そのサンジュウヨン、夕闇
「ところで、あの、ソアルタさん」
森の中を並んで歩き、他愛もない話をしながら、私は話を切り出した。
「軽率に手伝うって言いましたけど、主に何をすればいいんですか?」
肝心なところを聞かずして快諾したあたり私も平和ボケしてるよなぁ……なんて。
ソアルタさんは、ああ、と目を伏せた。
「カルハリアスに発言してくださるだけで結構です」
……え? それだけ?
と顔に書いてあったのか、ふふと笑って付け足す。
「いいですか? 紗枝ちゃん、さっきも言いましたが貴女は少し自分を低く見過ぎです。どんな過去を送ってきたのかは大賢者の私ですらわかりませんが……ここアヴェンドラでは、貴女の発言は大賢者、いえそれ以上の影響力を持っているのですよ」
それはわかる、けども。
「影響力があるのは所詮この馬鹿げた魔力だけですよね……私個人はただの小娘です」
私の発言に驚いたように振り返った。
「紗枝ちゃん、貴女は……」
その言葉の続きを聞く前に、周囲に微かな空間の歪みを感じた。転移魔法の予兆だ。
私たち二人が身構えて転移してくる人を待つ。裂けた上部の空間から降りてきたのは、どこかで見たことのある、気難しそうな少年だった。
「……いた」
無造作に切られた小豆色の髪からは後ろに一本ゆるい三つ編みが伸びている。そして少年といえども、中学三年生ほどの顔立ちが作り出している表情は大人のそれだった。相応の体に不釣り合いな大剣を背中に背負っているが、重そうなそぶりは全くない。
彼は私たちをみてつぶやいたが、一方の私たちは状況が飲み込めないでいた。
でも待てよ、どっかで見たことあるぞ、このソーキュートな顔……ううん……。
「えっと……きみは?」
ついに思い出すことができず、少年にそうたずねると、彼は短く息を吐いた。
「僕はホレム。……サエ、僕、一回きみと会ったことがあるんだけど?」
そうなんですか? と言いたげにこっちを見てくるソアルタさん。
いや、確かに見たことあるんだけど、心当たりが……。
といっても今までこの世界で関わった人なんて限られてるから思い出せばすぐわかるんだけどね。
記憶を一つ一つ辿っていくと、確証はないが答えにすぐ行き当たった。
「……レシュさんのところの?」
「……うん」
ヨッシャー当たった。授業中答えに自信がない問題で当てられてなんとか答えられた時ぐらいに嬉しい!
安直だって? そういう性分だから仕方がない。
「レシュ……? あのレシュードのお仲間で?」
少し思案したソアルタさんがそう尋ねると、少年はこくりと頷い……頷……ちょっと待って。
「レシュード? レシュードって……あの」
私の言いたいことを悟って、ホレムくんが億劫そうに口を開いた。
「レシュの真名だよ」
マジかー‼︎
マジなのかー‼︎
レシュード……! かっこいいなぁ! レシュって愛称だったんだね、いや、確かに外国では愛称が本当の名前みたいに使われることが多いらしいけど……いやここって外国か? 外……外世界……?
とにかく、意外なところで意外な情報を手に入れてしまった……最高だ……。
「というか、ソアルタさんレシュさんのこと知ってるんですか?」
「ええ、彼はそこそこ有名ですし」
さすがレシュさん! なんてほくほくと感慨に浸っていると、ホレムくんが口を曲げていることに気づく。
話の腰を折られて拗ねてんの? かわいいなぁ。
まあかわいいっちゃかわいいんだけど、彼から感じられる魔力の片鱗が……えげつないです。ソアルタさんの言う「隠している魔力」が私にもわかってきた。この子とんでもない実力者だぞ。大剣とこの魔力量からして魔剣士かな。
「ホレムくん……でしたよね。ホレムくんは、どうしてここへ? さっき、いた、とか仰ってましたが」
「レシュがデベシスの大賢者である貴女に会いたがってる、から、こうして探し出しただけだよ」
魔力を隠す大賢者を見つけ出すホレムくんって何者だよ。
「……私に?」
「大至急伝えたいことがあるってさ」
おかしいぞ、レシュさんのような国から国へ渡り歩くような人たちなら、普通全権を握るという国王とアムラークのほうの大賢者に会いたがるのでは。
「ですが、私は……」
さすがに"これから革命を起こす予定です"とは言いにくいらしく、言葉を濁したソアルタさん。私はそんな彼女の背中を押した。
「ソアルタさん、行きましょう。大丈夫です、私もカルハリアスさんも逃げません」
メランのことが気になるけど、風邪が治ってきた今なら冷静に対処できるはずだ。私も自分を少しだけ信じてみたい。
なによりレシュさんに会いたい。
「……紗枝ちゃんがそう言ってくださるなら何も気後れはありません。参りましょう、レシュードの元へ」
意を決したように頷いたソアルタさんを見て満足そうに微かに笑うと(可愛い)、ホレムくんはまた転移魔法を作動させ、空間に裂け目を生み出した。そこへホレムくん、ソアルタさんの順で入っていく。
私も入ろうと腕を伸ばした、が。
突然頭の中に激痛が走った。インフルエンザとはまた違う、どこか物理的な痛みだ。
風邪か、と思ったがそんなわけない。風邪程度でこんなおかしな激痛感じないでしょう! じゃあ何、えっまさか脳梗塞⁈
なんて一人テンパっていると、目の前の空間の裂け目が強制的に閉められた。閉められる直前、ホレムくんとソアルタさんが焦ったようにこちらへ戻ろうとしていたのが見えたが……今目の前に広がるのはただの森だ。
頭が痛い、やばい、どうしようもないほど痛い。
もうこれは外的要因以外考えられないと痛いのを我慢して周囲を見渡す。
すると目が合ってしまった。
ーー呑み込まれてしまいそうなほど赤い赤い血のような瞳。不気味な夕暮れのような紫色の長い長い髪の毛。
吊り上がった口角も、目線も、すべて私に向けられていた。
真後ろに立っていたそれを、声も出せずただただ腰を抜かしたまま見上げる。
人って驚きすぎると叫び声も出ないんだな、なんてこんな時なのに思った。
それだけ恐怖なのだ、なんていうか……心霊スポットで一人取り残された気分。
ただ、後ろに立っていたそれが目に余るほど醜い化け物だったわけではない。
美しすぎたのだ、あまりにも。
顔立ちだけではなく、恐ろしさも、彼女の美を際立たせていた。むしろ、恐ろしさによって彼女を美なる者にしているのかもしれない。
恐ろしさとはつまり悪意だった。早く、早く逃げないと、と冷静な私が叫ぶが、治らない頭痛と恐ろしさとで体が動かない。
「貴様が」
それは顔立ちは幼さが残っているはずなのに、地の這うような声を出し、私に語りかけてくる。
「貴様があの方に召喚されたという女か」
あの方……?
そ、そうだメラン、メランなら頭もいいし人間に対しては不死らしいし、何よりも私の召喚主を自称してたからこの場を丸く収めてくれそう! 確証はないけど。
痛みと恐怖とで震える手でメランを取り出す。恐ろしい人はメランを一瞥し、目を細めた。
「やはり。貴様が、あの方に召喚されたーー」
この後に続く言葉に、私はついに何もできなくなった。
「憎き、女!」
あ、もうダメだ、私死んだ。
闇夜色の髪を持った女性が手を振り上げたので、死期を悟り穏やかに目を閉じた。
以前オオカミもどきに襲われた時はレシュさんが助けてくれたけど、レシュさんはさっきの空間の裂け目の向こう。
メランを顔の前にかざしやってくるであろう痛みを想像して顔をしかめる。しかし、その痛みは一向にやってこない。
薄っすらと目を開けると、女性が目を見開き後ずさっているのがわかった。
「貴様……そのっ、その本は!」
「えっ……本?」
思わず聞き返す。一体何のことやら、ソアルタさんの小屋にあったあの本のこと? でも腰の袋の中に入ってるから見えないはず……いや、魔力が漏れてたのかな。
すると今まで黙っていたメランが、やっと口を開いた。
「サエ、今すぐ逃げロ」
えらく冷静で、しかも緊張感を持った声。
「シフルかレシュか竜に保護してもらえ、早く!」
いつになく真面目なメランに、鼓動は速くなるが頭がすっと冴え渡ってきた。
ぐっと腰に力を入れてなんとか立つと、おぼつかない足取りながらも転移魔法を展開させる。
シフルさんもレシュさんも、どこにいるかわからない。探知している余裕もない。
ならば行き先はひとつ。
出現した扉のようなところへ飛び込もうとするが、なにか衝撃波のようなものに襲われ飛ばされてしまう。
女性のほうを睨むと、いやらしく笑っていた。
こいつ……魔法が通じないってわかってるのか。だから魔法で直接攻撃せずに、魔法によって衝撃波を生み出して間接的に私を攻撃した!
衝撃波ってどう防いだらいいんだ、いやそんなこと考えてる暇はない、とにかく防げ、生き延びなきゃ、レシュさんに会えない!
攻撃は最大の防御、なんて、偉大な言葉を遺してくれたものだ。
私はシフルさんのところで学んだかまいたち系の魔法を女性に放った。生身の人間に対して使うには少々どころかかなり強すぎるくらいだったが、思った通り、その攻撃の大半は障壁によって防がれる。
しかし私を舐めてもらっては困る。障壁が壊れた瞬間、女性と私との間に巨大な壁を出現させた。蔦のはびこるその壁は、横倒しになったような木でできていた。植物操作系の魔法だ。どうも私はこの魔法が得意らしく、ある程度なら文字通り思いのまま。
「いいぞサエ、早く扉ニ!」
すぐさま女性は木をぶっ飛ばしてきた。とんでもない火力だなオイ! だがその数秒に出来た僅かな隙に、私は扉へと飛び込む。全身が通ったことを確認すると即刻閉じた。
飛び出した先は、まさかの、竜谷は竜谷でも、上空。
不幸中の幸いというか、入り口上空なので、罠は作動していないようだ。
私とメランは、重力に従いとんでもないスピードで落下し始めた。
「ウワッ、オイ、馬鹿! なんつーとこに転移してんダ!」
「だって! ああああ無理無理足が、浮いてる‼︎」
焦りすぎて、前後左右の座標は合わせていても上下は疎かにしていたのだ。数学で習ったでしょうが、空間の座標!
こんなところでヘマをする自分の馬鹿さを呪う。魔法を展開しようとした時にはもう地面は目と鼻の先。ここから助かるにはどういった魔法を使えばいいのか。下手したら死。
「今度こそ死ぬ……」
最近の子はすぐ死ぬ死ぬ言いたがるとか言われるけど、私の場合ガチだから仕方がない。
だがやはり、今度も死なずに済んだ。
地面との距離が1メートル程になった時、下からえげつない熱気が吹き上げてきた。
どうやらそれは魔法由来のものらしく、私の魔法障壁がそれを弾き、そのはずみで私は宙に浮いた。
……この魔法障壁、球形だったのか……。
そんなこと考えてる場合じゃないことを思い出し、下を見てみる。青い青い炎に包まれていた。この熱も魔法由来のもののはずだが、熱すぎて障壁越しにまで伝わってくる。なんちゅー威力だ。
「全く、お前というやつは……その有り余る魔力が泣いているぞ」
炎の加減でゆっくりと地面に降ろされ、完全に抜けた腰をさすりながら見上げた先には、頭をおさえて唸る人型のイーリスさんがいた。ウォルさんの師匠と思しき、村長にもタメ口を聞ける人ーーというよりドラゴンーーである。
「い……イーリスさん……」
大声で驚く気力もない。力なくそう呟くと、イーリスさんはしゃがんで私に目線を合わせると、面倒臭そうに口を開いた。
「で、今度は何があった?」
「えっと……襲われ……ました、あの……髪の毛が紫色で……目が真っ赤で……頭痛いし、怖いしで、もうヤバくて」
そういえばいつの間にか頭痛は治まっている。
一方イーリスさんは、深刻そうな顔で眉間に深いシワを刻んでいた。
「……サエ、一つ問おう。お前は何者だ?」
「え?」
「お前には力がある割に、無知すぎる。無知ゆえに、襲われるのだ」
それとも、と、竜独特の眼光を光らせ、イーリスさんはこちらを鋭く睨みつけた。
やけに自分の奥深くに突き刺さったような気がした。
「無知のふり、か」
「……そりゃあ、そうなるんでしょうけど」
確かに私はどっからどうみても怪しい人間だ。でも、少しは心を通じあわせることができたと思っていた人に、疑いの目を向けられたことがなによりも寂しかった。
今まであまり人と関わってこなかった分、こういった感情には慣れてない。
「私を信用してください、なんて言っても無駄なのはわかってます。こんな性格と魔力の素性も知れないやつに何言われても信用なんて出来っこない……でも私は貴方たちを信じたい。信じてみたい。……私にも事情の一個や二個あります。それは誰しも同じでしょう。ただ、私は……貴方たちを傷つけるつもりは全くありません。この言葉だけは、どうか信じてください。お願いします」
イーリスさんにもジッと目を見つめられ、思わずそらした。こういう時ずっと目を見返していられる人が羨ましい。
しかしイーリスさんは目を伏せ、何かを思案するそぶりを見せてから「わかった」と一言だけ言い、静かに立ち上がる。
「レシュがお前を気にかける理由を、やっと理解できた気がする。あまりにも無垢だ。危なっかしいんだ、あの白の巫女と同じでな」
む、無垢……? イケメンの顔を拝んで喜んでいるような私が無垢……?
白の巫女とはつまりカテーナさんのことだろう。カテーナさんと並べられるのは申し訳ないし劣等感半端ないからやめてほしいです。
「ただあの白の巫女は意志が強い。一方お前は優柔不断で他人に流される。……人を惹きつける力は白の巫女の方が上だな」
「いや……ごもっともですけど……何もそんな堂々と言い切らなくても……」
「お前は面倒ごとや悪人、清廉な者に何か偉大な力など兎角なんでも引きつける。厄病神である自覚を持った方がいいぞ」
「はい……」
容赦ねえなこの竜……。
「だがな」
いよいよ三角座りで黄昏始めた私を無視し、イーリスさんは話を続けた。
「サエ、お前は何があってもずっと前を向いて歩かなくてはならない。いつだって明るい道を歩むは力ある者の務めだ。……何もかも引きつける代わりに、お前の周りには色んなやつがいるだろう。手にあまる自体が起きれば、そいつらを頼れ。無論……私のこともな」
ふ、と優しく笑った超絶美人竜イーリスさん。
「うう、イーリスさぁん……!」
やばい、泣いた、本気で泣いた。嬉し泣き。前が歪んで仕方がない。
イーリスさんはきっと本気で心配してくれたのだ。ちょっと、というかかなり厳しい人だけど、めちゃくちゃ優しい人なんだ。優しいから、仲間のために私を疑った。
「やれやれ、こんなんじゃ疑った私が阿呆らしいな」
そういいつつも、顔は呆れたように笑っていた。
「まあ、そうとなれば、お前に伝えなくてはならないことがある。急で悪いがついてきてくれ」
ふぁい、と返事して立ち上がろうとするも足に力が入らない。なんとかして立っても生まれたての子鹿ばりの不安定さになってしまう。
私が悪戦苦闘している様子を見たイーリスさんは、くるりと背を向け、しゃがみ、「乗れ」と一言。
「え、あ、でも」
「何を遠慮している。いいから早く乗れ、鈍間と呼ぶぞ」
結局やり込められ、私は恐る恐るイーリスさんの背中に乗ったのでした。




