I love you from before you birth
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光の中、それでもレイウスは少女の温もりを拒もうとする。冷たい石だけを求めて、そこにあるリティアの手には触れようとしない。
「君がこっちに堕ちてこないなら、要らない。僕には光なんて要らないんだ」
ただ、力を求めて。愛を拒否する。リティアは首を横に振った。
「レイウス、それじゃあダメだよ」
『君には資格が無い』
リティアの声に併せて、柔らかな声がする。
「アルティスは力じゃない」
『私が与えるのは、想い』
彼女を包み込むように、白いローブの魔導士が現れた。
「受け入れようとしないあなたに、アルティスは手を差し伸べない」
『なにせ私は好き嫌いが激しいからね。ーーどうせなら、可愛くて、優しくて、純粋で、人を愛することを怖がらない、リティアのような子を愛したいのさ』
「ああああ!!」
レイウスが苦痛に満ちた表情で叫んだ。
秘石を掴んだ指を引き戻そうとするが、ぶるぶると震えたまま動かせず、その手から白煙が上がる。石を手の平に乗せているリティアは、何の苦痛も無く、ただ哀しそうに立ったまま。
レイウスはギラギラと光る赤い瞳を彼女とーー背後の魔導士に向ける。
「アルティス……リティア!」
苦悶に溢れた姿が、だんだんと滲んで、歪んでいく。更に溢れた光の眩しさに、一同が目を瞑った。光の中、ポツリとリティアが呟く。
「ハンカチ、ありがとね。嬉しかったよ、テオ」
ーー花柄で、レースの。
レイウスが目を見開いた。
「あんなの、君へのご機嫌とりだよ」
掠れた声で、魔族は答えた。
「うん。でも、嬉しかったの」
光で見えないのに、リティアが微笑んでいるのがわかる。
「だって姫さま、鼻水垂らしたら台無しだし」
テオの声で。
「うん」
「姫さま、意地っ張りで、隠れて泣くし」
「うん」
「泣いたらずっと泣くし。頭痛くなるよって言ってんのに。目が腫れたらせっかく可愛いのがブスになるし」
「うん」
だけど、そんな君が。
「好きだったんだ、姫さま」
好きだったんだ、リティア。
「なら、拒まないでよ。私の全てはシーファのものだけど、テオはこの国で初めて出来た友達だし。レイウスは困った魔族だけど、未熟で無知だった私を見抜いてくれたでしょ」
出会った時の事か。
レイウスはクスリと笑う。
「あんなの、君を責めて追い詰めて、妖術にかけるためのーー意地悪だったのにさ」
「それでも、私はあの言葉が無かったらいつまでもシーファに甘えたまま、弟子にすらなれない馬鹿だったの」
リティアは柔らかな声で。光の中で伸ばされた手が、レイウスの頬に触れた。
「秘石の中で、眠って。起きたら浄化されて、もう魔物じゃなくなるから。一緒にいようよ」
馬鹿だなあ、この子は。
魔族は触れた熱の心地よさに揺れる。自分の魔力を、命を狙う魔物を、救おうとするなんて。
無知で、無垢で、馬鹿で、純粋で、大嫌いでーー愛おしい。
「君の大好きなお師匠様がヤキモチ焼くよ」
「今はテオの姿だもの。ノーカウントでしょ」
リティアの優しい笑いを含んだ声が。レイウスを淡い眠りに誘う。
「ああムカつく、そのガキ扱い……。やっぱり前の姿のうちにヤッときゃ良かった……」
「それは許さん」
『それは駄目だなあ』
ほら、独占欲丸出しの大魔導士め。ついでに変な保護者まで加わって。
「仕方ないなあ。次に、期待することにするよ」
ーーそしてレイウスは、リティアの手をとった。
*
魔族の姿が掻き消えると、リティアは思わず長い息を吐いた。後ろから彼女を抱き締めるように浮く、白いローブの魔導士を振り返ろうとすると。
「いつまで人の女に抱きついてやがる」
シーファがその白い杖でアルティスを叩いた。ぱこーんと小気味良い音がして、アルティスは頭を押さえる。フードを取ったその顔はやはり、美貌の青年にしか見えない。
『痛っ!え、酷くない?私ってば伝説の魔導士なのに』
「うるさい。お前のせいで迷惑被りまくりなんだ、こっちは」
冷たい視線で伝説の魔導士を見るシーファに、リティアは驚いて。
「え、アルティス幽霊じゃないの?叩けるの?」
彼女の疑問にアルティスは引きつった笑みを浮かべた。
『私は実体は無い、ただの意識だよ。ただ、私の力を持つ君とシーファは私に触れられる。……ってリティア、なにその拳。殴ろうとか考えていないだろうね?』
だって色々もの申したいのに。主に拳と共に。指摘されてリティアは、渋々と手を下ろす。
「いつから覗いてた、変態魔導士。出るならさっさと出てくれば良いものを」
シーファの容赦ない言葉に、アルティスはええーっと抗議する。
『私なりに空気読んだんだけどなあ。君がリティアにアレコレいちゃいちゃするから出にくくてさあ。にしてもシーファ君、若いのにいいテクしてるよね。見かけによらず激しいしー』
「変態エロオヤジ死ね。あ、もう死んでるか。言っておくが初夜まで覗かせる気はないぞ、この犯罪級若作りめが」
なんかシーファ聞き捨てならないこと言った。いろんな意味で。精神衛生上、リティアもアランも聞かなかったことにした。アランが彼女に近寄ってきて、まだ手のひらの秘石を覗き込む。
「レイウスはそこに?」
リティアは頷いた。
「ゆっくり眠ってます。赤ちゃんみたいに」
目覚める日はいつかわからないけれど。それでもいつか、会える。魔物ではなく、リティアの友として。
「ふーん、まあ俺は複雑だけど。リティアさんが良いなら良いか」
アランは苦笑するのみだった。
「にしても、魔導士アルティスって秘石に……リティアさんに宿ってるの?自由に出て来られるのかな」
アランは少女へ問う。彼女は首を横に振った。
「秘石の力はアルティスの一部で、彼そのものだけど……こんなことは初めてです。前に彼に会ったのは夢みたいな…意識の中だし。今回は、秘石の力を最大限まで引き出して同調できたみたい」
戸惑いながら安堵を込めて言うリティアを、アランは驚きを込めて見つめる。
彼女はアルティスの力を使いこなしつつある。それも、もの凄いスピードで。フレイム・フレイア王国に一人きりで、誰にも頼れなかったせいもあるだろうがーー無理矢理に大人になろうとしているようで、痛々しくも感じる。
「ーー私は、大丈夫ですよ」
アランの視線に気づいた彼女は、柔らかく微笑んだ。衣裳のせいもあるのか、妙に大人びて見えて、少しだけドキリとした。魔力だけではない、彼女自身も成長しているのだ。今は可愛さの方が勝っているがーーきっとすぐに、周りの男が放っておかなくなるだろう。
……シーファ、お前これから更に苦労するぞ。
まあ、おめおめと他の男にくれてやるような奴じゃないか。
友人を見やれば、まだ何か伝説の魔導士と言い争いをしていてーー
「あーあ、蹴った」
多くの魔導士達にとっては、アルティスは謎に包まれた雲の上の存在の筈だが、それにしてはシーファが遠慮無さ過ぎのような気もする。アランの疑問を読み取ったのか、シーファが嫌そうに応えた。
「私の中にもかけらとはいえアルティスの力があるからな。リティアが封印を解いて以来、たまに夢に出て来てウザい」
『ひどいよ、シーファ!リティアといちゃつけるのは誰のおかげだと思っているんだ』
「お前のせいで邪魔されているの間違いだろう」
アルティスの抗議にもシーファは取り合わず、面倒そうに手を振って、彼からリティアを引き離した。
「わ、シーファ!?」
小さなその身体を、自分の腕の中に収めて溜息をつく。
「もう忘れるな。お前の居るべき場所はここだ」
リティアもまた、彼に腕を回して、その身体を抱き締めた。
「……はい、お師匠様」
一方で。
「……魔導士アルティス……」
その姿と、とんでもない言動を初めて目にした砂漠の王は、茫然としていたが。我に返ると苦々しく口を開いた。
「お前の力のせいで、我らは離ればなれになったんだ。どうして我が妹だったんだ!リティエルシアがなんと言おうと、私にとっては災いの種でしかない」
アルヴィオス王の言葉に、アルティスは困ったように微笑んで。
『君には悪いことをしたと思っているよ。けれどーー』
「アルティス、私を助けてくれたんでしょう?」
リティアが不意に口を挟んだ。
驚く一同に、彼女はしっかりと白い魔導士を見つめて。
「本当のお母さん……前王妃に会った時に聞いたの。私がお腹の中にいる時、体調を崩して流産しかけたって。私が無事に生まれたのは奇跡だって。私が助かったのは、アルティスが私に力を与えてくれたからでしょう?」
リティアの言葉にアルヴィオスは思い出す。
病弱な母が第二子を妊娠したことに、難色を示した重臣達。
なかなか母に面会させてくれなかった女官達。
生まれた娘をとても可愛がってーーそれ故に手放してからますます閉鎖的になった国王。あれは全て、リティアの誕生が困難なものだったからか。
アルティスは微笑んだ。
『声が、聴こえたんだ』
小さな小さな泣き声。この世に生まれてもいない声。
生きたいと必死に願っていた。だから、その命の中へ溶けた。
『リティアが私を呼んだ。私はそれに応えた。ーー彼女に不幸をもたらすとしても、彼女の未来を繋ぎたかったんだ。そして、彼女はシーファに会った』
ふ、と微笑む魔導士は。
確かにリティアに深い愛情を持っていて。
『私の力を分けるなど、私自身も予想していなかった。けれど私の魂を分け合った彼らは再び出会って、またひとつになった。だから私は信じている。
リティアとシーファならば、私の力を災いではなく、絆としてくれることを』
そしてアルティスはシーファの腕に抱かれたままのリティアの前にフワリと降り立ちーーその額にキスを落とした。
『17歳の誕生日、おめでとうリティア。
君を生まれる前から愛していた。
この先もずっと、君が幸せでありますように』
彼の言葉に。
「ありがとう」
リティアが潤んだ瞳で微笑む。
「チ、先に言われたか。その言葉も役目も、私のものなんだがな」
シーファがボソリと呟くが、けれどその表情はどこか晴れやかで。
『そうだねーーリティアを幸せにするのは、君の役目だ。シーファ』
優しく響く言葉に。彼はアルティスと視線を合わせて頷いた。
その光景に、アルヴィオス王は何も言えなくなる。
自分の愛情の、なんて独善的だったことか。リティアを取り戻すことばかりでーー取り戻したなら失うことを恐れて、彼女に祝いの言葉一つかけてやることさえ忘れていた。 がくりと膝をつく彼に、妹は師匠の腕から離れて近寄った。兄を見つめて言う。
「アル兄様、私はセインティア王国へ戻ります。シーファを愛しているから。でも、私はあなたの妹です。だからあの転送魔法の指輪を私に下さい。……妹として、遊びに来ます。兄さまが寂しくなったら、話し相手になりに来ます」
アルヴィオス王はしばらく妹を見つめーー苦笑した。
「馬鹿を言うな。そんなものでは満足できぬ。またお前を襲うぞ」
それを聞いて、「はあん?」と物騒な声を上げる銀の魔導士をアランがまあまあと抑えて。
「……だが、お前に見せたいものが、ここにはまだたくさんある。砂漠に浮かぶ月も、熱に揺らぐオアシスも。我が国も魔法の国に負けず美しいのだから」
王はリティアに手を差し出した。同じように出した彼女の手のひらに、指輪をのせる。
「必ず、見に来てくれ。ーー銀の魔導士の弟子」
「ええ。見に来ます」
リティアは心から微笑んだ。
そんな彼女を、アルティスはただ優しく見つめてーー振り返ると大魔導士にウィンクする。
『驚くべき自制心でリティアを拒んでいた君がねぇ。そんなにヤキモチ焼かなくても、大事な時は邪魔しないってば』
そして淡く光を帯びてーー消えて行く。
シーファはそれを見送りながらーー
「なら、今夜は絶対に出て来るな」
ぼそりと呟いた。