そのニジュウキュウ、お迎え
「はぁーこれ何語? いや日本語じゃないのは確かなんだけど、そういう意味ではなくって……ってやめよう独り言は」
シフルさんリリルさんに過酷な試練を言い渡された私は、空がすっかり暗くなった今もまだ魔導書と睨めっこしていた。
近くに灯りとして、光魔法と木をいじる造形魔法(これは最初の方にもやったけれど、今回は材質やデザインにもこだわってみました)で作られたランプがこれまた魔法で浮かんでいる。魔力出血大サービス。
魔法のありがたみに涙したのもつかの間、目の前の惨状をどうにかしないといけないという過酷な運命に現実に引き戻されました。
「絶対これさー世界で一番頭いい大学の優等生さんくらいじゃないと無理だって」
逆に言えばこの魔法ができてしまうシフルさんは……考えるのはやめよう。
とにかくこれは一介の女子高生、それも平々凡々な頭脳を持ったお子様にはとても理解出来るものではない。
そもそもシフルさんほどの人だったら、私がいかに平々凡々な頭脳を持っているかすぐ見抜けたはずだし、こんな魔法理解できないってわかるんじゃないのか。
なんて、怒りの矛先をシフルさんに向け始めた矢先、それを察したのか否か、ご本人が登場。
「よーサエ元気にやってるかー! どうやら苦戦してるみたいだな」
「こんなの最初の一行も読めませんよ!」
「まぁまぁ、いいか、この魔法はだなー、ぐんってやってしゅんっぱっふんってやるんだよ」
何言ってんだこいつ。
「せめて擬音はやめてください」
「えー? じゃあ……魔流とその余波の痕跡を意識下に起き座標上で融合させてーー」
「あ、もういいです結構です大丈夫なんで」
もしやシフルさん、頭が良すぎて、いわゆる「理解できないのが理解できない」タイプ?
でもこの間「683から83引いたら何になるっけ」とか言い出したし、どうやらシフルさんは魔法関連にだけ突出した才能を持ってるらしい。それ以外はアホの子というか、天然? ドジ?
私が拗ねてシフルさんから顔をそらそうとした時、シフルさんはふと真顔になった。
どうしたのだろうと目を合わせると肩をがっちりと掴まれる。肩越しに見える月が静かな夜を照らし出していた。
「いいかサエ、俺は事実上お前の師匠だが、魔法以外に教えることはない。でもこの言葉を覚えておけ」
一呼吸おいた後、いつになく真面目な顔で、シフルさんは続けた。
「お前はこの世で一番魔力そのものに近い人間と言える。そして魔力とはこの世界の秩序そのものだ。お前は、人間が作り出した式に惑わされちゃいけない。感じるんだよ、サエ、お前のすること全てに理屈が通るわけじゃない」
「わた……私のすること全てに、理屈が通るわけじゃない……?」
美形が目の前にいるし、言ってることは何やら超重要だしで混乱する私を見て、何度か瞬きしたシフルさんは噴き出した。
「つまりはだな、お前はクソみたいにチートレベルのやつだから、魔法は基礎さえ学んでりゃどんなやばいやつでも使おうと思えば使えるってことだよ」
いつも通りの無邪気な笑顔になったシフルさんだが、私は未だ納得できず。
「でも私この魔法理解できませんよ?」
「言ったろ、理解できるできないの問題じゃない。クソみたいにチートみたいなもんだから"使える"んだよ」
目をパチクリさせた私を見て、「まあ物は試しだな」とシフルさんは苦笑する。そして無残な姿になった家を指差した。
「いいか? イメージするんだよ、あれが以前どんな形で、どんな風に壊れたかを」
言われるがまま、目を細め家を見つめる。
「集中して事細かくイメージさえすれば、あとはなんとかなる。壊れた後しか知らないやつだって、なんとまあ便利なことに、壊れる前のイメージが頭ん中流れ込んでくる」
シフルさんの声に呼応するかのように、瞬きをした瞬間、見つめ続けた家の壊れる前のイメージが鮮明にまぶたの裏に張り付いていたかのように目の前に現れた。
「よっしゃ今だ!」
体の中の魔力がイメージに反応したのか、気がついたら家が、何の変哲もなくそこに佇んでいた。
まるで、時を遡ったかのような……。
「おお! さすがサエだな!」なんて叫ぶシフルさんの声を意識の遠くで聞きながら、私は目の前のまさに"奇跡"に呆然としていた。
今まで何かを目の前で作り出したりする、いわゆる物理的な魔法しか使ってこなかったから、こういう手品のような魔法には慣れてなかったのだ。
短いため息をついた私に、シフルさんが優しい笑顔を向ける。
「そうそう、あと一つ。確かにお前はすげーチートだけどさ、ちゃんと一人の少女だってことも覚えとけな」
「はぁ……」
まーそのうちわかるって! というシフルさんに腕を掴まれ、私たちは直ったばかりの家に入った。
「おおすげ、ちゃんと壊れる前通りの本の散乱具合だしホコリもある」
中に入り本を手に取ったシフルさん。口ぶりからして完全に元どおりにするのは難しいのかな。
取り敢えずテーブルに座ると、シフルさんがキッチンからティーセットを持ってきて、お茶入りのマグカップを差し出してくれたので、口に含む前に気になっていたことを尋ねてみた。
「そういえばシフルさん、私がこの魔法成功させたらなんか大切なこと頼むとかなんとか言ってませんでした?」
最初は「へ?」なんて言いたげに飲んでいたお茶から顔を上げたシフルさんだったが、「ああそういや言ってたな」と表情を引き締めてお茶をテーブルに置いた。
そして静かに語り始める。
「あいつらに聞いただろ? 巫女の話」
あいつら、というとレシュさんたちのことだろう。
「はい、なんでも王を導くとかなんとか?」
「ああ。……あえて結論から言わせてもらうと、俺の目的は巫女を排することだ」
巫女を、排する?
「それを私に手伝わせようと?」
「まあ、そう言い表せば、そうなるな」
なにやら含みのある言い方だったので、シフルさんの言葉の続きを大人しく待つ。
「お前が教えられた通り、巫女とは王を導き世界に安寧をもたらす存在だ。それは間違いない」
「でもそれを排除しようっていうんですよね?」
「いいか、これから話すことは誰にも知られちゃいけない……もっとも、レシュは知ってるんだがな」
誰にも知られちゃいけないのにレシュさんは知ってること……。やっぱシフルさんとレシュさんはなにやら深い関わりがあるようで。
「巫女は先を見通し、王に進むべき道を示す存在なんかじゃない」
お茶を一口飲んでから、シフルさんは続ける。
「彼女らは未来をも変える恐るべき聖女なんだよ」
「未来をも変える……恐るべき……?」
恐るべき魔女、ならわかるけど聖女? それに、未来を変えるって具体的にどうやって?
「巫女とは本来神の子という意味の方の神子だ。しかし本当の神の子は初代巫女だけ。それ以外は初代巫女の力に感化された、人間だったやつらだ」
「人間だった、ってことはもう人間じゃないんですか?」
「人間なんだけど性質が違うからな。まあ適当に巫女族とでも名付けようか」
歴史に残りそうなものをその場数秒で名付けたぞこの人。
「そんでさ、その巫女族が殺しあってるってレシュが言ってただろ?」
「その殺しあいの理由の、一番有力な仮説について話してるところで確かシフルさんが割り込んできたんですよね」
嫌味を混ぜて言えばハハハなんて苦笑する。「しょうがねーだろ、それは俺の口から言いたかったんだ」と、どこからかテーブルに向かって飛んできたクッキーを一つかじりながら言った。
「一般的に知れ渡ってる巫女の話は大体は真実だ。だが初代巫女の最後らへんは全くの別モン」
シフルさんはテーブルに身を乗り出したかとおもうと、深刻な顔で、声を潜めて続ける。
「初代巫女はーー……!」
次の言葉を形作ろうとシフルさんの口が動いたと思ったその瞬間。
シフルさんは何かに気づいたらしく、恐るべき速さで私の背後の壁に向かって強力な火炎弾を撃ち込んだ。
小規模な爆発が起き、せっかく直した家は爆風によって滅茶苦茶になる。
そのことを嘆くよりも早くシフルさんは私を小脇に抱え、爆発した先を見やった。
「ちょっとシフルさん続き! 続き教えてくださいよ!」
またお預けですか! 一体何のつもりですか、ドッキリですかと抗議するも、少し振り返ったシフルさんの目が爛々に輝いていた上、
「少し黙ってろ」
のお言葉に多少興奮しておとなしく口をつぐみました。違うから、私はマゾじゃないから。いつも無邪気な笑顔を見せるあのシフルさんの年相応な大人びた顔が格好良かっただけだから。
さて突然の来訪者は一体誰かなと顔をやっと晴れてきた砂埃のほうに向けるも、誰もいない。
チラ見したシフルさんは「チッ、リリルもいねー時にお客様かよ」と下の方を見て……、下の方?
いやいやまさか、と思いつつ視線をゆっくり下の方へ向けるとーー
「よォ、久しぶりだな、サエ」
「メッ…………」
メラン……。
いやいやいや、なんで今? なんでこの瞬間にメランが登場?
ピリピリとした空気、魔力に似合わずボールのように跳ねるお久しぶりの餅野郎。
「おい黒餅、今は俺のターンだぞ」
シフルさんが挑発的にメランにそう声をかける。その馴れ馴れしさからいって、やっぱお知り合いなのか。
「俺がいつここに来ようが俺の勝手だろー! それにお前はダラダラダラダラ長すぎんだヨ」
唾を吐くような仕草を見せ(当然唾なんて出てこないのだけれど)、メランは私の方を見た。
「ヤッホー、助けに来たぜー」
「助け?」
あーそっか私誘拐されてるんだよな、そういえば。でも日数的にもシフルさんたちの方が一緒にいるし気も許しかけてるから複雑だな。
メランが家に入ろうと跳ねる。しかしそれはどこからか飛んでくる水の柱によって遮られた。
「哀れだなァ餅、いくら魔法が効かなくたって物理的手段を使えば侵入は防げる。外からは魔法は使えねーってのは見破ったようでさっきはこっそり入ろうとしてたみてーだけど、残念だったな」
なんかこれどっちが味方なのかさっぱりわからなくなってきたぞ?
今まで会ってきた中で、確実にいい人なのはレシュさん。しかし不在。
あとは目の前にいるそのレシュさんと敵対関係にある「自称世界をいい方に持ってく」人たちと、謎の黒い餅。
「……ッチ、しょうがねーな、こりゃ細胞レベルで粉々になるしかないっぽい」
メランが何度も家に入ろうとし、その度に水柱に当たって大袈裟なまでに体を裂く。
そんなメランを見ていよいよ時間がないことを悟ったのか、シフルさんは諦めた様子で目線を私に合わせた。
「もうこうなったらどうしようもねー。これ以上逃げるわけにもいかねーしな。ただ俺の一番の目的はすぐ果たせるから、サエ、協力してくれるか?」
「協力って……」
何をするつもりだと問おうとしたところで、シフルさんは己の小指と私の小指を絡ませた。
まるで、私の元いた世界の……「ゆびきり」のように。
「もし嫌なら拒否しろ。俺はそれでも構わない、また他の手段を取るまでだからな」
もしかして、シフルさんが前言ってた"約束"ってこのことだろうか? でも一体何を約束するのだろう。
その疑問は、シフルさんの補足で解消された。
「これは"友"の"約束"つって、何があっても決してお互いに対してだけ、攻撃系の魔法をかけられない一種の制約魔法だ」
「お互いに?」
「ああ、俺はお前を操る魔法を使えないし、お前も俺を操れない。お前を直接傷つける魔法は使えないし、お前も俺を傷つけることは出来なくなる。……それでもいいな?」
きっとシフルさんは私がどんなになろうとも、自分の脅威にさせないためにこの約束を交わそうとしているのだろう。何が何でも、自分の目的を遂行させるために。
「本来は弱い魔法なんだけどな、俺とお前の"約束"じゃこの世の何よりも強い拘束力を持つと思うぞ」
シフルさんの小指に魔力が溜まるのを感じた。私も小指に魔力を溜めれば"約束"は成立だろう。
一瞬、考える。メランは何も言わない。きっと危ない魔法とかではないのだろう。
シフルさんの言葉からも、目からも、今までの行いからも……なにか悪意を持って利用してやろうなんて気は一切感じられなかった。
最初からそうだったじゃないか。この人はレシュさんと敵対はしているけれど、どこまでも真っ直ぐな人だ。根本は、本当にそっくり。
「……わかりました、"約束"します。それが、あなたのためになるなら……!」
小指に魔力を溜めた刹那、目も開けられないような光が接した部分から漏れ出した。
果てしなく眩しく、果てしなく暖かく。
きっとこれが友情ってやつなのかな?
私は友好関係狭かったからよくわかんないけど……。
「……っありがとなサエーっ!」
"約束"が交わされたと気づき、がばりと抱きついてきたシフルさんをどうしたらいいかわからなかったが、やっと家に入ってこれたらしいメランが目に入り、視線を向ける。背後からは朝日が差し始めていた。
シフルさんはメランに気づいているようだったが、動こうとしなかった。
「……"約束"か。…………サエ、行こーぜ」
メランが呟いたかと思うと、辺りの魔力が動き出す。
転送魔法か。どうやらあれから一週間は経っていたらしい。
私が転送される直前、突然顔を上げたシフルさんは、いつも通りの無邪気な顔で
「俺たちゃもう友だちだな!」
なんて笑った。
シフルさんの言葉を聞き終えた直後、気がつけば私は見知らぬ街に立っていた。
……私、シフルさんが大悪党でも正義の人でももうどっちでもいいや。
あの人を傷つけない"約束"を交わして、本当に良かった気がする。
初めて見る街へ、温かい気持ちで包まれながら、私はまた一人……いや、腰の袋にもう一匹いるか。一人と一匹で、一歩を踏み出したのでした。
「またあんたのせいで仲間作れなかった」
「見境いないなお前。誘拐犯だぞ」