Stolen treasure
結局、一日街道や付近の森を探索したが、レイウスは現れなかった。
「このまま放っておいてくれたらいいのに」
あのチャラい魔族なら、すっかり忘れてくれたりしないだろうか。ないだろうな。
宿の共用の浴場から戻ったリティアは、やや濡れたままの髪を拭きながら、部屋の扉を開けて凍りついた。
紙、紙、紙ーー床にもベッドにも、シーファの書いたらしい呪符が撒き散らかされ、足の踏み場がない。高度な呪文を練るとき、たまに彼はこうやって楽譜を書くように呪文を書き連ねることがある。没頭し過ぎて、紙の山に埋もれる師匠を掘り出すのはリティアの仕事だ。
そのシーファは、ベッドの上で胡座をかいていた。ローブを脱いだシンプルなシャツの袖を捲り、銀の髪を首の後ろで一つにくくり、呪符の魔力に影響を受けないよう遮断する眼鏡を掛けて、呪符を並べ見ている。
「お師匠様、こんな狭いとこで駄目ですよ……って、きゃあ!」
部屋に踏み出したリティアの足が、そこに落ちてきた紙を踏み、滑る。転ばぬように踏みしめたその足の下にも、また一枚。
「っ、と、とーー!」
気がついた師が顔を上げてぎょっとした。
「おい、リティア危なーー」
「わ、わ、きゃああ!」
突っ込んだ先はーーシーファの膝の上。
彼に抱きつくように倒れこんだ。
「痛っ!もー、お師匠様!時と場所考えて……」
顔を上げたなら、思ったよりずっと近くにシーファの顔があった。見開かれた青い瞳に、リティアの顔が写っている。
ーーう、わああ。
リティアの心臓がバクバクと暴れ出した。
「おい、リティア」
「す、すみません、すぐどきます」
リティアは慌てて両腕をついて起き上がろうとする。しかし焦れば焦るほど、手は紙の上を滑ってまたシーファに倒れこむ羽目になってしまう。
「わ、ぷ、ごめんなさ」
「いいから、ちょっと落ち着け」
シーファは溜息混じりに、やや乱暴に弟子の頭を片手で押さえた。もう片方の手を伸ばして、彼女が落としたタオルを拾い、まだ少しだけ濡れたままのリティアの髪を、ガシガシと拭き始めた。
「え、お師匠様!?」
「うるさい、犬っころ」
シーファの体温を感じそうなほどの距離で、彼の膝に抱え込まれるようにそんなことをされたら。
ーーう、心臓爆発するよぉ!
リティアは沸騰寸前だ。
彼女の様子を気にも留めず、シーファは手を動かしていく。
「ーー良い匂いさせやがって。なんの拷問だこれは……」
小さな声で師が呟いたが、頭に血が登った弟子には聞こえない。
「僕が居ない間に、ちゃっかりいちゃつかないでよ、お二人さん」
突然その場に響いた声に、シーファは杖を掴み、リティアは入口を見た。部屋の扉が大きく開けられ、そこにレイウスが立っている。気配も音もなにもしなかったというのに。
「真夜中の訪問とは無粋だな。良い子はお家に帰って寝るものだ」
シーファが油断無く杖を構えながら言うと、レイウスが笑う。
「あいにく僕は良い子じゃないんでね。夜這いなら夜にするのがマナーってものでしょ」
「夜這い自体がマナー違反だろう」
レイウスの軽口に冷たくシーファが返し、リティアはそうだそうだと頷いた。
レイウスはそんな言葉にもめげずに笑う。
「愛しい姫君に会いに来たのに、怖い魔法使いが邪魔をする。ねえ、リティア。どうしたら良いかな?」
「なにが愛しい姫君よ。あなた魔物でしょ!」
芝居がかった魔物の台詞に、言われたリティアは反論した。レイウスは胸に手をあてて、大袈裟に首を振る。
「種族の違いなんて、きっと僕の愛で乗り越えてみせるよ」
「ふざけないで!」
何言ってるんだ、コイツは。
リティアは呆れてしまう。どうしてこんなにも、この魔物は人間臭いのか。ーー違和感がなさ過ぎて、それが気持ち悪い。レイウスはなおも言葉を続ける。
「僕は本気で君を愛しているよ。君は僕に強大な力を与えてくれる存在だからね。きっと僕のこの愛でーー君からアルティスの秘石を取り出せる」
一瞬で冷たく、鋭くなったレイウスの瞳。
リティアは恐ろしさにびくりと身を震わせた。
ーーバレてる……!
アルティスの封印の解き方を、彼に知られていたことに愕然とする。シーファが苦々しくレイウスに問うた。
「……聞いてやがったのか」
「ええ、ぜーんぶ、聞かせていただきました。駄目だよ、大魔導士。外からの干渉には完璧な防護を張っていたけど、僕は最初から中に居たんだ」
レイウスの姿が一瞬にして黒い犬に変わり、また元に戻る。リティアは階下にいた犬を思い出した。てっきり宿で飼われているのかと思っていたがーーレイウスが姿を変えて先回りしていたのだ。
「ほう、器用だな」
シーファは何の感慨も無くそう言って、杖を彼に向けた。
「けれど聞いていたならわかるだろう。解除の術の条件は、愛し愛されること、だ。お前はともかく、リティアがお前を愛するとは思えんが」
そうだ。
レイウスの一方的ーーしかも思いっきり独善的な愛情では、アルティスの封印など解けそうにない。リティアはそれに思い至って、彼らに目を走らせる。けれど意外にも、レイウスは余裕そうに笑っていた。
「リティアには僕を愛してもらうよ。必ずね」
自意識過剰などとという曖昧なものではなく、確固とした意志として断言され、リティアは思わず叫んでしまう。
「誰が!私はあなたなんか好きにならない!」
レイウスがにやりと笑った。ーー魔族であることを証明するような邪悪な微笑みで。
「愛など、いくらでも手に入るよ。僕の力をもってすればね」
シーファがレイウスをきつく睨みつけた。その双眸は怒りに満ちている。
「心を操るつもりか」
発した問いは、視線だけの嘲笑で返された。
「なんですって……」
リティアは背中に冷たい汗が流れるのを感じる。
人間の魔術では、人の心を操るのはタブー中のタブーだ。
戦争の続く国では兵士の心を操り、恐怖を感じさせないという魔法もあるらしいが、セインティア王国ではーーシーファの元では人の精神を操ってはいけないと教えられてきた。なにより、無理矢理相手を好きにさせられるなんてまっぴらだ。
「冗談じゃないわ……」
呟いた彼女を護るかのようにシーファがその背に庇う。
「そんなことはさせない」
その言葉で、気づいてしまう。レイウスのしようとしている方法でも、封印が解けてしまう可能性があるのだと。
人の姿をした魔物は、高らかに言い放つ。
「大魔導士!あなただってそういうことをしたことないの?人の心を変えたり、記憶をいじったり。魔法の真髄じゃないか」
「私はそんなものに興味は無い。価値もない。私にとって魔力は忌むべきものだ。強い光に蛾が群がるように、皆が私を利用しようとしてーー灼かれる」
シーファの答えに、レイウスが面白そうに笑った。
「へえ。自らの魔力を憎む大魔導士か。面白い」
「なりたくてなったわけではないからな」
もう一度聞いた言葉に、リティアは師の背中を見つめる。かすかに滲んだ苦しさは、きっと彼の本音なのだと。
「なら魔法使いのお師匠様なんて辞めるが良いさ!アルティスの護り手の役目も、僕が引き継いであげよう!」
その言葉と共に、振りかざしたレイウスの手のひらに白球が生まれる。攻撃魔法だ、とリティアが身を固くし、シーファは杖をレイウスに向けた。
「お仕置きタイムだ、馬鹿者め!
護りの盾よ、固き意志を表せ。炎よ、我の前の敵を焼き尽くせーー」
師はリティアに光の防護壁を作ってから、レイウスへ火球を放つ。レイウスが放った魔力の球とぶつかり合って、二つが派手に散った。
ーーバチバチバチッ!
床にばら撒いたままのシーファの呪符が、舞い上がってレイウスを取り囲み、全てが燃え上がる。が、レイウスはそれを腕が灼かれるのも構わずに払いのけた。
レイウスの手から間髪入れずに撃ち込まれた次の魔球に、シーファが大きく杖を振って対抗する。
ーーパアンッ!!!
大きな音とともに、火花が散ってシーファの肩を焦がした。
「シーファ!」
リティアは思わず叫ぶ。彼女の顔を見て、レイウスが声をかけた。
「いつまでお師匠様に護ってもらうつもりなの、無力なお弟子さん。アルティスの力を解き放てば、無力では無くなるんだよ?」
「ふざけるな!制御も出来ず解き放てば、リティアが壊れるーー」
怒りと共に抗議したシーファに、レイウスが黙っていろ、とばかりに魔法を放つ。シーファはそれを防護壁で防ぎ、レイウスの腹に光球を叩き込んだ。
「ーーっ、ぐ」
さすがに堪えたのか、レイウスはその場に膝をつく。やったか、とリティアが身を乗り出した瞬間ーー。
戦いに気を取られ、リティアはシーファの防護壁から出てしまったことに気づかなかった。
「馬鹿、近づくな……!」
シーファの制止をすり抜けるように、レイウスが跳んだ。
「え、っ」
部屋の天井を蹴るように、彼らの頭上を飛び越し、リティアの背後に降り立つ。強い力でその身体を引き寄せ、彼女を胸の中に捕らえた。
「つかまえた、僕の花嫁さん」
「リティア!!」
シーファの伸ばした手が、リティアの髪をかするがーー届かない。
「シーファーー!!」
リティアはレイウスに引きずられるように抱え込まれーーレイウスはそのまま窓を突き破った!
『ガシャーーン!!』
ガラスが割れる音と、身体への衝撃に。
リティアの意識は闇に沈んで行った……。