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その日、セインティア王国は、突然の混乱に見舞われた。
城下では魔法の耐性が比較的弱い民から、次々と眠りこんでしまう怪事件が起きていて、近隣の魔物や精霊が騒いだ。湖を赤く染めた魔法は、全ての心に不安をもたらすものであるらしい。
フォルディアス城ではラセイン王子の元に全員が集まり、その指示を受けていた。
「ーー国境と、城壁の魔法障壁を強化し、兵士も増員せよ。第6部隊は街の様子を巡回し、怪我人や略奪に備えよ」
厳しい表情だが彼は冷静に判断を下し、その王子の姿に臣下達は自らを見失うこと無く従う。
「第一級魔導師セアライリア王女及び魔法兵団は、攻撃に備え対魔法を構成」
「わかりましたわ」
セアラ姫が頷いて、魔法兵団を従えて広間から出て行く。
それを見送ってから、ラセイン王子が銀の魔導士に近寄って来た。
「シーファ、城の魔導師達とこの魔法の原因を探れますか。塔に魔法陣を形成中です。そちらへ」
「分かった」
杖を手にした彼は頷いた。魔法を使うべくそこを離れようとするシーファに、リティアは思わず不安そうな目を向ける。
「お師匠様」
何が起こっているのか分からないこの状況で、彼と離れたくは無いが、一緒に行っても足手まといになるだけだろう。どうして良いかわからずに彼女は立ち尽くした。が、シーファはこんな時でも不敵に笑う。
「大丈夫だ。お前はここでラセインを守ってやってくれ」
「……っ、はい」
頼りにされた、と気づいて、リティアは口元を綻ばせて顔を上げた。師はその頭をくしゃりと撫でる。
「よし、その顔だ。頼んだぞ」
勢い良く頷く彼女に、ついでとばかりに額にキスを落とした。
「っ、シーファ!」
思わず赤くなるリティアに、彼が顔を寄せて囁いた。
「まだあんなものでは全然足りないからな。戻ったら続きだ」
「!!」
ぱくぱくと、何も言えない真っ赤な少女の頭にポン、と手を触れて。シーファは広間を出て行く。その微笑みを、背中を見送って。
ーーあれ?いつものツッコミが無い。
リティアはアランが居ないことに気づいた。 振り返って、王子に問う。
「ラセイン王子、アランさんは……?」
「……従者に呼びに行かせたのですが」
ラセイン王子の近衛騎士の彼が、主の傍に居ないなんて不自然だ。疲れて寝ていたとはいえ、さすがにこの騒ぎに起きて来ないはずが無い。ましてや魔法がらみの異変なら彼が真っ先に気付くはずだ。王子も同じことを思っているのか、その瞳に困惑の色を浮かべていた。しかしそれを振り切るかのように剣を取る。
「彼は大丈夫です。僕が一番信頼している部下だ。自分の身くらい自分で守って、必ず僕を守りに来ます」
美しい微笑みは、絶対的な信頼の証で。リティアも笑顔で頷いた。
「ーーはい、そうですよね!アランさん、ラセイン王子のこと大好きだし」
「……リティアさん、それはあまり嬉しく無い表現なのですが」
苦笑するラセイン王子だったが、ふとその手にしていた剣が、赤い光に包まれた。
『来るぞ!備えろ、ラセインーー』
リティアの頭に響いた、何かの声ーー
「ーー!
“フォルレイン”ーー!?」
ラセインがそれに応えた、次の瞬間。
“ピシリ”と音をたてて。
ーー空間が切り裂かれた。
*
「ーーやられた」
ラセイン王子の呟きに、リティアは神経を張り巡らす。
先ほどと同じ、フォルディアス城の大広間。一見何も変わった様子は無いーーが、確かに違和感を感じる。
「これって……」
リティアの問いに、王子が答えた。
「空間を切り離す術です。多分僕たちはこの部屋から出られなくなっている」
彼の言葉に少女は試しに扉に手を掛けてみるが、びくともしない。
「シーファ達もそうなんでしょうか」
「おそらくは」
その場にはリティアとラセイン王子しか居ない。他のどんな気配もなく、ただ静かだ。
否ーー
「あの、ラセイン王子。さっきの何ですか?フォルレインてーーあの声の主ですか?」
リティアが彼を見つめて問うと、ラセイン王子は驚きを隠せずに問い返す。
「リティアさん、彼の声が聞こえたんですか?」
「備えろ、って警告してくれたーーそれにあなたの名前を」
正しく聴こえていたことを伝えれば、ラセイン王子は目を見開く。
「フォルレインの声が聴こえるなんてーー今まで僕の他に一人しか居なかったのに」
そうして王子は自らの剣を示す。先ほどから赤く光を放っているそれを。
「これがーーセインティア王家に伝わる魔法剣、フォルレインです。かの青の騎士が月の女神に授けられたもので、持ち主を守る強力な魔法が掛けられており、持ち主に危機が迫ると赤い光を纏って警告します」
美しい銀の装飾に青い宝石が埋め込まれたそれーーが返事をするように微かに震えたように感じた。
ラセイン王子は感嘆の溜息を吐く。
「アルティスの魔力は強大なのですね……」
『あのお調子者には何度も手を焼かされたからな。私の波動を覚えていても不思議ではない』
またあの声がしてーーリティアは驚く。
「あの、もしかしてフォルレインて」
「この剣に宿る精霊です。彼は精霊でありながら魔法剣そのもの。自ら持ち主を選び、その力となる」
青の聖国の長い歴史の中でも、この剣を使いこなせた王族は数える程しか居ない。資質のない者は、鞘から抜くことすらできないのだ。
実はラセイン王子はほとんど魔法は使えない。
しかし聖国一の剣の達人であり、この魔法剣を使いこなせることこそが、彼の魔法の素質だった。フォルレインの声を聴くことのできる彼が、この魔法剣の唯一の使い手であり、主。リティアは先程の言葉に首を傾げる。
「フォルレインとアルティスは知り合いなんですか?だから私にも聴こえるんでしょうか?」
『あの馬鹿は何度も私を使おうと挑戦してきたからな。あいにく剣では私を使いこなせるような器ではなかったが。断った腹いせに数年間、漬物石代わりにされた時には、あいつを叩き切ってやろうと思ったが』
……アルティス、何やってるの。しかも剣にお調子者とか言われてるし。
リティアは思わず自分の胸をーーその奥の秘石を押さえた。変な魔導士は沈黙したままだ。悪行をバラされて都合が悪いのかもしれない。
「とにかくここから出る方法を考えましょう。きっとシーファ達も心配してーー」
「おほほほほ、それには及ばぬ」
王子の言葉を遮るように、妖艶な笑い声が響いた。
その声を辿って二人が見上げると、広間の中空に一人の女が浮かんでいる。
美しい女だ。
初めて見るーー、がリティアはゾクリと粟立つ肌を押さえた。
異様な雰囲気を纏う、それ。白いゆったりとした簡易なドレスーーしかし胸元や背中は大きくあいて色香を漂わせて。その髪は長く紫色に輝き、瞳はーー赤い。
「魔族……!」
その色に気づいたリティアが口にした言葉に、女はクスリと笑って。
「銀の魔導士の弟子にして砂漠の姫ーー大魔導士の器か。しかしわらわはお前など興味は無い。欲しいのは」
彼女が空に指先を向ければ、突然そこに現れたのはーー
「シーファ!」
「アラン!」
二人の青年。
妖術で拘束されているのか、二人ともそこに浮かんだまま、身動きもせずただ女を睨みつけている。
「わらわは魔族。魅惑の魔王、ロウエルミーア。
わらわは所望する。
青の聖国の太陽、輝ける美貌の王子。
強大な魔力の主、月の光の如く玲瓏たる美貌の銀の魔導士。
青の聖国の守護者、その命を捧げる尊き志を持つ近衛騎士」
茫然とする一同の前で、にやり、と。
「ーーつまりは、イイ男は皆、わらわのものじゃ」
とんでもない台詞を言い放った。