Princess of the desert
数分後、一同は応接室へと移動し、そこにセアラ姫とアランも加わった。しかし、それぞれの思惑で沈黙している。それを破ったのは、大魔導士だった。
「何故、素性を黙っていた?」
向けられた問いは隣に座る弟子へのもので。リティアはその言葉にビクリと身を震わせる。
「……えっと。……わ、忘れてました」
「「「……はあ!?」」」
少女の言葉に一同が目を丸くする。リティアは慌てて説明し始めた。
「私がフレイム・フレイア王室の生まれだというのは、育ててくれた両親から聞いていました。彼らが本当の親では無く、私の血の繋がった両親に仕えていた側近で、生まれたばかりの私が、お家騒動に巻き込まれそうになったのを助け出してくれたって」
しかしその話の真実は、半分だけだった。
「あの、シーファは知ってると思ってたんです。私の両親から私を託されたって聞いてたから。普通に生活してて、私の生まれの話なんか出たこともなかったから、自分から言うのも変だし」
「言われてみればそうですよね。聞かれなければ、『私って王女様なんです』なんてわざわざ言いませんよね。ましてや故郷から逃げてきたなどとご両親に聞かされていれば」
ラセイン王子が溜息交じりに肯定し、リティアは頷いた。これは師であるシーファの責任だろう。王子の視線に銀の魔導士はきまり悪そうに視線を泳がせた。
「そしたら、いつの間にかそれを確認するのも忘れちゃって。だいたい魔法修行でそれどころじゃなかったし」
アランが口元に手を当てて、「ド天然……」と呟く。
どうしようこのコ、可愛いけど、危なっかしすぎる。
「で、今回私がアルティスの器だと知って、養父母がなぜフレイム・フレイア王国を出てきたのかようやく分かって……そしたら言えなくなったんです」
リティアはそこで唇を噛み締めた。自分の手に視線を落とす。
お家騒動なんてものではない。彼らがリティアの養父母となったのは、強大なアルティスの魔力を隠し、リティアを護るため。
「私がアルティスの器だったせいで、宮廷魔導師だった養父母は、故郷を離れて人目を避けて隠れるように生活していた。あげく、私の力を抑え続けて命を落とした。血の繋がりの無い、私なんかのために」
かすかに震えた声。けれどリティアは、ただ自分の指先を見つめたまま。一同は言葉を失った。
「……私は、周りの人を巻き込んで、犠牲にして、生きて来た。シーファだけじゃなく、父や母までも。それを知られるのが、怖かったんです」
誰に、とは言わなかった。けれど、シーファは瞳を閉じた。
「……馬鹿弟子。今更、そんなことで私がお前を見放すとでも思ったか」
柔らかな声音に、リティアは苦笑いする。
「……思いました。お師匠様、容赦ないから」
「そうですよねー。仕方ないですよね、そこの魔導士、日頃の行い悪いしー」
彼女の言葉に、アランがわざとらしく茶々を入れる。シーファは嫌そうに返した。
「うるさいぞ、アラン」
けれどそれで、すこし空気が和らいだ。
「……お前なあ」
苦々しい顔をして、シーファが彼女を見て。
「……いつもいつも一人で泣くな。頼むから私に師匠らしいことをさせてくれ」
今度はリティアは言葉を失った。
気づいていた。
リティアがシーファに引き取られてから、なるべく彼の前で泣かないようにしていたこと。どんなに修行が辛くても、絶望しても、寂しくても、彼の前で泣かない癖がついていたこと。時には耐えられないこともあったけれど。
「お師匠様……」
ああ、私。やっぱりこの人が好きだ。与えられ続けてきた隠された愛情を、どうして今まで気づかなかったのか。
最近の乱れた感情が嘘のように、落ち着いていく。
「シーファ、今私に魔法をかけた?」
「何だ、惚れ直したか?」
柔らかく言われた言葉に、彼女の顔が泣きそうに、けれど緩やかに微笑んだ。その頭を引き寄せ、シーファがその胸に抱え込む。当たり前のように。
「……血の繋がりは、あったのだよ」
おもむろに、アルヴィオス王が口を開いた。
「君の養母ーーマリエイラは、私達の本当の母、エルレイア王妃の従姉妹だ。
君とはちゃんと、血の繋がりがあった。私や君をとても可愛がってくれてーー本当の母以上に母らしい人だった」
リティアはその言葉を聞いて、大きく息を吐く。涙はシーファの手が隠してくれた。
「それでも、私の罪は消えません。シーファが居なかったら、もっとひどいことになってたかもしれない」
俯いたままのリティアをアルヴィオス王は見つめて、なだめるように妹へ告げる。
「アルティスの力の犠牲になったのは、君のせいではない。だからこそ私は君を取り戻しに来たのだ。アルティスの秘石ではなくーー君をだ。リティエルシア」
その言葉に、セアラ姫がピクリと反応した。
聡い弟と視線を合わせーー彼も同じことを思っていると確かめて頷く。ラセイン王子が姉に促されて口を開いた。
「ーーけれど、アルヴィオス王。先ほど申し上げました通り、リティア嬢はもはや我が国の国民なのです。もう少し、彼女に時間を差し上げてはいかがか」
王子の言葉に王はふ、と笑った。時間稼ぎにも似た、彼らの思惑に気づいたのかもしれない。
「……いいだろう。しばし、滞在させて頂くよ、青の聖国に。おいで、リティエルシア。君と少し話したい」
呼ばれたリティアは躊躇ったが、シーファに頷かれて、緊張気味に頷いて立ち上がった。アルヴィオス王に肩を引き寄せられ、その隣へと寄る。彼がチラリとシーファを見た。その姿に、魔導士は首を傾げる。
なんだ、この違和感……。
それを考える間も無く、王は視線を逸らし、リティアに微笑みかけている。
「ではこちらに。お部屋を用意させて頂きました」
アランがラセイン王子と素早く視線を交わし、王を別室へと案内しに連れ立って出て行った。
「あーあ、ですわ」
彼らが出て行った途端、セアラ姫が呟いた。らしくもなく、テーブルにあった砂糖菓子を摘まんで、行儀悪く口に放り込んだ。
「面倒な事になりましたね。さすがにあれは……リティアさん大丈夫でしょうか」
弟は姉が投げた菓子を、こちらも珍しく行儀悪くーーしかし見事に口でキャッチする。こんな風にする姉弟は、大抵機嫌が悪い。シーファはラセイン王子とセアラ姫の様子に怪訝な顔をして。
「ずいぶん警戒するのだな」
「何を呑気におっしゃっているの。あなた方のためよ。シーファ、あなた気づかなかったの?」
セアラ姫の険しい表情に、彼は眉をひそめる。ラセイン王子も厳しい顔で頷いた。
「アルヴィオス王がリティアさんを見る目。あなたと同じですよ、シーファ」
その言葉に、思い当たる。
「フレイム・フレイア王国は近親婚を認めているんだったな、確か」
となれば、彼の言葉は。
セアラ姫がそう、と肯定した。
「アルヴィオス王は、リティアを花嫁として迎えにきたということね」
**
与えられた部屋で、アルヴィオス王は悠然とソファに座った。リティアに手招きして、隣に座るよう促す。けれど彼女は固い表情のまま動けない。
「そんなに緊張せずとも良い。こちらへおいで」
彼の言葉にリティアは、慌てたように手を振った。
「でもあの、私ほんっとーに、一般庶民として育てられたしっ。王女とか言われてもピンとこなくてですね。というか、王様と話すとか本当に無理で」
「リティエルシア、寂しいことを言わないでおくれ。私は君の兄なのだから」
「え、あ、……はい」
アルヴィオス王の言葉に、彼女はやっと彼の隣へと移動した。ソファに浅く腰掛けて、王を見る。
襟足までの緩くクセのついた赤い髪。分けられた前髪は少し長めで頬にかかる程度だが、それでもシーファやラセイン王子の長い髪を見慣れたリティアには、新鮮に見える。どちらかというと、優美で上品な彼らに比べ、野生の獣のような猛々しさをうかがわせるような王。明らかに鍛え上げられている身体は、無駄なものなどどこにも無さそうだ。魔法の指輪でここに来たと聞いたが、剣を振り回して突破してきたと聞いても、きっと納得した。
「アルヴィオス王様……こんな、他国にお一人でいらして宜しいんですか」
リティアがおそるおそる問うた言葉に、王は軽く眉を上げた。
「もちろん危険は承知の上だ。けれどどうしてもーーアルティスの秘石の封印が解け、君が生きていると分かった時から、どうしても君に会いたかったのだ」
真摯に見つめられ、リティアは胸が痛くなる。
ずっと昔に失ったと思った家族だ。
戸惑いの方が大きいがーー望まれていると分かって、嬉しくない訳が無い。
「君が生まれた頃のフレイム・フレイアは魔法に対しての備えが無さ過ぎた。
君は赤ん坊の頃から魔族に狙われ、危険に晒されて、もはや魔導師に預けるしか手は無かった。そして君の養父母は厳重に君を隠して、今までその生死すらロクに分からなかったのだ。やっと見つけたと思ったら、もう止められなかった」
燃えるような髪と同じく、情熱に溢れた性質なのか。アルヴィオス王は熱を込めてリティアに語った。
「君は私がずっと思い描いていた通りに成長していたな。会えて良かった、リティエルシア」
心から愛おしむ笑みを向けられ、リティアはなんだか恥ずかしくなりながらもーー微笑み返した。
兄がいたことは知っている。けれど兄の記憶は無い。ーーはずなのに。
「私もあなたが懐かしいんです。国を出た時は赤ちゃんだったから、覚えているわけがないのに」
それでも、目の前の彼からは悪意はかけらも感じられない。妹のために、単身で他国へ乗り込んでゆくようなまっすぐな人だ。ーーあ、それで思い出した。
「けれど、王自らお一人でいらっしゃるなんて……ええと、あの、軽率では」
リティアの戸惑った表情に、兄が笑う。
「他人行儀な話し方はおやめ。いつもの君で構わない。それに私のことはアルと呼べ」
慣れない敬語を見破られ、リティアは恥じらいながら返す。
「なら私のことも、リティアと呼んで下さい。それが今の私の名前なんです。……アル兄様」
遠慮がちに、けれどまっすぐに瞳を見つめて呼ばれた名前に、アルヴィオス王は目を見開いた。 片手で口元を覆って、苦笑いする。
「は……魔導士殿の気持ちが分かる気がするな。なるほど、無垢な少女というのは拷問だ」
「え?」
リティアは兄のつぶやきの意味がわからずに首を傾げた。アルヴィオス王はその頭を引き寄せーー
『チュ』
軽い音と共に触れた、唇。
「ーーえ?」
リティアはあっけに取られたまま、燃えるような髪の青年を見つめて。今触れた熱を確かめるように、自分の唇を押さえた。
「……?」
あれ?いまーー
そのとき、コンコン、とノックの音がしてセアラ姫が扉を開けた。
「リティア、ちょっと宜しいかしら。アルヴィオス王、お話中に申し訳ありませんが、彼女をお借りしても?」
美姫に微笑まれ、隙無く告げられて、王は頷いた。
「こちらは客人の身だ。あなたのお好きになさるといい、聖国の金の薔薇」
「ありがとうございます」
優雅に一礼すると、セアラ姫はリティアを伴って廊下に出た。
「良かったわ、何も無いうちに連れ出せてーーあら、どうしましたの、リティア?」
背後を振り返った姫は、黙って片手で口を押さえたままのリティアに、怪訝な顔で問う。彼女はぽかんとした顔で、セアラ姫に告げた。
「フレイム・フレイア王国って、兄妹でも口にキスするんですか?」
リティアにはかの国の知識は無い。だからアルヴィオス王の真意など知らずーー、勝手に解釈した。すなわち『お国柄?』だと。
“バキッ”
セアラ姫の手の中で、扇が真っ二つに折れた。
金の薔薇はにっこりと微笑んでーー
「そうね、そういうこともあるかもしれないわね」
堂々と嘘をつき、内心舌打ちしていた。
チ、あの王様ったら手が早過ぎますわ。全然間に合ってないじゃありませんの。
何してくれていますの、わたくしの可愛いリティアに!
こんなことがシーファに知られたらーーいや数分後にはどうせ知らせねばなるまいがーー怒り狂うことは間違いない。ついでにアランは爆笑するに違いない。そしたら折れた扇で殴ってやろう。
「負けたら許しませんわよ、シーファ……」
ぼそりと呟いた言葉は、幸いリティアには届かなかった。
***
リティアを魔法修行の部屋に向かわせ、男性陣の待つ部屋に戻ったのはセアラ姫だけで。彼女の配慮は英断だったと知る。セアラ姫から事の次第を聞いたシーファは当然のことながら怒り狂いーー。
「ちょっとどこに行くんですか!外交問題は避けて下さいと先程あんなに」
必死で止めるラセイン王子に、シーファは言い放つ。
「知るかそんなもの。私のまわり半径1キロは治外法権だと思え」
その言葉にアランが反応し、がっちりと魔導士を羽交い締めにする。
「1キロも与えたら、アンタ爆発魔法とか平気でするだろうが!!」
「ならば2メートルで構わん。3秒でフォルディアス湖に沈めてやる」
本気だとその目に書いてある。
「せめて杖、杖は置いて行って下さい。うちの国民全滅させるつもりですか!」
ラセイン王子の顔色はもはや蒼白で、本気でそう思っているのがわかる。
甘いな王子。魔力増幅の道具である杖なんか無くたって、この馬鹿は破壊神だぞ。むしろ無い方がヤバイだろうが。
アランは呑気に爆笑した数分前の自分が懐かしい。
「気持ちはわかるけど、落ち着けって!リティアちゃんの兄上だぞ!不用意に危害加えたらあの子に嫌われるぞ!」
外交問題よりも切実だったのか、シーファはピクリと暴れるのを止め、
「ドサクサに紛れてリティアちゃんとか呼ぶな、馬鹿者」
「そこか」
アランに八つ当たりする彼。
それを溜息混じりに見て、セアラ姫は考え込んだ。何か、相手の腹を探る良い方法は無いものか。 そうしている間に、男性陣の方ではまたもや揉め出して。
「どこに行くんですか。話はまだ終わりませんよ、シーファ」
「リティアに護身術と女の自覚を叩きこんでくる」
怒りの方向が変わる彼を、近衛騎士の悪友が眉を上げた。
「お前今行かないほうが良いんじゃないの?あの子メチャクチャにしない自信ある?お前はさ、根が真面目でストイックなくせに、つうかだからこそなのか、キレると加減なくぶっ飛ぶだろ。今度手荒なことしたら信用失うよ、男として」
冷静なアランの分析に、シーファは黙り込んだ。いつもふざけている分、真面目に言われるとこたえる。
「おや、さすが年の功だなアラン」
王子の感心したような目に、アランはふふんと胸を張った。
「コイバナならおにーさんに任せなさいですとも。ほら、座ってミルク飲みなさい。カルシウム欠損魔導士」
「その余計な一言さえなければな」
けれど言われた通りにミルクを飲み干す魔導士が何だか可愛くて、ラセイン王子は密かに笑った。
「なんだ、キラキラ王子」
彼の含み笑いに気づいたシーファが不機嫌そうに問う。
「んもー。うちの王子にまで八つ当たりしないで下さいでございますよ、大魔導士殿」
アランの茶化しに彼は空いたカップを投げつけた。
「ちょ!バカやめろ!それ幾らするカップか知ってんのか!
侍従長のジジイに怒られんの俺だから!」
「知っているからやっている」
ふん、と尊大に言う彼を見てラセイン王子は笑いを止められない。
「ふ、あはは……。本当にあなた変わりましたね。リティアさんの力は凄いな」
彼の言葉に、魔導士は怪訝な顔をした。
「そうか?」
「ムカつき加減は前からこんなもんですけど、そうですね。
変わりましたよね、遠慮の無さが倍増して」
そう言ったアランにもう一個カップを投げてやろうとしたが、その彼が思いのほか穏やかな笑みを浮かべているのを見て、動作を止めた。
「良かったな、シーファ。お前がずっと求めていたもんを手に入れられて」
ーーいちばん辛い時を、側で見ていた彼らだからこその、言葉。
シーファは瞳を閉じた。それを穏やかに見つめていたセアラ姫だったが。
「あ……そうですわ。良い方法を思いつきましたわ」
楽しげに微笑んだ。