互いの想いと残された罪悪…
マーシュ財閥日本支部にしてクトゥルー教団日本拠点であるMCJビル。貴美子、多英、実香の三人は邪神を名乗る小さな異形…クトゥルーによって世界有数の財閥機関に連れて来られた。エントランス付近で既に周囲の背広姿の人間達は仕事業務に右往左往と動き回り、その脇では布巾で口元を隠した清掃員達が掃除をそつなく極していた。
ふと、貴美子は奇妙な事に気付いた。周囲の人間達は忙しそうにしてはいるが、所々にいる清掃員を避けている。他の会社やビルなら清掃員がスーツ姿の人達を避けるのだが、此処ではまるで清掃員と対等…いや、清掃員の方が態度が大きい様にも思えた。
そしてエレベーターに乗り最上階へと高速で昇って行きVIPルームへと案内された。
「えっ、貴美子達が此処に来てるの!?」
「はい、どうやら我等が主の仕業かと思われます。」
メキシコへと赴く準備をしていた乃衣子はハイドラより知らされ、暫し手を止めるが…直ぐにまた準備を続ける。
「今は…まだ会わない。」
まるで貴美子達を避ける様な態度にハイドラは少し眉をひそめる。
「何故でございますか?」
「何故…って、今はメキシコ支部に行かなきゃ…」
「パスポートが用意出来るのは明日以降です。」
乃衣子はハイドラの態度が急に厳しくなったのを感じた。彼女が貴美子達に会いたくないのは彼女達に拒絶されるのが怖いのだ。人間ではない自分…、人類の敵側にいる自分を受け入れてはくれないのだと…まだ心の底で思い込んでいるのである。
「先日、人間の味方をすると決められたのは乃衣子様ではありませんか。
それなのに御学友には会わないとどの様な理由でしょうか?
あの娘等は貴女様との関係を確かめる為に此処へ来られたのではないですか?
…ならば乃衣子様はその心に応える義務があるのではないのですか!?」
ハイドラの言う事に乃衣子は胸が苦しくなる。…友達に会うのが怖い、だけどとても会いたい。胸が苦しくなる程に会いたい乃衣子の心をハイドラは見透かしていた。
「乃衣子様、己が心の赴くままにお進み下さい。」
「…うん!」
ハイドラに説得されると乃衣子は貴美子達の居るVIPルームへと向かった。
ハイドラは散らかった乃衣子の部屋を軽く片付け、小さく微笑む。
(親バカ…か…。) この俗称が脳裏に浮かびハイドラは思わずクスリと微笑んでしまう。意外にも“親バカ”と云う俗称を気に入っている自分にハイドラはまたフフッと笑いを零した。
“バンッ”とVIPルームのドアを乃衣子は乱暴に開け放つ。…と、室内には向かい合った高級ソファに座ったクトゥルーを股に座らせた貴美子と多英、そして奥側に実香が座っていた。
「乃衣子さん!」
クトゥルーを抱き上げて立ち上がる貴美子は乃衣子に駆け寄り、多英も続いて立ち上がる。
「久し振り、水池…。」
照れているのか、乃衣子に頭を軽く掻いて苦笑いをする多英。…実香はオドオドしながら立ち、乃衣子に対し小さく頭を下げた。乃衣子は笑みが零れ、嬉しさを抑えながら憎まれ口を叩いてみせる。
「アンタ達…、こんな所まで来て、本当に馬鹿じゃないの?」
「ハイ、乃衣子さんに会えるなら馬鹿にだってなれます。」
涙さえ浮かべて微笑む貴美子に多英が腰に手をあてて軽く突っ込みを入れた。
「いや、馬鹿になっちゃうのは貴美子だけだって。」
別に面白い冗談ではないが…三人は緩んだ気持ちのままに笑い、クトゥルーはそんな三人娘を見守っていた。
多英と実香はそのまま向かいに座ったままで、乃衣子は貴美子の隣に座りクトゥルーを預かると自分の股に座らせた。
そして先ずは井守多英が乃衣子に謝罪した。
「水池、あの時変なキレ方して一方的に怒ってすまなかった!」 体を折り曲げて深々と頭を下げる多英に乃衣子は少々戸惑う。
「ちょっと井守、あれはわたし達が故意に巻き込んでしまったんだから…、そんな謝り方しないで…、」
「いや、経緯がどうであれアタシ達は乃衣子に助けられたんだ。感謝こそすれ…キレるなんて以ての外だと思ってる。
…それにあの時アタシは別の理由で頭に来ていたんだ…。
乃衣子の正体を、貴美子だけが知っていた事に…疎外感みたいなのを感じちゃったんだ。」
自嘲気味に微笑む多英に乃衣子は理解を示し、貴美子との出会いの経緯を話し…このマーシュ財閥とクトゥルー教団、ダゴン秘密教団について話した。
「…つまり、その“クットル”様が乃衣子達の神様で隙あらば人類を滅ぼしちまうぞ~的な活動をしていると?」
「何その“クットル”様って?
それに何でそんなに緩い言い方なのよ?」
《クッテルの次はクットルか、どんどん呼び名が増えるのう。》
乃衣子と多英の会話が面白くてクスクスと笑う貴美子。邪悪な神とそれを崇める邪教団の話をしたと云うのに二人の反応が薄い事が少々物足りない乃衣子であった。
貴美子は隣で笑う乃衣子を見つめ、彼女が自然に見せる喜怒哀楽に心が満たされる思いでいた。
高校の入学式で初めて見た乃衣子は人との関わりを拒絶し、周囲が自分に立ち入るのを一切赦さなかった。…しかし今の彼女からは拒絶感は全く感じられず、改めて自分達を受け入れてくれた事を認識出来た。
自分の胸の鼓動が少し高鳴っている。乃衣子の追いかけ(ストーキング)をしていた時はこんな事はなかったのに、乃衣子が人間ではないと知ったあの日から更に強く惹かれ、まるで恋い焦がれるかの様に乃衣子の傍らに居たいといつも貴美子は想っていた。
…と、気付くと乃衣子が怪訝そうな顔で此方を見つめていた。
「貴美子、わたしの顔に何か付いてるの?」
「えっ、えと…、やっぱり乃衣子さんは美人だな~って。」
唐突に褒められた乃衣子は頬を染め、思わず褒めてしまった貴美子は顔を真っ赤にして俯いた。
《グフフフ、命短し恋せよ乙女。
若人よ、大志を抱け!》
念話で茶化すクトゥルーの頭を乃衣子は力一杯にこねまくる。
《なっ、何をする乃衣子~!?》
「何で恋する乙女が大志を抱かにゃならんのよ、知ってる言葉を無理矢理に使うな!
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…でも…ありがとう、クトゥルー…。」 そう呟くと、乃衣子はそっとクトゥルーを抱き締めた…。
《なに、“忘れ物”を取りに行った次いでじゃ。》
すると多英が一冊の本を出して乃衣子に見せ、クトゥルーは目を見開き硬直…全身からヌラヌラと脂汗をかき始めた。乃衣子はその本の表紙を見た途端…無表情となり、クトゥルーから手を離した。
《い…、井守多英、貴様…!?》
焦る邪神を余所に多英はその手にある“スク水ハイソ娘写真集”を抱き締めて言った。
「水池、この写真集…頂戴?」
「いいよ、煮るなり焼くなり好きにして。」
即答であった。此は明らかな井守多英の策謀、クトゥルーは写真集を彼女に預けていたのを忘れていたのだ。この写真集を大切に埋めていた時点でクトゥルーが乃衣子から隠していたのは明白、彼女が写真集を不愉快に思っていたのもまた明白、井守多英はこの写真集が欲しかったのだ。…故に見出された答えは一つであった。
《ならぬうううっ!!
我の写真集うう、スク水娘達の未発達な肢体に我はどれ程に癒されてきた事かああぁぁ…。》
マジ泣きなクトゥルーの嘆きは一切無視され、多英は嬉しげに写真集を鞄に仕舞ってしまった。
《おぅのぅえ井守多英、貴様を末代まで呪って…っ!!》
クトゥルーの怒りが頂点に達しようとしたその時、多英は何を思ったのかジャージの上着とズボンを脱ぎ捨ててレオタード姿になってしまった。
此にはクトゥルー、乃衣子と貴美子…実香まで唖然となり言葉を失った。
「クーデル様、コレで許してよ…ねっ♪」
艶めかしいポーズをクトゥルーに見せつけ、多英はウインクまでオマケする。
《くっ、よ、よかろう…貴様のそのプロポーションに免じて今回は許してやろう。》
黒緑の表皮を赤く染め、クトゥルーは怒りを鎮めた。…が、反対にクトゥルーは乃衣子の怒りを高値で買う事となった。乃衣子はクトゥルーの蛸頭を右手で鷲掴みにし、爪を突き立てる。
《まっ、待て乃衣子、我は決して井守多英の色仕掛けに引っかかった訳ではないのだ!》
「だぁまあれこのエロ蛸がああっ!!」
恐ろしい怒声を叫びながら乃衣子はクトゥルーを力の限りにドアに投げつけ、勢い良く投げ飛ばされたクトゥルーはドアを粉々に破壊し、通路の壁に深々とめり込んだのだった。
何やかんやと騒いだ後で貴美子と多英の帰路を財団のベンツで送る事となった。力尽きたクトゥルーを右脇に抱え見送る乃衣子は二人に当分学校を休むと伝え、二人を送り出した。…小糸実香を残して。
乃衣子は実香に振り返り、表情を少し曇らせる。
「さて…、二人がいなくなった事だし、本当の意味で“決着”を着けましょうか…“諸悪の根源”さん?」
乃衣子は視線を鋭くさせ、小糸実香を見据え…彼女は決意を込めて彼女と向き合うのだった。