そのハチ、黒いあいつ
街に足を踏み入れる際、私はあることを思い出す。
メラン。
みなさんとの雑談が楽しくて、つい存在を忘れていた。
私としては珍しく握ったままだった、左手を開くと。
「……おいおいそりゃねーぜマイケル」
独断と偏見の外国人の真似をしながらそうつぶやく。ちょっと焦りも感じた。
「……いないって、いないってあんた……」
そう、今まで私は空を握ってたのだ。メランはいつの間にやら失踪していた。
ま、まあちょっとしたイベントの前触れということで! 大丈夫大丈夫あいつは人間相手には不死っぽいし、そう簡単には死なないでしょう。
……草原に取り残されてモンスターに襲われでもしていたら?
ああダメだやめよう。あいつのことは忘れよう。
アーメンメラン。いいやつだったよ。まだ会って数時間しか経ってないけど。
「どうしたのサエ」
周りに広がる赤、黄、茶、橙と言った家々すら目に入らないほど動揺していたら、ついさっきレシュさんのところへ走って行ったモーレが、目の前を『ててて』という効果音が似合いそうな感じで歩いてきた。忙しい子だな。
「いや、ちょっとね。拾った綺麗な小石なくしただけだよ」
苦し紛れの嘘だけどあながち間違ってはないよね。うん。
「へー、サエもそんなことするんだ」
私の冷や汗をさして気に留めなかったモーレは「そんなことより」と私の服を指差す。
「サエのみたいな珍しい服着てると追い剥ぎにあっちゃうんじゃない?」
「うっへーマジか! でも言われてみれば確かに」
珍しい服はとりあえず剥いで売って儲けちまおうみたいな輩がいてもおかしくないしな。
「ボクのあげたいけどサイズあわないしねぇ」
モーレがそうポツリと言う。
やめてください仮にもし私があなたと同じくらいの体格だったとしてもそのいい感じのロリ系旅人の服なんて私着こなせません。
「うーん、ヒメル……も体格があわないね」
モーレが前のほうを歩くヒメルさんを見てそう言った。
筋肉質ですらっとしてて背も百七十こえてるであろうヒメルさんの服を私は着れる自信が一ミリもありません。しかもあの人なんだかんだ露出多いし。
モーレは悩む。注文の多い私のために。
都会もやしっ子でごめんなさい。筋肉質ならともかく贅肉ついててごめんなさい。あと中途半端に体格よくてごめんなさい。
はーあ、魔法でお金作れないかなー。もしくは服作れないかなー。
試しにちょっと試してみた。しかしこの世界での目立たない服というイメージがし辛くて断念。くっそう、悔しい。
でももしモデルの服があれば量産は出来るだろう。そう自分の魔力を信じた。
ついに頭がごっちゃになったモーレは、レシュさんに助けを求めた。
かくかくしかじかと事情を話すと、レシュさんけろっとした表情で一言。
「俺の昔のやつやるからそれ使えよ」
「えっあっマジですか。マジでございますか」
喜びやらなんやらで混乱して明らかにおかしい敬語となる。しかしレシュさんは気にした様子もなく、自分のカバンの中身を漁り始めた。
えっ今持ってるの? つかそんな、旅のお供としては小さい、ナップザック並の大きさのカバンに入ってるの?
……きっとこの世界のカバンの中には四次元が広がっているんだ。そうだそうだ。
なんて自己完結すれば、レシュさんは服の上下一式を引っ張り出して私に渡して来た。
「男物だけどまあ女でもイケるデザインだと思うぞ。新しいの買うまでそれにしとけ」
「それに女物より男物のほうが襲われにくくなるしね!」
レシュさんとモーレが息ピッタリに説明。モーレの旅人ならではのアドバイスに思わず感心した。こんなちっさい子が、私よりもしっかりしている……。
「ありがとうございます。でもいいんですか? こんな良さげな服」
「気にすんな。俺もう着ねえし。五年以上前のだしサイズもお前にあうと思う」
なんで五年以上前の服があるのか聞きたかったが遠慮しておいた。多分カバンはクローゼットとかタンスみたいなもんなんだろうな。それかレシュさんのことだし困ってる人に服あげるためにとっておいてたとか。
それにしても、と貰った服を見てみる。
やや暗めの淡い赤色をした上着と、普通の茶色だかベージュ色だかのズボン、黒っぽいシャツ。上着は前を開ける主義の私だが、このデザインだとちょい開けぐらいがちょうど良さそうだ。
それはなんら問題もなく、むしろレシュさんかっけーと思うのだが。
……レシュさんの匂いがします。
脳内だし小声で言う必要もないんだけど、一応小声で言ってみた。
五年経っているらしいというのに服一式からはレシュさんのいい匂いが。
やべえこの服着られない。匂い消したくない的な意味で。
……状態固定みたいな魔法使えないかな。汚れないし匂い変わらないし質感もそのままってやつ。鎧がわりにもなるよねきっと。
そっと魔法をかけてみる。様子は変わらないが手応えはあった。きっと魔法がかかったんだろう。
「うわー、本当に嬉しいです。レシュさんありがとうございます! モーレもありがとうね」
レシュさんに頭を下げてからモーレの頭を撫でる。モーレがヒマワリのような笑顔で笑って私に語りかけた。
「困った時はお互い様だよ、サエ」
レシュさんの微笑みとモーレのあったかい言葉に思わず涙腺が緩む。やべえ、人の温かさに触れるだけでこんな泣きそうになるなんて。
さすがに泣きはしなかった。服を抱きしめ思わず頬を緩ませる。
その時だった。
ふと、視界の隅に黒い影が突っ切ったのは。
なんかデジャヴだがそんなの気にしない。
「あっメラン!」
思わずそう叫んで、黒い影、すなわちメランを視線で追うと、勢いよくここから離れて行くのが見える。通行人たちはメランが速すぎるため振り返っても何もないので錯覚だと思っている様子。
それにしてもあいつ、なんかこっちチラっとみて「うわっ見つかったよ」みたいな顔したような気がしなくもない。ムカつくな、あいつ私を置いてどこ行く気だ。
……ん? もしや最初からこの街に潜入するために私を利用しただけであって、用済みになった私は捨てられた、みたいな?
だとしたらかなりまずいんじゃないか私。
私の叫びに反応したレシュさんとモーレはメランを目で追っていた。
「おい、あの黒いやつ、まさか……」
目を微かに見開いたレシュさんの、本当に小さな声でのつぶやきに食いつく。
「えっ、何か知ってるんですか」
「いや……ちょっとな」
なんだそれ気になる! 今すぐ伏線回収したいとこだけどあいにくそんなヒマはなかった。
「っ!おい、危ねえ!」
背後のレシュさんの慌てたような声に振り返る。
剣に手をつけるレシュさんの手前。
一瞬、一瞬だけーー家の脇道から何か黒くて小さいものが飛び出してくるのがわかった。
それは私の頭にまっすぐ飛んで来て……直撃。
衝撃で倒れつつ、薄れゆく意識の中、モヤのかかった視界を見渡す。
何かを確信したような顔のレシュさん、目を見開いて口を抑えるモーレ、そして、私の頭上にいるーー。
……あとで八つ裂きの刑だ、メラン。
わざわざ回り道して私の頭狙いにきやがって。