Trap 1.
海はどこまでも広くて、美しくて、残酷だ。
浜辺に降り、手応えの無い魔法を放ち続けて、リティアは疲れ切っていた。二晩、探索の魔法をほとんど休むこと無く使っている。睡眠不足も、乱れた心も、魔法の精度を下げると分かっていてもーー止められない。
騎士達も、ラセイン王子も代わる代わる彼女に休むように言ったが、リティアはここから動かなかった。どうせ寝台にいったところで眠ることなどできないからだ。
ラセイン王子も同じように、騎士団の指揮を執り、今後の作戦を練りと動き回っていたが、最終的にはアランの容態を確かめに行った。
「……我は、望む。銀の……」
もうかすれた声に呪文を唱えることすら危うくなっている。
けれど呪文無しでの発動は、集中力が保てないから声を絞り出す。
「どこにいるの、シーファ……」
がくりとついた膝が、バシャンと水に沈んだ。
「こんなに、探してるのに。どうして見つからないの」
震えそうになる声に、拳を握りしめる。
涙など出ない。もし一度でも泣いてしまったら、最悪の可能性が頭をよぎってしまう。つまりーー探索魔法は命の無いものには反応しないということだ。
「そんなはず、ない。必ず生きてる……。必ずっ……」
自分に言い聞かせるような言葉は、確信なのか願いなのか。拳に食い込んだ爪が、赤い筋を残して。桟橋に残された赤を連想させた。
あの恐怖をーー消してしまわねばならない。
「ちゃんと……帰ってくる……」
また暴走しかねない自分を抑えて、彼女はよろよろと立ち上がった。もう一度、魔法を発動させようとして、ーー目の前にぱっと鮮やかな色が広がる。
「見つけたよ!砂漠の姫」
「え?」
リティアの顔の高さで跳ねるのは、鮮やかな尾の魚だ。ーー否、魚のような精霊だ。つい手を差し伸べてしまえば、その上に浮き舞い踊る。身体から零れ落ちた水滴がリティアの手のひらを濡らした。
「リティアさん!」
騎士団が用意した天幕からアランとラセイン王子が駆け寄ってきて、近衛騎士の無事な姿にリティアは安堵する。
「アランさん、もう動けるんですか。良かった」
「君が治してくれたんでしょう?ありがとう。で……その金魚なに?」
アランの言葉に、精霊は抗議する。
「ワタシは水の精霊!金魚じゃありません!」
言われてみれば観賞用の魚に良く似た美しい精霊は、けれどその表現がお気に召さなかったらしい。リティアの手の上をぐるぐると回ってから、彼女に話しかけた。
「砂漠の姫。銀の魔導士を探しているんでしょう?」
精霊の言葉にリティアは目を見開いた。どくんと鳴った心臓が痛い。
「シーファに……会ったの!?無事なの!?」
身を乗り出して精霊に問う。
「彼は遠い小島にいるよ。海竜の住処だから、魔法で探知は出来ないんだ」
リティアはその知らせに、もう一度座り込みかけた。
「シーファ……!」
「魔導士は危険だから砂漠の姫に来るなと伝えろって。ーーでもね」
安堵するにはまだ早かった。精霊はフルフルと尾を翻し、リティアの顔を覗き込む。
「魔導士はその後、海竜に捕まった。傷ついて魔法が使えなくて。眠っていたところを狙われた」
その言葉に、一同は息を吞む。リティアは真っ青な顔を精霊に向けた。
「それで……?」
「今はまだ生きてるよ。海竜は獲物を弱らせて、月の出る夜に食べるんだよ」
その言葉に、リティアは震え出す身体を止められない。両腕で抱え込むように押さえるが、ガタガタと揺れる指先では何にもならない。
聞きたくない。聞けない。弱らせるってーー彼がこれ以上に、傷つけられているっていうの?
リティアは精霊に問いかけた。
「……その島はどこにあるの」
「ちょ、ちょっと待って。おい海図!」
アランが騎士に呼びかけて、海図を持って来させる。広げたそれを示して、精霊を見た。
「これで場所分かる?」
近衛騎士の言葉に、精霊は一点でくるりと回る。
「西の……この辺かなあ。でも海竜は、その金色の髪の王子様を食べたがっているよ。王子様は来ない方が良いよ」
「えっ、何それ金魚。ラセイン様が狙われてんの?」
反応するアランに、魚姿の精霊はグルグル回る。
「金魚じゃないもん!お前は美味しくなさそうだから、狙われないよぅだ!」
「うわ、生意気!焼き魚にしちゃうぞ」
「ならないよ!」
子供のような口調で言う精霊に、ラセイン王子が躊躇いを見せる。
自分が行けば囮になれるのではないか。けれど自分の身を危険に晒せば、またシーファやアラン、今度はリティアさえも更に危険な目に遭わせかねない。
王子の葛藤を見て、リティアが首を振った。
「私一人で行きます」
「「リティアさん!?」」
王子とアランが驚き、眉をしかめる。アランは少女の顔を覗き込んだ。その強い瞳に言い聞かせるように言葉を重ねる。
「危険すぎるよ。それに海竜に魔法は効かないんだろう?剣の使い手なら俺が」
「アランさんはまだ戦えるような状態じゃないでしょう?」
リティアの指摘に、アランは口を閉ざす。
起きられるようになったからといって、体調が戻ったわけではない。ましてや剣で魔物と戦うなどもってのほかだ。リティアは治癒魔法をかけた彼の状態をよく分かっている。今の彼にそんなことはさせられない。
けれど、アランの回復を待つことも出来ない。夜までにシーファを取り戻さなくては。この二晩無事だったことさえ奇跡なら、もうどんな猶予も無い。
「ならばせめて、騎士団を連れて行って下さい」
ラセイン王子の提案にリティアは首を横に振った。
「騎士達を船で連れて行ったら目立ち過ぎます。私一人なら魔法に紛れて行ける。ーー海竜に魔法が効かないのはわかってます。だからとにかく、シーファを取り戻すことだけ考えます」
戦いを避けて、逃げてくると。
出来るかは分からないが、今ここでシーファを心配するよりも、ずっとリティアにとって意味のあることだ。だから。
「私に、行かせて下さい。それに」
リティアは燃え上がるような瞳で、海の向こうを見つめた。
「逢いたいんです。一刻も早く、ただーー彼に逢いたいんです」