Broken heart
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それから数日、リティアはシーファと共に城に滞在し、セアラ姫の修行を受けていた。
高等魔導師である彼女は力のある魔法使いであると共に、とても良い先生だった。シーファよりも根気よく、女性ならではの細やかさで分かりやすく教えてくれる。確かに“ちまちました作業”はシーファよりも上手い。
その日もリティアは防護魔法をかけられた部屋で、アルティスの力を引き出そうと指導を受けていた。
「この部屋に光を灯していくイメージでね。少しずつで良いわ」
美しき王女はその優美な指先から次々と光を生まれさせる。
「さあ、やってみて」
リティアは小さな光を生もうとしてーー全く出ない。
「あ、あれ?」
無理矢理に出そうとすれば、今度は目も眩むような大きな光を出してしまう。
「うわわ、きゃあっ」
「焦らなくていいわ。光が生まれたことに間違いは無いのだから」
リティアの放った光を綺麗に消して、セアラは頷いた。ふと、その顔がおかしそうに笑む。
「あ、あの?」
「ああ、ごめんなさい。あのね、シーファも最初こんな感じだったのよ」
姫はその頃を思い出したのか、懐かしそうに笑って言う。
「うまく制御できずにね、協会の壁をふっ飛ばしましたの。いつも奥に引っ込んでるお偉方が慌てて飛び出して来て、そりゃもう壮観でしたわ」
クスクスと笑い続けるセアラ姫に、リティアは複雑な笑みを返す。
「今でも同じようなこと、してます」
「あらまあ。相変わらずなのね、困った人」
美しく、力の強い魔導師の王女様。
どちらかというと好きな相手だ。優しいし、話も楽しいし、自分の公務もたくさんあるのにリティアの為に夜遅くまで修行に付き合ってくれる。
けれど今は、傍に居るのが少し辛い。
リティアの知らないシーファのことを知っている人。
シーファが特別に想っている人。
劣等感ばかりが刺激されて、これではいけないと思うのに。
「早く制御できるようにならないとね。シーファの我慢も限界でしょうから」
セアラ姫がふと零した言葉に、リティアは拳を握りしめた。
「そうですよね、こんな……いつまでもダメな弟子じゃシーファが迷惑するだけ」
「え?あら、違うのよ、誤解させてしまったわね。今のはそういう意味ではなくて」
セアラ姫が眉を上げて言いかけた、そのときーー。
「セアラ、少し時間をもらえないか」
扉を開けて入って来たのは、シーファだった。セアラ姫は頷いてーーリティアに笑いかける。
「今日はもう遅いから、ここまでにしましょう。おやすみなさい、リティア」
「……はい」
出て行く二人を見送って。リティアはそこにぽつんと一人、残された。
「シーファの、ばか」
また私を、見なかった。
リティアは力任せに扉を開けて、
ーーゴンッ!「あ痛っ!」
跳ね返ってきた扉に額を打つ。地味に痛い。もう。全部お師匠様のせいだ。
修行中だから、フワフワしたドレスは着ていない。けれどセアラ姫にいつもよりは数段可愛らしい衣裳を着せられ、髪も侍女に綺麗にしてもらった。
なのに。見ないってどゆこと。
「ばか、暴君、傲慢、破壊魔、面倒臭がり、浪費家、女ったらし」
ブツブツと悪態をつきながらリティアは修行の間を出て、自室へ戻ろうと回廊を歩く。
「口悪い、犬嫌い、石頭、ま……ま?えーと、真面目の反対!」
いつの間にかしりとりになっている。
もうすっかり夜も更けていたが、城の通路には光を生み出す精霊の魔法がかかっていて、足下を柔らかな光が照らしていた。たまに持ち場を離れて寄ってくる精霊がいて、その姿にリティアは思わず笑みを漏らす。
魔法大国セインティア王国でも、こんな風に人の生活している場所に精霊が溢れているのは王宮だけだ。その幻想的なものたちが、最近の妙に沈んだ思考を、癒してくれる気がした。
「ねえ、あなたたちならわかる?私、最近変なんだ」
答えが返ってくることを期待した訳ではないから、そのまま歩き続けて。
「どうして、こんなことばかり考えちゃうんだろう……」
庭園を抜ける途中、いきなり突風が吹きつけた。彼女の髪に結んでいたリボンが解けて飛んでしまう。
「あっ!」
慌ててリティアはそれを追った。あれはセアラ姫に戴いたもので、その上質な生地に映える美しい濃紺が気に入っているのだ。シーファの瞳みたいだ、と思った自分がちょっとくすぐったかったのも覚えてる。恋する乙女って恥ずかしい。
でも、リティアには全てが初めてのことで、それも仕方ない気がしたから。
「さ、探さなきゃ!」
リボンは風に舞い上がって、庭園の先に消えたようだ。
庭園に出て、薔薇の間の小道を抜けて行くと、バルコニーのすぐ下にリボンが落ちているのが見えた。
「あ、良かったあ」
それを拾い上げてーー何となく上を見上げると、無数の星が夜空に煌めいていた。
そして。
「……シーファ?」
バルコニーを見上げて、リティアは固まった。
そこに居たのは、シーファとーーセアラ姫だった。
月と室内からの光に照らされた二人の髪が輝き、幻想的に夜の闇に映える。荘厳な城を背景に、夜のバルコニーに立つ金の薔薇と、銀の魔導士ーーまるで一枚の絵画のように美しく、お似合いの、二人だった。
「まったく、あなたとこうして二人で話すのは何年振りかしら」
セアラ姫の鈴のような声がする。いけないとは思いつつ、リティアはそこから動けない。
「あなたもラセインも、いつもわたくしを除け者にして。そんなにわたくしに頼るのは怖い?」
「ーーあなたは、特別だから」
穏やかに告げられたシーファの言葉に、リティアは息を吞んだ。
こんなにも優しい彼は知らない。
「あなたとラセインは、私を救ってくれた。あの時から、変わらない。特別だからこそ、あなたには危険に近づいて欲しくない」
その言葉に含まれた、かすかな甘い響きーー。
リティアはアランの複雑な笑みを思い出す。
『セアライリア王女に恋い焦がれ、憧れ、崇拝するんだ。ーーシーファも多分、そうだった』
『初恋の人、とか?』
『そうかもしれないな』
彼女の脳裏に先日の会話が蘇りーー心に黒い染みが落ちた。知らぬうちに握りしめた拳に爪が食い込む。
バルコニーに立つ二人は、少しの間、黙って見つめ合って。
「馬鹿ね、あなたそんなことだから女たらしと言われるのよ。わたくしがそこらの娘だったら、あっけなく恋をしてしまうところだわ」
クスリと姫が微笑む。
「女性には優しく、と徹底的に教育したのはあなただろう」
シーファは軽口で反論した。
「あら、わたくしの育て方が間違っていたのではないわ。あなたの育ち方が間違っていたのよ」
セアラ姫は楽しそうに、そう口にしてまた笑って。
「でもあなたはそこらの娘とは違うだろう」
シーファも微笑んで言葉を返した。
「だから言えるんだ、セアラ」
シーファ、本当は、あなたの心の中には誰がいるの。
もうそれ以上は聞いていられなかった。
「っ、」
震える足で後ずさり、その場を離れ、リティアは走って自室へ戻った。灯りもつけずに倒れ込むように寝台へ伏せて。
「……っ」
溢れ出す涙を止められない。
わからない。どうして、こんなにも不安になるのか。
逃げるようにあの場を離れて来たが、今頃二人はどうしているのか。
リティアを抱き締めるシーファの姿を思い出しても、それがセアラ姫を抱き締める彼の姿に変わる。まさか、と首を振ってそれを打ち消した。
『人の心を変えたり、記憶をいじったり、魔法の真髄じゃないか』
『必ず愛してくれる』
不意にレイウスの言葉が頭に浮かんで。
「こころを操れば、私のものだけでいてくれるの?」
涙と共にこぼれ落ちた言葉に、次の瞬間リティアは青ざめた。
「私、今何を……!?」
いつの間にか指先に集まっていた光を慌てて打ち消した。
レイウスが彼女にした仕打ちを、あんなにも許せないと思ったのに。どうして、こんな言葉が出るんだ。
それにもし、シーファにそんなことをしたら、師は彼女を許さないだろう。軽蔑され、捨てられてしまうかもしれない。
「何、考えてるの私は……」
やっとリティアは、自分自身の身に起きている異変に気づいた。
おかしい。いくらあの美しい王女に劣等感を持っていても、こんな風に思い詰めるなんて、いくらなんでも変だ。強過ぎるアルティスの魔力は、やはりリティアの何かを壊しているのだろうか。
「私、どうなっちゃうの……っ?」
怖い。お師匠様、私怖いんです。シーファ、助けて。
暗い部屋で一人、自分をぎゅっと抱き締めて、リティアは泣き続けた。
愛おしい人へ届かない、その声で。