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Secret night

 コンコン、というノックの音で、リティアは髪を梳かしていたブラシを置いた。

 もう簡易な夜着に着替え、髪を下ろして寝ようとしていた時間だ。こんな夜中に現れるのは一人だけ。


「シーファ?」


 扉を開けるとそこには月明かりに照らされた師が立っていて。

 リティアを見ると妖艶に微笑んだ。


 ーーあ。


 何にそう思ったのかは分からないが、気がつけば彼がリティアの身体を押し戻すように部屋に入ってきて。当たり前のようにその胸に抱き締められる。

 ドキン、と跳ねる心臓に、ふわりと香る、彼自身の香りとーー酒?


「……お師匠様、酔っぱらってます?」


 夕食後にイエーイ男子会~などと言って、ワインを何本か抱えて行ったアランを思い出す。その前にリティアも誘われたが、疲れているからと断ったため“男子会”になったらしいが。

 しかし、ふらりと倒れ込むように抱きつくーーと言った方が正しいのかーー抱き締めてくる彼に、リティアはドキドキしながらも戸惑いを隠せない。

 彼がふらつくほど呑む姿など今まで見たことがない。気を許した友の前だったからなのか、まだ体調が本調子じゃないのか。


「怪我を治したからってそんなすぐにお酒呑んで、身体大丈夫ですか、お師匠様?」


 水でも摂らせるべきか、と離れようとしたなら。


「離れるな。お師匠様が未熟な弟子にお説教しに来てやったというのに」

「……は?」


 え?お説教なの?こんな夜中に?


「あ、明日じゃダメですか、ね……」


 先ほどの妖しい空気は気のせいかと、瞳を向ければ。


 ーーあ。

 気のせいじゃない、と気づいた。シーファは、リティアをじっと見下ろしている。


「明日じゃ意味が無い。夜這いも兼ねてるからな」

「は!?」

 ……今、何て言いました?このお師匠様は。


 彼は口を開くと、一気に話し出す。


「ーーほいほい精霊に騙されて、無謀にも魔物に刃向かって。海竜など殺してしまえば楽なのに、救おうとして危険な目に遭って。お前はちっとも私の思い通りにならぬ馬鹿弟子だ」


 静かに語られる言葉に、少女はびくりと身を震わせ、師はやっぱりお説教に来たのかと、肩を落とした。リティア自身が気にしていたことを突く、容赦が無いセリフに思わずうつむく。


「ご、ごめんなさい……」


「けれど」


 頬に触れた指先に、見上げればーー微笑む彼がいた。


「お前が迎えに来てくれて、嬉しかったよ」


 その、言葉が。

 リティアを満たす。


「お前は知らないかもしれないが」


 彼の手がさらりとリティアの髪をすくいあげて。


「私はお前と出逢って、失ったものより得たものの方が多い」


 その髪に口付ける。


「そのなかでもこれはーー俺の一番の宝だ」


 シーファの指の隙間から、少女の髪が零れ落ちたときには、もう彼の唇はリティアの唇に重なっていて。いつもより少しだけ熱いそれが、次は首筋に押し当てられた。


「ーー!」


 派手に飛び跳ねたリティアの心臓は、ドキドキと大きな音を立てている。彼にも聞こえているに違いない。

 ーー虹色の光と共に現れる、アルティスの秘石。


「酔って、ます?」


 かすれた声で問えば、銀の魔導士は彼女の秘石を手に取った。いつもより熱のこもった身体で、いつもより色気の増した声で。


「ーーさあ。確かめてみたらどうだ」


 ふ、と微笑む姿が、なんだか壮絶に綺麗で。秘石を持つ手をリティアにすっと伸ばしてくる。魔法をかけろと促されているのに気づいて、リティアの頬が赤く染まった。


 お説教兼、夜這いって、

「さっきの本気だったの……?」


 それを封じる術を掛けたなら、きっと確かめられる。彼がどれだけ、リティアを想っているのかがーー。

 青い瞳に吸い込まれるように、リティアは彼の秘石を持つ手に、自分の手のひらを重ねた。


「ーー秘石よ、しばしの眠りをーー」


 呪文を唱えるごくわずかな時も待ちきれないように、銀色の髪の青年は少女を掬い上げる。


「きゃ」


 シーファが彼女を高く抱え上げると、驚いたリティアは彼の肩に両手をついてその顔を見下ろした。小さな子供にするような抱き方だというのに、何故かお姫様抱っこよりも恥ずかしい。


「シーファ……」


 長身の彼を見上げるいつもとは逆で、彼女を見上げる師の姿に、なんだかきゅんとして。ついついその頭を胸に抱え込む。だってなんか可愛いんだもの。


「……なんだ、甘えさせてくれるつもりか。どちらかというと甘やかしたい方なんだがな。というか、もの凄く気持ち良いのだが、誘われているのか私は」

「えっ!?」


 母性本能的な何かをくすぐられたのは一瞬で。

 その彼の言葉に、リティアは真っ赤になって慌てて身を離した。

 けれど彼はそれを許さず、リティアを肩に担ぐように抱えてーー寝台に降ろす。今度は彼女に覆い被さるように見下ろしてくる彼に、リティアの方が上目遣いで見上げる羽目になって。その表情を見たシーファはひどく扇情的に微笑む。


「ーーほら、誘ってる」

「ーーっ!!」


 それは、こっちの台詞です。

 そう言いたくて、でも言えなくて。リティアは赤い頬を隠したくて、せめて顔だけでもと横を向く。お酒の入ったお師匠様は色気三割増しで。


「……シーファの女タラシ!」

「私がたらしこみたいのはお前だけだ。本気で全力全開なお師匠様を、少しは労われ」

「いっ、意味がわかりませんっ」


 ……羞恥心は九割減するらしい。

 こちらは羞恥心三割増しのリティアがますます横を向く。その向けられたこめかみにーーシーファの唇が落とされた。続いて、耳の端を軽く咥えられーー濡れた感触。


「ひゃあっ!」


 予想もしなかった攻撃に、少女は思わず奇声をあげてしまい、その声の大きさに慌てて口元を押さえた。


「な、何をするんですかっ!いま耳、舐め……っ」

「あれ?耳弱かったか?だってお前がこちらを向かないから」


 けろりと言う彼は全く平然としていて。なんだか悔しい。

 酒のせいか適度に砕けた口調も、見下ろされても降って来ず、彼の背中に手を回してもさらりと触れない短い髪型も、なんだか知らない男の人みたいだ。

 シーファの長い睫毛が伏せられ、その唇がリティアの胸元まで降りて来る。けれど肌に触れない銀糸の髪がもどかしくて。


「ーー」


 切なく伸ばした手を、代わりに彼の指が絡め取った。



 ーー戻せたら。

 この銀の雨を、戻すことが出来れば。


 髪の短いシーファが嫌なのではない。姿が違っていたとしても、彼自身なら愛おしい。けれど、不当に奪われたことが悲しかった。彼が自ら決めたことでも。

 海竜ごとリティアの中に溶けたシーファの魔力は温かくて、優しかった。

 だからーーもとはアルティスのカケラだとしても、あれはもうシーファのものだ。

 ただの髪、ただの魔力の一部だとしても。彼が欠けることが、悲しかった。


 もう一度戻って来たシーファの唇に、リティアは自分から口付ける。意表を突いたのか、少々驚いたように目を見開いた師に、してやったりと思ったのは一瞬で。

 すぐにリティア以上の熱さでキスを返してくる彼に翻弄されてしまった。

 服の中に潜り込んで皮膚に触れた、シーファの手のひらの感触に、ぎゅっと彼の首に手を回せば。柔らかく触れた銀色の髪を、リティアの指が通り抜けて、切なく空をきった。


 ーー戻せたら。

 ーー戻したい。


 リティアの手に虹色の光が、溢れた。


「えっ……!?」

「リティア?」


 彼女自身もびっくりして硬直する中、光はだんだんと収まって行きーー消える。

 それと共に突如、シーファの背中にさらりと溢れる銀色の髪。



 ーー彼の髪が、元通りになっていた。



「どうして……」


 意識もせずに使った魔法に、リティアは茫然と自分の手を見つめる。

 どうして良いかわからないまま、師を見れば、彼もまた驚きの表情を隠せないままーーしかし笑い出した。


「あはは、お前はやはり凄いな!」

「え、え、え」


 自分のしたこともそうだが、声をあげて笑う彼も珍しい。

 すっかり酔いが醒めたのか、彼は身を起こして自分の髪を確かめた。


「見た目だけじゃなくて、魔力そのものを返還したか。なかなかやってくれる」


 そしてシーファは弟子を自らの胸に引き寄せた。彼女の肩に顎を乗せて、両手をゆるくリティアの後ろで組む。顔が見えないほど近すぎる距離で。


「ーーお前の力はどんどん強くなっている。まだ使い方や性質が掴めていないだけで、純粋な魔力だけなら魔導師など目ではないほどに高まっているな。しかもそれは、私の為に」

「……はい」


 彼の自意識過剰などではない。リティアもそう思う。

 シーファを想うほど、彼女は自分でも信じられないくらい強い魔法を使う。


「……そう思うと、私の責任は重大だな」


 彼の顔は見えないけれど。複雑そうに笑っているのは分かる。だからリティアは恐る恐る、師に問いかけた。


「面倒な弟子から、逃げたくなりました?」


 彼女の言葉に、彼はーー


 がぶり。


「ひゃあああっ!!」


 リティアは耳たぶに感じた痛みにビックリして、先ほどよりも派手に奇声を上げた。一気に身体を師から離して、両手で耳を押さえ、思わず涙目になって叫ぶ。


「何するんですか!!」

「くだらないことをいうからだ。馬鹿弟子め。わざわざ分かり切っている答えを言ってやるほど、お前のお師匠様は優しくは無いぞ」


 ふん、と鼻を鳴らし、寝台の上に肩膝を立ててそこに肘をついた彼は、つまらなそうに呟く。


「それとも何か。私がちょっと面倒な女からさっさと逃げるような、阿呆に見えるのか。男としての信用が無いってことか?」

「っ!見えません!ごめんなさいっ」


 ……す、拗ねてるの?これ。それとも実はまだ酔ってるの?

 慌てて謝りつつも、リティアはなんだか可笑しくなって。ついにはクスクスと笑ってしまう。それを呆れたように眺めるシーファの表情も、どこか柔らかい。


「お前はやはりセインティアで生きるべきだな。王を殴り飛ばして出て行けば良いなどと考えたのは、私の間違いだった。お前には魔導士としての可能性がある。私はそれを導くべきなのだろう」


 師として。

 彼女の事を考えてくれる彼の真摯さを感じて、リティアは嬉しさに胸がいっぱいになる。彼女の緩んだ顔を見て、シーファが眉を上げた。


「笑うな」

「……あはは、ハイ。すみません」


 どうしよう、なんだかいま、もの凄く。このひとが、愛おしい。


「お師匠様、髪に触ってもいいですか?」


 リティアがそう聞くと、彼は軽く目を伏せて微笑んだ。それを許されたと理解して、少女は銀糸の雨に手を伸ばす。柔らかくて、さらりと溢れる、煌めくそれ。

 彼がリティアにそうするように、引き寄せた一房に唇を触れてみる。


「ーーっ」


 なぜかシーファが目を見開いて、びくりと身を震わせた。


「な、なんですか?」


 駄目だったのかな、と見上げると。


「……いや、やられる方は結構照れるものだなと」

「えっ!」


 微かに赤い顔を隠すように手で覆い隠す師を見て、リティアの方こそ照れてしまう。


「だ、だってお師匠様の真似なのに」

「ああ、そうだな。けれど思ったより効果的だと身をもって知ったからな。これからはもっとやることにする」


 なんで!?

 どこかおかしい結論に達したお師匠様に、弟子は真っ赤に染まった頬を押さえて。


「しかしこのタイミングで戻されたか。『邪魔にならない』というのも試してみたかったが」


 シーファがぼそりと呟いて、リティアはなにが?と首を傾げた。

 ニヤリと微笑む彼に、よからぬことを考えていた様子を察知した少女が顔を引きつらせる。


「お、お師匠様?髪も魔力も元通りになったことだし、万々歳ですよね。ほらもう遅いし、寝ましょうよ」

「ほう。元通りか」


 その声に。

 な、なんだか身の危険を感じる!


「では最初からやり直そうか。なんといってもお前がすいぶんとその気になってくれていたようだったからな。せっかくアルティスの秘石も封じてくれたことだし」


 その気ってどの気。

 確かにそのつもりで封じたが故に強く否定できない。


「あの、シーファ」

「それでは、また最初から」


 すっかり穏やかに変わっていた空気を、またゆっくりと艶めいたものに変える、その視線。逃げられないしーー逃げたくも無い自分がいることも自覚している。


 ……仕方ないなあ、もう。


 降り注ぐ銀の雨に、指に触れるその感触に、リティアはゆっくりと目を閉じた。

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