Flame-Flare
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遥か南、砂漠の国ーーフレイム・フレイア王国。
港からオアシスを結んだ大きな街道に、いくつも商隊の移動商店が並び、王都フロイアに続いている。都では珍しい品々が並び、芸人や魔導士、踊り子があちこちで芸を披露して、雑然とはしているものの、賑やかだ。
「あーあ、煌びやか~。酒も色々あるし、おネーサン綺麗だし~。ここ欲しいなー、もううちの王様侵攻しちゃってくれないかなー。しないか、うちの面倒臭がりはー。ラセイン様もなー。敵には容赦無いけど、自分から恨み買いに行く人じゃないしー。まあそーゆーとこがいいんだけどさ」
宿の窓から外を眺めてブツブツと呟くのは、アラン・フォルニール。その頭にクッションを投げつけたのは、大魔導士シーファだ。
「うるさい。だいたい何故お前が来るんだ」
ーーフレイム・フレイア王国に、二人が極秘に入国して数日。
すぐにでも乗り込むつもりが、未だ王都の宿に足留めをくらっていた。
「ただでさえ暑くてイライラしてるというのに……」
シーファが長い銀髪を後頭部で結んでいるのは、どうやら暑いからだったらしい。簡単に羽織ったシャツのボタンがいくつか開けられ、綺麗に伸びた首元が露わになっている。
あーあ、リティアさんてば、お色気シーファ見逃しちゃって残念だねえ。
アランは、きっと真っ赤になって慌てるだろう少女を思い浮かべる。
『お師匠様、ちゃんと着て下さい!破廉恥です、なんかやらしいです!』
とかってさ、一緒に騒ぎたいよ。君が居ないとつまらない。
アランの思惑など知らず、シーファはずずず、と氷の入ったグラスからジュースを飲み干して、不機嫌そうにアランを見た。
「だってリティアさんが居ないんじゃあ、ツッコミ不在でお前暴走し放題じゃん。
俺だって来たくなかったけど、ラセイン様が行けって。俺、王子の近衛騎士よ?王子様の傍で護衛すんのが仕事なのよ?最近、暴走魔導士のお世話係みたくなってない?」
ぶつけられたクッションに顎を埋めて、アランは愚痴る。しかし通りを見下ろして、あっと声を上げた。
「あの子可愛い~。いいよねーここの国。衣裳とかもう最高」
「どっちがエロ野郎だ。セアラに言いつけるぞ」
シーファの冷たい視線に、アランは口を尖らせる。
「お前だって想像したくせに。あーゆーリティアさん」
もう一つクッションが飛んで来たところをみると、図星らしい。
「ところでさあ、ここまでは順調だったけど、王城にどうやって侵入する?」
アランが手を回したおかげで、フレイム・フレイア王国への入国は問題なかった。シーファについては、要警戒という手配書は回っているものの、あからさまに捜索されてもいないようだ。けれど王城へはさすがに警備が厳しく、リティアどころかアルヴィオス王の姿すら見ることが叶わない。
ただ唯一の救いは、この数日の行動で、だいぶシーファが落ち着いたことだ。ラセインがアランを同行させたのは正しい判断だったと言える。
「早く会いたいのはわかるけど、下手に乗り込んだら殺されるよ、俺達。でなくても、ラセイン様に迷惑掛けるのはナシだからな!」
外交に気を遣えと暗に言われ、シーファはフンと鼻を鳴らした。
「オトナの事情が私を阻む……。だから嫌なんだ、王族とか。めんどくさ」
お前は子供か。
突っ込みたい気満々で、けれどアランは下を見下ろしたまま、あれ?と呟いた。
「シーファ、あれどうよ?」
シーファも同じく通りを見下ろしーー
「あれだな」
ニヤリと笑った。
**
空気が乾いている。
リティアは窓から外を眺め、その空気の熱さに息を吐いた。
熱砂に囲まれたフレイム・フレイア王国ーー先代までは閉鎖的な国だったが、アルヴィオス王が王位についてからというもの、海路と砂漠のオアシスを含んだ街道を拓き、一気に流通都市へと発展した。それもあって各国からの様々な品や文化が持ち込まれていて、街は予想以上に活気に溢れている。水と魔法に溢れた静かなるセインティアとは、また違う美しさがあった。
けれどリティアにはどれも心躍らない。
フレイム・フレイア王国に来てから、アルヴィオス王も臣下達もリティアを丁重に迎えたし、むしろ帰って来た姫君として歓迎してくれた。リティアの実の両親ーーアルヴィオスによって退位を余儀なくされ、遠く離れた別荘地で隠遁生活をしているという前王も、エルレイア前王妃も、リティアが王城に現れたと聞き、極秘に面会を申し入れた。
会いたかった、と。涙を見せられれば、こみ上げるものはある。
けれどーー彼女にとっての家族は、魔導師の両親で。
彼女にとっての心動かされる相手は、銀の魔導士だけだ。
「薄情なのかなあ、私って……」
「薄情ですよぅ、姫さま!僕が来るまで待っててって、お願いしたじゃないですかあ!」
やや高めの声で甘えたように喋る少年が、トレイを手に部屋に入ってきた。リティアの世話係のテオだ。まだ12歳だというが、口も達者で、よくあちこち出入りしているので、城の中でも皆に構われているらしい。
「待ってたよ。ちゃんと残してあるでしょ」
「その口の端っこにクリームつけてよく堂々と言えますねー!?僕がお茶淹れてくるまで、ケーキ食べないで待っててって言ったじゃないですかー!」
皆がリティアをお姫様扱いする中、この少年だけは少しばかり遠慮が無くて。却ってそれに酷く安心していた。
「姫さま、今日は城下に魔法使いが芸を見せに来てるんですよ!花火とか、すっげかっこいー!僕あんなの見たの初めてーー!姫様も魔法使いなんでしょう!?すごい!!」
テオは興奮のあまりか、リティアにしがみついて頬に唇を押し付ける。歳のわりに幼い彼が、無邪気に抱きついてくるのが可愛くて、ついそれを許してしまう。
シーファの顔が脳裏をよぎるものの、
……子供だから、ノーカウントだよね?ヤキモチ、焼かないよね?
けれどすぐ、そんな心配はする必要がないのだと思い出した。彼にはもう会えないのだ。沈んだ彼女に気づき、テオがその顔を覗き込んだ。
「姫さま……」
「リティエルシア」
部屋の扉が開き、彼女の傍にやって来たのは兄で。リティアの顔を見ると寂しそうに笑った。
……私は、リティアです。
最初ここに来た頃は、彼女はそればかりを呟いていた。けれど今はもう、否定しない。
「何でしょうか、アル兄様」
微かに微笑んでみせるリティアだったが、その表情に覇気がないことくらいは分かる。
兄妹をやり直す、と彼女が言った通り、リティアはアルヴィオスに対して歩み寄ろうとしていた。けれど大事なものを捨てて来た辛さはいつまでたっても消えない。それどころかどんどん大きくなっていくだけだ。
「……少し痩せたか?お前はただでさえ折れてしまいそうだというのに。今日は珍しい魔法の技を見せる魔導士が来ている。見に行かぬか」
アルヴィオス王は妹を元気づけたいと色々なことをしてくれる。
……そうだよね、本当は優しい人なんだもの。
彼に襲われかけたあの日は恐怖を感じたものの、この国に来てから王はリティアに無体なことはしなかった。妻にと望まれているのは変わらないのだがーーリティアの気持ちの整理がつくのを待っているのかもしれない。
「姫さまは体調があまり良くないみたいですけど」
テオが口を出すが、アルヴィオス王はリティアに抱きついたままの彼を引き剥がす。
「……お前、確信犯だろう。戯れもいい加減にしないと、クビにするぞ」
「なんの話ですぅ?ボク子供だから、わかんなーい」
リティアには見えないように、テオはニヤリと笑ってみせた。そんな陰で交わされた攻防など知らず、彼女は兄に答える。
「行きます」
そしてリティアは立ち上がりーーアルヴィオス王から差し出された手に、一瞬だけ戸惑った。微かな痛みと共に、その手をとる。
私は、この人の傍にいると決めたのだから。
*
謁見の間はちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。異国から来た商人達は、次々と珍しい魔法を閉じ込めた装飾品を並べたり、実演してみせたりする。手の中で虹が踊る魔法や、光で出来た蝶が舞う様は確かに美しかったが、リティアはただそれを眺めるだけ。
シーファもよくやってたっけ。
リティアが彼と暮らし始めたころは、失った義父母を恋しがって、夜中に泣いて眠れなくなることがあって。そんなときに彼は、こういう楽しい魔法をただ黙って見せてくれた。
ーー今になっても、彼の優しさばかり思い出す。
泣きそうになったリティアに、テオが後ろからハンカチを差し出した。
「ありがとう……て、テオこれ、ピンクの花柄て」
「いいから黙って使いましょうよ、姫さま。鼻水垂らしたくないでしょ、せっかく可愛いのに」
ごもっともだ。でもレースまでついてるよ、テオ。
「ーー次の者」
アルヴィオス王に呼ばれて進み出たのは二人組で、一人は顔の半ばまで深くフードをかぶった魔導士、もう一人は短い黒髪に黒い瞳の青年だった。魔導士の方は性別すら分からないが、黒髪のほうは普通の街の青年といったような服装だから、案内役か助手かなにかだろうか。何となく目をやったリティアは、彼が驚いたようにこちらをじっと見つめているのに気づいた。
「……?」
「どうした」
王もそれに気づいたようで問うと、黒髪の青年はハッとしたように礼をする。
「申し訳ありません、姫君があまりにもお美しく……可憐でいらしたのでつい」
今のリティアはフレイム・フレイア王国の伝統的な衣装を着ている。熱帯にふさわしい、通気性の良い薄いうっすらと透ける布地を重ね、ビーズで彩られた鮮やかな色彩のドレスだ。上は胸元を覆う布がクロスされて、首の後ろで結ばれているが、お腹周りはあらわになっており、晒された肩や背中を隠すようにショールを巻いているものの、却って女性の妖艶さを引き立たせている。下は微妙な光加減に脚のラインを透かし見せる素材で、大きくスリットが入っているために、歩くたびに素肌が覗く。
セインティアの文化よりも色が強く、かなり露出が多い。
陽射しの強い砂漠に出る時には外套を被るらしいが、ここでは涼しさを重視するらしい。今のリティアの髪は結い上げられ、宝石で出来た額飾りを付けられていて、それも初めて見る装飾だった。
うわすごい、砂漠の国のお姫様っぽい、と。
リティア自身、鏡で見た自分とは思えないほど変わっていたし、肌を晒すのは恥ずかしかったが、これが一般的なのだと分かれば諦めた。
「……」
まだ見とれている黒髪の青年の隣で、ローブを着た魔導士が彼を小突く。彼はやっとそれに頷いて、リティアに笑顔を向けた。
「それでは、こちらの魔導士が、精霊の如く麗しき砂漠の姫君に、とっておきの魔法をお見せします」
隣の魔導士が杖を構えて両手を広げた。しかしリティアは助手らしき黒髪の青年から、なんとなく目が離せない。彼もリティアを見つめているからか。
……なんだろう。どこかで、会ったような?
そこで初めて魔導士が口を開いた。
「ーーさあ、発動せよ。姫君のために!」
ブワッと、風が巻き起こって。
ーーえ?
リティアは目を見開いた。
何もない中空から、鮮やかな色とりどりの花びらが現れ、ヒラヒラと舞いながら、降り注いでーーリティアへと落ちてくる。終わり無く、いつまでも。
これは。
思わず両手を差し伸べて、それを受け取ろうとした。その瞳から涙が零れ落ちる。
この魔法は知っている。
リティアの想いが通じた時に、彼からキスと共に受けた魔法だ。ーーシーファからの。
リティアの手のひらに、赤い花びらが触れて、涙が頬を伝っていく。
ぽたり、と最初の一滴が胸元へ落ちたときーー彼女は目の前にいる、黒髪の青年を見た。その視線が絡まる。
ああ、あなたが。
ーー魔法を発動させたのは、ローブの魔導士ではない。彼の方だ。
シーファ。
『どこにいたって、どんな姿をしていたって、分かりますよ』
最初にそう言ったのは、リティアだ。
だから間違いない。魔法で姿を変えていても。
シーファ、私はあなたを見つけられる。