Lost memories
ーーリティアは夢を見ていた。
幼い自分が泣いている。
ーーあれは、3、4歳くらいだろうか。
彼女は翼の生えたトカゲのような魔物に捕らえられ、今にも連れ去られようとしていた。別の魔物が両親の行く手を阻み、救い出そうとした魔法は我が子に届かず、母が悲鳴をあげる。
いよいよ魔物が翼を広げようとした、そのときーー。
「その子を放せーー!」
紺色の髪の少年が魔物に飛びついた。夢中でリティアを取り返そうと、魔物を所構わず叩く。
「危ない!」
リティアの母の声がし、少年は魔物の鉤爪に振り払われそうになる。武器も持たない幼い少年には、とてもではないが歯の立たない相手。けれど彼は諦めずに必死でリティアを取り返そうとした。
ーーガッ!
煩わしそうに、魔物はその爪を振り下ろす。その切っ先が、少年に向かうーー。
「うわあっ!」
少年は死を予感して目を瞑る。その瞬間ーー
「わああああっ」
ひときわ大きなリティアの叫び声がしたかと思うと、彼女の身体から光が爆発した。それは瞬く間に全てを飲み込み、どこまでも広がってゆく。視界は真っ白で何も見えなくなりーー
やがてそれが収まったとき、その場に居た者達は戦慄した。
魔物は全て、塵すら残さず消滅していた。音を発しているのは地面に座り込んで泣きじゃくる小さなリティアだけ。そしてその彼女を抱き締めた少年の髪はーー銀色に変わっていた。
……これは、ただの夢?それとも本当にあったこと?
リティアは目の前の光景が信じられない。この時の記憶は自分には無い。あの髪の色ーー少年はシーファなのだろうか。
多種多様な民族が集まる魔法国家でも、実はシーファの銀髪は珍しいほうだ。以前に「それ地毛ですか?(ヅラ疑惑)」と聞いたら、彼は「この輝く銀河の如く煌びやかでかつ天使の輪つうか後光差すレベルのツヤツヤピカピカなヘアが加工物の訳がないだろう」とかなんとかほざいていたから、まるっと無視したんだった。あれは、ワザと話をごまかしたのか。
けれど両親からも、シーファからも、こんな話は聞いたことが無い。リティアが初めてシーファに会ったのは、両親が亡くなった13歳の時のはず。
こんな幼い頃から、面識があったのだろうか。
「これは君の記憶だよ」
不意にすぐ傍から声がして、見ればレイウスがそこに立っていた。
「っ、あなた……」
リティアは慌てて警戒態勢を取ろうとするが、武器も何も持っていない。せめて彼を睨みつけると、レイウスは意外にも穏やかに笑った。
「見て。あれが起こる前のシーファは、魔導士じゃなかった。それどころか、魔力も持っていなかった。なのに……」
彼が指し示したのは、両手に魔力の光を灯し、それを戸惑いの目で見つめるシーファ。
そうだ、さっき幼い自分を助けようとしたシーファは、魔法なんて使っていなかった。自分の拳で、向かって行ったんだ。
「彼の魔法はアルティスの力に似ている。それがずっと気になっていたんだ。だいたい、『お仕置きタイムだ、馬鹿者め』なんて発動呪文で魔法を使う魔導士なんて居ないよ。系統も構成も分からなくて、対抗呪文作るの大変だったんだからさ」
魔導士は魔法の最初に発動呪文を唱える。
魔力を纏め上げ、強める為に、大抵は魔道の流派や出身、術構成を組み込んだ呪文だ。それがシーファの呪文はめちゃくちゃなのだ。踏むべき段階を全く無視している。
「大魔導士ゆえに、わざと力の源を知られないようにしているのかと思ったけど……それだけじゃない。もしかしたら彼には、そもそも発動呪文なんて要らないのかも。シーファの力は、異質だ。人間のものではない」
レイウスはもう一度、銀の髪の少年を見た。リティアも同じように彼を見てーー気づいた。記憶のシーファの両手に絡み付いて残ったのは、幼いリティアが暴走させた恐ろしい魔力なのだと。一番近くに居た彼が、巻き込まれてあの光を浴びてしまった為に、アルティスの魔力の一部が彼に流れ込んでしまったのだと。
「シーファは大魔導士だからアルティスを封じることができたんじゃない。アルティスの力で大魔導士になったから、同じ力を封じることが出来た」
聞きたくない。リティアはゆるゆると首を振った。けれどレイウスは口を閉じることは無い。彼の言葉は穏やかで、ゆっくりとリティアに染み込んでゆく。子供に言い聞かせるように、はっきりと意味を持って。
「君から溢れた魔力のせいでーー君のせいで彼は魔法使いになったんだ」
目の前には、少年のシーファが呆然と己の両手を見つめていて。
やがてその顔がこわばっていく。
「彼を忌まわしい大魔導士にしたのは君だ」
『魔導士になど、なりたくはなかった』
あのとき聴こえた言葉が重なる。
リティアの瞳から、涙が一粒こぼれ落ちた。
**
ここは、どこだろう……。
揺らめく意識の中で、リティアはゆっくりとまばたきをする。自分が椅子に座らされているのは分かるが、立ち込める紫色の霧に何も見えない。
「どこでもいいでしょう?愛しいリティア。僕がずっと傍にいる」
目の前で彼女に囁く、赤い髪の男。ただ優しく、リティアをまどろみに誘うだけの声音。
「レイウス……」
彼が魔物だとは分かるが、記憶がひどく曖昧で、思考もぼんやりとしている。
「そうだよ。君の恋人、君の愛すべき相手」
……そうだっただろうか。そうかもしれない。
頭のどこかが、何かが変だと訴えている。けれどリティアはまた瞳を閉じた。
「辛い思い出も、現実も忘れて、ゆっくり眠りなよ。目が覚めたら、君はもっと僕を好きになってくれる」
レイウスの赤い瞳。
私が好きだったのは、こんな色をしていたっけ?考えたくない。
私は、……の人生を変えてしまった疫病神。
どこにも帰れはしない。
ーー誰、だった?
思い出しかけた彼女を引き止めるように、レイウスが彼女の頬に触れた。
「君は、僕を愛していればいい。他には誰も要らないだろう?」
「そうね……。誰も……」
だれ、も?
重い瞼を開けかけたリティアに、レイウスがかすかに眉を上げた。
「……しぶといな、大魔導士の加護は。さすがアルティスのかけらの持ち主」
シーファの保護魔法が、魅惑の術の進行を遅らせているのだ。
「ああ、でもまてよ。彼の目の前で、君を僕のものにするっていうのも、それはそれで一興だよね」
魔物はひどく愉しげにそう言って。
「愛しいリティア。
魔法使いが助けに来るのが先か。君が僕を愛して壊れるのが先か。
ーー楽しみだね?」
ずるり、と。甘い眠りに引きずられて。
ーーたすけて、……。
目を閉じる直前に、リティアの脳裏をよぎったのは、銀糸の髪の後ろ姿だった。