Golden rose
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セアライリア王女ーーセアラ姫の衣裳部屋。リティアは姫の侍女によってアレもコレもとお着替えをさせられていた。大きな衝立の向こう側でセアラ姫と、若い男性の家臣ーーアラン・フォルニールと名乗ったーーが、談笑している。
「全く、セアラ様のお着替え癖にも困ったものですね。とはいえ今回はあのクソ生意気な銀髪野郎の鼻をあかせましたから、まあ良しとしましょう」
「あら、アラン。あなた本当にシーファと仲が悪いわね。子供の時から変わらないわあ」
ころころと笑う姫君へ、支度を終えたリティアが侍女に押し出される。
「ほらっ見て下さいませ、姫様!お可愛いらしいですわあ」
「あらあら本当ね!」
侍女も慣れたものなのか、もう完全に楽しんでいる。
「姫様はお美しいけれど、こういう、可愛い系はなかなかお似合いにはならないんですもの。このドレスもやっと陽の目を見ましたわあ」
「あら失礼ね。でも確かにこれはリティアにぴったりだわ。可愛いわ!」
美貌の姫君に可愛いを連発されて、リティアは居心地悪そうに自分を見下ろす。女性陣がキャッキャと盛り上がる横で、アランもにっこりと微笑む。
「本当によくお似合いですよ。どうしてこんな純情そうなお嬢さんが、あんな悪魔のような男にひっかかっちゃったんだかもったいない」
「えっ!?」
人の良さそうな爽やか好青年から飛び出した言葉に、リティアは度肝を抜かれる。
アランはラセイン王子の近衛騎士で、この城に到着した初対面からなにかと親切にしてくれる人だ。なのにこんないい人に、シーファってば何をしたんだろう。やたら目の敵にされているお師匠様の今までの悪行を考えると、無罪とは言い切れなさそうだ。
セアラ姫は気にした様子も無く、首を傾げた。
「で、アラン?女性のお着替えタイムに邪魔しているのだから、それなりに秘密のお話なのでしょう?」
「ああ、そうでした。リティアさんにお聞きしたいことが」
アランはふと言葉を切って、それから姫君を振り返った。その視線にセアラ姫はあら、と口を尖らせる。
「わたくしには内緒の話ってことね。全く、うちの男共ときたらなんでもかんでも秘密にして」
しかしそれ以上探ることもせず、心得たとばかりに侍女を伴って立ち上がる。そのあたりはやはり、大人の女性だなあとリティアは思うーーお着替え癖と可愛いものマニアであっても、だ。
「良いわ、ついでにシーファを呼びに行ってきます。可愛いリティアを見せてあげなくてはね」
そしてリティアにウインクすると、部屋から出て行った。
残された少女にアランは向き直って、けれど緊張した面持ちのリティアを見て困ったように笑う。
「そんなに警戒しないで。ええと、君はシーファと3年前から一緒に暮らしているんだよね」
くだけた口調で優しく確認されて、リティアはほっと息を吐きながら頷いた。
何だ、世間話か。
そもそも王女の部屋で少女と二人きりになっても咎められない人なのだ。王子にも王女にも相当に信頼されているのだろう。
「そうです。子供の頃ご近所さんだったみたいなんですけど」
まあ、あまり覚えてはいないのだが。リティアの言葉に、アランは微笑みを浮かべたまま問うた。
「てことは、生まれた時から、セインティアに住んでいるの?」
リティアの指先が揺れた。
アランは優しいけれど、けれど瞳はリティアを射抜くように見ていて、彼が本当に聞きたかったのは、これなんだと気づいた。
「……私、は」
リティアはどう言っていいかわからず、アランを見つめ返した。
「シーファの傍に、居たいだけです」
彼への質問の答えではなかったけれど、アランはそうか、と言った。
「それが聞ければ、いいや」
それまでの空気を一新するように、アランは微笑んだ。今度は、ちゃんと心からの笑顔で。
それから「シーファにはもったいないなあ、ほんとに」と言った。それで、ついついリティアはアランにシーファの話が聞きたくなった。
「アランさんも魔導士協会にいたんですか?シーファとは昔から付き合いが?」
アランは途端に嫌そうな顔をした。
「付き合いっていうか、こっちは関わりたくもなかったんだけどねえ」
やっぱりなんかしたんだ、お師匠様。
リティアの困った顔に、青年はああ、と呟いて、そして遥か遠くの記憶を想って、苦笑いした。
「いや、よくある……恥ずかしい話なんだけどねーー」
彼は遠い目をして言う。
「俺はね、魔法は使えないんだ」
アランはそう言って、笑った。
「けど魔法の気配には敏感で、いつどこで魔法が使われたとか、魔法のかかったものなんかはすぐにわかる。呪いの掛かったものや、危険な魔法をいち早く見つけることができるってわけ」
便利でしょ?と笑うけれど、言い換えればそれは、その身を危険な魔法に晒して、王家の盾となるということだ。
アランの笑顔に、リティアは彼の強さを知る。
「ウチの人間は代々王家にお仕えしていて、ラセイン様やセアラ様とは幼馴染みたいに育ってさ。俺もこの特技をいつか王家のために役立てようと、ずっと騎士団に入るために勉強したり、訓練してた」
幼い頃から毎日毎日、血のにじむような努力をしてきて。それでも美しい王子と王女の後ろに立つことを夢見て、頑張り続けた。
「13歳の時にやっと騎士団に見習いとして入れることになったんだ。そんな頃かな、魔導士協会に修行に通っていたお二人が、シーファを見つけて来た」
その頃シーファは11歳ーー魔導士協会に入って2年目。実力はかなりのもので、目立つ存在になっていた。
「色々と絡まれてたのを、セアラ姫が庇ったことがきっかけみたいなんだけど。いやーあいつ年下のくせに最初すっげえ生意気で。あ、今でもだけどね。『俺に構うな、フン』みたいな感じだったのを、セアラ姫とラセイン王子が構い倒して、ついに陥落させたみたいなんだよね。
特にセアラ姫は同じ歳で、同じ魔導士だったこともあって、シーファとはすごくウマが合ったみたいでさ。それからはずっと一緒で」
リティアはなんとなく目に浮かぶ。
魔法を忌み嫌って、けれどその強大な力に群がる者達が居て。きっとシーファには信用できる人が周りにいなかったに違いない。心を閉ざして、たった一人で氷の壁を作って。
けれどそれを、ラセイン王子とーーセアラ姫が溶かしたんだろう。
アランは苦笑しながら頭を掻いて続けた。
「それ見て、俺嫉妬しちゃったんだよねーものすごく。こんなに努力してる俺をやすやすと超えて、セアラ姫のーー二人のお気に入りになったシーファを。あいつはそれを当然のように手に入れたみたいに見えてさ」
いつも前を歩く3人を、アランは後ろから眺めているばかりで。
なんで、お前がそこに居るんだ。俺じゃなくて、急に現れたお前が。
「きっと、簡単じゃなかったと、思います。彼は彼なりに……」
リティアは小さく呟いた。
二人に接するシーファを見れば、その絆が深いものだというのはよくわかる。そうなるまでに、きっとたくさん苦しんだのだろう。信じても良いのか、裏切られはしないか。そもそも、彼はリティアのせいでそんな環境におかれてしまったのだから。
俯く彼女に、アランはそうだね、と呟いた。
「わかってたんだけど、まあこっちも意地があるし?で、なにかと衝突してるうちにーーあいつもえげつない反撃とかしてくるからさ、ついこうなっちゃった」
殴り合いも一度や二度じゃないよ、と言う彼に、あ、シーファを強くした人ってこの人かも、などと思う。
「アイツの通る道に落とし穴掘ったらさー、落ちるどころか逆にこっちが落とされて、上から爆発花火投げ込まれて未だにお尻に火傷の痕が」
「い、良いですソレ聞かなくて!」
何やってたんだ、この人たちは。
リティアの否定に彼はそう?と言って。
「まあそれから、もうかれこれーー11年の付き合いになるんだけど」
リティアはなんとなく計算してしまって気づく。ーーてことは、現在大魔導士は22歳。あ、シーファってば本当に若かった。若返りの秘法使ってるとか疑ってごめんなさい。
リティアの心中など気づかず。アランは不意に、生真面目な顔になった。
「ーーセアラ様は、聖国の“金の薔薇”って言われてるんだよ」
アランが口にした言葉に、リティアは彼女を思い浮かべる。
大輪の咲き誇る花のようにーー完璧に美しく気高い王女。セアライリア王女にぴったりの呼び名だ。
「セインティアの男は皆、セアライリア王女に恋い焦がれ、憧れ、崇拝するんだ。俺もそうだし、シーファも……多分、そうだった」
どくん、とリティアの心臓が鳴った。
セアラ、と呼ぶ彼の優しい声を思い出して、一気に鼓動が早くなる。
「なのに3年前、なにも言わずに消えて。セアラ様やラセイン様はずっと前から理由を知っていたみたいだったけど。シーファはたまにお二人と通信や魔法のやり取りはしてもーー帰ってくることはなかった。
だけど、あんなにお二人に想われてるのに、どうして王宮魔導師にならない?あんなに力があるのに、どうして傍で二人を護らない?だから俺は許せなくて……」
近衛騎士は切なげに笑って、リティアを見た。
「今回やっと、その理由が分かったよ。君を護るためだったんだな」
けれどリティアは、その顔に怖れを浮かべていた。
「あ……れ?ごめん、俺余計なこと言った……?」
アランの顔に戸惑いの色が浮かぶ。少女はゆるゆると首を横に振った。が、その顔はこわばったまま自分の両手を見つめていた。
リティアの心に浮かんだーー疑念。
シーファが私を探してくれたのは、引き取ってくれたのは。幼い頃の私を知っていたから、あの暴走を見ていたからではないのか。
妹のように思っていたリティアを守れなかったことを悔やんで。
責任感ーー義務感、もしかしたら、罪悪感。そんなようなもので。
あの出来事は、なにひとつシーファのせいではなかった。むしろ巻き込まれた彼は、リティアを憎んでも良かったのに。彼は優しいから、魔導士になってくれて。
けれど、三年前にリティアの両親が亡くならなければ、アルティスの封印が解けなければ、もっと違う未来があった。セインティア王国で魔導師として輝かしい地位につくこともできたはずだ。
もしかして、私の存在は、シーファに好きな人を諦めさせたのでは?
本当は、ずっとセアラ姫の傍に居たかったんじゃないだろうか。
そして、今こうして再会して、本当は私と居ることを、後悔しているんじゃないのかーー。
もしそうなら、私は、二度も彼の人生を狂わせたことになるーー。
リティアはどんどん深みにはまってゆく自分の思考を、止められずにいた。
*
「リティア、シーファを連れて来ましたわ」
セアラ姫の声にハッと我に返れば、姫とシーファが扉から入ってくるところだった。
「師匠を呼びつけるとはいい度胸だな、バカ弟子……」
シーファは窓辺に立つリティアの姿を捉えーー目を見開いた。
いつも丘の上を走り回っていた弟子が、今は淡いピンクに彩られたドレスを身につけていた。細く華奢な腰から幾重にも重なった淡いシフォンが揺れ、まるで咲き始めた薔薇のように広がっていて。ストロベリーブラウンの髪は、ドレスと同じ色の薔薇が綺麗に編み込まれていて、その姿は可憐な妖精のよう。
「……グッジョブ、セアラ」
「そうでしょうそうでしょう。わたくしを敬いなさいな、オーッホッホッホ」
思わずぐっと親指をたてた魔導士に、姫君は得意げに高笑いした。
「シーファ、あの……」
恥ずかしそうに俯き加減で、けれど彼の反応が気になってリティアは師の顔を見上げる。自然と上目遣いになるその様子も、今のシーファには何とも言えずごちそうさま的なアングルで。
「いやむしろ、いただきますな感じ……」
ぼそりと聴こえたつぶやきに、けれどリティアは意味がわからず、え?と首を傾げてしまうーーそれがまた可愛い。
「エロ魔導士」
意味を正しく掴んだらしいアランが、セアラ姫の後ろで呆れた顔をした。それには取り合わず、シーファは弟子に少し早い口調で小さく言う。
「似合う、と言ったんだ」
その言葉に、リティアは戸惑いがちに、けれど嬉しそうに微笑んだ。師はそれを見て目を細め、かすかに赤く染まった頬を隠すように、シーファがリティアの頭に触れようとしてーー止まった。
彼はそのまま腕を降ろしてしまう。
……え?いま、頭を撫でてくれようとしてたよね?
彼が自分に触れなかったことに、リティアは不安になる。
レイウスの元から戻って、すぐリティアが熱を出してしまったから、結局はあの時から二人の関係は進展してはいない。
けれど目に見えてシーファはリティアに優しかったしーー傍に居ることも、リティアに触れることも多くなっていた。
それから急に王宮に来ることになってーー来てから、シーファはリティアに触れていないのだ。どこにいようが、誰が見ていようが構わずキスをしてきてもおかしくない、お師匠様が。
リティアは今更そのことに気づく。
……セアラ姫の前だから?
不意にそんな考えが浮かんで、慌てて打ち消した。
けれど、一度浮かんだ疑念は膨らんでゆく。
先ほどのアランの話で思ったことが、またリティアを蝕んでゆく。
「じゃあわたくしはちょっと公務に行ってきますわ。あとは二人でごゆっくり」
セアラ姫はアランと共にニコニコと部屋を出て行き、その場にはシーファとリティアだけが残された。
「セアラ姫は……すごく魅力的な方ですね」
リティアが思わずそう言うと、シーファは扉を見つめたまま、「そうだな」と頷いて。何か思うことがあるのか、リティアの顔を見ない。
それにまた彼女の胸が痛む。
「もしかして、シーファの初恋の人、とか?」
やめておけ、と心が叫ぶのを堪えて、リティアはわざと明るく問いかけた。
お願いシーファ、こっちを見て。それだけで、不安は消えるから。
「……そうかもしれないな」
自分から口にしたにも関わらず、リティアはその言葉に傷ついた。
けれどリティアを見ていなかったシーファは、それに気付かずーー。
彼女の顔が泣きそうに歪んだ事も、知らなかった。