表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

四つの涙

    失われた。

    私の未来は、彼と共に消え去った。

    だから、それだけが希望


    エリス=コーデリア『金色の乙女』


 彼女はため息を吐きながら部屋の片隅に目をやった。昔、ちょっとした冒険の果てに手に入れた魔法の杖。白く輝き、そして全体がで作られたもの。そして、ずっと誰も見いださなかったもの。だから思う。何故私が見つけてしまったのと。あのまま眠っていれば、暗闇の中にあればきっと何も変わらなかった。

「そう、私もあのままでいられた」

 彼女はもう一度ため息を吐き、窓を閉じると机に向かい万年筆をもう一度動かした。

「また、だよね」

 かつて臨んだ航海に思いを巡らし、ひたすらに文を進めた。


「もう冬か。ほら、吐く息だって白くなっちゃう」

 薄手のコートを一枚だけ着て表に出ると雪が降っていた。先ほどの手紙を封筒に入れ、郵便局を目指す。本通りを抜け、人通りの少ない脇道に入り、駆け足で抜けると北通りに出る。坂道を駆け上がり、エルムの並木を両手に、少しカーブした道を行くと右手に目的地が現れる。三階建てで一階が窓口に、二階に伝書鳩を飼育し、三階が展望台になっていてカールソラーナの海を一望できる。用を済ましたユウは自分宛の手紙が届いていないか確かめ、それから展望台に出ることにした。


 まだ昼なのに日光は弱々しく、冷たい風が身体に吹き付けてきた。雪は既にやんでいた。

「これから始まったのか」

 何かが呟かれた。

「受け取ってしまった、あの手紙」

 柵に身体を預け、前に上体を突き出す。

「ずっと考えないようにしてた……。出来るなら無視して、なかったことにしようとした。私はディアナみたいにはなれない、最初から無理だから」

 もっと腕に力を込めると、バランスを崩し落ちそうになったが、逆に乗り出して体制を保った。地面から身体が離れ、文字通り全身で大気の冷たさを感じる。

「誰か後生に託せばそれでよかった。そう、そのはずだった。私は何もしなくていいはずだった」

「さあ、ユウ。ディアナだけ前に進ませて、自分は何もしないのは不公平じゃないかしら。あの杖を、見つかった日記を、そして私に出来ることを」

 やり遂げなさい、という言葉はどれだけ振り絞ってものどを振るわせなかった。


 そういえば、あの頃のようには動けなくなったな、と思った。走ろうと思っても思った通りに身体が動いてくれない。往路だけでも出来たのは救いだろうか。辺りはよりいっそう肌寒くなっていた。冷たい風が骨まで冷やす。

「きっと、ディアナが求めてるのはこんな感じなんだろうな」

 自分の身を切るような寒さ。

「しかも」

 彼女はそれに耐えることが出来た。

「私はどうなんだろう」

 空を見上げ、青い瞳で呟く。

「あれから十年。私は一歩も進んでいない」


「お姉ちゃん、あれとって」

 まだ、そう見えるんだと思った。彼女は笑顔で声のした方を向き、それから少し手の届かない位置にある風船を見つけるとどうやって掴もうか思案した挙げ句手を伸ばし、地面に向かう風を起こしそれを揺り動かした。冷たい風が辺りを襲う。

「ごめんね」言いながら赤い風船を手渡し、また歩き始める。いつの間にかどこか分からない所に迷い込んでいた。ゆっくりと視界を覚醒させ、ぼやけた空間感覚をクリアにする。そうするとどうやら山側に来ていたらしいことが分かった。このまま行けばセーンのエウス山脈。深い雪に覆われた場所。せっかく来たんだし何かしよう。そう思って近くに何があるか思い出そうとするが、もやがかかったような感じがして何も見いだせない。

「知り合いがいたはず……」

 そうだ、みんな私とは違うんだ……。あれ、勝手にどこかに……。私は何をしてるの……。それからふと自分が急速に、客観的に目に入る。このままじゃ駄目だ。やっぱりそうだ。ともかくやり遂げないと。でも。

「私はどこまでも孤独だ」

 はっきりとその言葉が寒空にこだました。


 結局、昔の友達を集め昼食をみんなで食べてからユウは家まで戻ってきた。どうやらもう夕市が始まる時間のようだった。食料庫を見てみると思ったより食べ物はあったので今日の買い物は無しにして彼女はこれからの時間を過ごそうとした。無音。何の物音もない。ソファに転がり、そのまま。私はどこにいるの。息づかいが、鼓動が。暖かい。寒い。どっち。分からない。ここにあるのは何。私は何を見てる。あれは暖炉だ。炎は消えている。ああ、だからか。それなのにユウの身体は動かなかった。


 ランプに明かりを付け、それから薪をくべようとしてもう残っていないことに気づき愕然とした後で料理をどうしようか悩み結局保存食を持ってきて空腹だけ満たすことにした。それから明日からの予定を思案する。どこに行くべきなのか。それからどうするべきなのか。しかしどれだけ考えても分からなかった。何かもやもやしたイメージが浮かびかかったが、それが何なのか分かる前に彼女は落ちた。


 目の上のあたりがずきずきと痛む感覚。それと、平衡感覚もおかしい。あれからどうしたんだっけ。そう考えながら起き上る。寝室にはいなかった。ここはダイニング。テーブルに目をやるとワインの空き瓶がいくつか転がっている。どれだけ飲んだのかわからない。私一人で? とんでもないな、と思いながらもともかく思い通りにならない身体を動かし酔いを覚まそうと窓を開く。気持ちのいい朝だった。鳥のさえずりと乾いた風とが同時に家の中に入ってくる。手を伸ばし、深呼吸。これなら航海も安全だ。

「そういえばたった一年前か……」

 忌々しい事故の記憶。荒れてもいない海で起こってしまった。あれ、荒れてたんだっけ。

「何が原因だったんだろうね」

 酒瓶と一緒にいつの間にかダイニングに移っていた宝石の杖を見つめながら呟いた。


 港に行き、名前の刻まれたカードを出す。特別室を用意され、そこで荷物を下ろし、ほかの部屋と同様やはり質素なベッドに座りこむ。二段ベッドではないだけ広く感じられるという程度だ。窓が広いのは開放的だった。そこから広がる光景は嫌になるほど青と白とにまみれていた。とりあえずの安全を確認し、ユウは窓辺に立ち、手を伸ばした。海が見えた。そこに浮かび上がる、小柄な女性の姿。長い髪を真っ直ぐに下ろし、シルバーのネックレスをアクセントに毛糸のカーディガンで最低限を表現した格好。彼女はこっちをじっと見つめていた。二人の手と手が繋がる。冷たい感触。もう一度見つめる。彼女は海の向こう。私は船の上。二人は一緒だ。

 ふっと、彼女は消えた。ああ、だから海は大好きだ。



 どうでもいい男からの手紙を暖炉に放り込み、それからホットカクテルを一息で飲み干して空になったグラスを手で転がす。全く、朝から気分の悪いことだ。ディアナは立ち上がった。

「寒かったでしょう。お入りなさい」

「久しぶりね。こっちはどう?」

「どうってことないわ。その格好、寒くない?」

 ユウは左手を広げ、胸に当て、ディアナを見つめた。彼女は答えず立ち上がり雪を集めて作った即席の冷蔵庫から飲み物を取り出した。

「これ、そろそろシャーベットになってると思う。結構美味しいよ」


 何もなくてごめんねというディアナの言葉通り、テーブルの上には大したものは並んでいなかった。何か持ってくればよかったなと彼女は思ったが今更遅い。

 ひとしきり話し込んだ後、食器を片付け二人はまた椅子に座り込んだ。彼女の右手には透明な輝き。目線の高さまで持ち上げて見つめると表面にディアナが、内側に中指が、それからその先にユウが見える。また、昔みたいに戻れるのかな。彼女は相手の左手をじっと見ていた。今ならその気持ちがよく分かった。大丈夫、今なら……。

「ねえ、二階に……」

「大丈夫? まだやめた方がいいと思う」

「私は平気」

 ユウは立ち上がった。


 壁には一面大きな絵が掛けられていた。二人の女性と二人の男性が一緒に描かれた肖像画。ディアナは椅子に腰掛けその脇にジェネが、そしてその後ろから斜め前方を向く形でユウとルージュが向かい合っている。背景の窓からは光が射していて、右側から茶色い壁をグラデーションしている。油絵で描かれたそれは大胆に、しかし繊細に彼女たちを表現していた。二人はじっと見入った。沈黙が流れた。

「この絵、そろそろ外そうかと思うの」

「……」

「あんまり感傷に浸ってもよくないから」

 彼女は答えに詰まった。言葉は思いつくのにそれを音声にすることが出来ない。

「あんな事があったんじゃね」やっと、はき出すようにゆっくりと空気を振るわせる。

「私は……」

 あのときと同じだ。揺れている。音。何かが壊れる。人の声。助けを求めている。人の声。違う、私の声。逃げだそうとした。誰。全員がこのままじゃ。ああ、ああ……。

「だからこのままじゃ駄目。それから」ディアナは絵からユウに向きを変えた。

「きっともう終わりなの。そして」彼女は答えを促した。ユウは頷き、左手を広げた。薬指に指輪がはまっていた。それはこの場の全てを反射していた。


 ユウは動こうとした。しかし動くことが出来なかった。視線だけをそらし、その場に崩れるようにして座り込む。ディアナは音を立てずその場から離れた。突然辺りが寒くなった気がした。悪寒が下半身から駆け上がってくる。それに何だか息苦しい。目の前には何がある。膝の間についていた両手を前に伸ばそうとする。明確に。左手をはっきりと。手を広げて。大きな音がした。彼女はとっさに立ち上がり、階段目がけた。

 一階を見下ろすと、やはりディアナが転んでいた。大丈夫、と声をかけ、それから下階へ向かう。彼女は立ち上がろうとしていた。しかし思うようにいかない風だった。

「ちょっと見せて」

「平気。少し待てば立てるようになるわ」

「……」ユウは無言でディアナのスカートを捲り、痣が出来ていないか確認した。

「見た目は大丈夫」それから、付け加えた。「左手、やっぱり……」

「そんなんじゃない。でもちょっと、やっちゃった」

「まさか! その手で身体をかばったの!?」彼女は数刻沈黙し、数回瞬きし、それからやっとの事で言った。

「大したことないって。ほら、ね」

 ディアナは左手を振り上げ、左右に振った。しかし立ち上がりはしなかった。

「ここは冷えるから移動しようか。肩貸すよ」

 ゆっくりと手を持ち上げ、いやがる彼女を半ば強引に暖炉の前の椅子に連れて行った。


 何かの拍子で火が弱まっていて、再点火の必要があった。赤くパチパチと音を立てているそれから火傷をしないように気をつけながら大きな木片を取り去り、小さな薪を少しずつ加えていく。真っ黒な炭の山が出来上がる。これはもう燃やせないなとユウは思った。強い火がいる。何かが考えを起こす。違和感。あれ、さっきからディアナの声がしない。後ろを振り向く。相変わらず気配のない人。違う、この木炭を使うなら高い火力がいる。そう、炎が。ユウはいつの間にか自分で自分の表情を見つめていた。彼女の小さな顔が丸く左手に映っていた。

「ディアナ!」

 大きな声を上げる。返事はない。

「何してるの!」炎が少し強くなった。彼女の身体を温める。ユウは立ち上がり部屋を順番に見て回った。心配したこと、ディアナが油か何かで火の勢いを増そうとしたのではないかということはすぐに否定された。一階にあるほうの寝室の窓が開いていた。カーテンと窓が風に揺れている。近づきそこから表を見る。

「そんなところで何してるの」やっと、笑顔が出せたなと思った。

「ちょっと転んだところが火照ってきてね。冷やしてる」

「言ってくれれば雪くらい持ってきたのに」

 でも、一人になれるのは、誰かと明確に異なった行動をとれるのはいいことだなとユウは思った。

「でも風邪ひくよ。どうするの」

「今夜はカボチャのスープにするから。生姜を加えれば美味しい」

 カボチャなんてあったっけ……と思ったが意味にすぐ気づき「じゃあ買い物に行ってくる。月が出るまでには帰ってくる」と答え彼女は窓から飛び出した。雪は思ったより深かった。


 思ったよりきついな、と彼女は思った。少しずつだが全身がおかしくなりつつある。このままじゃ大変なことが起きる。さっきだってそうだ。ただ転ぶだけなら右手を使えばいいのに左手が伸びてしまった。そして。

「衝動的に窓から飛び出してた」

 まだ言うことを聞かない身体を動かしながら言った。

「少しだけ一人になろう。そう、一人に」

 言いながら目の前に浮かぶのはかつて最果てを目指した仲間の面影。彼らはもういない。自分を含めて。

「ああ……あたしはどこまで……」

 もう一度。輝きが。右手に携えた二つの光。鈍い音。ああ、まただ。またやってしまった。それからもう左手は使えない。


 辺りが闇に落ちたのでルビーで明かりを付けてそれから暖炉の火を強める。そうしているうちにユウが戻ってきた。両手にカボチャとジャガイモとを抱えている。二人は協力し合って夕食を準備した。カボチャの芋入りスープだ。

「暖かいうちに食べないとね」

「あたしはどうしようかな」

 ユウの目に懐かしい光が飛び込んできた。

「ちょっと待って」

 彼女は自分の左手を見つめた。

「あ……」

 ユウは左手をディアナの方に伸ばした。

「光、よ」

「また光り輝いてる」

 ディアナも右手を伸ばし、二人の手が絡み合った。

「これはどういう……。もうあたしは役目は終えたと思ってた。そう、指輪なんてもういいと……。でも……」

「まだ何かある。そう、何かが。私が」

「あたしじゃないの?」ディアナは自分を指さした。それから相手の方を見つめると彼女の瞳は銀色に輝いていた。

「そう、私。今度は私の番。終わらせないといけないんだ」

「鏡に映された、もう一人の私を」



 彼女は砂漠を渡っていた。緑の類は余り好きにはなれなかったからだ。乾いた場所で砂と暮らす方が性に合っていた。とはいえ当然食べ物は必要だったし、完全に砂漠にしかいないわけにもいかなかった。

 ある仕入れの時、自由都市ディーターに入った。殆ど人はいなかった。街は荒れに荒れていた。女の子が出向くには危険すぎる。しかし何でだろう。この退廃した、殆どもう正常とはほど遠い街に何かがある気がする。そう、砂漠の砂が太陽を受けて金色に見えるような、あの感じ。そして危険から逃れようと歩んでいくといきなり足元が崩れた。彼女は落ちて行った。暗闇の底へ。

「あれ、痛くない」

 奇妙な感覚。落ちて行ったはずなのにむしろ浮かび上がったような、そんな感じがする。いつか湖の底に潜った時の、あの感じ。

「誰。私を支えているのは」

 しかし言葉は闇に吸い込まれていった。

 周りにあるのは真の闇だ。どこに行けばいいのか。どっちが上でどっちが下なのか分らない。そして自分の衣服を通して熱気、そう、灼熱の太陽に焼かれる感じがする。それはバーベキューの時の炎とを同時に受けたような、しかも火傷の後にさらに火を押し付けられたような感じ。彼女は歩みだした。しかし動いている感じがするのはユウではなくてむしろ闇の方だった。纏わりつく闇が前後左右、彼女の動きに合わせて移動していく。夜の移動のときは星と月と自分とどれがどこに向かっているのかが段々分からなくなる、あの感じだ。ただ今は最初から分らないという違いはあったが。ゆっくりと、一歩ごとに息をつきながら闇の中を動く。

「私は」

 突然、鏡の中の私が言葉を発した。

「私は光だ」

 私もそれに、未来に、過去の自分に向けて話す。

「闇の中で全てを照らす光だ」

「たとえ周り全てが暗闇だとしても」

「私はそれをただ明るく染め続ける」

 あ、と思った。目の前に光がある。宝石で出来た杖。それはまばゆい光に見えるにもかかわらず、辺りにある闇全てを形作っていた。ユウは恐れた。しかし彼女は何か、まるで右手と左手が言う事を聞かないかのように、それに向けて左手を伸ばした。白い光が散乱した。彼女は左手を右手で抑え込み、クリーム=コーデリアの杖を手にした。



 次の日、約束していた人がやってきた。エリス=コーデリアの書いた自伝小説を発見した人だ。

「やはり、それです」一通りの話し合いの後に彼はユウの持ってきた杖を指した。

「クリーム=コーデリアの使った杖。伝承ではずっと発見されていない」

「でも金色の乙女の中にその記述はあった」ユウは彼の方から杖の方に向き直って答えた。

「そうです。この杖がそうだとしたら未解読魔法の術をようやく解き明かせるかもしれません」

「ちょっと待って」ディアナが口をはさんだ。「そうだとしたらこの指輪の謎も一緒に……」

「そこまで行くとちょっと難しいかな。指輪に絡んでいるのはそれだけじゃない気がして仕方ありません」

「そう、コーデリア家だけじゃなく……」ユウは俯き加減で行った。

「ちょっと待って。そうだとしたら向かうべきは……。そう、あたしたちが今度……」

 その言葉に反応するかのように指輪がまた、今度は近づけてもいないのに共鳴した。木製の壁に向けて突き進んでいる。見えるのはずっとその先。しかも光は四つに分裂している。見える先。光の向う先。四つの果て。

「ああ、間違いない」ユウは立ち上がった。左手の光が揺れ動いた。

「東の果てだ。ずっと遠く、希望と絶望の交錯する場所。そこは私たちがかつてとこれからを分かち合う場所」

 無意識的に動いていた。気づくと杖をつかみ、両手でそれを前に構えていた。

「さあ、始まるよ、ユウ。私の、私たちのこれから。私がようやく」

「前に進む時が来た」

 窓から吹き込んできた風が彼女の金色の髪を撫でた。



 彼女は夜の海を見つめていた。そう、夜。いつも変わらない。彼女の周りには昼も夜もない。ただ指標になるものがない。だから周りは常に夜だ。

「結局、自分から捨てただけ」

 潮風を正面から受けながら言う。

「幾度となく自問自答した。これからも変わることはない」

 そしてまた船に乗り、しかしそこで彼女は変化を経験した。


 最初、彼をよく分からない人物だと思った。自分の内面を見透かしているようで、しかしそれに対して別に彼自身を見せつけてくるわけではない。彼女は自分の正体を隠していたがしかしそれは無意味なものだっただろう。それから彼女は秘められた力――空間を操る術――を示し、結局知り合った全員に正体を、自分が次期コーデリア家当主エリスであると明かした。そう、強大な力を持った家から、母から逃亡した弱い女性であると。



 もう果てを目指せる頑丈な船は手に入りそうになかった。食料もない。しかしユウはそれにむしろ満足した。安易な言葉が出そうになり、口元に手を当てる。別に死を追い求めているわけではない。たどり着きたいのはきっともっと別の場所。

「私たちが……」

 ディアナとユウの名前で何とか用意出来た簡易な船の甲板で帆を広げ、自身も両手を広げながら言う。

「私たちがありのままで目指すことの出来る極限点。誰もがあることの出来る、しかし理想の場所。特別じゃない普通の自分が、文字通りの自分自身としていることの出来る、そんな場所。私の最果て」

 誰かがそこに行きたいのと言ってくるような気がした。ディアナだと思って彼女は辺りを見回したが誰もいなかった。

「気のせいかな」

「気のせいじゃないよ」

 やっぱり誰かいる。しかし気配はしない。疲れてるのかな、変な声が聞こえる。彼女はそう思って自分の分担分の船の整備も切り上げてサーニフの宿屋に戻った。


 夜の雪は綺麗だ。サイドテーブルにあるルビーの明りに照らされて窓に自身が反射しその向こうにある白と混ざり合う。ディアナは食堂で最後の調整をしている。彼女は左手を見つめた。鏡の指輪。自分自身を映し出す鏡。

「そして私と世界を混ぜあう媒体」

 窓が開いているわけでもないのに室内に冷たい風が入り込んできた。窓ががたがたと震え、しかし逆に彼女は暖かい感触を覚える。

「私はここにいる」

 何かが聞こえた。

「ずっと一緒にいた」

 誰かが後ろから抱き締めてくる。

「誰」

 返事はない。

「やっぱり疲れてるみたい」

 ユウはそう言って明かりをつけたままベッドに入った。


 また気のせいかな、と思った。誰かに身体を揺さぶられている感じがする。それから起きてという声。やっぱり気のせいだと思った。こんな時間に起きる意味がない。

「ユウ、起きて」

 ディアナの声だ。ディアナって誰だっけ。ユウは思考を整理しようとした。ここに私がいて、じゃあそこにいるのは誰。彼女は手を動かした。誰か別な人の手に触れた。触れてはいけない気がした。

「あれ、何で……」

 思考がクリアになっていく。そうだ、そうだった。今度は顔をこすり、体重を任せて身体を起こす。ディアナがそこにいた。

「ええと……」

「おはよう。いい月が出てるから一緒に見に行かない?」

「何だ、そんなこと。もちろん行く」


 黒く塗られた空に白い雪が舞い降りる。そして彼ら結晶を月が照らしていた。それは彼女たちの周りをちらつきながら銀色に輝いていた。

「まるで星が降りてきたみたい」

「でしょう」

 ディアナの言葉がこの世界に混ざりこむ。ブライトとブラック。ああ、それだけならどんなに美しいだろう。白と黒だけの憧憬。闇の中でかすかな光が舞う、そんな幻想的なしかし現実的な雰囲気。

「でも……」寒さが明らかに彼女を切り裂こうとした。「左手は大丈夫なの」

 言葉にして、彼女の赤に触れる。

「……」

 ディアナは沈黙した。彼女の方を向くと白い輝きを受け止めながらディアナは俯いていた。

「少なくとも、寒さは堪えるかな」

「そう……」

 ユウはディアナの左隣に回った。それから右手で彼女の左腕に触れる。

「でも、あったかいよ」

「月並みな慰めが欲しい訳じゃない」

 彼女は空を見上げた。ユウもそれにならった。

「あたしが欲しかったのは……」

 雪が少し激しくなった。辺りから月の光が薄れた。しかし薄い雲がヴェールとなり淡い光をその中で乱反射しだした。

「ただの痛みなのかな」

「そう、自分が生きてることに確証持てないから痛みが欲しかっただけ。ナイフと血はそれを与えてくれる」

「ディアナはあの時確かに」

「そう、あたしはたどり着いた。あたしは混沌。だからよ。あたしが生きるということはそれをもたらすこと」

 彼女はユウの方を向いた。ユウは彼女の方を向いた。二人は向かい合った。

「誰かがそれをもたらさないといけないとしたら、誰かが傷つかないといけないとしたら傷つくのは誰なの。人じゃない、それはあたしなの」

「じゃあ私が。私が代わりに……」

 それは違う。また、声が聞こえた。

「彼女が混沌だとしたらだからってこの世界は秩序じゃない」

「むしろ」彼女は声を出した。

「私が秩序になって、ディアナと一緒に支えあう」

 雪は一層激しくなった。お互いに前髪にかかったのを払いあうと二人はもう一回月を見つめて宿屋に戻った。


 朝だ、窓の外を見つめながら深呼吸する。それから窓の外に顔を出し様子を見る。白い絨毯は相変わらず広がっていた。ゆっくりと始まる何か。何か見える。その中を歩く一人の少女。はっきりと、街並みの中に溶け込みながらしかしユウにその存在を訴えかける。

「私は誰」

 声が聞こえた。

「あなたは誰」

 言葉にすることなく聞き返した。

「私はあなた」

「あなたは……」

 ふと、朝日が目に入る。雪たちが光を反射して金色に光り輝く。その中に彼女は居た。

「そう、私は」

 彼女は太陽を目にしていた。



 彼はそれでもそんなエリスによくしてくれた。迎えに来た家の者からかばってくれたり、あるいはどうしても帰る決心をしなければならない時に促してくれたり。彼女は結局母がそもそもすなわち権力にやられてしまっていたことを知り、それから自分はそうはならないと心に決め、家を継ぐ事を誓った。

 それから彼女たちは宗教都市ディーターの跡地自由都市ディーターに向かった。そう、彼女たち二人の運命が大きく揺れ動く場所。彼女を取り巻く夜とは違う漆黒の、暗黒の中へ。その時彼女は確かに思った。自分を取り巻く夜なんて所詮はただの夜に過ぎないと。

「あの時私は知った。明けない夜はない、なんていうのは月並みな朝と夜だけを見ている人の言葉」

「闇に捕らわれるともうそこから一歩も抜け出せない」

「ガラスの魔王もきっとそうだった。何かに焼かれていた」

 彼女たちは瓦礫の下、見つけられた地下へ向かった。



 今度もまた魔法で動く船だ。しかし動かすのはディアナの仕事でユウは補助に当たる。食料は詰め込めるだけ詰め込んであり、二人で過ごすにはやや広い船内には暇をしない程度の備えがあった。かつてやったように指輪を合わせることで地図上に目的となる方角を映し出す。やはり東だ。循環海流をも通り越した、その北東ずっと向こう。このまま行くだけでたどり着けるのだろうか。すでに航海が始まり、揺れ動く船内でやはりユウの思いは同様の様相を見せる。

 制御部は魔法を強化するサファイアとエメラルド、それからゴールドとシルバーで作られており、そこで受け取られた魔力が直接推進力になり、維持力になる仕組みだった。しかしやはり中型の船だ。あまり大きな事故には耐えられそうもない。ディアナはそれがどうしても不安だった。奇跡の帰還。かつての旅路で帰ってくることが出来たのは間違いなく奇跡だ。今度も上手くいく保証はない。

「今は行き先をイメージして力を籠めるだけ。今は……」

 宝玉に触れた右手に、自ら不具にした左手を重ねる。

「もう痛みも止まってる。あたしはまだ」

「駄目。違う。あたしは」

 そして乾いた声で、聞こえない透明な声で最後の一言を言った。



 最初、その杖の正体は分らなかった。というよりも考えれば考えるほどありえない答えが浮かんできて答えを出す気になれなかった。

「そんな杖、手放してしまえ」

 父から言われる。彼女はそれに倣おうとした。そう、捨ててしまえばいくらか楽になれるはずだ。こんな感覚など、一緒に無くしてしまえばいい。そして部族の皆と相談した次の日、杖はどこかに行っていた。彼女は砂漠のオアシスの濁った水に瞳を映しながらため息をついた。それから何をどうしたのかは覚えていない。ただ翌日にはユウはそこにはいなかった。彼女はクリームの杖を手にしばらく当てもなくさまよった。



 その晩ペクターラー大陸を西に見据えながら甲板でディナーをした。まだまだ食料は問題なくあった。ユウの魔法で物を燃やさない炎を起こし肉と野菜をあぶり食べる。星空が広がり当面荒れることもないように見える。

「このまま行けるのかな」

「行くしかないでしょう」ディアナが答える。

「行ったとして何になるんだろうな、と思って」

 フォークを置き、ユウは言った。

「行かなければならない、それはそうなんだけど実際に私なんかに何が出来るのか。これが本当にクリーム=コーデリアの杖だとしたら私は、私なんかにこれを振るう資格はない」

 ディアナは無言で指輪を見つめた。

「これだってそうでしょ。ガラスの指輪。あたしにこれを身につける資格はない。それなのに、もう外すことすらできない」

「せめて痛みを分かち合おうと私も鏡の指輪を選んだけど……」

 それからふと自分の食事が止まっていることに気づく。

「もう若くはないのかな」

「何言ってるの。あたしより十歳も若いくせに」


 次の日は謎の海流に阻まれて全く進めなかった。しかし天候は全く荒れそうにない。

「これは循環海流ではないみたいね」

「ユウ、そうだとしたらあたしたちは終わってる」

「でもいくつか海路を試したけど必ずここに戻ってくるみたい。海流はここを基準に逆の放射状になってるんだ」

「確かに進めないのは不味いけど」

 突然、ユウの中に何かが思いつく。彼らはただ拒んでいるだけ。力なくこちらに向かってくるものを。そうだとしたら自分たちには資格があると見せればいい。

「その資格はある」

 あれ、と思った。思考が不意に混線する。「どの資格?」「そう、ガラスの指輪と鏡の指輪」「違う、それじゃない」「宝石で作られた杖」「私たちはそれを持っている」分らない。どこまでが自分の考えでどこからが誰かの考えなのか。やっぱり、そうなのかもしれない。誰かがいる。

「私が示せばいい。あの杖を、その力を」


 彼女は杖を持ってくると何かの言葉に操られてそれを突き出した。使い方は分らない筈なのに何故か思い通りにいく。誰かが隣にいた。ディアナは後ろで見守っている。杖を両手で持ち、前に突き出す。そんな彼女の右手に別の誰かの右手が重なり、左手にはまた別の誰かの左手が重なる。ああ、そうだ。意識できる。やはり誰かいる。少女が二人自分を支えている。真っすぐに、だ。彼女たちは言った。

「ただ私たちはここにいる」

「私はここにいる」

 全員の言葉が響いた。夜中なのに、月ももう照っていないのに急に白い光が起きる。それから船は動きだした。もう誰にも拒まれてはいなかった。ディアナは縁に立って様子を窺った。それから言った。

「あたしは動かしてないのに何で……それにこの水を切る音、普通じゃない」

「私がやったの。これは空間を歪めるコーデリアの秘術。それで前に進んでいるの。私たちにはそれが出来るの」

 ディアナは沈黙した。

「ただこれには……」

 その後ユウの意識は飛んだ。



 ああ、そうか。血は黒いんだ。そんな感触がわき起こる。それから鈍い痛みと、焼けるような感触。何だろう、どこかから鈍い音が聞こえる。とうとうやってしまった。耐えられなかった。そうだ。でも何に追い詰められてたんだろう。あたしをこんなにしたのは一体何なんだろう。確かなことは。

「何て心地いいんだろう……。あたしはまだ平気なんだ……」

 それからナイフを抜き取るとまたどす黒い血が噴き出し、傷口をもう一度突き刺し抉ると皮を突き破って砕けた骨が飛び出した。何でだろう、突き刺すごとに意識がはっきりとしていく。視界が遠くなり、世界が赤と白だけに反転し自分の右手が言うことを聞かなくなる。左手から指示が届かなくなる。また鈍い音。突き刺される音。血で汚れたテーブル。勢いよく崩れ落ちる身体。倒れた状態でもまだナイフを突き立てる。変なの。鏡を見ているわけでもないのに自分の顔が見える。何だろう。まるであたしみたいだ。気に入らない。あたしはあたしなの。あたしは混沌。思いながら、あるいは口ずさみながらまた自分自身に刃を立てる。自由のはずの右手も疲れを覚えてきた。ふと、流れてきた血液が目に入った。ディアナはそれを舐め取った。



 先ほどまでとは別の誰かに支えられている感じがした。何だか暖かい感じがする。それに向かって意識を伸ばす。

「ディアナ」すぐに正体に気づき、言う。

「大丈夫? あたしも大きな魔法には耐えられないから」

「そういう訳じゃないみたい。ただ、さっきのは……」

 別の誰かに入れ替わろうとした、何てことは言えなかった。まだそれは確証がない。

「私はここにいる」

「それ、さっきも言ってたけどどういうことなの?」

「分からない。自然に出てきた言葉。私はここにいる。私はここにいるんだって」

「そう。でもあたしは……」

 あのとき見えたのはあたし自身だ。あたしはあたしがここにいることに耐えられなかった。あたしはあたしにナイフを突き立て続けた。連続して。何度も。

「ユウ、立てる?」右手で背中を支えながら言う。

「大丈夫」

 ユウは立ち上がった。目の前に青い海が飛び込んでくる。波の音。大きい。船は今はそれに動かされている。ぶつかってくる波頭。そう、それで……。

「やめて」

 ユウは言った。終わらない波の音。続けざまに響き続ける海の音楽。悲鳴。巨大な波。雨。何かが壊れる音。濁流。足音。また悲鳴。叫び声。波の音。水。砕ける。ぶつかる。人に。雨。ああ、彼らは全員助からない。私含めて。

「ユウ、大丈夫。震えてるけど」

「やめて!」

「私を助けないで!」

 私だけが助かってしまった、まだそれは声に出すことが出来なかった。


 その後しばらく沈黙のままに二人で甲板で過ごした。夕焼けはゆっくりとではなく足早にやってきて、空を紅と蒼に染め上げたかと思うと星達を呼び出してまたすぐに去っていった。進行方向、東に赤青緑黄の四つの星が見える。しかもその強い光は虹色のライラすらはじき飛ばし、彼女たちに何かを訴えかける。

「はやく自分の所に来て欲しい、そんな気がする」

 ユウが言った。彼女の手には宝石を象った杖があった。それは青白く輝いていた。

「私はそこに行かなければいけない。私として……そう、私として。ディアナ、私に出来るかな」彼女の方と鏡の指輪と、ガラスの指輪を順番に見ながら話す。いけるかどうか分からない、自信が持てない。ディアナはユウを片手で抱きしめた。潮風が彼女たちの身体を撫でた。

「大丈夫よ。あたしだって出来たんだから」

 二人はしばらく抱き合った。


 その日の夜は夕食は取らなかった。というよりも取れなかった。今度は船が強烈な揺れに襲われ始めたからである。料理を作る余裕がない。そして何よりも。

「火が起こせない」ディアナが指先をコンロに近づけながら言った。

「まさか魔法が?」

 ユウも試したが魔法の炎は起きなかった。そして次に明かりが消える。宝石に籠められた魔力が反応しなくなる。その代わり、ユウの持つ杖は青く、黄色く、様々な色に輝いた。杖を近づけ、力を籠めるとがやはり反応はない。そして襲いかかる揺れ。船を動かす魔法が切れたに違いなかった。

「どうしよう。このままじゃ先に進めない」

 ディアナは指輪を使えない方の手で指し示した。ユウもそれに応じて右手を差し出す。光の帯が生じた。それは彼女たちのいる談話室全体を明るさで包み込んだ。ディアナとユウは見つめ合っていた。

「ここからは私一人」

「行ってらっしゃい」

「大丈夫、私はやれる」



 地下を進むうちに彼女は段々と思考が明確になっていった。ある明らかな変曲点。ここから先に進んだら私が私じゃいられなくなる場所。そしてもう会えなくなる人。彼と共に暗闇の中を歩み、彼女はそれを見いだした。杖を握りしめた。

「それは私をずっと待っていた」

 彼女は掴んだ。でも待っていたのはそれなのだろうか。自分なのだろうか。宝石で作られた杖。そう、文明大戦を終わらせたあの杖。それを掴む。ああ、銀髪の、色白の小柄な少女の姿が見える。彼女は時計塔の上で叫んだに違いない。最初の空間魔法の名を。それは大地に轟き、過去を押し流した。そう、だから過去に触れてはいけない。それはもうないのだから。

「私は手放す方を選んだ。彼は抱き続ける方を選んだ」

「そして彼はこの地から去っていった」

 クリーム=コーデリアもそうだったに違いないと彼は言っていた。私が見舞われたこの思い。閉ざされた思考。しかもその中でのみ明確に働き、ただ生きることが出来る。色々なことをした。そして色々なものを生み出した。その中で結局価値があると自分で思えるのはこの自伝小説だけ。しかもこれも後生にコーデリア家のものとして残す気にはなれない。

 ケイト、ごめんね。こんなお母さんで。

 私はずっとここにいるから。

 そう言えば彼の残したのは彼女だけだったな。彼はその場所に行ってしまった。エリスはもう堪えきれないと思った。そう、涙が溢れ筆が止まる。不意に、イメージが沸き起こる。かつて手にし、すぐに封印したクリームの杖。それを持つ銀色の女性。ああ、だが彼女の背には大きな白い翼があった。エリスもそれを手にクリームに相対する。二人は空を舞っていた。青空を。雲と太陽と風と。それらを受けて光り輝いていた。

「私には翼があるんだ」

 金色の乙女は言った。

「失われた。私の未来は、彼と共に消え去った。だから、それだけが希望」

「だけどだからこそ私は前に進める」

「彼との思い出を抱きしめることが出来る」

「記憶の翼ではためくことが出来る」

 ああ、金色の乙女はまだいるんだ。



 そういえばさっきああやってユウに手を差しのばしたけど。

 ディアナはふと思った。

「あの時あたしは……」

 混濁する意識の中で不意に何かを感じる。冷たい。暖かい。熱を持った手先からどんどん力が抜けていく一方、どこか全身から生命力が芽生えるのを感じる。

「大丈夫」

「大したことないよ。今止血をしてる」

 どうやって治療されたのか覚えていないが、出血してそのまま意識を失っていた彼女を抱き起こした男性。最初は変な人だなと思った。それからしばらく同棲して、また離れた。それなのに心はどんどん彼に惹かれていったのを覚えている。

「そう、あたしをそれから解き放ってくれた。ね、テイル」

 あの時手を掴んでくれたのは嬉しかった。デストレイルを進んでいる、進もうとしていた、最後の一歩を自分から行こうとしたあたしの手を引いてくれたのは。こちらに押しとどめてくれたのは。それからまたあの時の自分の鬱積した思考が蘇る。

「あたしは怖かった。あたしが人と一緒にいることが」

「流し出してしまいたかった。あたしの過去を。お兄ちゃんはいない。あたしの両手にはいない。何故あんな事をしたの。失ったことが嫌なんじゃない。人を平気で殺めた自分が憎い」

 だからナイフを突き立てた。

「だけどそれでも過去は消えなかった」

「ねえテイル、生きることでしか償えないのかしらね……」



 ずっと孤独だった。誰の助けも得ず、誰とも協力せず一人で歩んできた。あの杖を手に入れてから。それは恐ろしかったから。人にこの秘密が知れてしまうことが。共有するべき人が見つからない。もう退廃した大地で、グレートブランクが全てを奪い去った世界で彼女は何も見いだせなかった。そう、こんな過去の遺産などグレートブランクに飲み込まれてしまったのだ。だから大空位時代の前にあったコーデリア家には、例え彼女たちの遺志を右手に持っていても近づく気にはなれなかった。そうしてどこかでずっと彼女の所を嫌煙していた。

 それでもある予感は脳裏をよぎる。今このとき、ここからコーデリア本家に向かえば何かが変わるのではないかという予感。私一人じゃ見いだせなくても、誰かの力を借りればあるいはいけるかも知れない。それはクリームの亡霊でも構わない、とにかく私を支えてくれる誰か。そう、この杖の重みを分かち合える誰かが。

「違う、全然違う」

 現在が話した。しかしその声は彼女のものではなかった。やはりどこかから聞こえてきた。

「あなたが支えて貰うんじゃない。あなたが支えるの」

「どういうこと? 私にはもう背負いきれない」

「それでもよ。あなたはディアナを導いてあげた」

 あの時ディアナとユウは出会った。彼女はその場所で――もうどちらが先に訪れたのか、どちらから話しかけたのかも覚えていないが――ディアナと、ディアナなら、ディアナと一緒ならやっていけると思った。何故なら彼女が持っているものも自分と一緒だったから。クリームの杖とフレアの指輪。どちらも人類の歴史に多大な影響を与えたもの。

「ディアナ=トレイシーね」

「そうよ。あなたは?」

「私はユウ。こうしてると気持ちが落ち着くんだ」

「どういうこと?」

「私とディアナは持ってるものが同じなの。私たちはきっと一緒にやっていける」

 ユウはディアナに向けて手を伸ばした。二人は手を取り合った。

「あたしが何をしたのか分かってるんでしょう。あたしは幾つもの災いをもたらした」

「私よりはマシだよ。私はこれからやろうとしている。これはクリームの杖。あの文明大戦を終わらせた……」

 ディアナは指輪を見つめながら喋った。

「あたしはグレートブランクを生み出した。そう、あたしのグレートブランクを」

「……」

 二人はしばらく見つめ合い、それから一緒に行動を開始した。



 久しぶりにみんなで会おうという話になった。ユウは数名の知人も連れてジェネとルージュを迎えに船で向かった。そのときはディアナは別行動でサーニフからカールソラーナへ向かっていた。そしてユウもカールソラーナへ向かった。そこで悲劇は起きた。

 それは偶発的な事故だった。結局原因は特定されないまま。海が荒れていたのかどうかも記憶が定かではない。ともかく船は沈没してしまった。そんな中でユウはただ一人、そう彼女はむしろ他の乗客乗組員全員の方を自分を投げ打ってでも助けようとしたのだが、助かったのは彼女だけだった。クリームの杖を振るって、宝石で出来た杖を振るって一人でも多くを助けようとした。しかし壊れる船を止めることが出来ず、しかも助かったのは一人だけ。彼女だけだった。事故の知らせを聞いて慌ててかけてきたディアナとテイルが海岸に倒れていたユウの第一発見者だった。



「なんだろう、まだみんなの顔が見える」

「助けてって叫んでる」

「私だけが助かってしまった。私は誰も救えなかった」

「大丈夫。せめてあなただけでも助かってよかった」

 両隣に女性がいた。一人はやはり彼女と同じく宝石で出来た杖を握っていた。

「そう、全員が犠牲にならなかっただけよかった」

「もしも誰か一人を助けるために他の全員を犠牲にしないとならないとなったらあなたはそれを選べるの」

 彼女が彼女の方を向いてきた。ユウは沈黙した。

「つまりこういうことよ」

 突然、津波が起きた。船にそれはぶつかり、さらに竜巻で空中高く舞い上がったそれはあっという間に海面にぶつかり大破した。ユウは意識を失った。


 光の中に自分がいた。かつての人。ジェネとルージュ。それにディアナもいる。幸いなことにディアナは身体に不自由がなかった。それから家で召使いをしていた三人。でも彼らは犠牲にして以来家では一人で暮らしていた。そして。

「あなたは誰。ずっと私と一緒にいた」

「姿も声もはっきりと分かる。だけどあなたは実在しない」

「実在しないのはどっちなの」

 もう一人、別の女性が答えた。ふと、意識がよぎる。赤青緑黄。それらの色で象られた四人の女性。しかし彼女たちが全員同じ場所にいるなら、同じ四精霊ならやがてそれらは合わさって一つの銀色になる。目の前に銀色の女性がいた。

「私は実在する」

「じゃあ私も実在するわ。ねえ、この場所はなんだと思う」

「私が私でいることの出来る場所。私の過去」

「まだ、前には進めない」

「何人犠牲にしたんだろう。一体」

 ふと、銀色の女性が四つの色に別れた。そしてジェネとルージュを彼女の前に置き、四人は彼女を取り囲んだ。

「ゆっくりと。この大地は救いを必要としている」

「早く。この大地は何かを失おうとしている」

「ディアナは得ようとした」

「あなたはどうするの?」

 不意に右手に力が籠もった。持っている宝石で形取った杖。それは彼女に何かを与えてくれた。そう、ずっと過去と未来を奪い続けるだけだったそれはこの不安定な領域で初めて力になったのだ。そう、もう生きる意志を殆ど無くしかけた彼女に希望を与える道しるべに。ユウはゆっくりと深呼吸した。それから杖を前に突き出した。真っ暗な世界が生まれた。しかしそれでも身体が光っていて誰がどこにいるのかはっきりと分かった。そして星が、赤青緑黄の輝きが彼女たちを照らし出す。ユウのもつ杖が光り輝いた。ユウは口を開いた。その瞬間、ユウが話すのと全く同時に、その四人の女性はまた元の銀色の、一人のクリーム=コーデリアに合致した。

「私はユウ……ユナイテッド=コーデリア」

 クリーム=コーデリアは最後に笑顔を彼女に見せて、白い光になった。その粒をユナイテッド=コーデリアは左手でつかみ取ると胸で抱いた。彼女の分の涙まで溢れてきた。

お読みいただきありがとうございます。

感想、批評等お待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ