My precious
溢れる喜びと、後ろめたさに。砂漠の姫君は魔法使いを見上げた。
まとまらない思考をなんとか繋ぎ止めて、苦痛の合間にリティアは必死で言葉を紡ぎ出す。
「……せっかく……私頑張ったのに……あなたに、さよならって……」
「そんな努力は必要ない。私から離れる覚悟なんてしなくていい。私を誰だと思っているのだ、馬鹿弟子」
きっぱりと言われた言葉は、どこかすがるような切なさを含んでいて。
彼もまた、リティアを失いかけたことに傷ついているのだと知る。
アランがシーファの後ろからリティアを覗き込んで、軽口をたたいた。
「君が居ないと困るよ。この自己中馬鹿のシーファが、自分を制御できないほど取り乱したんだからさ。危うくおにーさん、軍隊出す羽目になるとこだったよー」
そんな、まさか。シーファが取り乱した?いつも冷静な、彼が?
リティアは座り込んで壁に寄りかかったまま、両手を伸ばして、彼に触れようとした。けれど届かずにそのまま倒れかけた彼女を、シーファが抱きとめる。
「お仕置きタイムだ、馬鹿者め。ーーこの者に、癒しの光を」
彼が発動した治癒魔法の波動に、痛みがどんどん治まっていく。
「シーファ……」
「私やラセイン達が、あんな脳ミソ筋肉馬鹿のシスコンロリコン兄貴にどうこうされるものか。お前は黙って私の腕の中に居れば良いんだ。お前ごときの願いなどーー全部、叶えてやるから」
リティアを抱きしめた腕に、力がこもる。 その言葉に、リティアは息を吐いた。
ポロポロと零れる涙は、もう苦痛の為ではなく。
ああ、もう大丈夫なんだ。シーファの傍にいれば、もう。
ずっとずっとここに戻りたかった。
「シーファ……」
「ここにいろ。もう二度と、師匠に嘘など許さない」
その温もりを思い出すかのように、リティアは彼の胸に頬を寄せて微笑んだ。
「……はい……」
安心したのか、弟子はそのまま意識を失う。
「リティア?」
シーファは彼女の顔を覗き込んでーー眠っているだけだと確認して、息を吐いた。アランが廊下を見張りながら、シーファに問う。
「……なあ、アルティスの秘石って、そんなにリティアさんに負担かけるものなのか?」
彼の言葉に、大魔導士はリティアを抱きかかえて立ち上がった。ひと気の無い方へと移動しながら言葉を返す。
「ーーやり方を間違えただけだ。薄着で雪の原に出れば風邪を引くだろう。防寒していれば何てことは無い」
「でもさ、リティアさんはお前の為なら何度だって、雪の原に出てくどころか、氷の海に飛び込んじゃう子だよな、今回みたいに」
だからさ、無理させんなよ、と。
年長者らしく言い含める彼に、シーファは頷いて。
「リティアの部屋はこの先か。一度そこへ向かう。休ませないと転送に耐えられない」
さっさと宮殿の奥へと進んで行く。 アランは警戒しながらも彼らについて進み、ふと思い出したようにシーファに声をかけた。
「それはいいけど。お前、さっきリティアさんのお姫様っぷりに本気で見とれてただろ。何考えてた?」
「この国の衣裳サイコー」
「ほらな」
シーファの腕に抱かれているリティアの衣裳は、透明感のある薄い布を重ねて出来ている。そのため身体のラインも浮かび上がらせているし、何よりも直接に触れるのに近い体温や柔らかさを伝えてくる。実際にむき出しの部分も多く、少々目のやり場に困るといえば困るーーかもしれない。もちろんシーファはそんな思春期の少年でもないから、遠慮なく鑑賞するが。
「おあずけ喰らっている身としては、嬉しいやら悲しいやらだが」
「あはは、苦悩してろ青少年。生きてる証拠だ」
「生きてる証拠なら、おあずけ後のご褒美で味わいたい」
「この正直者」
アランが呆れながらもどこか楽しそうに言い、シーファは弟子の少女を見下ろした。
いつの間にか、妹のような小さな少女では無くなって、こんなにも魅力的な女性に成長して。
それだけではない。
護っているつもりで、いつの間にか護られていた。 アルヴィオス王からシーファとアランを庇おうとしたこと。アルティスの秘石を抑えたこと。
迎えにくれば、未熟な弟子はすぐに泣きついて戻ってくると思っていた。けれどリティアは、彼らの命とその先の未来までーーセインティア王国とフレイム・フレイア王国の未来をも、護ろうとした。
王族だからでは無く、彼女自身の魂が気高いのだと、今更知る。
「だからといって、お前一人が犠牲になって良い訳がないだろう」
小さく呟いた師の言葉を、眠る弟子は知らない。
リティアの部屋までたどり着き、中に誰もいないことを確認すると、シーファは彼女を寝台へと運んでそこに横たえた。
数日ここに居て、けれど全く焼けていない白い肌は、外に出してもらえなかったのだろうか。もしくは彼女自身が閉じこもっていたのか。
失ったと思った。二度も。ーー三度目は一瞬だけ。
「お前は本当に……俺を振り回す厄介な弟子だな」
けれど優しく微笑んで。キスをしようとしてーー秘石が現れればリティアの負担になると思い出す。体力の落ちた今の彼女には酷だろう。
「お預けばかりくらわせやがって。……帰ったら、覚えていろよ」
リティアの額に掛かる髪をどかしてやり、シーファはそこに口付けた。
**
扉の外を見張っていたアランだったが、誰も来ないことを確かめて室内へと入った。
奥の寝室にはリティアが眠っていて、その横に腰掛けて彼女の髪を撫でているシーファを見て、何となく声を掛けづらい。
大魔導士は穏やかな瞳をしている。あのセインティアの夜に見せた激しい感情など、かけらも無い幸せそうな顔で。
「おにーさん、目の毒だなあ。羨ましい」
けれど、嬉しい。
ふと頬を緩めたとき、彼の背後で小さな音がした。カチャリーー扉が開く。
「!」
その気配に気づかなかったアランは、咄嗟に身構えた。けれど顔を出したのは。
「ああっ、姫さま~」
小さな少年ーーテオだ。
「え、子供?」
先ほどはいつの間にか姿を消していたため、初対面であるテオに驚いて、アランは思わずギョッとした。その隙にテオはたたたっと室内へ走り込んで、リティアのほうへと向かう。止める隙もない。
「曲者っ。姫さまにさわるなー!」
「ん、テオ……?」
その甲高い声に、リティアが目を覚ました。きょろきょろとあたりを見回しーーシーファがそこに居るとわかると、微笑んだ。
「お師匠様」
「リティア、大丈夫か」
手を伸ばして弟子に触れようとした彼に、テオが叫ぶ。
「こら!僕の姫さまに触れるな、無礼者!」
しかしその姿を見たシーファは思い切り眉をしかめーーリティアに抱きつこうとしたテオを蹴飛ばした。ぎゃんっと悲鳴を上げてテオが転がる。それを見てリティアとアランが、慌ててシーファを咎めた。
「お師匠様!」
「お、おい手加減しろよシーファ、相手は子供……」
けれど彼はとりあわない。
「どこが子供だ。おい、何故お前がここに居る」
はっきりと意図を持って、思い切りその子供を睨みつけたシーファに、アランは怪訝な顔をしてーーもう一度テオを見た。
「……あ?」
違和感。
いつものようにはっきりと感知できるレベルではないがーー魔法の干渉を受けている相手。普通の人間じゃない?
アランに応えるように、シーファが冷ややかな視線で少年を見下ろした。
「こんなところで何をしていると聞いているんだ、レイウス」
大魔導士の問いに、テオはニヤリと笑った。