I can't say goodbye
***
アルヴィオス王に与えられた部屋の扉を、ノックもせずに開け放って。リティアはその中に飛び込んだ。
そこにはこちらに顔を向け、ソファに悠然と座る砂漠の王が居た。
「アル兄様……」
落ち着き払ったその態度に、妹姫は戸惑いを隠せない。
「どうして、シーファを攻撃したんですか」
あんなに、優しくしてくれたのに。リティアの一番大事なものを傷つけようとするなんて。
「魔物を城に入れたのもあなたですよね」
シーファだけではない、セインティア王国の皆にまで。
「何故、私だと?」
アルヴィオス王は軽く首を傾げて問う。リティアは彼の指に輝く指輪を見つめた。
「それ……その指輪に閉じ込めた電撃の魔法、お母さん……魔導師マリエイラが作ったものなんです。護身用にって、義母も同じものを持っていたから知っているの」
王がセインティアに持ち込んだのは、転送魔法の指輪だけではなかった。
彼自身には魔法は使えない。けれど他国へいきなり侵入するのに、武装する訳にいかなかった。だから宝飾品に紛れて魔法を持ち込んだのだ。
もちろん見破られるとは思っていたがーー護身用と言えるほどの小さな魔法だ。なんとでも言い訳できると思っていた。少々威力をいじっていても、だ。
「最初に君に見破られるとはな」
微笑む彼には、悪意が見えない。だからリティアは困惑する。
「どうしてなの、兄様」
わからない。なぜ?
王の目の前まで近づき、問いつめる妹を見つめーーアルヴィオス王は彼女の手を掴んだ。
「ならば教えてやる」
「!?」
強く引かれる手に咄嗟に抵抗できず、リティアはソファに倒れ込む。その上に兄が覆い被さってーー唇を押し付けた。
「やっ……」
あまりのことに頭が真っ白になったリティアは、それでも必死で首を振って兄から逃れようとするが、強靭な力に何一つ敵わない。どう考えても、これは家族に対する口づけではない。先日されたものとも違う。
「やめて兄様!私はあなたの妹なんでしょう!?」
リティアの言葉に、アルヴィオス王は低く笑った。
「我が国は兄妹で結婚できるのだよ、リティア。そして私は、君を花嫁にするつもりで来たんだ」
「そ、そんなの知らない。だとしてもーー私はシーファのことが」
言いかけた言葉は、兄の手に塞がれた。
「聞きたくないな」
耳元で鋭く囁かれたかと思うと、首筋に彼の唇が落とされた。
「愛している、リティエルシア」
初めて、リティアは兄に恐怖を覚えた。
私の話なんか、最初から聞く気が無い。
彼はリティアに愛を告げておきながら、彼女の気持ちには全く興味がないのだ。リティアを探し求め、慈しんでくれたのは、全て彼自身のため。
けれど……彼を歪めたのもまた、リティアと、アルティスの秘石なのだ。
「私と来い。アルティスの秘石を取り出して、お前と分離してやる。そうすればセインティアの者達も魔導士シーファも、もうお前に興味など無くなるだろうよ。私だけがお前を愛してやれる」
身勝手な愛情に、リティアはそれを否定しようとして。けれど、
「頼む……もう一人にしないでくれ」
小さく落とされた、彼の本音を聞いてしまった。
動きの止まってしまった彼女を、観念したと思ったのか、熱心に彼の唇がリティアの鎖骨をなぞり、滑ってゆく。
「でなければ、私はこの国ごと、銀の魔導士を……」
『滅ぼしてしまうよ』
囁かれた、宣告。
絶望に、彼女は諦めて瞳を閉じた。
ーーごめんなさい、シーファ。
「我は銀の魔導士の弟子にして、秘石の器」
その口から出た言葉に、アルヴィオス王は一瞬動きを止め、怪訝そうに妹の顔を見た。リティアの閉じた瞳から、涙がひとすじ溢れる。
「我が敵を、排せよ。対象はーー砂漠の覇者、アルヴィオス王」
呪文と共に。
兄はリティアの上からふっ飛ばされた。
「なっ……!」
何が起こったのかを認識する間も無く、
ーードンッーー!!!
「ううっ!!」
彼の身体は壁に叩き付けられ、がくりとうな垂れた。かろうじて意識はあるものの、痛みに身体が動かない。
「リ、リティ……」
にいさま。
初めて魔法を使って傷つけた相手が、兄。
初めて魔力で災いを起こした相手は、好きな人だった。
ごめんなさい、アルティス。やっぱり私は、あなたの器に足らない。
リティアは兄を見つめ、小さな声で呟いた。
「ごめんなさい、兄様。私はあなたを受け入れることはできません。愛しているのは、あの人ただ一人だから」
だけど、シーファの傍には居られない。
私の存在はーーもはや害にしかならない。
だから。
「家族をやり直しましょう、兄様。私が傍に居る」
リティアの大切なものを護るには、彼女がここにいてはいけない。
リティアが出来る、たったひとつのことは。
「与えられた力により、開け門よ。望む場所へと」
リティアは王の指にある移動魔法を発動させた。
「ーー熱砂の炎、砂漠の姫が命じる。砂漠の王を、灼熱の砂の国へ運べ」
ごめんなさい、シーファ。
さよならが言えなくて。
不義理な弟子で、ごめんなさい。
「我が身とともに」
ーーその瞬間、青の聖国から砂漠の王と、銀の魔導士の弟子が消えた。
***
庭園では次々と転送陣から溢れ出る魔物を、城の兵士、魔導士、精霊達が殲滅していった。アランとシーファは最前線に立ち、その杖と剣を奮う。
アランが振り上げた剣で一体の魔物を切り裂けば、シーファは火炎でその周辺の魔物を焼き払った。激しい戦闘の最中、お互いに背中を合わせる。
「は、腕は落ちていないようだな、アラン隊長」
シーファが肩越しにアランを見て、皮肉気に声を掛けた。彼は口元だけで笑って。
「そっちもだろ、大魔導士」
同じタイミングでーー目の前の魔物を倒した。
「シーファ!」
赤く輝く魔法剣で魔物を倒しながらこちらに向かってくるのは、ラセイン王子だ。アランがあーあと呟く。
「も~。あなたの安全が今ここで最優先事項なんすよ。勝手に出て来ちゃ駄目じゃないっすか、王子」
傍まで来た王子は、何でも無いことのように言う。
「ここは僕の王国で、お前達はこの国の民。ならば王子が民を守るのは当たり前だろう。何か異論あるか」
子供の頃からずっと見守ってきた王子にそう告げられ、アランは嬉しそうに微笑んだ。
「だからあなたについて行くんですよ、俺達は」
一方で。シーファは内心、焦っていた。
弟子の少女の元に向かわなくては。アルヴィオス王が妹を害するとは思わないがーー嫌な予感が離れない。リティアを一度失いかけて以来、彼女には身を守る術は色々教えて来たし、セアラ姫によれば魔法もずいぶんと上達したという。
それでも。なんだ、この胸騒ぎは。
そしてーー城の中で、リティアの攻撃魔法が発動した。
「リティア!」
シーファが城をーーアルヴィオス王とリティアが居るであろう部屋を振り仰いだ。彼女の魔力はアルティスの秘石から湧き出ているものだ。同じ力を持つシーファにははっきりと感じ取れる。そしてアランも攻撃魔法を感知し、驚愕の顔で城を見上げた。まさかリティアが兄を傷つける魔法を使うとは思っていなかったのだ。言い替えれば、それほど切羽詰まったことが彼女の身に起きているということになる。
「シーファ、お前先に行け……」
言いかけた彼は、ザワリと沸き立つ魔力に言葉を止めた。
なんだこれは?何をしようとしてるんだ、リティアさん。
今までの波動とは違う、リティアの魔力。
その時、シーファの意識に響いたのは、彼女の声。
『ーー熱砂の炎、砂漠の姫が命じる』
「リティア……?」
彼女の発動呪文は、シーファの弟子だと名乗りを上げるものだったはずだ。
セインティアに存在する、銀の魔導士に連なるものだと。
なぜ、砂漠の姫を名乗る?
ーー考えられることは、ひとつ。
「リティア……やめろ……」
シーファは思わず呟いた。
リティアは、“銀の魔導士の弟子”たる自分を捨てる気なのだ。“砂漠の姫”として生きる為に。
『砂漠の王を、灼熱の砂の国へ運べ』
「リティア……行くな」
『我が身とともに』
「行くな……!」
ーーその瞬間は、誰もが目を疑った。
銀の魔導士と呼ばれる男が、傍若無人で傲岸不遜、相手が王族でも全く動じない冷静な男が。血相を変えて叫んだ。
「リティアァァーーッ!」
失った、ただ一人を求めて。
夜空を振り仰いで、絶叫する魔導士の姿は異様で、けれど誰もが大変なことが起こっていると感じていた。
「シーファ……おい」
アランが彼に恐る恐る声をかけると、それが引き金になったかのように魔導士は口を開く。
「……我は」
うわごとのように。
「……我は溢れし力を受ける器。月の女神の騎士、魔法の光満つる地に在りし魔導の徒……」
シーファは虚ろな目で呪文を唱え出す。
「この身に封じられしアルティスの力をもって、時空の門を開けろ、我が為に」
その呪文に、ラセイン王子が目を剥いた。
「シーファ!駄目です!」
転移呪文ーー遠くへ移動するための呪文だが、準備された装置も場所も無く、無理矢理に道を開くのは酷く危険な行為だ。最悪、時空の狭間に落ちて命を落とすこともある。
「馬鹿お前、落ち着け!今追っかけちゃ駄目だ!」
アランがシーファを止めようとするが、彼に容赦なく殴られて吹っ飛ばされる。
狂気にも似たその様相に、誰も手を出すことが出来ない。
ヤバい、こいつキレてる。一番ヤバい感じでぶっ飛んでる。本気で止めるには、どちらかが深い傷を負う覚悟が必要かもしれない。
思わず剣に手を掛けたアランを、ラセイン王子が首を振って止める。
「アラン!やめろ」
主の言葉に彼は唇を噛みしめ。その間にも、シーファは呪文を紡いでいく。
「ーー望むは熱砂の奥。アルティスの秘石の元へ」
「やめろって!今突っ込んでってもどうにもならない!ウチの国に戦争させる気か!」
無事にフレイム・フレイア王国に辿り着けたとしてもーーアルヴィオス王がこの騒ぎを引き起こした証拠が無い今、セインティア王国の大魔導士が乗り込んで行っては大問題だ。
リティアはれっきとしたフレイム・フレイア王国の姫君で、しかも出て行ったのは本人の意思なのだから。下手に正面から乗り込んでは、領域を侵したのはこちらと言われかねない。
アランの言葉に、彼は周りを冷たく睨みつける。
「どうでもいい」
「……っ、お前っ」
近衛騎士は背筋が凍るのを感じた。
馬鹿魔導士、またあの頃に逆戻りしてる。
あの、世界全てが敵のような、誰も寄せ付けなかった氷のような少年の頃にーー
「良くは無いわ。リティアが傷つくでしょう」
凛とした声に、一同が道を空ける。
セアライリア王女がその中を進み出た。聖国の金の薔薇は、厳かに大魔導士を見つめて。
「無茶をして、貴方の身に何かあれば。わたくしたちに害が及べば。あの子は傷つくのよ。ーーそういう子でしょう」
「セアラ……」
シーファは杖を構えていた手をだらりと下げた。
「あいつは……私の弟子なんだ。ずっとそうでありたいと願って、そう名乗ってきたのに、いまさら」
発動呪文は自分自身を表す言葉だ。
リティアは自らそれをねじ曲げてーー今までの自分を殺してシーファとの繋がりを絶った。
「今追わねば、私はあいつを失う」
無理矢理連れ去られたのなら、いくらでも取り返す。
けれど彼女が望んだ別れならーーシーファの魔法は届かない。
もう、彼にはリティアを守れないのだ。
「すまない。今回はあなたの言葉は聞けない、セアラ」
シーファのその言葉に、セアラ姫は深く微笑んだ。
ほらね、リティア。
シーファはあなたのことになると、こんなにも冷静さを失う。あなたの存在は、こんなにも大きい。そんな場合ではないけれどーーそれがどこか嬉しい。
セアラ姫は頷いた。
「そうね、わたくしもそう思いますわ。だからこそ冷静になりなさい、銀の魔導士。わたくしたちに残された手段は少なくてよ、失敗はできませんわ」
弟王子も、姉に同意して頷いた。
「その通りです。向こうだって卑怯な手を使ったのですからね。僕たちはそれ以上に狡猾になる必要がある。あなたの頭がまわらなくちゃ、話になりません」
セアラ姫とラセイン王子の言葉に、アランが「あーあもう、甘いんだから」と口を尖らせた。
「セアラ、ラセイン……すまない」
複雑そうな顔でシーファが頭を下げる。
「アラン」
ラセイン王子の呼びかけに、近衛騎士はヒラヒラと手を振った。
「もー手配してます。フレイム・フレイア王国に数ヶ月前から魔導師派遣してるんで、そのあたりに潜り込ませます」
彼はアルヴィオス王が来るよりもずっと前からーーリティアの素性を知った時から根回ししてくれていたのだ。いつかこんな事態になるのではないかと。いつもふざけていても、アランは間違いなく有能なのだ。
シーファは彼にも頭を下げる。
「すまない、アラン」
「馬鹿!謝るな気持ち悪い!雨とか槍とかドラゴンとか降ったらどうするんだ!お前はいつも通り、尊大で自己中でいろ!」
悪友の照れ隠しに、魔導士は口元を少し緩めた。
リティア。
「あの、馬鹿」
リティアの考えなど、王を監視していた精霊達が一部始終を伝えて来なくたってわかる。
シーファを、ラセインやセアラやアラン、セインティア王国を、護るため。
ーーそして兄を救うためだ。
「馬鹿過ぎて、お仕置きしないと気が済まない」
それ以上に。またシーファの居ない場所で泣いているであろう彼女を。
……すぐに抱きしめてやるから。待っていろ、馬鹿弟子。
ーー必ず、この腕に取り戻してみせる。