Prince and Princess
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そもそも、この世界は二つの大陸と、三つの島で成り立っている。
北の大陸、神竜の守護する世界最大の国家、アディリス王国。
アディリスの隣国にして、武力と知略で脅威とされる、軍事大国ドフェーロ皇国。
南の大陸、砂漠に囲まれた他民族の集まる商売の中心地、フレイム・フレイア王国。
東の島国、列島に連なる小さな連合国から成る、キャロッド大公国。
中心の島、精霊と魔法のみが息づく人無き楽園、リスタリティカ。
ーーそして西の島国。
月の女神に愛されし守護騎士が興した魔法国家、セインティアーー通称、「青の聖国」
伝説によれば、太古の昔に月の女神が三日月の形をした島を作り、彼女に仕え、恋人でもあった騎士とこの地に住んでいた。
けれど女神は騎士と離れて月へと帰らなくてはならなくなり、女神が彼を想って涙を零すと、島の中心に大きな湖が出来た。
「これは私の愛の証。私が居なくなってもそなたにこの地を護って欲しい」
女神は最後にそう告げて、騎士に自分の力の一部であるこの地を与えたという。
騎士は湖の傍に城を建て、女神の精霊達とともに生き、のちにセインティア王国を興した。
「かの騎士が青い鎧を纏っていたことから、青の聖国という呼び名がついたそうです」
真っ白な壁に深いブルーの屋根をもつ、重厚で繊細な細工の美しい城。
ーーセインティア王国、フォルディアス城……の、廊下にて。リティアはなぜか、一歩前を歩くキラキラの王子様からそんな話を聞いていた。
「ここまでで、何かご質問は?」
「何を質問したら良いのかもわかりません。あ、先祖代々お国柄、ロマンチスト集団ということだけはわかりました」
恋愛がらみの伝説や魔法は、この国の定番なのか。リティアは頭を抱えたくなる。
「……それはまた、斬新なご感想ですね」
王子様は固まった笑顔で言った。
「す、すみません……」
リティアは思わず謝ってしまう。
ど、どうして私、こんなところにいるんだろう。
いかにも高級なロイヤルでセレブリティな空間に、自分が居ることが場違い過ぎてどうしていいかわからない。彼女の隣を歩く師匠は堂々としていて、なぜか丘の家よりもこの宮殿が似合う。リティアの視線に気づいたシーファは、苦笑した。
「そんなにビビらなくてもいいだろう。ただ無駄に広いだけの家だ」
「無駄にって!無理ですよ、お城なんて初めてですもん!」
どうやったらこんな建物を『家』と認識出来るのか。お城はお城だ!!
「え、お前もあるだろう。可愛いお家で窓辺でティータイムして、庭で愛犬が遊びまわるマイホーム願望が」
「ありませんよそんなん!何ですかそれ!?」
「そして休日には旦那様がパンケーキのブランチをベッドまで運んで来てくれるマイホーム願望が」
「ありません。どこの執事ですかそれは」
「やがて不況と共に旦那様はリストラにあい、払いきれなくなったマイホームのローンの取り立てが妻を襲い、パートで稼いだわずかな金が旦那の酒代に消え……」
「ちょっと待って下さい。なんか途中からとんでもないことになってます」
マイホームって怖い。
それはともかく。こんな広い場所で一人になったら、絶対に迷う。遭難する。リティアは足の長い二人に置いて行かれないよう、一生懸命に歩いた。もちろんお育ちの良い王子様は、彼女の歩調に合わせてゆっくりと進んでくれてはいたが。
彼女達が何故、お城にいるのかというと。ラセイン王子が魔導士協会と取引をしたのだ。
当初、魔導士協会の中には、アルティスの秘石は秘匿されるべきものとして、リティアを幽閉する案が論じられていたらしい。
けれどリティアは、協会に従わず離れたとはいえ大魔導士シーファの弟子。大きな力を持つ、彼の機嫌を損ねたくはない。
そこでラセイン王子は提案した。リティアがアルティスの魔力を制御することを条件に、その身柄を拘束しないと。自分の身の危うさを告げられたリティアは、ラセイン王子の勧めに従って、アルティスの魔力を制御する修行を受けることにしたのだ。そして彼に招かれ、シーファと共に王宮へとやって来た。
修行はいい。必要なのだから。ただ、その先生というのがーー。
濃紺の絨毯を進み、広い階段まで出た時だった。
「シーファ!久しぶりね」
凛とした、けれど軽やかな声と共に。現れたのはーー絶世の美女。
「……っ」
金色の女神様だ。
リティアはそんな言葉が浮かぶ。
その女性はゆったりと微笑んで、階段を降りてくる。その姿すら、絵画のよう。
豊かに背中に落ちる金色の巻き毛は、輝く光の雨のようで。意思の強そうな金色の眉に、弟と同じアクアマリンの叡智を秘めた瞳。薔薇色の頬、美しく彩られた唇。真っ白できめ細やかな肌。大輪の薔薇のようなーー圧倒的な美がそこにあった。
リティアは同性でありながらもただ見とれーー息を飲む。弟王子があんなに美しいのだから、予想してしかるべきだったけれどーー想像を遥かに超えていた。あまりの衝撃に言葉を失ったリティアに、その相手ーーセアライリア王女はにっこりと微笑む。
そして、そんな彼女を見て、
「久しぶり、セアラ」
親しげに名を呼ぶ、シーファ。
リティアは知らず知らずのうちに、指先が震えていたことに、気づかないフリをして。さりげなく、彼から目を逸らした。そうしたならいやでもセアラ姫が目に入る。
美の化身のような、お姫さまがすぐ傍にいる。子供の頃に御伽噺で読んだような。まるで夢のようなのに、素直に喜べないのはーーシーファとの関係が気になるからだ。
リティアがまたこっそりと彼を見上げれば、まるで王女に見惚れているかのように、その姿を瞳に写していて。
かすかに、切ない光を浮かべていた。
「……シーファ……?」
表情を強張らせた弟子に、シーファは気づかない。ただ、セアライリア王女だけを見つめている。王女は顔いっぱいの微笑みを浮かべて、残りの階段を降り、
「会いたかったわ、シーファ……!」と両手を広げーー
「なんて言うと思ったかしら、大馬鹿者ぉおお!!!」
どごぉおおぉっっ!!
王女様の右ストレートが、見事シーファの頬に入ったのだった……。
え、え、えええええ!!!?
何が起こったのか。
「あ、相変わらずいいパンチだな、セアラ姫……」
床に伏したまま、大魔導士が呟けば。
「おーほほほ、わたくしの呼びかけをことごとく無視するからよ!あれほど月イチで顔を出しなさいと言ったじゃないの!心配ばかりかけて、この馬鹿魔導士!」
腰に手を当て、高笑いする王女様。リティアは唖然とそれを見つめるしかない。
…なんか、変。私が物語で読んだおひめさまとなんか違う。
だってだってお姫様って窓辺でレース編みしながら優雅に紅茶とか飲んでるもので、決して目の前で繰り広げられているような、魔導士殴り倒して上からヒールで踏むようなアレでは。
「仕方ないだろう、こっちだって色々生活が」
「あらまあ、この後に及んで口答えしますの?そんな子に育てた覚えは無くってよ!」
おかあさんデスか?
リティアは取り留めもない表現が浮かび、それに気づいたかのように王女が彼女を見た。その美しい顔がパッと華やぐ。ツカツカとリティアに歩み寄ると、彼女を上から下まで眺めて。
「自分ばかり好き勝手に、アルティスの秘石を隠し持ってーーああ、なんて可愛いの。ズルいわ、シーファ!」
その腕がガバッとリティアを抱きしめた。
「えぇえっ!?」
美女のいきなりの行動に、リティアはあわあわと慌てふためく。
「姉上、本音が漏れてます」
頭を抱えた弟王子が、姉を諌めた。
「あらいやだ、わたくしったら我を忘れてしまったわ。ーーこの国の王女、セアライリアよ。セアラと呼んでね」
宝石のような瞳で、間近で見つめられ、リティアはドキドキしながらやっと頷いた。シーファが床に座ってブツブツと呟く。
「だから嫌だったんだ、この可愛いモノマニアの姫にこいつを会わせるとロクな事が無い」
「あら、聞こえているわよ。仕方ないじゃない、わたくしという王国第一級魔導師に師事させることで、魔導士協会も体裁を繕いたいのよ。老人の自己満足に付き合っておやりなさい。それに、こういうことはわたくしの方があなたより向いていてよ。あなたチマチマしたこと、苦手でしょう」
その言葉に、彼女はシーファを知り尽くしているんだと、リティアはかすかな痛みを覚えるものの。それ以上に、この王女様は思い切り良すぎて、なんだか憎めない。
「さてまずはお着替えしましょうね、リティア」
両手を打ち鳴らしてワクワクと言う姫に、リティアは戸惑う。
「ええとそれは、修行ですか?」
「わたくしの純然たる趣味よ」
キッパリ言われすぎて、言葉が出ない。
シーファは口答えを諦めたのか、胡座をかいて頬杖をつき、なんだか遠くを見ている。これは助ける気無いな。
「姉上、いい加減にそれは」
見兼ねて口を挟むラセイン王子。
王子様がんばれ。
「あら、あなたの女神の時だって、わたくしがそりゃあグッジョブだったこと、忘れたとは言わせないわよ?良い思いしたくせに」
「それはまあ、そうですが」
ーー王子様、一発KO。
しかし日頃このロイヤルファミリーは何をしているんだろう。
疑問に思うリティアだった……。