Don’t kiss me
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翌日の修行には、シーファとラセイン王子もその場に呼ばれていた。
今までリティアは自分の内に眠るアルティスの力を引き出す練習をしていたのだが、今日はアルティスの秘石を出さないようにする練習だという。ラセイン王子はもしも魔力が暴走したときに抑えられるよう、応援を頼まれたのだろう。
セアラ姫はリティアとシーファを振り返って言った。
「では、魔力制御の修行よ。ええと、秘石は“口づけの封印”をかけているのよね。一度出してくださるかしら」
「はいはい」
シーファはリティアにキスしようと、身を屈めた。
城に来てからいままで、彼がリティアに触れることはなかったのに。
こんなに、軽々と。
リティアは胸が痛む。近づく彼の美しい顔が見られない。その一瞬にして蘇った、あの想像。ーーセアラ姫を抱き締めるシーファの姿。
どくん、と心臓が嫌な音を立てた。
リティアは思わず、シーファから顔を背けて、俯く。
「……っ、あの、今はいいです」
「は?」
いやだ、したくない。
もし、もしキスをして、秘石が現れなかったらーー?
無意識に、シーファが心変わりしていたら。リティアへの愛が薄れていたら。
これ以上の証はない。
怖い。
セアラ姫の前で、それを証してしまうのが、怖い。
「今は……キスしないで」
微かに漏れた言葉に、シーファが目を見開いた。
「何言ってる、馬鹿弟子。キスさせろ」
「シーファ、ちょっとそれ変態発言です」
王子様の冷静なツッコミが入り、魔導士はハア!?と目を剥いた。
「つべこべ言わずにキスさせろ」
「だからそれもセクハラ発言……」
シーファが構わずにリティアに唇を寄せようとしてーー
「だめ!」
彼女の手のひらが、その顔の真ん中を掴んだ。
「ぶっ!」
あっ、やっちゃった!!
「す、すみません、私ちょっと気分が悪くて!ごめんなさい!!」
リティアはいたたまれずにどうにか言い訳をすると、慌ててその場を逃げ出した。残された王族と魔導士は。
「……振られましたね、シーファ」
「なんでこの私が振られなきゃならんのだ。ただでさえ禁欲を強いられてるっていうのにこの寸止めってどんな拷問だクソ」
苛々と髪をかきあげる友人に、王子はえ?と聞き返す。
「禁欲を強いられてる?」
そんな二人を見やりながら、姉姫はしばらく考え込んでーー
「とりあえず、追いかけたほうが宜しいのではなくて?あなたしくじったのよ、シーファ」
わたくしもね、と溜息をついた。
*
「おい馬鹿弟子、どうしたんだ」
リティアの様子が気になって、彼女の部屋を尋ねたシーファだったが。少女は奥の寝室で、膝の上で両手を握りしめてベッドの端に座っていた。その泣き出しそうな、怒っているような弟子の顔を見て、師は言葉を失う。
「リティア?」
呼ばれた名に、彼女は弾かれたように顔を上げてシーファを見つめた。
「あなたは……セアラ姫をどう思ってますか」
その言葉に、彼は怪訝な顔をする。
「どうって」
「特別なんですよね?私よりも」
リティアが吐き捨てるように言った台詞に、彼は眉を上げた。
「は?なに馬鹿なことを言ってるんだ」
けれどその言葉と、弟子の表情に、ここ最近の彼女の態度の理由を知る。
「お前……嫉妬してるのか、セアラに」
「いけませんか」
シーファに噛み付くように答えるリティアは、常の彼女らしくない。
リティア自身にも止められないほど、心が、言葉が荒れている。だが、彼はそこまで深刻に考えなかった。
「比べるものじゃないだろう。お前とセアラは違う」
ーーあるいは。
シーファがもし、リティアの状態を正しく把握していたら、こんな言い方はしなかったかもしれない。けれど彼は、彼なりの理由でリティアを抱き締めることはせず、目を合わせることもしなかった。
ーーだから、リティアの望む答えを与えられなかった。
「私と居ることを、後悔してるんじゃないんですか!?」
思わず叫んでしまったリティアに向けられた、冷ややかな声ーー
「いい加減にしろ」
リティアの心の中で、なにかの糸がひとつ、ぷつりと切れた。
「どうして」
シーファの煩わしそうな視線に、傷つく自分がいる。
彼はリティアの葛藤など知らない。不安などわからない。彼女が何も言わずに溜め込んできたものなど、推し量れるはずもない。だから彼にとっては、リティアのただのワガママにしか見えないのだ。
「だって!城に来てからずっとシーファは私に触れない!修行以外でキスもしなかったじゃないですか!」
思わず溢れてしまった本音と。ーー責めるように、棘を含ませた言葉。
言っては駄目だと、心のどこかでわかっているのにーー。
「セアラ姫がいるからじゃないんですか!?本当は、私よりも、あの方のことを」
ーーその瞬間、強い力でリティアは肩を掴まれ、寝台へ押し倒された。
「ーーっ!?」
リティアが背中に弾む寝台の感触を自覚するより先に、とっさに前に伸ばした手首をシーファに掴まれ、そのまま顔の横でシーツに押し付けられた。
リティアが何かを言うよりも早く、彼の手が珍しく荒々しい様子でリティアの顎を捕らえ、銀色の雨が降り注いで。
彼の唇が、その唇を塞ぐーー。
“パアッーー”
煌めく光とともに、リティアの胸からアルティスの秘石が現れた。けれどそれを見る間もない。
シーファはなおも深く彼女に口づけ、口腔に入り込まれた熱い感触に、リティアは思わずぎゅっと目をつぶる。息も出来ずに、生理的に浮かんだ涙がこぼれ落ちて。それを追った彼の唇が、リティアの首筋に押し当てられた。
「ーーっ!」
ビクリ、と大きく震えたリティアの身体に。
シーファが止まる。
彼女の肩口に埋もれさせていた顔を上げれば、ーー冷たく光る、青い瞳。
「だれが、だれを、好きだって?」
一語ずつ区切りながら発せられたシーファの言葉は、低く鋭く響き。その顔は怒りに彩られている。
「私は、お前を選んだ。その私を、信じられないのなら、もういい」
す、と話された腕。
茫然とするリティアの横を置いて、シーファは部屋の扉に向かって行く。
ーーなにか、言わなきゃ。
待って、って。ごめんなさい、って。
頭では分かっているけれど、今の出来事に動けなくなってしまった自分がいて。
「……って……」
シーファ。
お願い、待って。わたしは。
ガチャリ、と扉が開く音がして、彼は振り返らずにその向こうへと出て行く。
「ーーっ、シーファ……っ!」
我に返ったリティアが寝台から飛び起きて発した言葉は、閉まりかけた扉の向こうには届かなかったのか。そのまま音を立てて閉ざされた。
なんてことを、言ってしまったのか。
取り返しのつかない言葉を後悔して、リティアは膝から崩れ、その場に手をつき。
アルティスの秘石を抱き締める。
「……っ」
もう、溢れる涙を止めることはできなかった。
「私は……」
あなたのことが、好きなのに。