そのヨンジュウゴ、弟
「こ、ここが……未開の森にして、巫女の弟が住まうっつー……」
相変わらずの押しの強さというか、流れがスムーズすぎて異論を唱えている暇がないというか、またソアルタさんにされるがまま弟さんがいるという森へやってきてしまった。ええ、はい、私が押しに弱いのもあります。でも一瞬で飛ばされて来てしまった。さっきまでソアルタさんが目の前にいたのに。
今目の前に広がる、黒々とした果てしない森は、誰一人寄せ付けぬオーラを放っていた。それもそのはず、この森は別名死地の森と言って、入る人をことごとく白骨化させて森の入り口に吐き出すんだそうで。
いやいやいやダメじゃん、死ぬじゃん。
そう思って大賢者のお二人に必死に抗議したところ、「巫女の弟が史実通りの人物であるのならば、そこで貴女が死ぬことはありません」「……本当に巫女の弟がいればの話だけれどな」「まあ我々の観測においても巫女の弟の反応が出たので大丈夫でしょう」なんて言葉をいただき……。
なんか軽くない? ここで死んだら滅茶苦茶に恨むからな。
それと隣国の問題は、とりあえず森に入ってしまえば夕闇の巫女の息がかかった者がいたとしても追えまいという、とりあえず放置感が否めない結果になった。
嗚呼……シフルさんにここにいてほしい。ズカズカと森へ突っ込んでいってほしい。
しかし彼は相変わらずそこらへんをうろうろしているのか、慣れて精度が上がった私の魔力探知にも反応しないため連絡を取ることすら不可能。
せめてレシュさん、と思ったが、こっちはこっちでかなり遠いところへ移動してしまったらしく、大々的な魔力探知を仕掛けなければ探し出すことができない。いや、手伝ってくださいって言えるほどコミュニケーション能力高くないんで、正直ホッとしてるけど。
なんてことを森の入り口で仁王立ちで考えていたら、森が焦れたらしくーー森に意思があるパターンか、巫女の弟がやったかは定かではないがーー木の蔦が伸びて来たかと思えば、私の胴を巻き取ってそのまま連れていってしまった。
巫女の弟のもとへ一気に連れて行けばいいものを、蔦は私を入り口を通した直後に私の体を草の上に投げ捨てた。弱いが腰に衝撃が走る。なんだあの蔦。
腰をさすり立ち上がると、深い緑の匂いが鼻をつく。こんなに匂いがするものなのだろうか、森って。
まあどうでもいいや、夜が来る前にとっととたどり着くか、と腰の袋を漁った。出て来た餅は心なしかいつもより弾力がある。
「メラン、本体さんのとこまでナビゲートよろしく」
「……ウーン、大まかな方向しかわかんねーゾ」
「いいよそれで、はいはいどうぞ」
「よっしゃ。まずは……二時の方向ダナ」
それからメランのナビゲート通りにあっち行ったりこっち行ったり、草をかき分け根っこをまたぎ、順調に進んで行った。
問題は、歩き始めて一時間も経った頃。
「……ねえメランさん? あのさ……なんか徐々に周囲が暗くなってる気がするんですけど」
「そりゃソウダロ」
は? なんて聞き返せば、メランは「オマエ、大賢者の話聞いてたのか」と呆れられる。
「巫女の弟はナ、光と相容れない関係にある」
「え、神様の息子なのに?」
「神の娘の弟であって、神の息子ではねーヨ」
「うんうんうん? さっぱりわからない」
オマエ本当に大賢者の話を聞いてなかったんだな、とメランに叱られ、要点をかいつまんで説明してくれた。
どうやら巫女の弟は、神が娘を地上に遣わした際、娘だけでは心配だったらしく、お供として、その年に女性の胎内にいた男児に聖なる魔力を与えた存在だとのことで……。間違っても己も天の生まれだと主張し帰郷を願わないよう、天界の象徴でもある光を嫌う性質にされたらしい。
だから、<神の息子>ではなく<神の娘の弟>だというのが定説なんだとか。ぶっちゃけどっちでもいいと思う。
「早朝か、夕方か、夜しか現れなかったって大賢者も言ってたダロ」
「言ってない! そんな興味深い話聞き逃すはずないじゃん!」
待て待てどういうことだ、話が食い違うし意味がわからんと困惑していると、メランが一枚の便箋を吐き出した。
「なんでだろな……ア、そういえばコレをオマエに見せロって、白いほうの大賢者に言われてたんダ」
白いほうの大賢者って、つまりカルハリアスさんか……。
近場にあった手頃な木の根っこに座り、おそるおそる便箋を開いた。中に入っていた手紙を広げる。
なんともまあ、達筆というか、ひたすらにお洒落な文字が並んでいた。これ魔法でペン浮かせて書いたんじゃないのか?
ともかく内容を要約するとこうだ。
私がソアルタさんと話している間、メランに巫女の弟の知識を魔法で付け加えておいた。メランの記憶が多少混乱するだろうが、与えた知識は確かなものなので勘弁してほしい。
うーん……確かに講義するよりは確実だろうけど……。巫女の弟が作り出したメランに、一種の記憶操作みたいなことをさらりとやってのけてしまうカルハリアスさんは一体……。
とりあえず手紙をまたメランの口に突っ込み、立ち上がって森をまた歩き始めた。
それからさらに一時間。まだ昼前だというのに、日が沈むか沈まないかくらいの夕暮れ並みに暗い森。かき分けた草の先に、違和感のありまくる空間が開けていた。蛍のようだが虫の姿はない光の玉が集まる中心に、堂々と存在するのは一枚の扉。おかしなことに、本当に一枚の扉しかない。家とか壁とかそういったものが一切ない。どこかの青いネコ型ロボットの道具か、とツッコみたくなる。ペンキも何も塗ってない木肌がむき出しのやつだけど。
「アレだな」
「え、アレって、ちょっと待って、え、アレ?」
「……一応言っておくケドな、アレ自体はただの扉で、弟ではないゾ」
「アッ……そうなん、いやそうだよね、そうに決まってるじゃん何言ってんのハハハハ」
焦る心を隠し、平静を装って笑っていると、突然背後に気配を感じた。
『汝、我が呼び招きし、異界の者か』
周囲の暗さ、道の雰囲気で密かにビビっていた私は、盛大に声を上げることとなった。
抜けた腰のまま、声のした方を見上げると青白い光の中でも特に大きいのが浮かんでいる。
『参られよ。我、汝を求めし者なり』
威厳のある声はそれだけ告げると、光は音もなく消え去ってしまった。
今度はガチャリと音がする。半泣きで音がした方を見れば、先ほどの扉が開いており、中には薄暗い空間が広がっていた。て、転移魔法の類……? 心霊現象じゃないよね、魔法と心霊現象の違いわかんないけど大丈夫なやつだよね⁉︎
とにかく本当にやめてほしい。何なの、私に対するいじめか⁉︎ もう恐すぎる、小屋に帰って寝ていたい、なんでこんなことしなきゃいけないの。
「オイ、入れってヨ」
「無理無理無理無理! こわ、怖いわ! アホ! 誰があんな怪しさ満点のいかにも出そうなとこに突っ込むかボケ!」
「んじゃ今からレシュ呼んで手でも繋いでもらえヨ」
「うるっせえぞ黒餅! くだらない冗談かますくらいなら本体引き摺り出してこいよ!」
セルベールのリリルさんの事件の時は、相手が何であろうとこの力でなんとかなるでしょ、みたいな安心感があったが、今は別。
全くの未知の存在、それも何千何万かは知らないけどとにかく昔の偉人が向こうにいるのだ。多分。敵意があってもなくても恐ろしい。抵抗する前に一瞬で殺されたり、突然どっかから叫び声をあげて出て来たりしたらどうしよう。ホラーゲームの見過ぎだろうか。それにもし危害を加えてこなくても、厳格な老人とか気難しい人とかで、これまでの旅にダメ出しされたらまた別の意味で生きていける自信がない。
恐怖のあまり逆ギレした私を見て、メランは哀れむように黙り、広がる静かな森の音に、徐々に私も冷静になってくる。
「……お前、お前さ、誓えよ? 絶対私に危害を加えないって本体に約束させろよ?」
「恐怖は人をここまでおかしくするンだナ」
「いいから誓いなさいー!」
「ワカッタって!」
メランを極限まで引き伸ばし、気を紛らわせながら、扉へと近づいた。
中をのぞいてみると、綺麗に磨かれた石造りの……いや、岩をそのままくりぬいたような道が続いている。ところどころに浮かぶ光源らしき光の玉が、一層物々しさを醸し出していた。
しばらく眺めていたが、意を決して、片足を扉に入れてみる。どうやらなにもないらしい。気を緩めずに体を通し、壁にぴったりと沿って歩き始めた。壁がやたらひんやりとしているし、不自然なほどすべすべとした触り心地もかえって気持ち悪い。目の前はほとんど真っ暗で、灯の先に浮かぶ別の灯がこの世のものでないやつに見えて来て泣きそう。
「ねえ魔法で明るくしていいよね、光が苦手とか知らないよそっちの都合でしょ」
「どんだけビビってんだオメーは。ダメだ」
もう本当にいい加減にしろ、と泣きそうになったところで、一つの部屋に行き着いた。
そこは今まで通った豆電球くらいの明るさしかなかった廊下とは違い、修学旅行でキャンプファイヤーを囲んだ思い出が蘇るくらいの明るさだった。懐かしさと、ほんのり寂しさを感じる。
意外なことに、数々の書物、道具、生活用品、家具など、生活感満載。
中心に立っていた人物は、私を視認するとおほんと咳払いをした。
明かりに照らされるその人物は、意外にもかなり若く、真っ黒な髪から一房だけ伸びたものを三つ編みに結って横に流している。私を映す輝く黄金の目は、優しく細められていた。その笑みを見たら、恐怖もスッと胸の奥へ引っ込んでいく。
『いと長きに渡り、汝の訪れを願いたり。我こそが巫女の弟なり』
うん、うん? ちょっと待てよ、やけに言葉が古臭くないか? 平安貴族なのか? それとも武将あたり? 全くわからん。
私の困惑した表情を見てか、やっちまったと言わんばかりの顔をした弟さんは、何かを確かめるような言葉を口の中で発し、問題ないと判断したところで頷いた。
「いや悪いな、どうやらお前の翻訳魔法は古の言葉をそのまま古の言葉として訳しちまうらしい」
「……そういう? そういう路線ですか?」
相手の言葉と噛み合ってないのは重々承知だが、どうしても言いたかった。
さっきの理解が追いつかない言葉遣いをやめた途端、シフルさんやレシュさんより一歩多く砕けた言葉遣いを始めたぞ。そういう路線で行くのか、なるほど、適応しろ私、適応だ私。
弟さんは少し首をかしげたが、頭がよろしいようで一瞬で理解すると「メランの口調は俺の口調そのままだぞ。まあちょっと、擬似生命だから不自然なところもあるけどな」と説明してくれた。
あーハイ、なるほどね、オッケーオッケー、理解した理解……ってちょっと待って。
「メランって名前つけたの知ってるんですか!」
「いや知ってるも何も前にシフルが言ってただろ、こいつの見てるものすべてオレが拾ってるって」
「あそこにメランはいませんでしたよね⁈」
「神殿付近だとどこでも好きなように見れるようになんのさ」
監視が事実だったなんて……プライバシーの侵害どころの話ではないぞ……。いざこうやって美形に面と向かって言われると心にくるものがある。
「だからさ、まあオレのことはデカいメランと思って話してくれればいいぞ。名前も……うん、特定の名前はオレにはないから、メランって呼んでくれな」
「でもこのメランはどうなるんですか!」
メラン(大)さんにメラン(小)を差し出すと、メラン(大)さんはメラン(小)をつついた。かすかな魔力の流れを感じる。
「よし、これでこいつとオレの意思は一体化した。だからこいつもメラン、オレもメランな。問題ないだろ?」
「……つまり私と一緒にいたメランはあなたで? あなたは私と一緒にいたメランそのもので?」
なんだか哲学的な話になって来たので深く考えるのをやめておいた。そう、これもこの人もメラン。そこに何の違いもないの。
「そーそー。そんなわけで、んな堅苦しい態度取らなくても、今まで通りに接してくれて構わねーぞ」
歯切れの悪い返事を曖昧に口に出すと、メランは苦笑する。
「本当にオレはメランと同体なんだよ。なんならお前がここにくるまでに歌ってた鼻歌でも歌ってやろうか?」
「うぇ」
あまりの恥ずかしさにこの部屋から急いで立ち去ろうとしたが、踵を返した途端襟元に力が加わり動けなかった。振り返るとメランが引っ張っている。
「せっかく来たのにどっか行くなって! ああわかったよ、少しずつ慣れていこうぜ」
私はメランが指し示した一脚の椅子に、しぶしぶ座った。