Intruder
怒りに任せて部屋を出て来たシーファから、事情を聞きだしたセアラ姫は呆れたように息を吐いた。
「あなたってば……肝心なところで困ったちゃんね」
嫌だわ、女たらしのくせに女心わからないなんてダメダメだわ、などとトドメを刺されて。
「……私が悪いのか?」
多少いじけたように聞き返すシーファを横目に、セアラ姫は自らの頬に手を当てる。
「そりゃあリティアにも問題はあるでしょうね。けれどあなた、あの子はまだ恋を知ったばかりの無垢な少女なのよ。自分の気持ちも持て余すくらいなのに、こんな風にいきなり環境まで変わったら、情緒不安定にもなりますわ」
「見知らぬ者たちに囲まれて、頼れるのはシーファだけだというのに、肝心のあなたは彼女を避けるし。あげく姉上ばかり優先していては、彼女が不安になるのも当然ですね」
ラセイン王子にまで言われてしまい、
「もっと大人になりやがれですよ。口調と態度ばっかり尊大なくせに」
アランが同じく呆れ顔で諭す。
「お前だけには言われたくない、何となく」
舌打ちしながらシーファがアランへクッションを投げつけた。
「ほらそういうとこがガキなんだよ、お前は!」
アランも思わず素の口調に戻って、やり返す。投げ返されたクッションを、シーファが避けた。
「うるさい。拒まれて私だって地味に傷ついているんだ」
「知るか、この鈍感魔導士!どーせ責められて逆ギレして押し倒したりして怯えられて中途半端に手ェ出せなくなったんだろう!」
「はあ!?どこかで覗き見でもしてたのか、お前は!」
「あっはっは、図星か!大魔導士もただの男だな、みっともねー」
「アラン、表出ろ、表」
なんだか変な方向にヒートアップしている。
「こら、およしなさい。まったく殿方はいくつになっても子供ね」
セアラ姫が諌めると、しぶしぶ二人はクッションを下ろしたが、まだその背後でお互い蹴り合っている。
「アラン、室内のものは壊すなよ」
ラセイン王子も慣れたもので、割れそうな花瓶を避けるだけで止めはしない。
しかしふとアランが足を止めた。
「あれ?ちょっとストップ……。おいコラ待てっつってんですよ、この陰険魔導士!」
「うるさい、小姑。ハゲろ。むしろ私が呪いをかけてやる」
「ひどい、悪意ありまくり!!」
全くストップする気配なく、争いは続く。ますます子供の喧嘩じみてきた二人に、セアラ姫は溜息を吐く。
「にしても……最近のリティアは、ちょっとおかしくはなかった?不安定過ぎるというか……。ねえシーファ、あなた達は操心の魔族と戦ったと言ったわね。なにかリティアの心に、妖術を残された可能性はあるかしら」
姫君の言葉に、シーファはハッと目を見開いた。
レイウス。
あの魔族が行った、リティアへの術。
虚ろな瞳の少女を思い出して、先ほどの弟子の取り乱し様を重ねる。
「あり得るかも、しれませんね」
レイウスと相対したことのあるラセインも、固い表情で頷いた。
「リティアさんはアルティスの魔力が強過ぎて、アランの感知能力でもあまりよくわからないんです。だから確証はありませんが……」
ラセイン王子の言葉の続きを、シーファが重ねる。
「「あいつなら、やりかねない」」
毒のように少しずつリティアに浸食して、彼女の猜疑心や嫉妬心、恐怖心を増大させていくようなーー
「っ、私は」
何故気づかなかった。
シーファは手のひらで額を覆う。
思い当たる節は、いくらでもあったはずなのに。否、理由は分かっている。自分の事情ばかり優先して、ろくに彼女を見ていなかったからだ。
「リティアのところへ戻る」
立ち上がった瞬間に、音を立てて扉が開け放たれた。王子付きの護衛兵が、慌てた様子で駆け込んでくる。
「大変です、王子ーー」
ラセイン王子がそのまま話せ、と目配せし、
「フレイム・フレイア王国から転移魔法陣を使って、侵入者が!」
兵士の口から告げられた事実に厳しい顔つきで立ち上がった。
「密偵のみならず、堂々と入って来たか。直ちに捕らえよ」
「は。しかし恐れながら、銀の魔導士殿の弟子が、侵入者に部屋から連れ出された模様でーー」
続いた言葉に、そこにいた全員が息を吞んだ。ラセイン王子がアランを振り返る。
「アラン、お前気づかなかったのか」
言われた近衛騎士はどこかのほほんと首を傾げた。
「だから、さっきちょっと待ってっつったじゃないですか。転移陣が使われたのは感じましたよ。あと、たった今ーー西の塔に魔法で移動しましたね」
「お前もっと危機感もって警告しろ!」
どこか呑気な近衛騎士に、魔導士は苛立たしげに舌打ちする。
「リティア……!」
立ち上がったシーファを、ラセイン王子が見た。
「狙いはやはりアルティスの秘石でしょうか」
「ああ、すぐに行くぞ」
緊迫した二人は兵と共に駆け出していく。
「兵士を連れて行きますから、あなたは先にリティアさんのところへ。ーーアラン!」
扉を出る瞬間に、王子はアランを振り返って、
「お前は姉上をお護りしろ」
とその場に残していく。
ラセイン王子の指示に、彼は頷きーー自分を見ている姫君に気づいた。
「なんでしょう、セアラ様」
「アラン、あなたわたくし達に言っていないことがあるでしょう。妙に落ち着いているし、フレイム・フレイアのことはずいぶん前から調べていたようだったわね」
なんでもお見通しの鋭い王女に、王子の側近でもある近衛騎士は両手を挙げた。
「これはまだ確証がなくて、ラセイン様にも申し上げてはおりません。けれどもし、俺の掴んだ情報の通りであればーーリティアさんはフレイム・フレイア王国の人間に傷つけられる怖れはないでしょう」
アランの言葉に、セアラ姫は怪訝な顔をした。
「どういうことなの、それはーー?」
*
数分前に遡りーー
「……っ、ひっく……」
床に座り込んだまま泣いていたリティアだったが。
手に掴んでいたアルティスの秘石が、その胸に吸い込まれて消えた。秘石が触れたところを押さえて、彼女は拳を握りしめる。
シーファの心がリティアのものであるという、何よりの証拠だった。
ーーなのに、私はそれを疑って、なじって……。
「ごめんなさい……」
謝らなければならない相手は、彼女を置いて行ってしまった。今度こそ、愛想を尽かされたかもしれない。
「……どうして泣いている?」
そっと、彼女を気遣うような声が背後から聴こえて。ハッとしたリティアは慌てて目を拭って振り返った。
「だ、誰……?」
そこに居たのは頭からすっぽりと厚い布のローブを纏った人物。顔も見えないし、見るからに城の人間ではない。まるでーー
「ど、泥棒?」
慌てて後ずさるリティアに、その人は近づいて来る。リティアは更に慌てて、立ち上がる。しかし逃げようにも扉は相手の向こう側だ。
「ちょ、ちょっとまって!ここ人様のお家だし、私よく分からないんですけど、盗みはダメですよ!そりゃシーファだって高価なカップ一個持ってっちゃえとか言ってたけど私ちゃんと止めたし!」
混乱して、説得してるのかけしかけているのかわからない。相手はふ、と笑って、自分のフードに手を掛けた。
「盗みに来たんじゃない。私の物を、取り返しに来たんだ」
「泥棒はみぃんな、そう言うんですっ!」
より近寄られると相手が長身であるということと、フードを払いのけたその顔は浅黒く焼けたーー精悍な顔つきのとても端正な青年であることに気づく。そして、その髪は炎のように赤い。
「……!」
リティアはその髪に目を奪われた。
こんな鮮やかな色を、昔見たことがある。どこでーー?
思い出そうとする彼女へ、彼はどんどん近づいて。身を屈めて口を開く。
「やっと見つけた、私の大事な」
炎の髪の青年は、リティアの耳元に囁いた。
「リティエルシア」
その名は。
失ったはずのーー奪われたはずのーー過去。いまはもう、誰も知らないはずの。
リティアは大きく目を見開いたまま、その頬に触れそうなほど近くに居る青年を見上げる。震え出す身体を止められない。
「あなた、だれ」
もう、呼んではならないはずの名だ。
どうして彼が、こんなにも愛おしげに呼ぶ?
こんなにも近くで、リティアを見つめて。
「私は」
青年が答えようとした、瞬間、空中でぱちりと音が鳴った。城に住まう精霊が、侵入者の気配を感じ取ったに違いない。すぐに警備が来る。リティアは安堵して息を吐いた。
しかし青年は彼女の腕を掴むと。
「移動するぞ」
その手にはめた指輪を床にかざし、
「ーー熱砂の炎、砂漠の王が命じる。開け門よ、望む場所へと」
移動の魔法陣を敷いた。
「砂漠の、王……?」
リティアは彼の発動呪文を聞きとがめ、その名乗りに気づいて、震える指で口元を覆った。
「あなたはーー」
言葉は魔法に掻き消された。