でもないよ。」


 乃衣子がそう答えると二人は表情を緩ませた。しかし乃衣子はまたあの少年に視線を戻すと、まだその場所にあの少女と一緒にいて…此方を見つめていた。


(…あたしに気付いた!)


 少年は明らかに乃衣子を凝視し、少女も困りげに同じく此方を見つめていた。

 水池乃衣子はあの二人に対し例えようのない畏怖を感じる。少年の方は間違いなく魔導書を保持しているのは確かである以上、今後確実に悪い形で関わる事となるだろう。その先に広がる血腥くも鮮やかな血の海に乃衣子は不安を隠しながら、貴美子と多英に不器用に笑いかけた。

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