Prisoner 2.
結局はシーファの声には答えず、蝶はふわりと消えて。
彼はリティアと並んで寝転んだ。シーファの腕がリティアの頭を引き寄せる。それに身を預けて、少女は師に気になっていたことを問いかけた。
「あの……なぜアランさんとセアラ姫は一緒になれないんですか?」
こちらが痛くなる程、お互いを想い合っているのに。
シーファは静かな声で応えた。
「ーーお前は何故、このセインティア王国が他国に侵略されないか、考えたことはあるか?」
え?
予想外の言葉に、彼女は瞬きを繰り返した。
「セインティア王国は、お前の言う通り、先祖代々ロマンチスト集団でな。特に初代の王、フォルディアス・セインティアは、月の女神の騎士でありながら彼女を愛し、女神が月に帰ってしまった後は生涯独身を貫いた。セインティアの直系は、彼の次に王位についた弟夫妻で、その子孫がラセイン達だ」
シーファの瞳は淡々と歴史を語る。
「セインティアの王は特殊でな。異常な程、一途な恋愛体質というか……。そのほとんどが一目惚れの末の恋愛結婚なのだ。本能で伴侶を選び出すといってもいい」
リティアはラセイン王子の恋人へのまっすぐさを思い出す。そしてセインティア王の、王妃への溺愛っぷりも。
「ただ、そうなるともちろん、相手は全て王族や貴族という訳にはいかない。ラセインのように、村の娘に惚れてしまうこともある。まあ、これが魔法大国の凄いところで、何かしらの特殊能力がある女性を選り抜くことが多いらしいが。今の王妃も下級貴族の出だが、魔導師としての力は絶大だしな。
とにかく、それで王に政略結婚で外部の血をもたらしたり、強国と繋がることが難しくなった」
彼はリティアの肩を引き寄せる。
「セインティア王国は小さな島国だ。そして美しい国だ。人と精霊の住まう魔法大国。
誰もが欲しがるこの地が侵略されずに無事なのは?」
彼はどこか寂しげに笑った。
「王以外の王族が、政略結婚でその力を保っているからだ。今のセインティア王は、妹姫が強国ドフェーロに嫁いでいる。
セアラもまたーー北の最大国家、アディリス王国王子との婚約話が進んでいる」
リティアは目を見開いた。
「そんな!政略結婚なんて」
「王族やら貴族ならこの国に限らず当たり前のことだろう。ましてやセアライリア王女となれば、魔法大国の第一級魔導師にして、聖国の金の薔薇だ。その魔力とあの美貌は多くの国に望まれているし、政略結婚においては強力な武器になる。
ーーセアラは、それを受け入れているんだ。自分が駒となって聖国を護ることを」
リティアの瞳からぽとりと涙が溢れた。
「だってそんなんじゃ、アランさんは?」
「ーーアランも、覚悟の上だ」
『あの方の望みを叶えるのが、俺の仕事ですから』
『最初から、覚悟の上で』
彼の声が不意に蘇って。リティアはその胸が痛くなる。
どうして、そんな風に言えたの?
「だから王が言っただろう。ラセイン王子とお前の政略結婚がまとまればーー必ずしもセアラが他国に嫁ぐ必要は無くなる。アランに、お前はそれを望んではいないのかと、あのクソオヤジは、そう言う意味を込めて言ったんだ」
試されたのは王子への忠誠心か、王女への愛情か。さぞ悔しかったはずなのに。彼は何も言わなかった。いつだって、心を殺しながら、意志を貫いた。
「この国の王が自分の見初めた女性以外を妻にすると、その魔力が衰えるという言い伝えがあって、事実セインティア史には原因不明で魔力を失った王が存在する。だからこそ王はラセインが庶民の娘に入れ込んでも反対しないんだ。身分違いなど、王に限っては関係がない。
愛なのか呪いなのかは知らんが、まあ本人達が想いを貫ける点では良い話かもしれんな」
リティアはラセイン王子の柔らかな笑顔を思い浮かべる。想い人を話すときの彼は幸せそうだ。それは真実だし、その顔を曇らせたくは無いと思う。
そう伝えれば、シーファも少しだけ口元を緩ませた。
「まあそんな事実が無くとも、ラセインが自分の気持ちを犠牲にすることなどセアラが許さないだろう。……その反面で、自分が政略結婚をしようが、セアラはそれを王族としての務めだと、当然のものとして受け入れている。
ーーそしてアランはそういうセアラの志を護ると決めている」
「そんなのって……」
何も言えずに、ポロポロと涙を零すリティアのまぶたに口付けて、シーファはなだめるようにその背を撫でた。
リティアは思い出す。
シーファがかつて、彼女の為にその心を押し殺そうとしたことを。
リティアが彼の為に、心を偽って別れを決意したことを。
ーー結果的には無理だったが、あの時の気持ちは覚えている。
辛くて、悲しくて、けれど。
ただ大切な人の幸せを願っていた。
ただ大切な人を護りたかった。
同じなんだ、彼らも。それを犠牲だなんて、思わない。
ただ、自分にできることをしようとしているだけ。
シーファは寝台に零れる、窓からの光を目で追った。それに照らされてキラキラと輝くリティアの涙を拭う。
「けどな、ラセインは諦めた訳ではない。セインティアを他国の力など必要ない強国にすれば、そんな犠牲など払わなくて済むと。王位につくまでにあがいてる。
諸国との貿易を確立させ、この国の魔導師の価値を各国に広め、セインティアの騎士団が世界一の結束を誇るのも、ラセインの働きによるものだ」
自分の恋は、失えない。けれど他にやれることがあるのだと。
彼もまた、自らの務めを果たそうとしている。わずかな道を、探している。
「ーーそういう王子だからこそ、皆があいつについていく。私も友人として助けたいと思う」
誰かの犠牲の裏に成り立つ幸せなど、ラセイン王子はそんなもの望まない。
罪悪感を抱えたまま貫く想いなど、幸せとは呼べない。
王子だけではない。シーファも、リティアも。
「私達にはセアラの心を変えることはできない。これはセアラと、王国の問題だからだ。……アランであっても、踏み入れることは許されない。私達に出来ることと言えば、そんなセアラを変えようとするラセインを支えるだけだ」
リティアはシーファの背に腕を回しながら、ただ願う。
優しいあの人が。美しいあの人が。どうか幸せになって欲しいと。
シーファは止まらない弟子の涙を唇で拭ってから、その頭を自分の胸に引き寄せる。ほどかれたままのリティアの髪を、愛おしげに指で弄びながら、冗談混じりに問いかけた。
「……お前は、人のことでは泣くんだな。自分の身を少しは心配しろ。ラセインはまだ王子なのだからな。女神と別れてお前と結婚しろなどと王に命じられたらどうする」
「ラセイン王子はそんなことしません。
それに、私はシーファじゃなきゃ、アルティスの秘石は現れません」
きっぱりと言い切る、彼女の言葉に。リティアを抱き締める腕に力がこもった。
彼の胸に顔を埋めているリティアには見えないが、微かに笑った気配がした。
「……そうだったな、馬鹿弟子」
その表情が気になって、見上げれば。優しいキスが落ちてきたーー。