そのニジュウ、長い道のり
「一体何をやろうってんですか」
ウォルさんに近づくと、彼は「舌噛まないように気をつけろよ」とだけ言った。そして口に指をあて、ピーと音を出す。その音は魔力を孕んでいて、限りなく遠くまで聞こえそう。
何するんだろうこの人。嫌な予感だらけなんだけど。
一瞬の静寂を切り裂いたのは、凄まじい風だった。
驚いて上を見上げれば、何か真っ黒で大きな塊が頭上にいた。でかい。怖い。待ってこれ死んだりしないよね!
それは羽ばたくように風を定期的に起こす。葉っぱやらが飛んできて痛い。
「よし」
つぶやいたウォルさんは、私の腹に腕を巻きつけ、上の何かに手を伸ばした。
途端、視界が大きく傾く。女子らしくない声をもらした。
うわあああ空と大地がどっちかわかんないぞおお。しかも何か浮遊感も感じる!
景色は下へと流れて行く。
小さくなって行く木々に手を伸ばすも、虚しくなるだけだった。潔く諦めて、ウォルさんと黒い何かのほうを見上げた。
「オオ?! ドラゴン……じゃなくてワイバーンだ!」
頭上にいたのは、漆黒のワイバーン。赤い目をこちらにきらりと光らせて、翼を大きく羽ばたかせる。とんでもないイケメンワイバーンさんじゃないですか! ありがとうございます!
ん、でも、つまりこれはどういうことだ。
「ウォルさん、今、私浮いてますか」
「うん」
うおおお今私ワイバーンに運ばれながら空飛んでる!
足下を覗けば、広大な森。一面森、森、森。しかし現在太陽のある南西には草原が、東側には険しい岩場があった。
「この森から抜け出すには、上に登っちゃえばいいんだよ」
見慣れた景色なのか、ウォルさんは表情を変えずにそう言った。
「そんなアッサリ森抜けられたらダメじゃないすか」
至極正論を言ったら、ウォルさんは首を横に振る。
「無許可にこの空の上空を飛べば、俺の仕掛けた魔法とワイバーンの群れと運が悪ければドラゴンに集団リンチされることになる」
生身の人間だったら一瞬で灰になるじゃんよ……。ああ怖い、ウォルさんに出会ってよかった。
自分の幸運さに感謝して、おとなしく遠くを見た。険しい岩場のほうがドラゴンのいる竜谷のようだ。
「そういえばウォルさん、ワイバーンとドラゴンって別種族なんですか?」
「元々は一緒だけどな。ドラゴンは四肢に翼、ワイバーンは両足に、翼の先に手。見た目もそれなりに違うから別種族と言ってもいいかも」
「へー」
私がワイバーンを見上げると、ウォルさんは付け足した。「知性と理性があるのがドラゴンで、動物寄りなのがワイバーンって言えばお前には分かり易いか」
「ウォルさんって物知りですよね」
私の何気ない一言に、ウォルさんは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「昔あるところで無理やり勉強させられてな。お前にも紹介してやろうか? 魔法も今以上に効率よく使えるようになるぞ」
「勉強……用事が済んだら検討します」
勉強は嫌いだけどこっちの世界の勉強には興味があったりしなくもない。
それにこれから何かあった時に効率よく魔法使えたら都合良さそうだし。
あーでもチートが努力したら取り返しのつかないことになりそうな……まあいいか。
険しい岩場にたどり着くと、ワイバーンは急降下した。危うく大地とキスするところだったけどギリギリのところでウォルさんが支えてくれたのでセーフ。
「……おまえは実践慣れも必要みたいだな」
ごめんなさいね鈍臭くて!
心の中で叫びながら、着地した前方を見た。
あるのは谷っぽい岩場。目の前に谷底の道が広がっている。
なんか嫌な空気がするな。こう、邪悪なものじゃなくて、フラグ回収的な意味合いの。
一応魔法防壁を一面に張っておこう。
「……ここが竜谷なわけじゃないですよね? なんでワイバーン降りたんですか?」
イケメンワイバーンに恐る恐る触れながら問うと、ウォルさんは周囲を見渡す。
「ここは上空にドラゴンお手製の魔道式罠がある。マグマすらも凌駕する炎が飛んでくるタイプだ。それにはオンもオフもなくてな、降りるしかない」
な、なるほど……ドラゴンさんはその炎を浴びても無傷ってことですね……。
「あれ、でもだとしたら地上にも罠がうじゃうじゃしてるってことじゃないですか?」
そう言った矢先、私の数メートル先でキンと金属が弾かれる音がした。
顔を向けると、沈黙。
「説明が省けたようで」
爽やかなウォルさんの笑顔とは正反対の笑顔を向ける。
「ウォルさん……あれ矢ですよね? しかもかなり魔力のこもった」
そう、さっき飛んで来たのは矢。それが私の魔法防壁に当たって落ちたのだ。
ぼ……防壁張っておいてよかったぁ!
「矢だけじゃない。おれが腕によりを込めて作った罠がうじゃうじゃしてる。その中には魔道式じゃないのもたくさんあるから、お前の魔法防壁もどこまで機能するやら」
うう……こうなったら魔法防壁全力にして上空をいこうかな……でももし私の魔法防壁が炎に負けたらどうする……怪我どころか一瞬で灰だ。
でも一か八かでかけてみるか?
……やめておこう。危ない橋は渡らないほうがいいよね、うん。それならまだ生き残る希望のある地上のほうがいいかな。
「ウォルさんは竜谷に行ったりする時どうしてるんですか」
「そん時は……まあ気合だ」
「死にかけたことは」
生唾を飲み込んで聞くと、ウォルさんはあっけらかんに「腕や足を持ってかれそうになったことは多々ある」とぬかす。
「わ……罠の数や場所くらい把握してますよね?」
引きつる表情筋を隠しもせずに尋ねると、ウォルさんはしばし考え込む。
「何個かは覚えてなくはないけど……覚えてない」
うわぁダメだこの人。
私が道へ行くのを渋っていると、しびれを切らしたようにワイバーンが飛んで行った。どこからともなく、ここからでも熱すぎるくらいの炎が吐かれる。しかしワイバーン無傷。さすがっすワイバーン先輩。
「先に行って待ってるってよ」
意訳したウォルさん。ワイバーン先輩のおかげで腹を決めた私は彼の胸ぐらを掴んだ。
「何かあったら真面目に護ってくださいね?! 真面目に!」
私の形相がただ事ではなかったらしく、ウォルさんは若干引いた様子だったものの「お、おう……」と答えてくれた。
「私はここで死んじゃダメなんですよ」
せめてレシュさんを拝んでから。
私は勇気を振り絞り、谷底の道に足を踏み入れた。
ズザッ
はい、出だし最悪です。地面が割れて、現れた穴に落ちかけました。
襟首をウォルさんが掴んでくれなかったら、今頃私死んでた。
「にしてもさすがっすねウォルさん。反応が早い」
「褒める前に気をつけろ……」
呆れた様子のウォルさんは、私を引き上げた。
気を取り直して再び歩を進める。この様子だとある程度のことはウォルさんがなんとかしてくれそうだ。
すると大量の大岩がどこからか飛んできた。口をあんぐり開けつつも、生存本能から魔法を展開させ、私とウォルさんにふりかけのごとく降りかかる岩たちを粉砕した。砂埃は風魔法で吹き飛ばす。
「うん、いい感じだな。おまえがもっと戦闘慣れすれば、ここを一人で行き来出来るようになると思うぞ」
そんなウォルさんの励ましも、今の私にはあまり届かない。心が麻痺してきた。
「……ちなみに、あとどれくらいの道のりで?」
端から期待はしていなかったが一応聞くと、ウォルさんは答えた。
「この調子だとあと三時間くらいかかりそうだ」
「……ウォルさん単体だと?」
「この間本気で走ったのを測ったら三十分だった」
ドヤ顔じゃないのに、いや、澄まし顔なところが余計にプライドをぼろぼろにしてくる。
極めてやる。
そう決意した瞬間だった。




