Shall we dance?
***
翌日の夜、砂漠の王国からの客人をもてなす意を込め、舞踏会が開かれることとなった。
突然に決まったことではあったが、さすがは魔法大国であり、煌びやかな王室に仕える者達はきちんと自分の仕事を心得ていて。手際よく、そして見事なまでの美しさで準備を進めて行く。
時間も差し迫った夕刻、セアラ姫の部屋ではリティアがドレスを仕立てられていた。
「これも魔法なんですか?リエンカさん。今朝お願いしたばかりで、もうこんな素敵なドレスが仕上がっちゃうなんて」
自分に着せられた美しい光沢のドレスを見回して、リティアが感嘆を込めて言うと、王都一番の高級ドレスショップの女主人であるリエンカは、ホホホと上品に笑った。
「あら、嬉しい褒め言葉と受け取っておきますわ」
「リエンカはとっても仕事が早いの。まあわたくし達から見れば魔法も同然ですわね」
セアラ姫はにこりと微笑んでそう言い、あ、と思いついたように笑った。
「今回は、あちらにも楽しみがあったでしょう、リエンカ」
「そうですわ、セアライリア様!あの大魔導士殿ったら美形ですわねえ。私、腕が鳴りますわあ」
二人の女性の会話に、リティアはきょとんとする。美形の大魔導士といったら目下一人しか思いつかない。そしてきっと間違ってはいない。シーファの話?
「では私はあちらに行って参りますわね。助手達だけにいい目を見させてはおけませんわ」
仕事を終えたリエンカが、裁縫道具を持って部屋を出て行くのを見送りながら、リティアはセアラ姫に問いかけたが。
「何の話ですか?」
「うふふ、今夜のお楽しみですわ、リティア」
セアラ姫は悪巧みを思いついた時のように悪戯めいた表情で笑って。それからふと、真顔になった。
「リティア、アルヴィオス王をどう思う?」
言われた彼女は言葉に詰まる。
「どう、と言うほど話して無いので……でも、私を探してくれたことは、嬉しいと思いました」
悪い人では無いと思うけれど、とつけ加える。姫君は少しだけ言いにくそうに頷いた。
「そう……そうね。変なことを聞くようだけれど、男性としてはどうかしら」
「へ?」
リティアは思っても居なかった質問にビックリして。
「よく、わかりません……」と答えるしか無い。
セアラ姫はリティアに向き直った。
「リティア、あのね……あなたの心はあなただけのものよ。ですからわたくしに強制はできないのだけれど。どうかシーファを信じてあげてね。これから先何があっても、彼のあなたへの気持ちを信じてあげて」
彼女の真剣な瞳に、リティアは息を吞む。戸惑いながら、ひとつひとつ言葉を選んで落として。
「私、好きになったのはシーファだけだから、よくわからないんです。彼は……」
そこまで言って思い出す。
目の前に居るのは大好きな人が、好きだった人。愛しい人が、特別に思う人。
「シーファは……あなたを大事に想っています。初恋の人だって」
セアラ姫にそう告げても、心は微かに痛みはするが、もうあんなドロドロとした気持ちにはならなかった。
今のシーファがリティアを想っていてくれる。それだけで十分だ。
姫はリティアに優しく笑って、口を開く。
「わたくしは、シーファにとっては崇拝の対象なのよ。初恋といっても、幼い子供が聖母像に憧れるように、物語の妖精に憧れるように、もっと実のない、夢のようなものなの。そして今のシーファがわたくしを想ってくれるのは、家族のような愛情だわ。姉、妹、母親、そんなものに近い。わたくしだけじゃない、ラセインにも同じように感じているはずよ」
セインティア王国の国民がそうであるように。
極地を超えた美を持つセアライリア王女は『絶対的に美しく、至高の宝石』でありーー聖国の象徴なのだ。
「わたくしはいつまでも皆のお人形なの」
だからね、と姫は笑う。
「シーファにとって特別なのはわたくしでも、大事にしたいのはリティア、あなたよ。わたくしのことは綺麗な城に飾っておきたいの。でもあなたは泥にまみれようと、危険にさらそうと、いつでもその腕に抱き締めておきたいのよ。
それが、アルティスの封印を解いた、シーファの愛でしょう?」
セアラ姫の言葉に、リティアは潤んだ瞳で微笑んだ。
今なら、その言葉を素直に聞ける。シーファを信じられる。
「ありがとうございます……」
*
リティアが部屋を出て行った後。
その場に残ったセアラ姫は、扉に立つ近衛騎士の姿に気づいた。
「アラン……いつから居たの」
彼はいつものような軽妙な雰囲気ではなく、感情を抑えたように静かに姫を見つめていて。たった一言、告げた。
「俺は、あなたを人形だとは思っていませんよ」
ええ、そうね。あなたはーーあなただけは。
姫君は心の中で、そう呟いた。
**
舞踏会が始まって、その豪華絢爛さにリティアは目がくらんでいた。
「遠路はるばる、砂漠の王国からの客人をご紹介します。ーーアルヴィオス王」
今宵のラセイン王子は城の主であり、青の聖国の太陽にふさわしい輝きでもってその場を支配している。しかしその場にいる者達は、砂漠の王に目が向くのを止められずに居た。
かの王は客人だというのに堂々とその場に溶け込んでおり、その体躯と眼光には他者をねじ伏せるような迫力がある。が、悪名高き魔導士の弟子ではあるが、可憐な少女を傍らに置いていて、それがまたアンバランスで目立つのだ。
「しかし美しいな、国も、あなた方も。さすがに名高い青の聖国だ」
アルヴィオス王は上機嫌で杯を傾け、ラセイン王子と談笑し、その隣では淡い紫のドレスに身を包んだセアライリア王女が微笑んでいた。
「セアライリア王女の美しさの前には、そこらの男など気後れしそうだ。あなたの婚約者に名乗り出る為には、セインティア王の難題を突破せねばならないと聞いたが、これでは信憑性があるな」
「あら、ありがとうございます。ならばアルヴィオス様がその試練に打ち勝ってくださいます?」
「いやいや、私などでは到底ご満足頂けぬよ。これでも小心者でね。あの魔導士殿ほど剛胆なら良かったのだが」
にっこりと、けれどお互いに本音を見せぬ表情でもってーー交わされる言葉に、後ろに控えたアランはヒヤヒヤする。
すげえ、腹黒対決だなこりゃ。姫様頑張れ。
リティアは二人の会話の意味には気づいていないが、目立ちまくる王族達の中でなんとなく居心地の悪さを感じていた。ソワソワする彼女を見て、アランは吹き出しそうだ。
自分が王女だということは、またすっかり忘れているんだろうな。可愛いなあ、ほんとシーファにはもったいない。
アルヴィオス王は彼女に微笑みかける。
「リティア、君はあの魔導士殿とどんな風に暮らして来た?彼は君にどう見える?」
兄の言葉はただリティアの人生を知る為のもので、アルティスの力には触れない。それが少し嬉しくてーー後ろめたかった。
「シーファは厳しくて……とんでもないけど、でも」
その時だけ見せた、リティアの柔らかな表情にアルヴィオス王はかすかに眉を上げた。
「優しい、人です」
兄は妹の言葉に小さく頷いただけだった。
ラセイン王子はさりげなく二人の会話を聞きながら、リティアに微笑みかける。
「リティアさん、あちらにあなたとお友達になりたい同年代のご令嬢がいるんです。お話をしていらしてはいかがですか?」
この水面下の戦いから離脱させてやろうとしてくれたらしい。なにしろ宴が始まってから、アルヴィオス王が彼女を離さず、今日はシーファにすら一度も会っていない。彼女は気後れも気疲れもしていた。アランもおなじように頷いてくれて、リティアはあからさまにホッとした顔でその場を離れた。
リティアが大広間の半ばまできたところでーー入り口付近がざわめいた。
どうやら誰かが広間に入って来たところらしい。
「あれは……銀の魔導士?」
「まあ、素敵……!」
令嬢達の賞賛の声、紳士達の驚嘆の声。
銀の魔導士?シーファのこと?
きょろきょろと話題の主を探していたなら、視界の隅に銀色の光が見えて。
そちらを見たリティアは、絶句した。
そこに居たのは、『銀の魔導士』ーーではなく、冴えた美貌に包まれた、まるで上流階級の紳士、どころか『王子様』といっても良いくらいの美青年。
ーー濃紺に繊細な銀の刺繍で縁取りされた、夜会服。上品なシャツに上着と同じ濃紺のベストとタイーー銀の長い髪はすっきりと首の後ろでまとめられ、こちらも銀糸と濃紺のリボンで結ばれている。いつもはそのままの前やサイドの髪も、きちんと後ろに流れるようセットされていて、形の良い顔立ちが露わになっていた。
背筋の伸びた立ち姿の優美なこともあるが、いつもの足下までのローブでは無い為、長い脚とそのバランスの取れた身体がよくわかる。
な、なにあれ、なにあれ!
「かっこいい……」
思わず呟いたリティアだったが、慌てて口を押さえる。けれど周りの感想も同様だったようで、頬を染めた女性達がきゃあきゃあと一斉に彼を取り巻いた。
「あ……」
今までも見て来た光景だけれど、今はどうしようもなく痛みと寂しさを感じてしまう。しかし、彼は煌びやかな女性達に捕まること無くーー周りを見回し、リティアと目が合うと、まっすぐに彼女の方へ向かって来た。リティアのすぐ目の前まで来て、立ち止まる。
本当に、本当に、
「どうしちゃったんですか、お師匠様……」
じわじわと赤くなる頬を見られたくなくて、リティアは俯く。彼の顔をまともに見たら、心臓が壊れそうな気がした。頭上でふ、と笑う気配がする。
「何だ、ラセインやセアラには見とれたくせに、お前のお師匠様には見とれてくれないのか」
その声までも、リティアには心臓を掴まれるようで。
ぎゅ、と彼女は拳を握った。
「み、見られません。今見たら心臓破裂して死んじゃう」
細い声で言われた言葉に、シーファは嬉しそうに笑って。
「お前はたまに致命的に可愛いことを言うな。私の理性が擦り切れたら、どうしてくれるんだ」
そしてその手を差し伸べる。
「踊っていただけますか、お嬢さん」
魔法にかけられたように。リティアは顔を上げてその手を取る。
どうしよう、シーファがめちゃくちゃに甘い。
どうしよう、私きっと夢を見てる。
「シーファ」
「何だ?」
「……私、踊れませんけど」
「奇遇だな、私もだ。だからーー」
シーファはリティアの腰に手を回して、艶めいた視線で見下ろした。
「悪い魔法使いに、さらわれていただけますか。ーーお姫さま」