The same as you 3.
ーードォンッ!!
彼女を咥えた勢いそのままに、海竜は岩に激突する。その首は斜めに傾き、リティアを岩壁に押し付けるようにめり込んでいるが。
ーーしかしその牙は彼女の身体に突き刺さってはいなかった。
「お師匠様……」
シーファの防御魔法だ。それがリティアの身を包み、海竜から彼女を護っていた。
「……っ、間に合ったか」
「お、お師匠様ああ」
こ、怖かったーー!
リティアは半泣きで安堵の息を吐くが、師の『本気でちょっとヤバかったかも?』な顔を見て顔を引きつらせた。
「我を取り巻く力よ、我が弟子を護る力となれ」
シーファは自分にかかっている強化呪文を解いて、魔力を全てリティアへの魔法に変える。海竜が動いた瞬間に、すでにリティアに魔法をかけていたのは、反射のようなものだった。しかし魔力がろくに回復もしていないのに、呪文も唱えずに咄嗟に使った魔法は脆い。
「ーー海竜、リティアを放せ」
しかし海竜はリティアを放そうとせず、その魔法を打ち破ろうと力を込める。魔法が軋む音に、リティアはビクリと身を震わせた。破られまいと彼女も防御魔法を唱えようとするが、海竜がぐ、と口を閉じて彼女の身体を締め付ける。
「ーーっ!」
息の詰まる苦しみに、呪文を紡げない。このままでは喰われる前に窒息死だ。 その様子を見たシーファが、強く響く声で海竜達に言った。
「よせ。お前達は飢えを満たす魔力が欲しいのだろう?私がくれてやる。だから、リティアには手を出すな」
彼の言葉に海竜の力が少しだけ緩み、リティアは咳き込みながら目を向ける。
何をしようというのか。あの海竜達の滅びを止められるほど魔力を分け与えることなど、出来ないはずだ。リティアがアルティスの秘石を失ったらそうなるように、寿命を削ることにもなりかねない。
「……にを、」
何をするつもりなの、シーファ?
張りつめた空気の中、見守る一同の前で。シーファは長剣をナイフに変化させる。その銀色の髪を掴んだ。
「魔導士の魔力そのものだ。お前達にくれてやる」
彼の意図に気づき、リティアは目を見開いた。
まさか。
「駄目、お師匠様」
ぐ、と当てがわれた鋭い刃。
それを、彼は迷いなくーー強く引いた。
「ダメぇ!シーファ!!」
ーーザクリ、と。
銀色の髪が舞い落ちた。彼の片手の中に束となって。
「なんてことをっーー」
リティアは悲鳴混じりに呟き、目を逸らせずにただ見つめる。
シーファはその長い銀髪を切り落としていた。
魔導士にとって、『途切れること無い生命』は絶大な魔力の源となる。
例えば。永い長い樹齢の木から産まれた杖、ーーしかしこれは所詮は切り取られた生命。
伸ばされた爪、ーー魔女にはそういうものも居るが、ほとんどは限界もあるし、邪魔になるので伸ばす者は少ない。
そして、最も有効で、強い力を持つのが、長く伸ばされた髪。
ーー命をとぎらせること無く伸ばされたそれには、強い魔力が宿る。
だからこそ魔法大国セインティアにはシーファやラセイン王子のような髪の長い者が多い。身体の一部で魔力の宿るものは、もう魔導士の命とも言ってもよいのだ。
だというのに。リティアは茫然と、師を見つめた。
いいえ。魔導士だからとかじゃない。シーファが、彼自身が損なわれた。ーー私の、せいで。
動けないリティアの前で、彼はそれを海竜達に差し出す。
「高密度の魔力だ。お前達にくれてやる」
惜しげも無く、その手を開いた。彼の手のひらから溢れたそれは、銀色の光となって海竜達に降り注ぐ。
『おお、これこそが強い魔力』
『我らの飢えを満たす煌めき』
青い瞳が喜ぶ魔物達を見つめた。
「しかしそれは一時の満足だ。今は満たされようと、海竜達は滅びの道をたどるのだ。浄化されないかぎり」
シーファが厳しい声で言う。隻眼の海竜から解放されたリティアは、その場に膝をついて師を見上げた。
「シーファ」
私のせいだ。
私が捕まったから。ろくに魔法も剣も使えないから。退治できずに浄化にこだわったから。ーー私が!
銀色の、美しくて、柔らかで、滑らかで、優しい、彼の髪。
ふと蘇るのは、いつも自分に向ける背中に溢れるそれ。向かい合った時に手を伸ばしたくなるそれ。寝台で彼を見上げた時に降り注いだ、優しい雨のようなそれ。
「ごめんなさい……っ」
彼はリティアに何一つ傷つけず、損なわないと言ってくれたのに。私は、彼から大切なものを奪ってしまった。
彼は少女の前に来ると、身体を引っ張り上げて立たせてくれた。その拍子にぽろぽろと涙を零す弟子を、胸に引き寄せる。
「私の魔力は元々お前のものだ。私が魔導士になったのもお前の為。ならば魔導士の命をお前の為に使って何が悪い」
声に含まれる優しさに、リティアは胸が詰まった。
リティアの為であろうと、彼は彼の人生を生きて、魔導士として重ねてきた大切な時間ーー魔力なのに。
「だけど」
なおも涙を零すリティアを、シーファが抱きしめて。
「馬鹿弟子。髪は髪だ。また伸びるしーー」
そこでリティアを覗き込む。
「どんな姿をしていても、お前のお師匠様は格好良いし、少しくらい魔力が無くなろうと、偉大なる大魔導士なのだから問題ない」
「……アランさん居たら、絶対殴られてますよ」
短いのも似合うだろう?と囁かれて。悪くはないですね、と軽口を返すことは出来た。だから、謝るのはやめよう。
「ありがとう、シーファ」
彼はリティアのそんな気持ちにもちゃんと気づいている。瞼に落とされた唇が、弧を描いた。
「ここからはお前の出番だ。あの腹ぺこ双子共を浄化してこい」
「ーーええ。必ず」
リティアは二頭の海竜に近づいた。
極上の魔力を喰らって、どちらも先ほどまでの暴れ様が嘘のように穏やかになっている。彼女が近づいても、彼らはただじっと見つめて動かずにそこに居た。
「人間が犯した罪は、私が謝って済むことじゃないのは分かってる。でも……ごめんなさい。あなた達から見れば人は愚かで、無知で、罪深いのかもしれない。こちらが一方的にあなた達を排除しようとするのは、間違いだよね」
リティアだって半人前だろうが魔導士の一人だ。海竜の卵を原料とする魔法は知っているし、きっとこの先使うこともあるだろう。彼女だけではない。生きる者は全て、どこかで何かの、誰かの犠牲を払って、その恩恵にあずかってきたのだ。
けれどこの先使わないなどと偽善を言うつもりは無い。
一人前の魔導士になりたい。だからこそきっと、どんな犠牲を払っているか知っていても、一流の魔導士を目指すことは変わらない。今は、何の為に魔導士になりたいのかはっきり分かる。
シーファがリティアに示してくれた道だ。この力で誰かを助けたい。
ーーただそれは、人だけではない。
人と、精霊と、魔物。世界に存在する全てだ。全ての命を繋ぐ浄化能力だけができること。それが、リティアがこの力を持つ意味ーー魔導士になる意味なんだろう。
「我らはこういう種なのだ。殺戮と破壊ーーそれを否定するのか」
「いいえ。でも、歩み寄ることはできるでしょう?いままでは隔てられた関係でも。少なくとも私は、今滅びゆくあなた達に新しい命を生きて欲しいと思う」
差し伸べた手に、海竜達は人の姿へと変化した。隻眼の海竜がその手を取る。その顔はどこか晴れやかで。
「銀の魔導士には大きな魔力を貰ったからな。仕方あるまい、取引成立だ」
素直でない彼の言葉に、リティアは苦笑しながらも目を閉じて。隻眼の海竜は、ふわりとリティアの中に溶けた。しかし両目の海竜はリティアの手を見つめたまま動かない。
「我は魔族として死ぬ。生まれ変わる必要など無い」
リティアはその言葉に迷いを感じ取った。魔族としての誇りを持つものが居るなんて知らなかった。人間にとって、魔物は悪で、生活を脅かす退治するべき存在でしかなかったのだ。けれどレイウスや、ロウエルミーアを知ってーーそれだけではないことも分かってしまった。
「でも、あなた達は二人で一人なんでしょう?」
兄弟を独りきりにするの?と問えば。
「勘違いをするな、砂漠の姫。我ら魔物に仲間意識など無いも同然。卵のことも、単に魔力を奪われ、飢えたことが許せなかっただけだ」
リティアはその言葉に首を傾げた。
「そうかなあ。私には、あなたがお兄さん……いえ、弟さん?とにかく片割れを大事に想っている気がしたけど」
そのまっすぐな瞳に、海竜は戸惑いーー結局は苦笑いした。
「ーー全く、馬鹿がつく程お人好しの姫よ。そなたの無邪気さは、魔力よりも美しくて抗えぬ」
そうして。その手をリティアの指に絡めた。
*
浄化の光が消えると、リティアは師のところへ駆け寄る。彼は手のひらに水の精霊をのせて、治癒魔法をかけていた。
「……大丈夫?ごめんね。私を助けてくれてありがとう。……でも」
リティアが途切れさせた言葉が、精霊に通じたのか。精霊はキラキラと光る尾を揺らしてひらりと飛び上がった。
「気にしないで、砂漠の姫。あいつらは海竜は仲間を喰らって、住処を荒らした魔物だけど。姫の中に溶けたら、もう悪さはしないんでしょ」
明るい声で言う精霊に、少女は師を見る。シーファは頷いた。
「精霊というのはこういうものだ」
微笑む彼に、リティアも笑顔を返す。それを見て、水の精霊はくるりと回ってまた飛び上がった。
「ありがとう、魔導士のおにーさん。砂漠の姫。いつか水の魔法が欲しくなったら、ワタシを喚んでね」
ぱしゃんと水音をたてて、それは姿を消した。
「すごくアッサリでしたね」
「精霊とはそういうものだ」
リティアの問いに、師は同じ言葉で答える。
「さて。外に出るか」
立ち上がり、歩き出そうとしたシーファがよろめいた。
「お師匠様!」
リティアが咄嗟にその身体を支えようと手を伸ばし、かろうじて彼の腕を掴む。
「だ、大丈夫ですか……?」
どこか怪我でもしたのかと見回すが、彼はリティアを制して首を横に振った。
「いや……急に頭が軽くなって、バランスが取れなかった。大丈夫だ」
どこか照れくさそうに言う師に、弟子は安堵の息を吐く。けれどすっかり短くなってしまったその髪を見て、戸惑うように視線を逸らした。シーファがその様子に気づいて彼女に問う。
「なんだ。見慣れないか。魔力がもう少し回復したら、見た目くらいは偽装できるけどな」
「いいえ!あの、まだ慣れないだけです」
その言葉に、魔導士はふむ、と呟いて。リティアの肩に手を回して、胸に抱え込むようにその場に座った。彼の行動に、やはり、身体に負担をかけ過ぎたのだろうかと、少女は心配そうに見上げる。しかし、師匠は彼女を見下ろして微笑んだ。
「もう少し、ここで休んで行くか。久しぶりの二人きりだしーー」
ーーその笑顔が、またニヤリと不敵な笑みに変わる。
「この顔に慣れるまでじっくり、近くで好きなだけ見ていれば良い。……目を閉じるなよ」
「ーーへ?」
ーー洞窟の中に虹色の光が満ちあふれた。