そのサンジュウナナ、大賢者
どこか遠くから声が聞こえる。
ーー君が例の……。少しだけ付き合ってもらおうか。
誰?
朦朧とする意識の中、声の主に手を伸ばした。
ーーそう、それでいい。少し揺れるだろうが耐えてくれ。
そう声の主が告げた直後、あの睡眠中独特の降下感覚がーー
「うわっ!」
慌てて飛び起きると、私は何故か見慣れぬ空間にいた。
どこだここ……宮殿?
光り輝く大理石のそれはもう大きな柱が壁に走る部屋。そこにあるベッドの上にいるらしい。さっきの降下感覚で心臓がバクバクいってる。
あっれぇ? 私テントの中でカテーナさんの横で寝たはずなんだけど。
横を見ても当然カテーナさんはいない。
いやいやいやいや、どんだけ寝相悪いんだよ。おねしょならぬおね魔法?
「それは違うぞ」
突如真横から声が聞こえ、驚きのあまり飛び上がった。ベッドがキングサイズじゃなければ落下していた。
横を見ると、どこかで見たような白髪の男性が立っていた。イケメンというより、美人。男性的な顔立ちが活かされた美人というか……。
まつ毛は長く肌が薄いが、佇まいやオーラは力強い。起伏のない表情と射抜かれるようなその瞳に、言い得ぬ魅力を感じた。
「初めまして、紗枝。我が名はカルハリアス」
丁寧に頭を下げたその人ーーまさかの大賢者カルハリアスさんは、手を差し出して握手を求めてくる。
「あ、どうも……」なんて流されるまま手を取り、握手した。
その手をまじまじと見つめ、カルハリアスさんは「君、変わっているとよく言われるだろう」とぽつりと呟いた。
「え? はあ、まあ、言われますけど……」
訝しげに言えば、「いや、こちらの話だよ」と目をつぶり首を振った。
大賢者って何考えてるのかわかんない……ソアルタさんはまだ親しみを感じたけど。きっとソアルタさんは私たちに合わせてるんだろうな……。
「というかここ……どこですか、私テントで寝たはずなんですけど……」
あたりを見回し、日光が差し込んでくる窓が目に入ったので立って近寄った。
しかしそこに広がっている景色を見ると言葉をなくす。
「察したようで」
並んで一緒に窓の外を見ながら、カルハリアスさんは部屋を……いや、その場を腕で示した。
「ようこそ、我が居城にしてアヴェンドラの心臓部……アヴェンドルド城へ」
し、城……。
どうりで、やたら豪華なわけだ……。
「カルハリアスさんが……私をここまで連れてきたんですか」
「ああ、探しだすのに少々手間取ったがね。それに近くにレシュードたちがいたんだ、気づかれずに連れてくるのは骨が折れた。それでも……約一名にはバレバレだったようだ」
大賢者らしい大きな石がはまったイヤリングを揺らし、カルハリアスさんはドアの方を見た。すると、ちょうどノックが響く。
「入れ」
ドアを開けたのは、何故今ここにいるのかというような、見慣れたあの人だった。
「カルハリアス、これは一体どういうことですか。夜分騒ぐのは控えたほうがいいと思い、見逃しましたが……いえ、この際連れてきたのは構いません。転移先が何故貴方の寝室なんですか」
そう、入ってきたのは大賢者の姿になったソアルタさん。呆れたような顔で、カルハリアスさんを見据えた。いつの間に追いついてたんだ、さすが大賢者と言うべきだろうけど……。
「寝室⁉︎」
聞き捨てならない言葉が聞こえたので、思わず突っ込んでしまった。
「あの場で使用した転移魔法が試作品で少々着地に問題があるものでね。それに何より、紗枝、寝てたし」
寝てたし、って砕けた言い回しが可愛い……素なのかな。
「はぁ……いいですか、紗枝ちゃんは興味深い魔法使いである以前に女の子なんですからね」
ソアルタさんの小言に「わかったわかった」と適当に返したカルハリアスさん。仲良しだな、この大賢者……。
カルハリアスさんの態度にもう慣れているのか、ソアルタさんは目を細めて何か言いたげにしたが首を横に振って話題を変えた。
「ところで、カルハリアス。紗枝ちゃんを連れてきた理由を聞きたいのですが。興味がわいた、だけではないでしょう」
「まあそうだが……話は食事でもしながらにしよう」
カルハリアスさんに促され、私は部屋の外に連れ出された。
*
案内された場所にはやたら長いテーブルがあり、一辺が短い方に座るかと思いきや、真向かいとの距離が近い方の椅子に座らされる。正面にはアムラークの大賢者カルハリアスさん、右隣にはデベシスの大賢者ソアルタさん。
どんな状況だこれ。魔法使いのトップ二人と優雅に朝食決めてるぞ、私。
朝食として出されたトーストや見たことのない卵料理、それに芸術的なカッティングのフルーツ。それを恐る恐る口にしていると、カルハリアスさんが口を開いた。
「私が君を城に連れてきたのは他でもない、夕闇の巫女に関することだよ」
夕闇の巫女、というワードに反応し、顔を上げるとカルハリアスさんと目があった。慌ててそらす。
「君は夕闇の巫女と接触したのだろう? 魔力探知している最中、南の森で君の魔力と奴の魔力を感じた」
あそこ南の森だったのか……。
「接触しただけで、何の情報も持ってません。むしろ情報なら、レシュさんの方がずっと持ってると思いますけど……」
「いや、情報はいい。こちらにも独自のネットワークがある。もっともレシュード程熱心には探していなかったんだがね。奴が、最近いよいよこのアヴェンドラに侵入しているようだから……対岸の火事では無くなった、と言うべきかな。
問題は、君が夕闇の巫女にかけられた魔法だよ」
なんだか重要な言葉に息を詰まらせた。
「そ、そんな……呪いみたいな、かけられてるんですか」
「いや、違う。多分、奴が現れた際……君は、激しい頭痛、あるいは吐き気に見舞われたんじゃないのか?」
「確かに……そうですけど、何故」
オレンジをフォークに刺したソアルタさんが、横から補足する。
「そういった妨害系の魔法は、魔波に痕跡が色濃く残るんです。おそらく、カルハリアスはその痕跡を探りたいのでしょう」
魔波ってなんだ、シフルさんも言ってたような……。脳波みたいなものかな、と結論付けておいた。
「まあそんな痕跡やらをねちっこくかぎまわらずに私の十八番である焼却魔法で焼き払ってしまえば一発なんだろうが」
ちらりとカルハリアスさんはソアルタさんを盗み見た。ニコリと微笑み返されると、表情を少し引きつらせて目をそらす。
アムラークとデベシスってアムラークのほうが上の地位にいるんじゃなかったっけ……。この人たちの関係が未だに掴めない。
ふと、アムラークとデベシスという単語から、本来の目的を思い出した。この国の価値観をひっくり返すんだよね?
ソアルタさんの方を向くと、ちょうどソアルタさんもこちらを見たらしく、ばっちり目があう。しかし意味ありげに微笑んで、また食事を再開した。今はまだ何も言わないでほしい、って意味かな。
それから、あの黒い餅のことを思い出した。雷に打たれた衝撃が走った気分だ。
光の速さで腰袋を漁るが、案の定本しか入ってない。
やっべ、レシュさんのテントに投げ捨てたままだ。
私の明らかに挙動不審な様子に気づいたカルハリアスさんが、「どうかしたか」と尋ねてきた。
「あ……いや、えっと……なんでもないです、ホント……」
「黒いゴムボールのようなやつのことか」
さらりと言われたので思わず「ああはい、それっす」と軽く返事をしかけた。
え⁉︎ なんで知ってるの、この人……大賢者だから……? 大賢者はなんでも知ってるの……? 私が言うのもなんだけどズルくない……?
「ああ、紗枝ちゃんのその腰の袋にずっといた擬似生命体ですか」
ソアルタさんもわかってたんかい!
なんだこの人たち、怖いよ、どこまでわかってるんだ……。下手したら私が異世界人っていうこともバレてるんじゃないのか?
「私、あの黒くて丸いのの正体を探るために旅をしていて……何かご存知ならば教えていただきたいんですが」
二人は「やはり……」と言いたげに思案顔になった。明らかに何か知ってる様子だ。
お互い目配せをして頷くと、カルハリアスさんが口を開く。
「あれのことはよく知っている。しかし名を出すことは許されていなくてな、基本的には『小さな使者』と呼んでいるんだ」
小さな使者……なんか仰々しい雰囲気になってきたぞ。
難しい顔をしていると、ソアルタさんが優しい声色で提案した。
「百聞は一見に如かず。実際に見てみますか?」
私が重々しく頷くのを見ると、指を鳴らして目の前の食器全てを消し去った。
それからまたパチリと指を鳴らし、私たちを暗い部屋へと移動させた。
少しカビの匂いが広がるここはどうやら地下らしい。窓がなく、湿気はないがどこか重い空気が漂っている。
指パッチンすごい……転移魔法ってゲートを出現させて出入りするものが多いイメージだけど、こういう手品みたいなのもかっこいいな……。
ソアルタさんは今度は息をふっと吹きかけるような仕草をした。すると壁にはめこまれたロウソクのような明かりが手前から灯っていく。周囲の様子が明らかになり、沢山の本や実験器具、標本やホルマリン漬けのようなもの、石などが詰まった棚など、いかにも研究室と呼びたくなるような光景が広がった。
どこかのアトラクションのようで、心躍った。目を輝かせてあちこち見回す。
それをさも当然のように見届けた大賢者のお二人は、それぞれ別の部屋に入っていったかと思えば一冊の本と石板のようなものの写本を持ってきた。
そして一角にあった大きなテーブルに置くと、ソアルタさんが手招きをしたので近寄った。
カルハリアスさんが本を開き、また写本の一ページを示した。
「今からずっと昔……もっとも我が国アヴェンドラの歴史から見ればまだ最近の話だが。はるか東の国で神子が確認された」
写本の一ページには、まるでステンドグラスにはまっているような絵が描かれていた。その中心には目深にヴェールをかぶった一人の女性が佇んでいる。どうやらこの人が神子らしい。
その横に……なんだか見覚えのある黒い丸い何かが付き従っていた。見覚えのあるやつよりずっと大きくて女性の腰ほどあるけど。
え? 待って、これ、え? まさか。
カルハリアスさんはその綺麗な指を紙上で滑らせ、例の黒い物体を指差した。
「……その反応からして、これにそっくりのようだな」
「えっ、だって、あの……これ、神子の……」
言葉が出てこない。どういうことだ、どうして……ーーメランそっくりな物体が、神子の横に付き従ってんの?
「いいですか、紗枝ちゃんーー貴女はこれから、大多数が知りえないことを知ることになります。しかし貴女は知りたいと願った」
暗闇に浮かぶ写本を見つめ、何も言えないでいると。ソアルタさんが写本ではない方の本の一節を指差した。
「神子には、一人……人間の、ではありますが、弟がいたと伝えられています。ここに、彼は擬似生命を大量に生み出す力を持っていた、と書かれていますが、読めますか?」
魔法など使わなくても読める。謎の古代文字だろうがなんだろうが、私にはなんでも読めてしまう力が備わっているのだから。
それにしても……マジ? 神子の弟?
「じゃ、じゃあ、私のあの……黒いのの本体さんは……神子の弟さんってことになるんです、か」
「本人とは限らないが。もしかすれば、その本人の力に触発された、いわば巫女の男バージョンって可能性もある」
でも何かしら関係があるんですよねぇー。
まずいぞ、どんどんスケールがでかくなっていってるような……私の手に負えるのか、これ。
けれども、イーリスさんの言葉……いろんな人を頼れ、というアドバイスを思い出した。
頼っていいのだろうか。頼りやすさランキングとしてはやっぱ一位はレシュさんなんだよなー。
シフルさんも……友達、と本当に認めてくれているなら、協力してくれるかな。あれから会ってないけど、今どこにいるんだろう。
「あーーそれで、あの黒いのの本体さんが、どこにいらっしゃるだとかは……」
二人は綺麗に声を揃えて言う。「知らん」「知りません」
知らんのかい! よく知ってるんじゃなかったんですか!
そう言いたい気持ちが伝わったのか読まれたのか、ソアルタさんが何かを思い出そうとするそぶりを見せた。
「それが、弟は初代巫女騒動以来、何の記録にも載っていないんです。何の記録にも載ってない以上、弟やそれに続く者を見つけるのは困難かと」
やっぱそう簡単にはいかないかぁ。メランはアヴェンドラに行けばわかるとか抜かしてたのにねぇ。
「……あれ? でもさっきカルハリアスさんは巫女のことはそれほど熱心には調べてないって言ってませんでしたっけ。大方の文献を調べて、なんの情報も残ってないということがわかったってことは……」
かなり熱心に調べたことになるのでは?
カルハリアスさんは肯定するように目を閉じた。
「巫女は熱心に調べていない」
じゃあ……、と口を開くと、ソアルタさんが頷き、続ける。
「私たちは巫女のような、謂わば出来損ないに大きな興味はありません。初代巫女とその弟……世界の仕組みをも変え、またこの偉大なるアヴェンドラにも大きな変革をもたらした彼らの謎を解き明かすことが、我々大賢者の……いえ、魔導師の最大の夢です」
ソアルタさんの目は、アムラークとデベシスの問題を解決したいと訴えた時と同じように輝いていた。この人ならきっと出来るんじゃないだろうか、なんて思ってしまう。
もっと色々質問を投げ掛けようかと思ったが、カルハリアスさんが「さて」とつぶやき、遠くの棚から一枚の真っ白な羽を浮かせて持ってきた。本と写本もまたふよふよと浮いてどっかへ消えてしまった。
「溢れ出る知的好奇心が抑えられない気持ちはわかるが、小さな使者の話はまた後で時間があるときにしよう。国の先導者が一角として、今はあの愚かな夕闇の巫女への策を講じるのが先だ」
白鳥の羽ほどの大きさをしたそれをゆっくりと振って注目させると、カルハリアスさんは「目を閉じて」と言って、私の額に羽をかざす。
「これは魔波の痕跡を拾って増大させる道具でね。我が国の凶悪犯罪の調査にも稀に使われる。いずれ大量生産を視野にも入れているんだが、何せ作られたのが今から二十年前とごく最近だからな……お、出た。……おや」
カルハリアスさんはどうやら魔法のこととなるとやたら饒舌になるらしい。趣味に一直線なところは素敵だと思う。何より、顔は見えなかったが少年のような声色になるところが可愛らしい。
もういいかなと目を開けると、羽は真っ黒に染まっていた。想定外のことらしく、カルハリアスさんは眉間に深いシワを寄せ羽を見つめている。
ソアルタさんの方を向き、「私にはお手上げだ」と言うように首を振ると、そのまま手渡した。
「羽が黒く染まると言うことはかなり特殊……いえ、断言してしまえばありえないことですね。この羽は魔波を色になぞらえるんですが……混色の結果でしょうか」
「混色……ううむ。魔法の威力が強いわけでもない……構造からして違う。これは、ちとまずいな」
なんだか難しいことを言っててよくわからない。しかしカルハリアスさんがまずいと言ったのでそこだけにはちゃんと反応した。「まずい?」
「巫女は進化するらしい、ってことだ。今までの巫女は紫系統のものが多かったが……この色じゃ追跡も難しいな」
「ええ、闇……いえ、影と呼ぶべきでしょうか。色の違いはともかく、明暗を追うとなれば追加の研究で十年はかかります」
「えーとつまりどういう……」
難しい顔をして、カルハリアスさんはため息をついた。
「夕闇の巫女の捜索は無理だ。少なくとも、私には」
私には?
「しかしここまで特殊ならば出没場所をある程度予測できますね」
羽を机の上に描かれた魔法陣の真ん中に置いたソアルタさんを見て、カルハリアスさんは物言いたげな顔をした。
「そんなこと言って、君にはある程度の手段が残っているのだろう」
カルハリアスさんに指摘され、ソアルタさんはにやりと笑う。
「あら、バレましたか」