そのニジュウニ、長老
ドラゴンさんの背に乗って揺られること三十秒。谷に作られた石造りの大小様々な家や洞窟が、岩の壁の向こうに広がった。その奥にぱっくりとあいた、入り口が神殿みたいに彫刻された巨大な洞窟が見える。恐らくは長老の住居かそのまんま神殿か。
そんな光景はもう絶句もののはずなんだけれど、なにぶんドラゴンさんのスピードが中々で、重力がかかって感動どころじゃない。私ジェットコースターあんまり乗ったことなかったからこれはキツイぞ。
その時ふとあることに気づいた。
「そういえば、ドラゴンさんのお名前伺ってませんでしたね」
空中、それも外気に触れているのに何故か風は吹き荒れない。さすがファンタジーと言うべきところだろうか。おかげで会話するのは比較的楽だった。
私の言葉に、ドラゴンさんは少しだけ首を回して振り返る。細長い瞳孔が私を見透かした。
「そう言われればそうだったか」
「えと、私は紗枝です」
そんな一言で、頭に英文がよぎった。アイアム、……。
そういえばこっちにきてまだ一週間どころか二日三日くらいしか経ってないのか。もうすぐ夕方だから、うん。やっぱり全く時間経ってない。
元いた世界はどうなってるんだろうかね。帰る気はさらさらないんだけどさ。金あるし能力あるし人は優しいし人外の宝庫だし。
まあ我が家族よ今までありがとう。私、空凪紗枝はこっちの世界で生きるよ。
「そうか、サエ。ふむ、なんだか懐かしい名だ」
「おまえが懐かしいと言うなら大昔のことなんだろうがな」
先ほどからちょくちょく皮肉を交えてくるウォルさんからは、ドラゴンさんに対する不満がうかがえる。愛情故の不満ってやつ? 気を許してるんだろう。
「懐かしいって……私と同じような名前の人が他にも?」
まあ魔法も魔法だし、私みたいなのが他にいてもおかしくはない。むしろもっと居るべきなのにいないのがおかしいくらいだ。
ドラゴンさんはしばらく思案顔になってこう答える。
「駄目だ、思い出せん。歳は取りたくないものだな。ああ悪い、ワタシの名前はアルクイーリスだ。アルクとでもイーリスとでもなんとでも呼べ。よろしく頼む、サエ」
「こちらこそよろしくお願いします」
ドラゴンさん改めイーリスさんは少しだけ笑った。
「笑える程の魔力なのに、常識はあるんだな。珍しい」
「茶化してるんですか」
眉をひそめつつ、なんとなくウォルさんを横目で見る。彼は後ろを見つめていた。思わず見惚れそうになるも、視線の先が気になり顔を向ける。しかし何もない。
どうかしましたか、と声をかけようと口を開きかけると、はじかれたように、彼は突然私の頭を押さえつけた。
「痛! どうしたんですかウォルさん」
ドラゴンの鱗ってやっぱり硬い! 痛い!
イーリスさんが黙って見つめる中、私の頭から手を離したウォルさんは、いつの間にやら握っていた左手を差し出す。
「恨みを買う真似でもしたのか、おまえ」
痛む頭をさすりつつ、その手のひらを覗き込んだ。瞬間、つららに襲われたような冷えた衝撃が全身に走った。
「こ、こいつは……」
矢。それも、先っちょが刃で出来てる、人を殺すことを目的としたもの。ウォルさんは、それを素手でつかんでいた。感心してる場合じゃないんだろうけど、ウォルさん半端ない。
しかし驚いた箇所はそこだけではない。紙が、柄のところに巻きついていた。矢と紙のセットに見覚えがある。ほら、よく、漫画とかの中にあるーー。
「果たし状ってやつですか!」
オタク心がくすぐられた。イーリスさんの周囲を防護壁で囲み、紙を矢から外す。
「おまえなあ、今命を狙われたんだぞ」
ウォルさんが呆れたようにため息をついた。そんなこと気にせずに紙を開こうとするも、開かない。
「今のは森の向こうからだったな。飛距離と、ワタシに近寄れたことからして……魔道弓か」
「まどうきゅう?」
イーリスさんが落ち着いて解析する中、気になるワードが出て来たので復唱した。イーリスさんは丁寧に教えてくれる。
「言葉通り、魔法を利用した弓だ。魔法を使えない者用から、賢者クラスが使うものまで、幅広い定義にある」
魔法を利用した、ということは。
試しに、紙に魔法を無効にする魔法をかけてみた。
あ、開いた。
一番上に書いてあった文を見て、思わず顔をしかめた。
「どうした」
ウォルさんが覗き込む。私はイーリスさんのために紙の内容を読み上げた。
「サエ様。ご無沙汰しております、赤髪の者です。此度、貴女の隊長殿についていくとの判断は間違っていると伝えにこのような手紙を送らせていただきました。どうか思い直しを。それと、隊長殿と共に居る女。お気をつけください、やつは災厄です。悔しいことに、私にはそちらに行くだけの力はありません。ですので、こちらから、貴女のご武運をお祈りさせていただきます」
「赤髪の?」
「ちょいと前にありまして。理不尽にも追われてるんですよ」
紙を折りたたんで、ポケットに仕舞った。あー、忘れてたよ、あの美女。
「それにしても、件の女の子、危険らしいですよ」
後ろを、目を凝らしながら見る。魔法で視力を高めると、微かに赤い人影が見えた。背中に冷や汗が伝う。
「敵の言うことを信じるのか」
矢を飛んできた方向に投げたウォルさん。なんだかその矢、あの美女のところに的確に飛んで行きそうで末恐ろしい。
「敵、なんですかねぇ……」
実は未だに彼女たちが本当の敵なのかが判別つかない。そもそも敵ってなに? 赤髪の人が言ってたあれも一理あるけど、そこらの少年漫画だとだいぶ違うよね。
「なんだその曖昧な反応は……。ほれ、着いたぞ」
イーリスさんの呼びかけの直後、ズゥウンという音とともに上からの圧力がかかった。どうやら着地したらしい。
ウォルさんの手を借りて降りると、目の前に広がる洞窟の入り口の広さに尻込みした。
遠くで見た時は、遠近法でさほど大きく見えなかった。
しかし今目の前にそびえる入り口は、横幅だけでも一軒家が余裕で五軒は入りそう。
高さは……三階建てを入れても、その圧倒的余白に笑えてしまうくらい高い。
それが彫刻やらなんやらでシンプルに飾られているので、現実世界だったら確実に世界遺産の中でもトップクラスの著名度を誇りそう。
「ここが長老の住処だ」
「す、住処……」
ウォルさんに改めて言われ、息をのんだ。まあ確かに、ドラゴンだしデカいのは当然だろうけど、日本の狭い住宅地に押し込められていた私としては規格外だ。
「よし、行くぞ、サエ。ウォルムス、お前はどうする」
人間の姿になったイーリスさんが歩き始める。それに慌ててついていく。
「ここで見張りをしている、と言ってもらいたいようだが、あえてついていく」
ウォルさんも私の横についた。なんだかとてつもない安心感を覚える。死の危機が三回訪れても、この人たちなら赤子の手を捻るごとく簡単に片付けてしまいそう。
「長老、寝てないといいけど」
ウォルさんがぼそりと呟いたその一言が妙に胸にひっかかりつつも、私たちは長老の洞窟の中へと歩を進めていった。