Hope
セアラ姫を追って謁見の間を出て来たアランは、回廊の先に彼女の姿を見つける。
「ったく、いつもながら逃げ足の速い……」
苦笑しながら、けれど難なく速度をあげてその後ろ姿に追いついた。
「セアラ姫」
彼の呼びかけに、びくりと背を震わせて振り返った姫君は、もう先ほどまでの泣きそうな表情はしていなかった。代わりに睨みつけるような目をアランに向ける。
「魔法石を使ったとき、精霊がわたくしの魔力を感知して知らせてくれたの。あなたが死んでしまいそうだって」
「生きてますよ。フラグなんて折ってやると申し上げたでしょう」
けれど治癒魔法が発動したあの瞬間、精霊達は彼の生存は絶望的だと告げた。
それを聞いてセアラは取り乱したのだ。自分でも、考えられないほど。
今まで彼がどんな任務で危険に陥ろうと、心中はどうあれ、表面的には冷静さを保つことができた。だというのに、あのときは何もかも捨て、城を飛び出してアランの元に駆けつけたかった。結局は王の兵士に押さえられ、部屋に閉じ込められたのだが。
それから彼が命を取り留めたと聞くまで、生きた心地がしなかった。
王女は固い表情のまま、呟く。
「リティアが居なければ死んでいたわ」
「そうですね。けれどちゃんと生きています」
ほら、とアランが両手を広げてみせれば、王女はやっと視線を和らげて、彼を見つめ頷いた。そして、一度瞳を閉じてーー思い切ったように顔を上げた。
「……あなた言ったわね。無事に帰ったら一つ願いを聞いて欲しいと。あなたの願いを聞かせてちょうだい」
アランは軽く目を見開いてーー微笑んだ。
「ならば、遠慮なく」
その手をとった。セアラがビクリと背を震わせる。
「セアラ様、どうか幸せになって下さい」
「え?」
予想外だったのか、セアラはぱちりと目を瞬かせた。
自分の手をとる近衛騎士を見上げーー彼の言葉を反芻して、みるみるうちに美しい顔が歪む。怒りとも哀しみともつかない感情に、心が掻き回されて。
「あなたこういう時は、『私のものになって下さい』とかせめて『キスしてもいいですか』とか、それくらい言うものでしょう……!」
怯えていたのか、期待していたのか、自分でもわからない。
けれど彼はまだーー『騎士』のままでいるつもりなのだということに、安心したくせに、憤った。勝手な心。
「ちょっと侍女のマリアンヌあたりに愛読書を借りていらっしゃい!」
彼女の剣幕に、彼は軽く首を傾げた。
「マリアンヌさんの大好きなベタ甘ラブロマンスなら、全巻読ませて頂きましたけど」
読んだのか。
姫は思わず力が抜けて、がくりと肩を落とす。そんな彼女の顔を、アランが苦笑まじりに覗き込んだ。
「そりゃ言いたいですよ。でもあなたが後悔することだけはしたくないんです。俺がこのまま抱き締めたら、あなたは俺のものになってくれるかもしれないけど、それであなたが前を向けなくなるのは嫌なんですよ」
言葉の裏に見え隠れする、その熱ーー。
確かに彼女を想う、微かに混じる彼の切なさに、姫は言葉を失った。セアラは泣き出しそうになって喉が詰まる。
「狡いわ……」
けれど本当は分かっている。
ズルい、のはわたくしだわ。決心できないからって、アランに手を引いてもらおうとした。拒んでいるのは、わたくしの方なのに。
けれどアランは彼女の手を引きはしない。ただーー離すこともないのだ。
「あなたの幸せが、俺の願いであり望みなんです。だから、抱きしめることも、キスすることも、あなたの許し無しにはできません」
その手に力がこもり、セアラはアランの真実に気づいた。
違う。
彼は、従者のままで居続けるつもりなんて無い。
これは、諦めの言葉ではなく、むしろーー。
「でもね、セアラ様」
近衛騎士は甘い声で王女を揺さぶる。
「もしそれがあなたの幸せだと言ってくれたら、俺は迷いません。あなたを抱き締めて、離さない。だからその決心がついたら、俺に堕ちて、幸せになって下さい。
ーーセアライリア」
ああ。
セアラはとうとう涙が溢れたことに気づいた。
魔法大国の王女に生まれた時から、その美貌を周りが褒め称え始めたときから、一級魔導師として就任したときから、王族として恋愛の自由など考えてもみなかった。
けれど、王となる弟は自らの力を示し、友人である魔導士とその弟子は可能性を見せて、彼女に恋をもたらした騎士は、自らを省みない愛を注いでくれる。
自分の小さな意地もプライドも、粉々にするほどに。
「……アラン」
「はい、我が姫」
もう、隠すことなどできない。捨てることなど、できはしない。
知ってしまった。決心の先に何が待っているのか。
「キスして。それがわたくしの幸せよ」
ーーアランの手が、セアラの手を引き寄せた。