そのサンジュウイチ、あの子たち
最初は心地よい眠気だった。
それがどうだろう、突然悪寒に変わったのだ。猛烈な眠気に吐き気に寒気。とまらない鼻水に咳。
そう、つまりは。
「ぶえっきぃしょん! うう、さむい……さむいよメラン……」
「イヤイヤ、お前な、ちょうどあのセリフから三日後に風邪ひくっていう綺麗なフリ回収しなくていいから」
風邪ひきました。
今は真昼。太陽が高く昇り、森にできた道をただただ歩いてる私に起こった悲劇、風邪。
魔法でなんとかしようとしたものの、医学的知識が皆無なため、そもそもどこをどう治したらいいかがわからなかったので断念。
無駄に体力だけ底上げしてなんとか歩いてる状態です。
「もう……もう無理だあ……きっとここで死ぬんだ……ぶえっくしょん!」
「なんでこういう時だけ弱気なんだヨ、それに死なれちゃ困る! 歩け、ホラあと少しで村だぞ! アヴェンドラ国に入ったのに村にたどり着けずに死ぬのかお前は!」
アヴェンドラ国自体には三日目の早朝、つまり先ほど入れたのだが、王都にあたる街までひたすら遠いという。
あと三十分ほども歩けば村にたどり着けるらしいけど無理です。視界が揺れまくって目の前を跳ねるメランが二匹に見える。
「……うん? うんうん? メラン……メランが四匹……八匹……⁉︎ ぶえっきぃしょん!」
「オイサエェ⁉︎ 大丈夫かよしっかりしロー!」
盛大にかましたくしゃみを合図に、私の意識はそのままいとも簡単にどこかへ飛んで行ったのでした。なんて軟弱。
夢を見ている気がする。
もしかして明晰夢ってやつだろうか?
私はただ、大きな建物の中で、まるで自分が幽体になったように、やけに色鮮やかなその場面に浮いていた。
目の前にいるのは……シンプルかつ落ち着いた雰囲気の調度品に囲まれたレシュさん。
彼は仲よさげに誰かへ笑いかける。私も見たことのない、とびきりの親愛の証であるようなその笑顔。
思わず見とれてしまったが、急いでその笑顔が向けられた相手を確認する。
レシュさんと同じように笑っていたのは、黒い髪のーー
あれ……。
シフル、さん……?
野菜を煮込んだスープの温かい香りに包まれ、私はそっと目を開けた。
遠く、どこか遠くから料理をする音が聞こえる。ついこの間までは毎日聞いていたその懐かしい音。
現実世界だろうか? まさか今までのは全て、夢ーー
「あー! カテーナちゃん、サエ起きたよ!」
夢じゃなかった。
確かに現実だけど、違う意味で現実じゃなかった。
なんでモーレが目の前にいるの?
どうして私は見知らぬ部屋でベッドに横たわっているの?
「やっほー、久しぶりだね、サエ! ボクこんなところでサエに会えるなんて思ってなかったなあ。嬉しいよ」
ベッドの脇で嬉しそうに跳ねるモーレ。彼女は確かレシュさんの横に引っ付いてた……。
レシュさん?
突然あっと叫んだ私に驚いたのか、モーレがこちらを見た。
「えっ、あっ、ごめん、ちょっと混乱しちゃって……」
さっき見た夢はなんだったんだろう。
というかそれ以前に、ここにモーレがいるということは必然的にレシュさんもいることになる。腰の袋を確認したところメランは行儀よく収まっていたので、大変まずい状況ということになる。
最初はきょとんとしたモーレだったが、私の記憶が曖昧になっていると勘違いしたらしく、身を乗り出して状況を説明してくれた。
「あのね、ボクたちがアヴェンドラに入ったら、サエが倒れてたからびっくりしたんだよ。一番近くの村にレシュが運んできたんだ、覚えてる?」
ゆるゆると首を横に振った。
レシュさんが? 私を? 運んだ?
レシュさんが?
私を?
言葉にならない叫び声が身体中に響いた。
マジかよ……! ごっそり体重落としておけばよかった……!
だって私明らかにカテーナさんより十キロは重いもん! 私の方が高いし身長差とかのハンデはあれど、とにかく細いカテーナさんと比べたら肉ダルマだもん!
最近こっちの世界に来てから体重落ちるなあなんて浮かれてた私が馬鹿だった……!
「どうしたのサエ、どっか痛いの?」
私の挙動を心配してくれたのか、モーレが顔を覗き込んできた。
「いや、その……レシュさん重そうにしてなかった?」
洋服の綺麗さから言って、俵担ぎで運ばれたんだろうな……流石に引きずっていくのは心苦しかったんだろうな……。申し訳なさでいっぱい。
「全然! レシュ、ああ見えてすごく力持ちなんだよ。大男だって投げ飛ばせるもん!」
マジで? やばいなレシュさん。惚れそう、いや惚れてた。
ってそれはよしとして。どうしよう、腰にはまだメランがいるのに! いなければ逃げましたとか適当なこと言えばやり過ごせたのに! レシュさんにそいつを渡せとか言われても渡せない!
レシュさんに会わせる顔がない……いっそワープするか? 竜谷にワープしちゃうか?
なんて一人悶々と考え込んでいると、部屋にカテーナさんがおかゆを持ってやってきた。
「サエ様! 倒れているところを見つけた時は心臓が止まるかと思いました! 大丈夫ですか、あの方々に酷いことされたんですか⁉︎」
おかゆと木のスプーンを渡しながらカテーナさんが詰め寄ってくる。見た目の割にこういうところは強情らしい。お母さんみたいだ。というか料理をしてたのってカテーナさんだったのか。
「あの方々……ってつまりシフルさんたちのことですか? 全然そんなことないです、むしろ優しくお世話してくれましたし……」
お友だちにもなったしね、と心の中で付け加えておく。
カテーナさんはホッとした様子で胸を撫で下ろした。
「モーレ、竜谷のときはヒメルと出かけてたから、騒動のことはわかんないや。でも大変だったんでしょ?」
「いや……あれは大変っていうか……カッコよかったっていうか……」
カッコよかった? と聞き返されたので、ああいや、と言葉を濁した。
レシュさんとウォルムスさんバーサスシフルさんが見れたんだよ。
それに何より、カテーナさんが震えながらも身を挺して守ろうとしてくれたことが嬉しかった。
「ああそうだ! 今レシュさんっていらっしゃるんですか」
話の流れを変えるためにそう言えば、二人は顔を見合わせる。
「あとどれくらいかな?」
「ええと、あと三時間ほどで戻られると思いますよ。お仲間を連れて散策へ行かれました。私たちはお留守番です」
つまりいない、と。
ホッとする味のおかゆを食べ終わってから、私はベッドから出ようとする。しかし二人に止められた。
「まだ安静にしていてください!」
「そうだよ、サエは病人なんだから! まだ熱下がってないし!」
え、ああ、と額に手を持っていく。熱い。そうだった、私風邪引いてたんだった。
でもそんなことは関係ない。レシュさんと顔をあわせる前に、一刻も早くここから離れないといけないのだ。
本当はレシュさんに会いたいことこの上ないけど。でもメランのことをよくわからない今、レシュさんと面と向かったらどんなことになるか知れたものじゃない。レシュさんしか知らない方法で、目の前でメランが抹殺されたら困る。
「私大切な用事があって……」
「命より大切なものがありますか! ちゃんと寝ていてください。何かあれば私たちがなんとかいたします!」
カテーナさん本当にお母さんみたい。
それでも、と顔をしかめていると、モーレがぎゅっと手を握ってきた。真っ直ぐに目を見つめて、優しく、諭すように語りかけてくる。
「サエ。ボクはサエが何を急いでいるのか、何を困ってるのかは知らないけどさ。ボクたちもう仲間なんだよ。一緒に旅はしてないけど、こうしてちゃんと楽しくいられる仲間なんだよ。ボクはサエが何かに困ってたら、力になってあげたい。……ボクたちに、サエのためにできることはないの?」
心からの言葉。
嘘偽りのない、曇りのない目。
だからダメなんだ、だから困るんだ。この人たちといると、暖かい人たちに囲まれると、心の奥底に眠っていたものが目を覚ましてしまう。
認知すらできなかった感情が、顔を覗かせちゃうんだ。
風邪のためなのか潤んだ目を上に向け、心を整理する。
私はどうしたいんだろう。この人たちと一緒に行きたいのだろうか。
この人たちに話せば、共に行動してくれるだろうか。
……きっと行動してくれるだろう。
でも、と私は悟りに近い気分になった。心が鎮まり返り、残された結論に口を閉ざす。
私一人で動いた方がずっと簡単だ。ずっと楽だ。
彼らを危険な目に合わせることもない。
仲間になるなら、全て終わらせてからがいい。
「……モーレ。ありがとう。私、そう言ってくれる人たちは初めてでさ……。そう思ってくれるだけで、私は頑張れるよ」
事実だ。その気持ちだけで私は明日も歩いていける。ホント単純な女かなあ。
それでもなお心配そうに見つめてくる二人から逃れるため、私はベッドから降りて立ち上がった。
「ちょっとトイレ借りていいかな!」
「あ……お外に出たところに、あります」
出来るならカテーナさんになりたいな、なんてぼんやり思ったけれど、彼女もまた重い何かを背負ってるんだ。重い何かを背負っていても、それでも私のものも一緒に背負ってくれると彼らは言った。
どうしてそこまでできるの?
私もあそこに入れたら、出来るようになるのかな。
ただトイレに行くだけなのに、意味もなくゆっくりと歩を進めた。
トイレから出た時、周囲の騒がしさに気づいた。
ここは村の宿舎らしく、トイレは森に面するところに建っていたが、建物を挟んだ反対側の通りらしきところから複数人の話し声が聞こえた。
耳を澄ませると、役人の男たちらしい。それと、カテーナさんとモーレが応対しているようだ。
「大賢者様がここらから常識では考えられないほどの巨大な魔力反応を感知したと仰られた! 村の者によると貴殿らが匿っているそうじゃないか」
巨大な……魔力反応……。
まずい、どう考えたって私だ! 風邪をひいて気絶している時、制御が甘くなったに違いない。
シフルさんのところで修行して以来、歩いている時も寝ている時も魔力を抑えることも出来るようになったけれど、流石に体調が悪い時は無理だったらしい。
どうしよう、なんで私を探してるんだ?
あれかな、魔力反応が巨大すぎるから、じ、人体実験とか⁉︎ 国家兵器とか……⁉︎
どうするどうする、と壁にかけていた袋を半ばひったくる形で取り、逆さまに振って出てきた黒い物体に助けを求めた。
「もっと丁寧に取り出せヨ……で、どうすんだ、サエ」
「どうすんだはこっちのセリフだよ! どうすればいいのメラン、私……」
遠くからカテーナさんたちが揉める声が聞こえる。「そんなもの匿ってません」「じゃあ中を見せてもらおうか」「だ、駄目です!」「どうしてだ?」「それは……」
どうしよう私のせいで多大なるご迷惑が……!
「どうすればって、普通に逃げればいーじゃねーカ。幸い見つかってねーんだし」
「駄目だよ! それじゃカテーナさんたちはどうなるの、下手したら国家反逆罪とかで捕まるかも……」
「お前本の読みすぎじゃねーの?」
「万が一のことを考えてるだけですー」
そう強めに言うも、事態が好転するわけじゃない。
メランは私の方をじっと見て、ただ一言こう告げた。
「適当にやってみろヨ、今のお前には怖いもんなんてねえだろ? いや、レシュが怖いか」
「そ、そっか……私は今とんでもなく大きな力を持ってるんだ……できる……できる……私ならできる……」
変わりたい。私のことを思ってくれてる人たちを守りたい。動け足、動け頭、もうとにかく何でもいいからなんとかして! ええい!
「そこの役人さんがた!」
表に回って、私は揉める役人とカテーナさんたちの前に登場した。
「……この魔力反応……貴殿か」
「う、は、はいそうですとも、私があなたがたが探している者です! 何か用でしょうか」
「大賢者様がお呼びである。おとなしくついてきてもらおうか」
しかしそう言う役人たちの背後からは何か危ない魔力を感じた。大人しくついて行って、無事に返してくれる気がしない。
「嫌です、あなたがた、変な武器をお持ちでしょう。そんな人たちについて行く馬鹿がいますか」
ぎこちなくもちゃんと言い切った。だが役人たちにはいい気はしなかったようで、舌打ちをして腰のベルトに手をまわす。
「アヴェンドラ最新鋭の武器を知っているとは、貴様やはり不穏分子だな。馬鹿そうだからさっさと返してやろうと思ったものを」
役人さんがたが取り出したのは、なにやらいかつい銃。嘘でしょ、このファンタジー世界を壊しかねないものが生み出されていたなんて……。
というか墓穴掘った! 撃たれる!
カテーナさんとモーレの叫びとともに目をつぶったが、大きな音はしたものの、衝撃は襲ってこなかった。
ーーそうだった、私全方向バリアで守られてるんだった。
それでも怖いものは怖いが、とりあえず命の保証はされている。ばくばくとうるさい心臓を抑えて、驚いた様子の役人たちを見据えた。
「魔弾銃が効かないだと」
魔弾銃……どうやら魔法が使えない者でも、強力な魔弾が発射できる装置らしい。確証はないけど名前の響き的にそんな感じ。火薬の匂いもしないし、魔力の動きからもそう推測できる。
よかった、ここで鉄の塊ぶっ放されてたら、幻滅して元の世界に戻ろうかなんて考えちゃうとこだったよ。
というかこれからどうしよう。相手を再起不能にする? でも問題の根本的解決にはならないし……。
逃げよう! カテーナさんたちと無関係だということを主張して帰ろう、どこかに!
「じゃあお嬢さんがた、道で倒れていた私を看病してくださったのにこんなことに巻き込んでしまったことをお詫び申し上げて、退散させていただきます!」
走ろう、とりあえず走ろう。
響く制止の声を無視してひたすら走った。森を抜け山を抜け、役人たちがもう追ってこないことを確認して初めて立ち止まる。
「は、はあ……はあ……ふぅ、あいつらしつこすぎでしょ……馬に乗っていたとはいえ、魔法でいろいろ底上げした私を追ってくるなんて」
「ワープしちまえば一発だったのに、カテーナたちからあいつらを引き離す目的で足で逃げたんだな、お前」
いつの間にか肩に登ってきていたメランが冷静に分析した。
「……頭いいんですねぇメランさんは」
気恥ずかしくなってそうおどけてから、周囲を見渡す。とにかく走ってきたから、周りを見ていなかったのだ。
ごつごつとした岩に、はじけるように流れている川と滝。
遠くから聞こえる虫や動物の鳴き声。
うーん……。
「どこ、ここ」