番外編.4 A day of rest
ーーああ『来た』な。
身体の気怠さに、シーファは起こしかけた身体をもう一度寝台に沈めた。
額に手を当てれば少しばかり熱くーーその上げた腕ももうすでにだるい。
ごく稀に、魔法を行使し過ぎるとこんな風に反動が来る。
アルティスの力はその強大さゆえに、元から器だったリティアならともかく、器でもないのに欠片が流れ込んだシーファには、制御するのにかなりの精神力が要るのだ。それでも魔法の使い方も分からなかった子供の頃に比べれば、その頻度は大分少なくはなったが。
セインティアの王城から帰って来て数日、やっと気が抜けたところだったのだろう。大魔導士でも、人間だ。
「お師匠様、起きてますか?」
コンコンとノックをしてから部屋の扉を開けた弟子は、そのストロベリーブラウンの髪を揺らして覗き込んだ。
彼女の服装はいつもよりちょっと改まった可愛らしいワンピースで、その髪はいつもの様に後頭部で結われておらず、さらさらと溢れている。
「……めかしこんで、何かあるのか」
ちらりとそちらを見て、シーファが尋ねると、リティアは小首を傾げた。
「今日は私、アルヴィオス兄様に会いにいきますって伝えてましたよね?」
ああ。
忘れていた。
この律儀な少女は、一件が落ち着いたら、砂漠の国の王である兄に改めて挨拶にいくと言っていたんだった。そのために転移魔法を用意してやった事を思い出す。
常ならば仕方ないと送り出すか、一緒に行ってやるところだがーー身体の不調に、どうにもならない苛立ちが起こる。
「ーー他の男に会いに行くのに、そんなめかしこんでいるわけか」
刺のある言葉をわざと選んで、冷たく投げつけた。いつもなら微笑みとともに、からかいの言葉として使うのに。
もちろん、嫉妬だ。
リティアは戸惑ったようにシーファを見つめた。
「……お城に行くのに、ちょっとでもちゃんとしようかなって思ったんですけど。変ですか?」
不機嫌な師は舌打ちする。
このド天然。言いたいのはそう言う事じゃない。
アルヴィオスの名を聞けば、嫌でもあの国の衣裳を思い出す。フレイム・フレイア王国の伝統衣裳。やたら露出の多い、エロ可愛い、あのリティアを。
ーー俺が愉しむならともかく、もう二度とあんな姿を他の男に晒すものか。
アルヴィオスのところに独りで行かせて、押し切られたら、この馬鹿弟子はお着替えくらいやってのけそうだ。
「行くな」
ポツリと零した言葉は、酷く苛立たしげで。余裕の欠片も無い。
自分でも制御できないほど、心が荒れ狂う。
「お師匠様……?」
リティアは怪訝な顔をして部屋に入ってくると、シーファに近寄った。
「どうかしたんですか……あれ?」
伸ばされた手をーー彼が絡めとった。
「っ、きゃあ!」
一気に引き寄せて、自分の身体の下に組み敷く。そのまま唇を押し付けてーー噛み付くようにキスをした。
「ん、ん、シー、ファ……!?」
リティアは驚きに目を閉じる間もなく、彼女を逃がすまいと追ってくるキスに力を奪われる。
「く、苦しいですって、ば!!」
ーーがぶ。
そんな音が聞こえてきそうなほど思い切り、弟子は噛み付いた。
ーー師の、鼻に。
「痛って……は!?」
「お師匠様の馬鹿!!」
「……は?」
何が起こったんだ。
思わず鼻を押さえて茫然とするシーファの下から抜け出ると、リティアは頬を膨らませて部屋から出て行く。
それを唖然と見送ってから、シーファは己の失態に気付いて「あー」と唸り声と共に再び寝台へ倒れ込んだ。
「……ったく、俺もまだまだか」
思わず素になってしまった言葉遣いにも気付かずに、シーファは目を閉じた。
寝ていれば治る。だから今は何も考えず、休息を取るのが一番だ。
間違っても、出て行ったリティアがアルヴィオスにどんな顔で微笑むのかなんて、考えてはいけない。ーーあの国の半分くらい、吹っ飛ばしてしまいそうだ。
***
ひた、と冷たい感触に、シーファは目を覚ました。
「……?」
その感触を指で追えば、額に濡れた布を乗せられたのだと気付く。開いた瞼の向こうに、ストロベリーブラウンの髪が揺れた。
「リティア……?」
「あ、起こしちゃいました?」
微笑んだ彼女は、小さく呪文を呟いた。直接の治癒呪文は効果がないと分かっているのか、布を冷たいままに保つ呪文だ。
「ーー『来た』んでしょう?具合が悪いなら、そう言ってくれれば良いのに」
「……お前」
「わかりましたよ、何年傍に居ると思っているんですか」
クス、と笑う姿が、なんだかいつもの彼女より大人っぽくて。
なんだか立場が逆転したようでーー悔しい。
「アルヴィオスは」
「またにします。お師匠様の方が大事ですから」
リティアは師の顔を覗き込んだ。
「格好つけてないで、こういうときくらい甘えて下さい」
ーー生意気だ。
そう言おうと思ったがーー悪くはない気分だった。不思議と、さっきまでの凶暴な気持ちも消えている。
「……喉が渇いた」
「はい」
「どこにも行くな」
「はい」
「私以外の前で髪を下ろすな」
「はい」
「鼻が痛い」
「……はい」
なぜか少女は頬を染めて、ひどく嬉しそうで。
先ほど噛み付いた鼻にーー今度は優しく唇を落とされた。
「好きな人に頼られるのって、嬉しいんですよ。お師匠様」
ーー生意気だ。
けれど今日だけはーー譲ってやる。
シーファはストロベリーブラウンの髪を引き寄せて。
今度こそ優しく、唇を重ねた。
fin.