表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/66

The spirit of water

***

「痛って……」


 思わず口から漏れた言葉に、シーファは自分で憂鬱になった。血だらけの手をひと振りして払い落とすと、治癒魔法を掛け始める。

 海竜に噛みつかれた瞬間に、咄嗟にかけた防御魔法のおかげで、なんとか致命傷には至らずに済んだ。けれどさすがに深々と突き刺さった牙に身動きがとれず、海中に引きずり込まれ、沈められかけた。

 痛みに意識を飛ばされないうちに、海竜の目前で強力な光を爆発させて目くらましをかけ、怯んだ隙に海竜の顎から抜け出したものの、この小島の洞窟まで逃げて来るのがやっとだったのだ。

 傷は塞いだが、流した血のせいで貧血を起こし、眩暈が酷い。


「ったく……油断したな」


 まさか二体が同じ場所に現れるとは思わなかった。二体が一緒に居るのは強力でもあるが、弱点でもあるはずだからだ。


「ラセインは……大丈夫だとして、アランは……運、悪いからなぁ、あいつは。死んだかな」


 ボソリと物騒なことを言う。しかし本当は本気半分、冗談半分だ。

 あの場にはリティアがいた。彼女が正常ならば、きっとアランを助けられるだろう。しかし、リティアを育ててきたシーファには、彼女がどうなるかも容易く想像できた。取り乱して、魔力を暴走させてなければいいが。


「泣いているかな……」


 呟くその瞳が揺れる。

 心に想うのは弟子の少女。愛おしい恋人だ。きっと心配している。早く傍に戻って安心させてやりたいが、今はロクに魔法も使えない。


「肝心な時に……俺は傍に居てやれないな」


 あの状況でも奇跡的に無事だった杖を握り直した。前払いでラセイン王子がくれた新しい杖は、以前のものよりずっとシーファと相性が良い。強化保護魔法に守られた杖は、ちょっとやそっとでは壊れたりはしないし、たとえ無くそうとも喚び出せるよう魔法をかけておいたので、必ず手元に戻るのだが。

 それでも杖を放さなかったのは、魔導士としての性なのか。


「いつの間にか染み付いてるもんだな……。ハッ、俺もヤキが回ったか」


 体力が落ちていることと、周りに誰もいないことで、口調が素になっていた。

 シーファが尊大な口調で話すのは色々と理由がある。

 魔導士協会で若くして登りつめ、王族に“ひいき”された身で、周りにナメられないため。魔法の呪文に適した言葉であるため。ーーリティアに師としての一線を画すため。……これは失敗したが。


 アルティスの秘石が封じられていた間は、リティアに踏み込まないよう、踏み込まれないように、彼女とわざと壁を作った。心を知られないために、仰々しい言葉使いは都合が良かった。あとはもう長年の習慣だが、つい本音を漏らすときなどは口調が戻ってしまう。

 シーファは頬杖をついて呟いた。


「あー……あいつのこと考えたらヤバイな。……会いたいな。抱きしめたいな。キスして押し倒して思いっきり」

「すみません、おにーさん!そこは自主規制して下さい!」


 銀の魔導士のすぐ傍で。洞窟にそぐわない、甲高い声がした。


「……何だ、お前は」


 声の方を見れば、そこには小さな精霊が中空を舞っていた。

 シーファの手のひらに乗る程の大きさ。熱帯の鳥のような鮮やかな色彩の煌めくひれと、水をまとった身体の尾の長いーー見た目はまるで魚だ。


「ワタシは水の精霊。おにーさん達が海竜と呼ぶ魔物に住処を奪われた、哀れな一族の生き残り」


 くるりと一回転し、空中を泳ぐ魚のような精霊は美しいが、今はそんなものに構っている暇など無い。指先で弾けば、わあ!と悲鳴を上げて精霊が転がった。


「ひどいよ、魔導士のおにーさん!良いことを教えてあげようと思ったのに!」

「ならばそこだけ簡潔に言え。私は忙しい」


 精霊はシーファのつれない態度にもめげずにまとわりつく。ひらひらと尾が泳いでシーファの肩を撫でる。


「おにーさん、砂漠の姫と一緒に居たね。キラキラ光る灼熱の海のお姫様」


 その言葉に銀の魔導士は怪訝な顔をした。


「なぜリティアが砂漠の姫だと知っている?」

「彼女の周りに居る精霊が教えてくれたよ。海竜も知っている。海竜はキラキラしたものが好きなんだ。金色の髪の王子様を食べ損ねて悔しがっている。あの姫が来たら、喰っちゃうよ」


 ふわり、と揺れる精霊のキラキラと光る美しい尾を眺めて、シーファは問うた。


「……もしやお前の仲間も、その光る尾のせいで喰われたのか」


 精霊は肯定するように、またくるりと回転した。

 海竜がラセイン王子を狙った訳は分かったが、リティアも狙われるのだろうか。精霊が言うからには、キラキラとは必ずしも外見だけではないのだろう。


「あの姫もキラキラと輝く魔法を使った。すごく綺麗な魔力が見えた。あれ、海竜の大好物なんだ」


 ーーだとすれば、リティアが危ない。

 もはや浄化などと生温いことは言っていられない。海竜はシーファを取り逃がした後はどうしたのだろう。また港へ戻ったのだろうか。

 粟立つ心に、彼は杖を掴んだ。ふらつく身体を何とか起こそうとするが、数歩歩いてまた座り込んでしまう。


 ーー駄目だ。体力が戻らない。

 ありったけの魔力を治癒に注ぐが、体力が戻らなければ魔法も使えないのだ。焦る気持ちを抑えて、とにかく今は休息が必要だった。


「……水の精霊よ。海竜が今どうしているか分かるか?もしくは、港の様子は」


 くるりくるりと回る精霊に問えば、それは水面に飛び跳ねる魚のように中空に飛び上がった。


「海竜はまだこの島の周りをぐるぐるしている。魔導士のおにーさんも、キラキラの髪をしているから」


 なるほど、取りこぼした手負いの獲物がどこかに落ちていないかと、探しているらしい。ならばしばらくは気を引けるだろうか。

 一瞬安堵した彼を裏切るように、精霊が何かを聞き取ったかのように「あ」と呟いた。


「でもね、砂漠の姫はおにーさんを探しているよ。ああ、無茶なことを。ここへ向かっている」


 その言葉に血の気が引いた。


 ーー来てはまずい。

 口を開けて待っている魔物に、自ら喰われに来るようなものだ。


「精霊、その姫に伝えてもらえないだろうか。ここへは来るなと」


 一縷の望みをかけて頼めば、精霊はふるふると震えた。


「わかったよ、魔導士。だぁいじょうぶ、ちゃんと伝えるよ」


 そして中空で跳ねーー消える。

 シーファは息を吐いて岩に寄りかかった。自分の身体と魔力を回復させなければ。


「……待っていろ……馬鹿弟子」


 リティアの身を案じながら、彼はゆっくりと眠りに落ちていった。



**



 アランが目を開けると、金色の髪が目の前に広がっていた。

 眠る自分の傍らに、椅子に座ったまま寝台に突っ伏して眠るその人に気づいて、目を見開く。そして……苦笑した。


「ーーったく、あなた方はどうしてこう」


 手を伸ばして、すぐ目の前にあるその頭を撫でれば。


「ーー姉上と間違えるな。愚か者」


 手の下から不機嫌そうな声がする。さらにアランは微笑んだ。


「間違えてなんかいませんよ」

「だったら子供扱いか。余計に腹が立つ。馬鹿者」


 しかし主君は顔を上げない。アランの手から逃れようともせず、彼に撫でるままにさせている。アランはその柔らかな感触につい口元が緩んだ。


「……こんなことさせてくれるの、10年ぶりくらいですかね」

「先に“兄”から“臣下”になったのは、お前のほうだろう」


 王子の拗ねているような口調は珍しい。いつもの穏やかで優しい姿を取り繕えないようだ。

 アランが死にかけたことは、彼にとってはそれほどの衝撃を与えたのか。不謹慎だが、同時に嬉しいとも思う。


「そう……っすね。そうしなきゃ、いけなかったから。同期の誰よりも早く近衛騎士になって、あなたにお仕えしたかった。あなたが王になるのを、一番傍で見届けると誓いましたから」


 アランの言葉に、ラセインは顔を上げる。いつもより少しばかり赤みを帯びたアクアマリンの瞳が彼を見る。


「だったらその誓いを守れ。僕が王になるまで死ぬのは許さん」


 王子の言葉に、近衛騎士は口元を押さえた。抑えきれない嬉しさに、ついにやけてしまう。


「あらやだ、なんですか。今日本当に素直ですね、ラセイン様。照れるなあ」

「頬を赤らめるな、馬鹿。お前本当は姉上より僕の事が好きなんじゃないのか?もしそうなら、遠慮無くドン引きするが」


 主君の嫌そうな表情に、あはは、と笑って。


「ひっでぇなあ。そりゃもう、おにーさんは可愛い弟を愛しちゃってますともー」

「気持ち悪い」

「酷い!」


 本当の兄弟のように笑いあって、ひとときの安らぎを取り戻す。

 けれど、アランは顔を引き締めて騎士の顔になった。


「ラセイン様、シーファは」

「ーー海竜に連れ去られたままだ。リティアさんが行方を追っているが、見ていて痛々しいよ」


 あれから、二晩が経っていた。

 休む間も無く、広い海に向かって探知の魔法を掛け続ける少女を思い出し、ラセインは溜息を吐く。


「僕は……女性が泣くのは見たくないが、それ以上に、泣けないほど辛い想いをしている姿も見たくはないものだな」

「ーーですね……」


 王子の言葉にアランが頷いた。しかし、ハッと動きを止める。


「ーー精霊が現れました。桟橋のあたり」


 感知した存在を告げると、王子が立ち上がる。その瞳を、信頼する従者に向けて。



「ーー行けるな?」



問いでは無くーー命令だ。



「もちろんです、我が君」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ