His goddess
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一行はセインティア王国北、キルティカの街にやってきた。
王都程ではないが賑わっている港町で、北の大陸ドフェーロ皇国、アディリス王国という二つの大国との玄関口だ。人が多いために精霊は少ないが、それでも水辺で遊ぶ小さな光を見つけることが出来る観光地でもある。
着いて早々に騎士団の支部に向かえば、彼らを出迎えたのは若い騎士達だった。
「ラセイン王子!本当にいらしていただけるなんて!」
「王子だ!」
わっとラセイン王子を取り囲む騎士たちに、シーファはニヤリと笑う。
「大人気だな、『聖国の太陽』は」
「茶化さないで下さい、シーファ」
その中でもとりわけ若い騎士が、アランを見つけて目を輝かす。
「第三部隊のフォルニール隊長!王立剣術大会の7年連続優勝者ですよね!」
「いや、5年前からは準優勝。うちの王子様が優勝者だから」
「準優勝でも凄いです……!!」
憧れの目でキラキラ見る彼。すっかり心酔している。
リティアはその様子にあっけにとられ、シーファに耳打ちした。
「……ラセイン王子はわかってたけど……アランさんも凄い人なんですね」
シーファは頷く。
「まあ、そうだろうな。史上最年少で近衛騎士団の一個団の隊長を任されるくらいだから。あいつは実はエリート中のエリートだぞ。……あんなんだが」
「聞こえてるよ、シーファ!」
アランの声が飛び、騎士達は一斉にこちらを見た。
「あの、あれが噂の銀の魔導士?」
「破壊神なんだろ?」
「え?救世主じゃないの?」
「俺は目ぇ合わせたら潰されるって聞いたぞ」
ざわざわし始める団員の目に、リティアがたじたじとなる。お師匠様の悪評ってこんなところにまで届いてるの?
しかしその目が自分にも向けられていることに気づく。
「あの子は?」
「あれだろ、アルティスの秘石の」
「え、可愛いじゃん。てか誰だよおっかねえ魔女とか言ったの」
「可愛いよな、俺すっげえ好みー」
最後の台詞を口にした団員は、問答無用でシーファに殴り飛ばされたのだが。
「これは私のものだ。近づくな」
独占欲丸出しで弟子をその腕に囲う大魔導士に、騎士達は「……はい」と恐れおののいて返事をした。……ちなみにそれを見ていたアランは大爆笑した。
一方王子は彼らに笑顔をふりまきつつも、その目が周りを見回して。
「ーー支部長の、ラクロアは?」
顔なじみの騎士の名を出せば、団員達は顔を見合わせた。その緊張した様子に、王子は眉を顰める。騎士団員のうちの一人がおずおずと口を開いた。
「支部長は海に出現した魔物ーー私達は『海竜』と呼んでいますがーーそれを討伐しに行ったまま、まだ戻りません」
「何」
ラセイン王子の表情に、騎士は慌てて続ける。
「いえ、ご無事です!船は難破しましたが、幸い魔導師が一緒でしたので。魔法でアディリスの港に流れ着き、今は策を立て直している所です。ーーお話しになりますか?」
魔法で映像を繋ぎ、遠く離れた相手と話が出来る通信装置があるのだ。ラセイン王子は頷き、騎士に案内されて建物の中へと入ってゆく。リティアは師と共に続こうとしてーーふと気がついた。
アルティス?
ーーうるさいほどに構う、迷惑魔導士はずっと沈黙したままだ。魔王ロウエルミーアの事件が気まずいからなのかと思っていたがーーあまりにも長い。王宮で気を失った時も、今までならきっと夢に現れていたのに。
なにかが、起こってるの……?
一瞬よぎった不安に、リティアはその胸を押さえた。
一同が通されたのは、建物の上階の部屋だった。それほど広くもない部屋に、不釣り合いな程大きな鏡が正面に置いてある。鏡の四隅に文様が描かれているところを見れば、これが通信装置なのだろう。
「ほう」
感心したように声を漏らす師を見て、リティアはその顔を覗き込んだ。
「どうしたんですか?」
「良く出来ているんだ。これならたいした呪文も要らずに遥か遠くまで繋げるな」
彼の見立てに、騎士が微笑む。
「そうなんです。我々魔導士ではない者にも使えるように改良されたもので、今はこれに頼りっぱなしで」
「通信先の装置は?」
「各支部にはこれと同じものが。携帯用に小さな鏡もあります」
話し込む騎士とシーファは存外に楽しそうで、なんだか意外だ。
シーファは決して社交性が無い訳ではない。世間話くらいはもちろんする。けれど王宮に来てからはそんな様子も見られなかった。
ーー否、周りが『銀の魔導士』に過剰反応していたのかもしれない。シーファは王宮に馴染んでいたようだったけれど、それでもリティアがそうであったように、彼にとっても多少は緊張する場所だったのだろうか。
リティアは邪魔をしないように鏡を覗き込んだ。ラセイン王子がその前に立ち、合図をする。
「起動」
鏡の表面に光が走りーー次の瞬間にはラセイン王子の姿ではなく、一人の騎士が写っていた。精悍な顔をした、アランよりも歳上だろうか。鋭い目つきと落ち着いた印象の男。
『ラセイン様!直接お迎えできずに申し訳ありません』
王子の来訪を喜びつつも、その場に居られない悔しさを滲ませて言う。
「ラクロア、それはいい。何があった」
ラセイン王子の問いに、騎士ラクロアは唇を噛む。
『海竜はとてつもない力を持っていました。セインティア側と、こちらアディリス側にも一体ずつ居たのです。その正体は双体の巨大な海蛇。魔力を持っていて、二体とも首を落とさねば止まりません』
聞けば一体と思っていた海竜は双子で、魔法の力で共に力を与え合って生きているという。どちらかが生きている限り、片方も生き続けるのだ。
「ならば同時に討伐しなくてはならないということか」
ラセイン王子の言葉に、ラクロアは迷いつつ進言する。
『実は……私達はこちら側である方に助けて頂いたのです。彼女はこのまま討伐にも協力してくれるとおっしゃっています』
「“彼女”?」
ラセイン王子が瞬きをした。
『ーーごめんなさい。約束、破っちゃった』
柔らかな声。
鏡に映ったのはーー栗色の波打つ髪、紫水晶の瞳の美しい少女。
「あ」
リティアは声を上げる。
確かあれは、魅惑の魔王が見せた、ラセイン王子の想い人だ。
「……っ」
王子は瞳に驚愕の色を浮かべた。思わず鏡に手をつき、触れられないことに気づいて拳を握りしめる。
「……どうして、あなたがそこに」
『あなたに会いたくて。この街の転移魔法陣を使おうと思ったの。でもここのは海竜に干渉されて駄目になってるのね』
どうやら双子の魔物は、周囲の魔法を狂わせる力もあるらしい。物理的な海路だけでなく、魔法の通り道でさえ塞いでいるのだ。
『港まで来たら海竜が騎士団を襲っていて、それで私が海竜の首を斬り落としたの。すぐに再生したけれど』
目の前に映る可憐な少女から出た言葉に、リティアが目を剥いた。
え、いまこのひと、海竜の首を斬り落としたって言った?
リティアの視線に、アランが応える。
「彼女は腕のたつ剣士なんです。見えないでしょ。でもものすごく強いんですよ」
それで思い出す。ラセイン王子が言った、「月の女神」という言葉を。
セインティアに伝わる伝説の月の女神は戦いの神でもある。聖国王子の敬愛の対象という意味だけでなく、戦いに長けているという意味も含んでいたのかと。
『それで……』
ふと彼女が王子の隣に立つリティアを見て、ちょっと心細げな顔をした。それでリティアは気づく。あ、これ、私も覚えがある。誤解したのかもしれない!
「ち、違いますよ。私はただの魔導士見習いで!好きなのはこっちの人ですから!」
慌てて自分の師匠を引っ張ると、シーファが少しだけ嬉しそうに瞬きした。鏡に向かって優雅に礼をする。
「だ、そうですよ、お嬢さん」
ラセイン王子が珍しく慌てたように少女へ向き直る。
「本当です。彼女は友人の恋人で、僕が想っているのはあなただけですから」
その言葉に少女が頬を染めーー頷いた。
リティアは意外だった。王子はそんなことで動揺するような人ではないと思っていた。けれど彼も年相応にーー普通の青年なのかもしれない。そして、鏡の向こうの女神もだ。
魔王ロウエルミーアが化けていた時にはその妖艶さが際立っていたが、今は華奢で可憐な少女だ。大人びた顔立ちだが、きっと歳もリティアとそう変わらないだろう。しかし顔を上げたその顔はもう、強い意志を固めた『剣士』の顔で。
『私がこちらの海竜を倒す。だからあなたはそっちをお願い』
「ちょっと待って下さい、危険過ぎます」
彼女の身を心配する王子の声に、女神はふわりと微笑んだ。
『私の腕は知ってるでしょ。それに……早く会いたいと、思ってくれないの?』
「……っ!思っていますよ、いつだって」
鏡に額を寄せて。
二人は触れられない虚像を寄り添わせる。
その姿に、リティアはシーファの腕を掴む手に力を込めた。
「お師匠様、やりましょうね。かならず、魔物を倒しましょうね」
王子様と女神を逢わせてあげるんだ。
彼女の意気込みにシーファが笑う。
「何故お前がムキになる?」
「だって……好きな人に逢えない辛さは、私にも良く分かりますから」
そのまま師を見上げれば、彼は不意を突かれたような顔をして。
「……キスしていいか」
「……なんで?」
……背後でアランがまた爆笑していた。
*
アディリスに滞在している騎士団員との作戦は、こうだ。
同時にシーファと向こうにいる魔導師が、魔法で海竜を燻り出し、出てきたところを、こちらはラセイン王子とアラン率いる騎士団が、向こうは月の女神が率いるセインティアの騎士団が、それぞれに攻撃するというものだ。
海竜は強い魔力で護られていて、簡単には死滅しない。上手く弱らせて動きを止められれば、リティアが浄化する。
作戦を聞き、アランが呟く。
「あのでも、海竜って海蛇なんですよね?それって……浄化できる相手なんスかね。聞き入れるかな、あれが」
リティアがその能力を発揮したのは魔族レイウスと、魔王ロウエルミーア。いずれも意思疎通の出来る者だった。言葉が通じない相手を浄化したことが無いのだ。
「少なくともラセインは出来ると思っている」
シーファが王子を見た。冷静さをすっかり取り戻している彼は、手元のフォルレインを示す。
「リティアさんはこのフォルレインでさえ喚び出した。海竜とも、もしかしたらお喋りくらいできるかもしれませんよ」
言われたリティアは戸惑う。
「あの……アルティスが現れないんです。秘石は出るけれど、彼が全く反応が無くて」
シーファも同じく頷く。
「ああ、そうだな。私の夢にも出ない。あいつがここまで空気読めるとも思わんが……」
少し考え込んだ末に、シーファの青い瞳が煌めいて、リティアを引き寄せた。
「え?」
突然の行動に驚く彼女に構わずーー唇を重ねる。
「ーーんっ」
溢れる虹色の光。
「ちょっと、シーファ~」
アランの咎める声と、その場に居た騎士達が気恥ずかしそうに顔を背けるのを目の端にとらえて、離れたリティアは恥ずかしさに叫ぶ。
「な、何するんですか、お師匠様!」
「何ってこれを出してもらおうと」
シーファは構わずに、現れたアルティスの秘石を手にした。
「人前で!恥ずかしく無いんですか!」
「シーファ、それは少々デリカシーが無いですよ」
泣きそうな彼女に同情したのか、ラセイン王子が彼を諌めた。
「今更だろう」
しかしけろりと言う彼に、リティアの羞恥と怒りが爆発する。
「お、お師匠様はそりゃあ慣れているかもしれませんが!私はあなたとは違って、恥ずかしいんです!もう、もうっ……!ーーお師匠様の馬鹿!!」
涙目で叫んで、平手打ちしようとした彼女の手を掴んで。
そこにキスを落として。シーファが不敵に笑う。
「……お前が私のものだと、そこらへんの害虫に教えておかねばならんからな」
もう一度触れそうな、その距離で言う美貌の魔導士に。リティアは嬉しさと悔しさでいっぱいになる。
「そ、そんな格好良く言ってもっ。丸め込まれませんからっ」
「そうか?じゃあ恥ずかしく無くなるまで慣れればいいのではないか?手伝ってやろう」
「ぎゃああ!何するつもりですか、お師匠様!!」
「……うん、もう完全に丸め込まれてるよね」
乾いた笑いを漏らすアランに、苦笑するラセイン王子。……と、なぜかがっくりと肩を落とす若手騎士数名。どうやら害虫は思ったよりも多かったらしい。
一同の反応など気にも留めず、シーファはアルティスの秘石を包み込んだ。ごくわずかな魔力を注ぐが、秘石はキラキラと光るだけでアルティスは現れない。
「……おい、変態魔導士。イイ歳こいてひきこもりか」
舌打ちまじりに呼びかけたが、秘石は沈黙したまま。
一体、何が起こっている。
シーファもまた、不穏な気配に溜息を吐いたのだったーー。