Prince of sacred country
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「……彼女を、どうするつもりですか?」
初めて聞く声に、リティアはゆっくりと目を開けた。
揺れるカーテンの向こうには、お師匠様が雲隠れしたあの木があって。下には爽やかな緑が広がっている。ーーレイウスとの戦いを終えて、家に戻った途端、リティアは熱を出して倒れたのだ。
シーファには強過ぎる魔力の反動だと言われた。元々はリティアを壊す程の強大な魔力だったのだ、熱くらいで済んで幸運だったのだろう。
彼女が熱にうなされている間、目覚めると必ずシーファが傍に居て、彼女を看病していてくれた。ぼやけた視界の向こうで、青い瞳に真摯に見守られているのが、どんなに心強かったか。
あれから五日目ーーリティアはだいぶ身体が楽になっているのを感じる。
先程の声が気になって、ベッドを出た。
階下に降りると、居間でシーファと誰かが話しているのが聞こえてくる。
「僕の方で隠すのは限界です。ウチの魔導師達も無能ではない。このままではリティア嬢がどうなるか」
相手の言葉に、リティアは固まった。
私の話を、してる。
出ていけなくなって、彼女はそのまま階段の途中で止まる。
「わかっている。だからってセアラに頼むのは……」
シーファが歯切れ悪く言った。その様子に、話し相手は笑う。
「あなた、姉上には逆らえませんものね。女性に優し過ぎるのも考えものですよ」
「あのひとは特別だ」
シーファの零した言葉に、リティアはギクリと肩を震わせた。
誰かをーー女性を特別だと言った。それに、その名を口にしたシーファには壁が無くて。その女性と、親しい間柄なのだというのがわかってしまった。
ーー『大切』だって、色々ある。
どんな意味かも知らずに、嫉妬するのは醜い。だけど……。
ああ、私ってば。シーファへの恋を自覚した途端、これだ。
「リティア?」
は、と顔を上げれば、シーファがこちらを見ていた。階段の途中で止まったままだった彼女に近寄る。
「もう起きていいのか?」
「大丈夫です」
心配させてしまったかと、リティアは微かに笑顔を浮かべた。なら、とシーファは居間にいる人物を振り返り、相手はソファから立ち上がる。
「う、わあ」
リティアは思わず声をあげてしまった。
そこにいたのは、何処からどうみても完璧な造作の、美青年。
柔らかな笑みを浮かべる瞳は、シーファよりも淡いアクアマリン。シーファと同じくらいの身長に、長い手足。まとう雰囲気は優しくて、上品で。いちいち所作が美しい。緩やかに波打つ長い金髪を後ろで纏めていて、冴えた美貌のシーファと並ぶと、まるで太陽と月のようだ。
「綺麗……」
「それはありがとうございます。僕はラセイン。ラセイン・フォル・ディアス・セインティアと申します。よろしくお見知り置き下さいね、リティアさん」
その声まで優美で。まるで絵本の王子様みたいだ。
「おい、馬鹿弟子。他の男に見惚れるとか、どういう了見だ。お師匠様は泣いてるぞ」
「妬かないで下さい、シーファ。僕には愛しい月の女神がいますから」
「おーおー、さすが王子様。落とす女のレベルがまさかの女神様か」
「シーファ、黙らないとお土産のケーキ引き取らせて頂きますよ?」
王子様……、みたい、な?……ん?ラセイン……なんちゃら……セインティア?
目を丸くした弟子に、師匠が頬杖をついて言った。
「そこにおわすは、このセインティア王国、第一王位継承者ーーつまり王子様だ」
お?
「お、お、おうじさま!?」
リティアは茫然と、目の前のキラキラ美青年を見つめる。
そりゃ王子様みたいとは思ったけど。本物?
そこで、我に返った。
「シ、シーファっ!どうしましょう!ロイヤルなお客様がうちに!!あの一番いい紅茶どこだっけキャー!」
慌てて戸棚を開けて、天板の裏に貼付けていた紅茶の缶を出すと、リティアは隣のキッチンに駆け込む。しまい込まれていた一番いい食器を出しつつ、軽くパニックになって。お茶菓子どうしよう、王子様って何食べるの。
「あっリティアお前、そんなところに茶葉隠してたのか」
「だってお師匠様ってば、良いやつから勝手に使っちゃうから!ああっほら足りない!って何言わせるんですか、お客様の前で!!」
「いいからちょっと落ち着け、馬鹿弟子」
二人のやり取りに王子様は優雅にクスクスと笑って。
「どうかおかまいなく。どうしてもというなら、お土産にケーキと王室御用達の紅茶をお持ちしましたので、これを使って頂けますか?どうせシーファが魔法の材料に使い尽くしてしまっているのでしょう?」
差し出されたロイヤルなロゴの、王都一番の洋菓子店と紅茶の箱を差し出されたリティアは、感激で思わず深々と頭を下げた。
なんて良く出来た王子様なの。手土産もソツがない。安かろうが高かろうが無頓着に魔法の材料に消費してしまう、シーファの性格をよくわかってらっしゃる。
「ええと、どうして王子様が」
おずおずと出された紅茶と切り分けられたケーキに、ラセインがありがとう、と微笑んで受け取り。
「……僕達は友人なのです。王立魔導士協会で一緒に魔法の修行をしていた頃からの」
その言葉で、リティアの肩が少しだけ震えた。師は鋭く見つけて、彼女に手を伸ばしーー額を弾く。
「痛っ」
「気にするなと言っただろう。
魔導士協会に入ったのは私の意志だ」
シーファの優しさにリティアは胸が痛くなる。けれど、頷いた。そんなシーファを見て、ラセインはかすかに微笑む。
シーファ、あなたそんな顔をして。自覚してるんですか?見たことも無い程、
柔らかな笑顔をしてること。
けれどひねくれた友人はきっと否定するに決まっているから、ただ黙って紅茶に口を付けた。そしてカップを置くと、リティアを見つめる。
「リティアさん。あなたの力を、セインティア王国は容認できません。放っておけば魔族やそこらの魔導士達だけではなく、近隣諸国に狙われる。それだけあなたの力は甘美で、脅威なのです」
真剣な目で言われた言葉を、リティアはただ聞く。
アルティスの秘石と勘違いされたシーファが辿った道ーー今度はそれをリティアが受けねばならない。
レイウスによって成された、記憶を覗く術で見た魔導師達ーー今はよく覚えてはいないが、決して待遇が悪いわけではない。むしろ、手厚く保護されていたかと思う。
けれど、監視され、管理され、厳しい修行をし、実力があるものが残る。そんな場所にリティアの居場所があるだろうか。
戸惑いに師を見れば、シーファは心配するな、というように彼女に頷いてーーその手に指を絡めて握りしめた。思わぬことに、リティアの頬が染まる。人前でど突かれることはあっても、こんな風にされたことは無い。けれど、シーファもラセインも真剣な目をしていた。
「本来ならば、あなたは魔導士協会で管理されるべき存在かも知れません」
ラセイン王子は優しい声で、けれどはっきりと告げる。
「とはいえ、そんなことはここにいるシーファが許さないでしょう」
言われたシーファは
「当たり前だ。もう誰かにかすめ取られるのは我慢ならん」
と呟いた。王子は続ける。
「だから、リティアさん。アルティスの魔力を制御するために、修行しませんか。セインティア王国高等魔術師、セアライリア王女ーー僕の姉の元で」