Monster in the forest
アルミラは何も色恋のためだけにシーファに会いに来た訳ではなく、魔法使いとしての彼に仕事の依頼を持って来ていた。最近酒を仕入れに行く途中の街道に、魔物が発生し、人間を襲うのだという。
「じゃあ今回は、魔物退治の依頼なんですね?」
その問題となっている街道で、リティアは師について歩きながらシーファに確認する。
「まあ話して分かる相手でもないからな。いつも通り、発見次第ぶっ倒しコースになるだろうな。奴らの領域からは離れているし、何故こんなところで散歩してるのかは知らないが」
彼は頷いて、それからちらりとリティアを見下ろした。
「いいか、魔法の勉強のためにお前を連れて行くが、はっきり言って足手まといだ。魔物の気配を感じたらすぐに隠れていろ」
「……はい」
悔しいが仕方ない。リティアは何も出来ない弟子なのだから。
「よく見ていろ」
俯いた彼女に気づいて、シーファが少し眉根を和らげた。呆れるでも無く、しっかりとした声音で言われて、リティアはハッと顔を上げる。
「はい!」
返事を返した時、シーファが突然振り返った。
「ーー来たか」
同時にローブから長い杖を引き出し、視線の方へ向ける。白い木で出来た杖の先にはいつもは大きなブルーの宝玉がはまっているが、今のそれは危険を表す赤い光を放っていた。
「魔物、ですか?」
リティアには何も見えない。今まで進んで来た、ただの道ーー。
『ーーガアッッ!!』
獣の唸るような声と共に、いきなり茂みから黒い大きなものが飛びかかって来た!
「火よ、疾く飛べ」
シーファは口早に短い呪文を唱え、その塊に向けて火矢の魔法を放つ。
『ギャンッ!!』
見事にそれは命中し、黒いものは地面に転がった。しかしすぐに起き上がる。
「黒い、狼……?いえ、獣型の魔物?」
リティアはそれを見て呟く。狼に似てはいるが、ギラギラと輝く赤い目は紛れも無く魔物だ。
『グルルル……』
低く唸り声を上げた魔物は、不意に弱い獲物を見つけたとばかりにリティアの方に体躯を向ける。間近で見た魔物に、彼女は思わず動くのを忘れ、その魔物が、リティアをギロリを見たーー気がした。
「退け、リティア!」
シーファの警告が耳に届く前に、リティアの眼前で魔物が吠える。
「わ、あっ……」
その濡れた牙が、自分へと迫るのにただ茫然と立ち尽くしーー、
ーーやられる……!
「危ない!」
聞き覚えの無い男の声がしたかと思うと、リティアは思い切り腕を引かれ、誰かの身体へと飛び込んだ。魔物の牙は彼女を捕らえること無く、その塊にまたシーファの魔力がぶつけられる。
「ーーお仕置きタイムだ、馬鹿者め!」
シーファが目を細めて、鋭く言い放つ。
「我が力よ稲妻となりて撃て、爆ぜよ」
杖から走った光は魔物を直撃し、そのまま魔物の体内で埋め込まれた魔力が爆発した。
ーーパアンッ!
光が収まると、塊は半分ほどの大きさになっており、吹っ飛ばされたそれは、もう微動だにしない。
「……っ、はあ」
あっという間の出来事に息も出来ないままだったリティアは、安堵に大きく息を吐いた。魔物退治は初めてではなかったが、いつもは安全な場所から見守っているだけだったのだ。今更、背中を冷たい汗が滑っていった。
と、自分が誰かの腕の中に抱き締められていることに気づく。
「あ、あの」
「うわ、すごーい!今の上級魔法だよね!略式呪文であんなに早く発動させるなんて、凄い魔法使いなんだね!」
今までの緊迫感などどこへやら、呑気な感嘆の声に見上げると、そこには見知らぬ青年がいた。リティアの視線に気づくと、にっこり笑う。
「あの、あなた……」
「可愛いお嬢さん、怪我は無い?」
痛みも怪我もない事を伝えようと頷くが、彼はそのままでただニコニコしている。魔物の様子を確認してから、シーファが二人の元に近づいて来て、腕組みした。
「助けて頂いて感謝いたみいるが、そろそろうちの馬鹿弟子を放してはもらえないか。恩人からセクハラ野郎に格下げされたくなくば、だが」
「シ、シーファ!」
リティアは真っ赤になって慌てて彼を嗜める。いつまでも放してもらえずに恥ずかしくて困ったのは事実だが、恩人にそんな口をきくなんて。
「ああ、ごめんごめん。つい」
青年はリティアから離れて、軽く礼をしてみせた。慌てて彼女も頭を下げる。
「助けてくれて、ありがとう」
彼はリティアの言葉に嬉しそうに微笑んだ。
赤い髪に黒い瞳。軽装だが腰に剣を差しているところを見れば、旅の剣士だろうか。シーファの冴え渡るような美貌ほどではないが、なかなか整った容姿で、人好きのする爽やかさがある。
「僕はレイウス。お嫁さん探しの旅をしてる、ただのイケメンだよ。よろしくね」
「……なんだか色々とツッコミどころのある自己紹介だったな、今の」
「ええ、残念な人ですね」
シーファとリティアはヒソヒソと呟きあうが、レイウスは全く気に留めていないようだ。少しは気にした方が良いと思うのは余計なお世話だろうか。
「僕は旅の路銀稼ぎに魔物退治をしていてね、さっきの魔物を操っている奴を追ってここまで来たんだ」
彼の言葉に、シーファが眉を上げる。
「魔物を操っている奴?」
「そう、今のはただの駒でーーここら辺一体を荒らしているのは別の魔物。あなたの強い魔法の気配に隠れちゃったみたいだな」
レイウスはシーファを見て、肩をすくめた。
魔物が魔物を操るなんて。しかもシーファーー大魔導士を見て隠れるなんて、知能も高い。
リティアが師を振り返ると、彼は頷いた。その魔物を退治しなければ、また繰り返し同じことが起こるかもしれない。
「そいつを探すぞ」
「あ、なら僕にも手伝わせて。
何しろこの仕事を終えないと、もう路銀が尽きそうなんだ」
レイウスが片手を挙げてそう言い、シーファは少し顔をしかめたが、結局は頷いた。
あれ?お師匠様、不機嫌?
その様子にリティアは不思議に思うが、それも一瞬のことだったので気のせいか、と思い直す。
時間を与えては魔物に逃げられてしまうかもしれないと、手分けして探すことになったのだが、なぜかリティアはレイウスと一緒に行動しようと彼自身に提案された。
「だって僕はこの辺に詳しくないから、どちらかに一緒に居てもらわないと。シーファさんは大魔導士でしょ、一人で大丈夫だよね」
レイウスの言葉にリティアはそれもそうかと頷き、シーファはレイウスに低く呟いた。
「妙な気を起こすなよ」
「何それ。僕は素敵なジェントルマンだよ?そんなこと言うなんて、シーファさんはリティアちゃんの恋人?」
「ふえ!?」
あ、変な声出た。
レイウスの口から飛び出した単語にあまりに驚いて、リティアは奇声を上げてしまう。
(こ、恋人?私が、シーファの?)
他人からは、そんな風に見えるのだろうか。誰かの目に映る自分達など、今まで考えた事もなかった。いきなりドキドキと鳴り始める心臓に、一人赤面するリティアだったが、けれどシーファは至って冷静にレイウスに返した。
「私は保護者だ。馬鹿弟子でも預かりものだからな」
……。
彼のその言葉に、リティアはすうっと身体が冷えていくのを感じる。
熱かった頬は急に熱を奪われて、冷水を浴びせかけられたような気分で、背中を向けて歩き出した彼をただ見送った。リティアは反対方向へと足を向ける。
そうよ、シーファが私をそんな風に想うなんてありえない。一瞬でも浮かれて馬鹿みたいだ。ちょっとでも期待して、
……期待?
私、期待したの?
私、シーファのこと……?いやいや、まさか。シーファは綺麗だけど、強いけど。彼が他の女の人といると、イライラするけど。
これは家族が他人に取られてしまうような、子供じみた独占欲なのだと自覚している。
不自然なほどリティアは自分の中のもやもやを否定した。まるでそう刷り込まれているかの様に。
だってーーダメなんだから。