そのヨンジュウロク、目的
「さて、ちったぁ落ち着いたか?」
温かいお茶を出してもらい、頭を整理しながら飲んでいたらメランは向かいの椅子に座り、曖昧な笑みを浮かべた。
柔らかい光に照らされる綺麗なお顔は絵になる。なりすぎて逆に集中できない。
「……やっぱりこの部屋明るくしていい?」
「ダメだな、オレが焼ける」
「焼け……⁉︎」
倒れるとか目が使えないとかそういうのではなく……焼ける……この世界の神様ってのも酷いことをするもんだ……。
ひっそりと同情すると、メランは遠い目をした。
「光は好きだけどな。きらきらしてて。ま、光の中にいりゃあ、自分たちが生きてるところがどれだけ明るい場所か普通わからないだろうなぁ。特にお前のいた科学が発展しすぎたウーバヨルハじゃ夜中も鬱陶しいくらい明るいようだし」
「ウー……なんだって?」
「ウーバヨルハ。オレらはオマエのいた世界をそう呼んでる。そうだな、意味は直訳で"既に止まれぬ世界"だったかな」
既に止まれぬ世界って、なんだか悪い言いように聞こえるな。でも確かに、魔法がない世界に対してはあまりいいイメージは持てないだろうなぁ。
「というか、私のいたそのーーウーバヨルハ? を詳しく知ってんの?」
「お前を連れてくるときに見た」
「"連れてくる"って、やっぱりあんたが私の召喚主か!」
「まあな」なんてメランは軽く受け流す。「あのスズノっつーやつとかは姉巫女さまに関係する永遠に近い召喚機構を介して喚ばれてるけど、オマエはオレが喚んだ」
場を沈黙が包んだ。私は緊張で思わず少しだけ身を乗り出す。
「……なんで喚んだの?」
しかしメランは何も答えず、ただ黙って私を見ていた。
何それ、えっ、予想外なんですけど。
なんだか、意味がないようにもあるようにも見えない。人に見つめられてこんなに何も思わなかったのは初めてかもしれない。変に落ち着きも感じる。
「無いの、あるの」
「ーーオマエは、確か自分が帰る運命なのか否か、それだけを心配してたな」
「…………何か問題でも?」
やっとメランは小さく笑い、「なんも」と答えた。そしてつぶやくようにこう付け足した。
「オマエにはなんの運命も用意されてねぇんだ」
「……」
「"上"に関連する者に喚ばれた異世界の人間には必ず運命がある。抗えない役目がある。でもオマエにはない、オレが喚んだからな」
「それじゃあなおさら、なんでメランは私を……いや、こんな馬鹿みたいな魔力を持った異世界人を喚ばなきゃならなかったのさ」
「喚ばなきゃならなかったわけじゃ無い。ただ喚んだんだ。オマエの存在で、何か変わるんじゃねえかと」
「……じゃあつまり? 私は本当にただのこの世界とは関係のない人で、スズノさんのように運命付けられていたわけではなくたまたまお呼び出しがかかった、魔力が普通の人より馬鹿みたいにデカい人ってこと?」
メランはゆっくりと頷いた。
「この上なく幸せで、ちっとばかし悲しいだろ」
「ーー……うん」
メランの全部を見透かしたような目に、少し、びっくりした。
「役目を与えられればそれはそれで苦しい。投げ出したい、なんで自分なんだって、オマエみたいな役無しが羨ましくなる。
だがいざオマエみたいな役無しになってみれば、それはもう何も見えない世界に立たされたようなもんだ。何をすればいいかわからない、そんな中で誰かの運命を変えてあげたいって思ったとする、だが既にその運命を変える役目は誰かが背中に背負ってんだ、アホみてーな説得力と一緒に。結局のところ、真っ暗闇の中で自分の存在理由はどこにも問えない」
……まるで、自分自身に対しても言ってるように見える。
そりゃそうだ。彼は……初代巫女の現役時代から今現在までずっと生きてるんだ。その中で何をみてきたかは想像を絶するけど、決して単純で楽なものではなかったはず。
私も、レシュさんたちのことを思い出していた。カテーナさんはレシュさんが心を開いてくれないと悩んでいたが、きっと新しくやってきたスズノさんがどうにかしてしまうのだろうな、そう思った自分がいる。
でも、それでも。
「ねえ、メラン。私さ、アヴェンドラの革命に一役買ったんだよ」
「知ってる、ずっと見てたんだからな。オマエがあの色々と濃い大賢者二人に……」
そこまで言って、メランは不意をつかれたように顔を上げた。
「"オマエが"……」
「そう……私の言葉は人を動かせた、そうソアルタさんは言ってくれた。それにシフルさんはよくわかんないけど私を作戦の一部に加えようとしてたじゃん?……きっとさ、最後は馴染んじゃうんだよ、役目がなくたって、人と一緒にいれば何かは起きるんだよ。もちろん、レシュさんの時みたいに、全てが上手くいくわけじゃ無いけどさ。
空いてるところに、みんな入れてくれるんだよ」
ただただ、もうメランに苦しそうな顔をして欲しくなかった。……いや、最初から彼は苦しそうな顔なんてしてなかったかもしれない。この物寂しい灯りが彼の顔をそう彩っただけだったかもしれない。
「……ともあれ、オレはオマエが帰らず伸び伸びと過ごしてくれりゃそれでいいんだ。順調そうで、楽しそうでよかった。あいも変わらず、帰りたいとは思ってねえんだよな?」
私が大きく頷くと、「そりゃ何よりだ」と力なく笑う。
「結果がどうなろうが構わない。でももう、繰り返しちゃいけねーんだ。オマエが絶ってくれるのなら、いや、絶たなくても……オマエが望む通りに動けばいい。何をしようがしまいが、オレは最後までオマエの味方だよ。喚んだのはオレだから、な。責任は持つぜ」
繰り返す……?
何か過去にあったのだろうか。初代巫女の現役時代に起きた何かが、今繰り返されようとしている……それを、メランは止めたかった? 私がいなければ続くという何かを……。
「……ねえ、メラン。知ってることは話してよ。みんな、教えてくれないから。繰り返すって、昔何かあったの?」
メランは古い傷口に触れた時のように少しだけ眉をひそめた。
でも、悲しくても……話して欲しい。知らなければ何もできないということは、この世界にやってきて身に染みて学んだ。
何やら考え込んでいた様子のメランは、そっと自らの腕をさすり、やや俯いたまま口を開く。
「……姉巫女さまの現役時代、呪いが世界に蔓延ったんだ。いや……呪いが蔓延ったから姉巫女さまが呼ばれたと言った方が正しいか。
その呪いは姉巫女さまの活躍によって消えた……というより、なかったことになった。歴史を改変することになるとは、オレも思いもしなかったけどな」
歴史の改変。
どうやらこの様子じゃ、アヴェンドラだけじゃなく、世界の歴史も塗り変えたのかな。アムラークとデベシスの悲劇を生んだ、改変……。
私の顔を見て、メランは慌てて補足する。
「アムラークとデベシスの明確な差別化は、やむを得なかったんだ。"それまでの歴史をとにかく変える"っつーのが目的だったから、整然と並んだ綺麗な本棚みたいなアヴェンドラは、大胆に変化させる必要があった……。
それに、当時の大賢者が、自らその運命を姉巫女さまに奏上したんだ。我々には乗り越える力がある、神の血筋に糸を絡ませられようが、我々の子孫がこんな大きな間違いにいつまでも気づかないはずがない、なんて言ってな」
「その間違いーー歴史の改変に気づいちゃ元も子もないんじゃないの?」
「いや……そうでもない。確かに気づいちゃダメなんだが……えーっと? なんというか、大人の都合ってやつ?」
しっくりくる言葉が見つからなかったのか、急に舐め腐ったような態度になったので、素直に「はあ?」と言っておいた。さっきまであんな微妙に辛そうな顔してたのに。強がってんのかな。
メランは腕を組み、「大人にはな、やらなきゃならねーことと願っていることが矛盾しちまう時があるんだよ」なんて物知り顔で語る。
「あーはいはい、要するにあれね、本当は気づいて欲しかったってことね」
「まあそういうことだよな?」
「なんか腹立つんだよなぁ」
メランは誤魔化すように笑ってから、また真面目な話に戻った。
「とにかく、気づいてもらう必要があったんだーー。それが今現在、世紀の大魔導師ソアルティーナ・デベシスによって見つかったってのは、お前が見て聞いた通りだよ」
ソアルティーナ・デベシスって、デベシスの大賢者、みたいな意味合いかな。かっこいいな。カルハリアスさんはカルハリアス・アムラークかな。こっちもかっこいいな。って今は関係ないか。
「だがその偉業中の偉業を成し遂げたソアルティーナほどの大魔導師が出て、さらに歴代の中でも彼女に次ぐ早期就任のカルハリアスが同時代に出たってことは、逆説的にいうとかなりまずい時代になっちまったってことだ」
「ぎゃくせつてきに……」
「……。英雄は時代が必要とすれば必ず出てくるだろ。それはウーバヨルハでも変わらないはずだ。つまり……」
目でその先を促してきたので、足りない頭を使って一生懸命考える。
「つ、つまり……ソアルタさんやカルハリアスさんほどの超人たちがやっと対処できるような問題が出てきたってこと……なのか……」
「ああ。今社会ではやっと問題視されてきたが、実際はそこらのお偉いさんが思ってる以上に問題は深刻で難しくて……絶望的だ」
「……その深刻で難しくて絶望的っていう問題が、夕闇の巫女をはじめとする世界の巫女の異変のことなの?」
竜谷でのイーリスさんは世界に干渉しすぎてバグってきた……みたいなこと言ってたよな。でもまだ原因があるとかないとかとも言っていたような。
しかしメランは優しく笑い、「なあ、サエ、なんで姉巫女さまはこの世界に巫女っつー存在を残したと思う?」と問うてきた。
「なんでって……ちょっと待って、いろいろと頭がごちゃごちゃしてきた」
「だろうな、オマエの顔見てたらそろそろ集中力が切れる頃だろうなって思った」
「じゃあなんで質問してきたんだあんたは」
「ちょっと休憩を挟もうかと思ってな、その間に考えてもらおうかと」ああなるほど休憩ね、と椅子に深く座り直すと、メランは思い出したように付け足した。「というか、オマエの魔力との同調とか、小っちゃいほうのメランのメンテナンスとか改良とかしてーから、オマエにゃ三日程度ここにとどまってもらう予定だったんだよ。だから、時間はたっぷりあるし急ぐ必要もねえかなって」
「三日?」と聞き返せば、「三日」と頷く。
「三日かぁ」
「いや、オマエが望むなら何日いたって構わねーけどな、さすがに健全な子どもにいつまでもこの薄暗い森とか部屋とかで過ごさせるのはどうかと思った」
全然健全な子どもではないんですけどね。慢性的運動不足の子どもなんですけどね。現代っ子舐めんな。
「まあ、当面やることもないし、ちょっと立地が心配だけどいいよ」
「おー、それはよかっ……あ、今更だけどオレ一応男だったな……外見は若いし……オマエそういうの気にするか? 気になるんなら三日間餅で過ごすが」
突然謎の配慮をしてきたメランにちょっと引きつつ、あるいは感心しつつ、「メランの外見めちゃくちゃ好きだからそのままでいてください」と素直にいっておいた。イケメンはいいぞ。
「オマエ本当にレシュの前じゃそういうの言えねーのにオレとかには素直だよな」
「レシュさんには一回言ったじゃん、出会ったばっかの時に」
「あれは社交辞令っつーか、まあ社交辞令じゃねーけど、なんかそんな感じだったろ。挨拶みたいな」
「そりゃそうでしょ。あんたさ、今レシュさんを目の前にして『レシュさんの目つき大好きなんで、見つめててください』って言えって言われたら私切腹するからね。いい? 人それぞれに個性があるように、出会う人全てに適切な付き合い方ってのがあるの。アンダースタン?」
「なんかスゲーオマエにだけは偉そうな顔して言われたくないジャンルの話だな」
「その三つ編み引っこ抜くぞ」
こうして、メラン(大)との日々が始まったのである。