Resolution
広い広い大海原にぽつんと浮かぶ、小さな島の洞窟から。
「ちょ、ちょっと!どこまでするつもりですか!?こんなところで!」
「さて、どこまでしよう?」
「~~っ、調子にのらないで下さい!さっきまでの真剣さはどこやったんですか!弟子の望みはシリアス!真面目なお師匠様の格好良さ!」
「安心しろ。私はいつでも大真面目だ」
「なお悪いですよ!!あ、ちょっと、待って待って待って!!お師匠様っ!?」
「ここでなければどこなら良いのだ。セインティアに戻ったらまた小煩いのだらけではないか」
「知りませんよ、そんなの!つうか岩!岩痛い!」
「だから動くなと。ああ、さっきの枷の魔法、解かなければ良かったものを」
「この変態魔導士ーー!!」
非常に呑気なーーいや、いたいけな少女には切実な、やり取りが聴こえて。
何度目かの虹色の光が漏れた。
やがて洞窟からは顔を真っ赤に染めた弟子の少女と。ご満悦のお師匠様が外へと出て来る。
「……お師匠様、早くラセイン王子達に連絡して下さい。心配してるから」
頬をふくらせたままボソリと呟くリティアに、シーファは笑いながら鏡を取り出しかけてーー。
「いや、向こうから迎えに来たな」
その顔を海へと向けた。
もう日が沈みかけ、水平線の向こうにオレンジ色の太陽が消えてゆく。灼けるような橙色から徐々に深く沈む紫のグラデーション、金色の光に縁取られた雲、高い空に輝き始める星。穏やかな波は、魔物を孕んでいたことすら忘れたかの様に静かで。
そんな中をこちらに向かって進んでくる、セインティアの白い船。それを見つめる、シーファの端正な横顔。もう背中ではなく首元で風に揺れる、彼の銀色の髪。いつの間にか剣から杖に戻していたそれを掴む手。
一つ一つを見つめて、リティアは不意に苦しくなった。嬉しいような、泣きたくなるような。
彼女がやろうとしたこと、やりたかったこと、やらなければならなかったことを、彼はずっと見守っていてくれた。きっとリティアが何の為に魔導士になろうとしているのか、彼女が決意するより早く彼は気づいていたのだろう。
けれどそれは、いつだってシーファに護られた道で。
シーファが今までリティアのために失ったもの、これから失うかもしれないものを考えると怖い。その一方で、その深い愛情を嬉しいとさえ思ってしまう自分がいる。自分勝手だと分かっていても、彼に大事にされることが酷く幸せで。
ーー追いつきたい。
彼は今でも揺るぎなく、リティアの尊敬する師で、目標で、誰よりも愛する人なのだ。ふと、彼が弟子の視線に気づいて、こちらを見つめた。
「ーー見とれてくれるのは構わないが、悪い男なら妙な気分になる、と前にも警告したはずだが」
柔らかな表情は、沈んだ陽に隠されたけれど。きっとあの時より、もっと近づくことを許してくれているのは分かる。
「妙な気分、て?」
だからもう一度、リティアは問いかけた。
シーファの瞳が近づいてきて。あの時は触れなかった唇が、リティアのそれに触れる。
「煽るものではないよ。私は悪い魔法使いだからな」
「ふふ、そうですね」
リティアは微笑んで。
ーー胸元に現れた虹色の秘石を、船から見えないようにそっと握り込んだ。
*
「シーファ!その髪……!」
入り江に到着した船から、最初に驚愕の瞳で叫んだのはラセイン王子だった。魔法大国の世継ぎの王子だ。もちろん事の重大さはリティアよりもよく知っている。
けれど船に乗り込んだシーファの顔を見て、それからリティアの顔を見て、二人が穏やかな顔をしていると知ると、彼は問いただすのをやめた。代わりにふわりと微笑む。
「ーー二人が無事に生きて帰ってくれて、何よりです」
アランは主君の言葉を待ってから、ニヤニヤと笑って言った。
「男前が上がったじゃないか、銀の大魔導士殿」
悪友の言葉に、シーファも軽口で返す。
「私は前から男前だ。ああ、そういえばお前無事だったのだな。死んだと思っていたが。……残念だな」
「おい最後のボソリ聞こえたぞ、このクソ魔導士!バッチリ生きてますとも、アンタの良く出来たお弟子さんのおかげでね!」
いつも通りの言い争いが始まった二人は放っておいて。ラセイン王子はリティアに微笑みかける。
「ーー海竜を浄化したんですね」
「はい」
退治ではなく、浄化だと。迷いなく問われたことが嬉しかった。ここにもちゃんと、彼女の理解者がいるのだと。
リティアは一度頷いてから、聖国の王子を見上げた。ある決意を胸に。
「あの、それでラセイン王子。私、お願いがあるんです」
彼女の様子にラセイン王子は小首を傾げて、静かに言葉の続きを待つ。すっかり暗くなった甲板で、月とランタンに照らされた彼女の顔に、何となく今までとは違う雰囲気を感じた。どこかふっ切れたような、一つ何かを乗り越えたようなーーそんな顔をしている。
「私、一人前の魔導士になりたいんです。だから、王様に認めて頂けたら、セインティア王国でもっと学ばせてもらえませんか」
お師匠様から学ぶことはもちろんまだまだある。けれど、彼を支えられるようになるには、まだほど遠い。
浄化能力は、アルティスの力ではない。リティア自身の力だ。それをもっと知りたいし、高めたい。他の国でもなく、師と二人で隠れ住むのでもなく、魔法大国でなければきっと出来ないことだ。
「ええ、もちろん。望み願う者に、その道は開かれるものです」
ラセイン王子は魔導士の教訓とも言える一説を口にして、優しく微笑んだ。
「戻って、陛下を説得しましょう。大丈夫、必ずあなたの望みは叶います。なんたって、無敵の大魔導士がついていますからね」
悪戯っぽく言う彼の視線を追えば、いつの間にか師は近衛騎士との口喧嘩を腕相撲に変更したあげく、なんだかあっさりと勝っていて。
「魔法使った、ズルい!ズルい!」などと言われ、それを「使ってない。ちょっとしか」なんてあしらいながらこちらを見ていた。小さく笑った口元は、リティアの考えなどお見通しなのだろう。
「……そうですね!」
リティアは微笑むと、二回戦目に突入した勝負の審判を務めるべく、師の方へ駆け寄って行った。ラセイン王子はそれを見送ってからーーふと夜空を見上げる。
その輝く月の姿に、想うのは一人の少女で。鏡越しに触れた彼女は、それでも微笑んでくれた。
『あなたはあなたの、為すべき事をしてきて。私は待ってるから、大丈夫』
優しく背を押してくれた、強く美しい月の女神の言葉。その信頼に、応えなければならない。
けなげな少女が、自分の道を掴もうとするのを。
大事な友人が、自分を傷つけても愛おしい存在を護り通そうとするのを。
兄にも等しい友人が、沈黙することで想いを貫こうとするのを。
「……必ず、認めさせてみせる」
金色の月が、ただ静かに輝いていた。