敵は目前
高い山を登りきったところに、その建物はあった。
山と言っても、そびえ立つのは絶壁の岩山ばかりで、上りきるのにも相当な技術がいる。事実、勇者一行も登山慣れしたバーリオや移動魔法が使えるセフィがいなければ登りきることはできなかっただろう。
「ここが、『大地の神殿』……」
チックは、ただただ唖然としてその建物を見上げた。他の仲間たちも同じようなものだ。唯一存在を知っていたミルンだけが、あちこちに目を走らせ状態を確認している。
「うん。老朽化はしてるけど、崩れる心配はなさそうだよぅ」
「それなら防護結界は張らなくていいわね」
「大丈夫だと思うなぁ」
女子二人の会話をよそに、チックは感嘆のため息を吐いた。
「はああ〜、すごいっすねえ。オイラ、こんな大きな神殿は初めて見たっす」
バーリオが頷き同意した。
「…ワシもだ。今は廃れているようだが、昔は、主要な神殿として機能していたのだろう」
「ピンポン!リオちゃん、ご明察」
ぴょこん、と飛び出して四人の前に立ったミルンは、えへんと咳ばらいをした。
「この『大地の神殿』は、その名の通り、大地の精霊を祭る神殿だったんだよぅ」
「だった、ていうのは?」
コウの質問に、ミルンはビッと指を立てた。
「いい質問ですねぇ。この神殿にはね、今は精霊の加護がないんだよぅ」
「加護がなくなること、ってあるのか?」
「正確には、加護が移動したって言った方が良いかもねぇ。簡単に言うと、五〇年前に『加護を違うところへ移動させるから、お前たちも神殿の場所を変えろ』っていうお告げがあったのだよ」
「は~、なるほど。なんとなく分かったっす」
「さすがミルン。チックにもわかるように説明できるなんて」
「どういう意味っすか?!」
問いただすチックを無視して、コウはセフィに声をかけた。
「どう?魔物の気配は感知できた?」
「うーん……」
手を神殿の方にかざし、魔方陣を展開させていたセフィだったが、やがて諦めたのか手を下した。
「ダメね。多分こないだみたいに結界とかで、魔力を消しているのよ」
「やっぱりか……」
予想はしていたことなので、コウはそれほど驚かなかった。頭を整理しながら、自分の考えを口にする。
「こないだが三本柱の一人、ってことは今回も多分そうだろう。しかも、前回より上手なはずだ。だけど、どんな魔法を使ってくるのかが分からないな…」
考え込むコウのもとへ、ミルンが寄って行った。そして服を引っ張って注意を引く。コウが自分を向くと、「多分だけど」と前置きした。
「『大地の神殿』を戦いの場に選んだってことは、やっぱり『地』の魔法を使うと思うんだよぅ」
「だけど、ここには加護はないんだろう?」
「うん。でも、他の土地より地属性の魔力が底上げされるの」
「っていうことは、火属性の魔法を使えば有効な可能性が高いわけね…」
セフィが年長のバーリオを、肯定を求めるように見上げる。バーリオは、思案した後「…それで合っているだろう」と返事をした。
「それじゃあ、火属性の付加魔法を皆にかけておくわね。間違ってたら、即座に取り消して変えるから大丈夫よ」
「ありがとうセーちゃん。今回は神殿だから、私もいつもより役に立てると思うんだよ」
「助かるよ」
各々セフィに魔法をかけてもらい、戦いの準備を終えた。前回は魔物が逃走したため、ろくな戦闘をしなかったが、今回はそうもいかないだろう。しかも相手はおそらく三本柱の二番手。つまり魔界で三番目に強いはずだ。一瞬たりとも気を抜けない戦いになることは、必至だった。
「それじゃあ、行くよ。皆、準備はいい?」
コウは四人が頷いたのを確認すると、神殿へと続く階段に足をかけた。
***
ミルンの言った通り、神殿の内部は老朽化はしているものの、以前の状態を保っているようだった。円柱や壁に細かく掘られた彫刻は、未だ生き生きとした色彩を放っていた。隙間から草が生えた廊下をまっすぐ歩いていくと、途中には神官たちが使っていたと思われる部屋が並んでいた。加護がなくなっているとは言えども、やはり神聖な場所であることに変わりはないようだ。
一行が、さらに奥まで突き進んでいこうとしていたところに、ミルンが待ったをかけた。
「皆、ここを見て」
ミルンが、何の変哲もないと思われた壁の一か所を押す。すると、四人の目の前でズズズ、という音を立てて壁が動き始めた。
「隠し扉か!」
「その通りだよぅ」
地響きを立て現れたのは、地下へと続く入り口だった。セフィが呪文を唱えると、真っ暗だった階段に灯がともる。照らされたのは、古びた階段だ。
慎重に足を下すと、どうやら崩れたりはしなさそうだった。コウは片手をあげて合図し、四人が続く。かつん、かつんと地下には五人の足音が響き、神殿は不気味さを増していた。100段には満たない段数を下ったところで、地面に足が付いた。
「ここは……?」
「祭儀場だよ。どうやら、ここら辺一帯が結界になっているみたいだねぇ」
ミルンが答え、首にぶら下げていた神官の紋章を床にかざした。床が発光し、巨大な紋章が浮かび上がる。同時に、灯り台に灯が点った。両側に置かれた台は、奥に続く一本の道を描き出していた。
「結界は俺たちを受け入れた。つまり、この先へ進め、ということか」
コウとチックを先頭に、道を進んでいく。しばらく行くと、ぼんやりとした何かが見えてきた。
「よくぞここまで来たものじゃ」
突如、声が響いた。神殿内に響き発生源は特定できないが、おそらく目の前にある何かが発したのだろう。
「我のもとまで辿り着くとは、なかなかの腕と見た」
声の主が、動き出したようだ。揺れた輪郭を照らし出そうと、セフィが一帯に光魔法をかけた。
「なっ…!」
そこにあった姿を見たパーティーは、予想外の事態に動きを止めた。その様子を、魔物は艶然とした微笑で見た。
「なんじゃ?我の姿が意外であったか?」
その通りだった。今コウたちの目の前に立っている魔物は、子供のような形をしていたのだ。頭から生えた角が、人間ではないという証明になってはいるものの、その他は幼い子供にしか見えなかった。さすがの一行も怯んでしまう。
「そんなことで躊躇しているようでは、まだまだかのう。じゃが、仮にも三本柱の一人を倒したとあっては容赦はできぬ」
「では、貴様はやはり…」
「予想はついておろう」
ニヤリという笑みに合わせるように、魔物の背中から羽根がはえた。空中に浮かんだ魔物は、コウたちに対し名乗りを上げた。
「我が名はラープ。魔界三本柱の一人じゃ。フラーズめは、情けなくもやられてしまったようじゃが、今回は生きては帰れぬと思え!!!」
怒号とともに、コウたちの後ろで地面が盛り上がった。悲鳴を上げたセフィを、バーリオがすかさず助ける。ミルンが呪文を唱え、神聖魔法を展開し始めた。
「舐めるんじゃないっす!」
バーリオが後方を守っているのを確認したチックは、魔物が次の攻撃に移る前に仕掛けた。体をバネのようにして、空中の魔物まで跳躍する。
「ちっ、小賢しい真似を」
鋭い蹴りは、魔物がさらに高く上昇したことで難なく躱されてしまう。しかも、空中で体勢を崩したチックは、下から伸びてきた土製の腕に捕らわれてしまった。そして、そのまま地面に埋もれてしまう。
「チック!」
「くくく、まずは一人と言ったところか」
その言葉に、コウが切れた。カッと目を見開くと、予備動作もなしにその場で跳躍する。魔物が驚きに目を丸くした。コウと魔物の視線が交錯する。コウの怒りに燃えた目を見て、魔物は動揺したのか瞳を揺らした。幼子の姿に躊躇いそうになるが、コウは何とか気を持ち直し、斧を振りかぶった。
「ひっ!」
恐怖に固まった魔物に、しかし斧は振り下ろされなかった。代わりに、コウは魔物を抱きかかえ落下する。そして着地してすぐに、その細い腕を背中で捻りあげた。
「い、痛っ!」
「放してほしければ、早くチックを開放することだな。そして魔界に帰れ」
冷たい目と反比例するように、魔物へと加える力は強くなっていく。セフィたちはその光景を、固まって眺めていた。コウがここまで激昂しているのは珍しい。仲間を傷つけられることが、はじめてだからだろうか。今までは、かすり傷や擦り傷程度だったが、土に埋もれたチックは呼吸困難に陥っているだろう。急がなければ、命が危ない。
「早くしろ」
「うっ。い、嫌じゃ」
精一杯抵抗してみせる魔物に、コウの目が鋭く光る。これ以上やれば骨が折れる限界にまで力を加えた。途端に、魔物がわめく。当初は老成した老人のようだった言葉遣いが、子供っぽくなってしまっていた。
「嫌じゃ嫌じゃ、嫌なのじゃ!」
「貴様…!」
「うっ……」
魔物が一度しゃくりあげた。それに気が付いたミルンは、まずいと思う。慌ててコウに魔物を放すように注意しようとするが、すでに遅かった。
「うわあああああああああ!!!」
どでかい泣き声に、コウがぎょっとして魔物を放す。魔物は逃げることなく、その場で駄々っ子のように転がりまわった。
「うわあああああ!痛いのじゃあああ!!」
その様子に、ミルンが「あちゃー」と首を振った。それは、神殿で預かっている子供がぐずる様にそっくりだったのだ。先ほどしゃくりあげたときにそれを予感して止めようとしたが、一足遅かったらしい。こうなると幼子というものは、なかなか泣き止まないものだった。
「フラーズ兄様の言うとおりだったのじゃあ!」
呼び捨てにしていた魔物に敬称をつけていることからも、どれほど虚勢を張っていたかがうかがえた。一行はすでに戦う気をなくし、火がついたように喚く子供を前に戸惑っていた。不健康に青白い頬には、幾筋もの涙が伝っている。
「本当に、我のことも忘れてしまったのじゃなあ!」
「?何のことだ?」
コウは眉を寄せた。その言い方は、まるで以前にもあったことがあるように聞こえた。ますます眉間のしわを増やしていると、いつの間にか立ち上がった魔物が、コウに向かって突進してきた。そのままタックルしてくる魔物に、コウは角が刺さらないかと冷や汗をかいた。
「思い出すのじゃ!そなたの過去を」
その言葉にコウが反応する。だが、何かを言う前にセフィが反論した。
「ちょっと!その話はこないだ済んだのよ。しつこいわよ!」
コウに過去を思い出してほしくない、という乙女心も交じって、セフィの口調はきつかった。かっかと怒っている魔導師を、魔物が怯えた目で見つめる。ぎゅうう、とコウの腰にしがみついた。
「あのおばさん、怖いのじゃああ!」
「誰がおばさんよ!私は将来コウのお嫁さ…きゃっ言っちゃった!」
「妄想甚だしいのじゃああ!」
「何ですって?!」
収拾がつかなくなってきた事態に、僧侶と剣士は頭を抱えた。ただでさえ、早くチックを救出しないといけないのに。何とかしてくれ、と沸騰した二人に囲まれた勇者に視線を送る。内心げんなりとしていたコウだったが、諦めて二人をなだめにかかった。
「セフィはとりあえず落ち着いて。もう攻撃してくるつもりはないみたいだし、皆と向こうで待っていてよ」
「でも、そいつコウの記憶の話を…」
不満そうに言ったセフィは、コウの目を見て口をつぐんだ。危うく地雷を踏むところだったらしい。よく考えれば、自分の過去を詮索されるなんて嫌だと分かったものなのに。セフィは反省し、大人しく戻ることにした。
それを見送った後、コウは魔物に向き直った。まだしゃくりあげてはいるが、大分落ち着いていた。
「それでお前は、一体何を…」
「思い出すのじゃ!」
「それだけじゃ分からないよ」
「とにかく思い出すのじゃ!」
それしか言わない魔物に、コウは困った顔をした。コウがまともに取り合わないと思ったのか、魔物の目じりに涙がにじみだしてきた。
「思い出せ!思い出すのじゃ!思い…………、思い出してくれなのじゃあああ!!!」
最後の方は、すでに懇願している。目を瞬かせるコウの前で、魔物はついに突っ伏して、おいおい泣き始めた。子供を泣かせているようで、大変気分が悪かった。コウは、以前神殿目にしたやり方を見よう見まねで、魔物をあやしてみた。抱き上げて背中をたたいていると、だんだん泣き声が小さくなっていく。
「……変わっとらんの。相変わらず、あやすのが下手なのじゃ」
「ん?」
コウが聞き返すと、魔物は胸元にしがみついて何も言わなくなった。そのままの態勢で、指を小さく動かす。すると、チックが埋もれていた部分がもこもこと蠢いた。数秒後に、チックの姿が見えてくる。
「チーちゃん!」
ミルンが駆け寄り、治癒魔法をかけようとする。しかし、後ろからやって来たバーリオが、それを押しとどめた。
「リオちゃん、なんで止めるの!」
「…よく見ろ」
チックの口元に顔を近づけたセフィが、呆れた顔をした。
「寝てるだけだわ」
「チーちゃんの、ぶぁかあああ!!」
ミルンの平手打ちが炸裂する。それでも起きないチックを見て、コウはほっと息を吐いた。
「大丈夫じゃぞ、空気穴は空けておいたからの」
「え?」
それまで大人しくしていた魔物は、いきなりコウの腕から飛び降りた。その大きな瞳でコウを見つめる。
「希望はまだある、か」
「さっきから何のことを言っているんだ?お前は、…俺の過去を知っているのか?」
コウはじれったく思い叫んだ。だが、魔物は首を振るだけだ。そして再び羽根を出して浮かび上がった。赤く腫れた目は、寂しそうに見えた。
「次が最後の場じゃ。魔王城で、三本柱最後の一人と、我らが王が迎えようぞ」
「待ってくれ、まだ話を……!」
コウは必死で引きとめるが、魔物は呪文を唱え始めた。風が巻き起こり、コウたちは目を細めて耐えた。そうしている間に、魔物の体は魔方陣から放たれる光に包まれていく。咄嗟にコウは手を伸ばすが、届くはずもなかった。光の向こう側で魔物は微笑んだ。
「また今度じゃ、コウ兄」
言葉を失い、コウが目を見開いた時には、すでに魔物の姿は消え去っていた。巻き起こった風も、徐々に収まりつつあった。コウは唇を動かしたが、喉に引っかかるものがあって何も言えなかった。
あの魔物は、何かを知っていたのだ。「思い出してくれ」という言葉。それに――。
『コウ兄』
そう呼ばれたとき、心の奥で音を立てるものがあった。あたたかくて、優しくて、懐かしい何かが。ほんの一瞬だが、欠けたものが戻ってきかけた感覚に襲われた。
(また、今度……)
それならば、魔王城に行けばとけるのだろうか。この胸の奥にくすぶるものは。そして、魔物たちの不可解な行動の謎は。
「皆」
コウは、背中を向けたまま呼びかけた。四人がこちらを向く気配がする。
「ごめん、俺。やっぱり記憶を取り戻したいよ」
取り戻せないなら諦めた。だけど、切れ端を掴んでしまったからには、欲求を抑えることなどできなかった。あの小さな魔物が泣いたのにも、自分が関係しているはずなのだから。
そして、こないだ取り戻したあの言葉は、一体誰の言葉だったのか。誰に向けられたものだったのだろうか。胸元の鎖にかかった耳飾りに触れる。
(思い出すよ)
今は遠い、記憶の中の人に誓った。
薄暗かった地下には、地上から光が漏れてきていた。結界が解けたことで、日光が遮断されなくなったのだろう。やっと全体を拝むことができた地下神殿は、誓いの場にはふさわしいように思えた。
「兄貴」
チックの声に振り向くと、仲間たちの笑顔があった。チックは目が覚めたばかりなのか、座り込んだままだ。
「記憶を取り戻しましょう」
「私たちも、協力するわ」
四人が同意するように頷いた。どこか寂しそうなのは、コウを大切に思ってくれているからだろう。その思いが嬉しかった。どこからともなく勇気が湧いてくる。
「ありがとう」
コウが初めて、仲間の好意を真正面から受け止めた瞬間だった。
魔王の予告した時まで、あと三か月――…。
これまでのコウの笑顔は、いつも嘘くさいです。