石の上にも三年
暗雲立ち込める――というわけでもなく、青空の下いたって普通の屋敷の前に、勇者一行は立っていた。蔦が張り付いていたりと多少は古びた感じがするものの、悪趣味ではない。手入れが行き届いているようで、植込みの形は整い、芝生も切りそろえられていた。
「うーん、すごく住みやすそうな家っすねえ」
しみじみと言ったチックの肩を、ミルンがぺしりと叩いた。
「もうチーちゃん。そうやって気を抜くとやられちゃうんだよぅ」
「ミルンの言うとおりだぞ、チック」
二人に注意され、チックは「えー!」と文句を言った。
「だってこの屋敷、オレと兄貴が住むのにちょうどよさそ」
「そうか、そんなに屋敷に住みたかったのか。それなら魔物と仲良くランデブーしてこい」
どかっと背中を蹴られたチックは、勢い余って門に突っ込んだ。内心チックと同じようなことを考えていたセフィは、冷や汗を流す。しかし、「兄貴に蹴られるなら、本望っす」と恍惚とした表情のチックを見て、自分はまだあそこまでは到達していないはずだと言い聞かせた。
「チーちゃんは、そろそろ危ないねぇ」
「本当に」
「わたしが、躾したほうがいいのかなぁ」
「……本当に」
ぼそりと呟かれたミルンの言葉に、コウは気付かれないように後退した。ときどき思い出したように幼女が吐く言葉に、勇者は「偽装ロリ疑惑」をますます確かなものにしていた。
「…そろそろ行った方が良いのではないか?明るいうちに済ませてしまった方が、何かとよいだろう」
バーリオのまともなひと言に本来の目的を思い出した四人は、慌てて定位置に戻った。前列にコウとチック、真ん中の列にセフィとミルン、しんがりがバーリオいう配置だ。
「皆、用意はいいな」
「ばっちりよ、一日休憩したしね」
「オイラもっす」
「いつでもいいよぅ」
「……うむ」
メンバー全員の状態が万全だと確認したコウは、締め切られていた門に手をかけた。
魔王が現れてから、もうすぐ七カ月が過ぎようとしていた。
***
きいい。
小さな悲鳴のような音を立てて、門は開いた。コウとチックが警戒して庭を見渡すが、それらしい気配はない。どうやら屋敷の中だけで戦うつもりのようだと見当をつける。
「行くぞ」
大きな扉の両側に分かれ、五人が待機する。勇者が全員の顔を見渡し頷いたところで、勢いよく扉を開けた。
「……!!」
戦闘態勢をとるも、ここでも魔物の気配はなかった。魔力の欠片さえ感じられないことを、コウは不審に思った。
(逆に怪しいな)
しかし立ち止まっていても事態は進展しないため、最善の注意を払いながら慎重に歩を進めていく。一回を一通り回ってみるが魔物は現れず、再び玄関に戻って正面の階段を上っていく。
一行は、二階の右端の扉の前で足を止めた。
「結界、だねぇ」
「しかも、かなりの高等結界。これが魔力の漏れを防いでいたのね…」
二人の分析にコウが頷いた。
「よし、皆構えろ。突入するよ」
一拍おいて、解呪の付加魔法がかけられた斧により、結界が破られる。一斉に部屋に入ると、ゆらりと立ち上がる姿があった。
「来たか……」
「お前が魔界三本柱のうちの一人か」
勇者の問いかけに、一見人間のような容姿をした魔物はニヤリと笑んだ。それと同時に、破られたはずの結界が復活する。
「っ!閉じ込められた?!」
急いで解呪しようとするセフィを止め、コウは再度尋ねた。
「お前は、三本柱の一人かと聞いている」
魔物は裂けそうなほどに口の端を上げ、言葉を放った。
「いかにも。私が魔界三本柱が一人、フラーズだ。よくぞここまでたどり着いたな、勇者よ」
「御託はいい。三本柱と分かれば容赦はしない。行くぞ!」
コウの掛け声を合図に、セフィが水系魔法を放った。しかし、相手の炎の強さに圧倒されて霧散してしまう。続けざまに、後ろからバーリオが切りかかり、チックが持ち前の速さで蹴りを入れるもいなされてしまった。
「さすが三本柱、といったところか…」
コウはギリリと斧を握りなおした。四人の攻撃によりできた一瞬の隙を見逃さず、切りかかる。まともに当たれば骨が粉砕されるほどの一撃だ。それを間一髪で避けた魔物は、その鋭い眼光をコウに向けた。
「勇者よ。貴様、仲間に隠していることがあるだろう」
一瞬コウがピクリと反応するが、そのまま攻撃を続けた。絶え間なく襲うそれを躱しながら、魔物は言葉を紡いだ。
「貴様には、知りたいことがあるはずだ」
「何が言いたい」
魔物の横に斧をめり込ませたコウは、それを引き抜きながら言った。その目は、仲間たちが息をのむほどに冷ややかだ。
「コウ……?」
思わずセフィは声をかけた。戸惑う四人の様子を見た魔物は、笑い声をあげた。
「滑稽だな!この国の生まれかどうかさえ分からない貴様が、国と種族を救うために勇者となるなど」
「何が言いたい」
「ふん。貴様はそもそも人間なのか?その規格外の強さ、どちらかといえば我らに近い」
「だから、何が言いたいと言っている」
魔物は目を細めた。
「貴様、記憶がないだろう」
誰かが息を呑む音が聞こえた。仲間たちは一斉にコウに視線を向けたが、前髪で隠れていて、その表情はうかがえなかった。コウは、ひたと魔物を見つめながら返す。
「それが何だ。今の俺は勇者。その事実だけで十分だろう」
コウの一挙一動を見つめ冷静な声音に安堵した仲間たちだったが、魔物を観察していたバーリオだけはその変化に気が付いた。
(……何だ、魔物が、焦っている…?)
パーティーの中で最も年長のバーリオは、その分人の感情の機微に敏感だった。目の前の魔物は余裕を保っているように見えるが、先ほどよりも若干動きが硬い。
(…コウ殿の言葉に、何かあったのだろうか)
もしかしたら、勇者を動揺させる作戦だったのかもしれない。だが、コウの精神と身体の強さから考えて不発に終わるのは分かったのではないだろうか。
考えている間にも、魔物は矢継ぎ早に言葉を放っていた。
「ふ、虚勢を張っても無駄だ。過去を知りたい欲求は、必ずや貴様のうちにあるだろう」
「知らなくていいと、言っているんだ」
「…だが、親兄弟のことも思い出せんのだぞ。冷たい人間だな貴様は。いや、人間かどうかも怪しかったか」
「俺は、勇者のコウだ。身内のことを知りたいという気持ちもあるが、俺には今の仲間がいるだけで十分なんだよ」
力強いコウの言葉に、四人は胸を詰まらせた。
「兄貴、そんなことを思っていてくれたんすね…!」
「コウ……、私たちも貴方が大事だわ」
コウは温かい気持ちになり、微笑もうとした。だが、突如上がった悲鳴によって、それも遮られる。
「ちょっと!まさか、そこの女と付き合ってんじゃないでしょうね!!!」
「……………………?」
四人は辺りを見回した。今の若干野太い声は誰のものだったのかと。一般人が紛れ込んでいるなら、護衛しなければならない。
だがコウは見ていた。しっかりと目にしてしまっていた。目の前の魔物が、びしりと自分を指さして金切り声をあげたのを。
「…………あ、しまったわ。き、貴様、まさかそこな女と交際しているわけではあるまいな」
ゴホゴホと誤魔化すように咳をした魔物だったが、今更である。コウは衝撃にしばし石化した。
(魔物にオカマって存在するのか?)
馬鹿らしくて聞く気にもなれないが、すごく気になる。しかし、尋ねる前にセフィが声を上げたため、あえなく断念した。
「もう、一体何なのよアンタたち!こないだから私とコウの恋路を邪魔してええ!!」
「貴様と勇者、はっ、釣り合わんな。…で、勇者よ。貴様はこの女と交際しているのかと聞いている」
戦闘はいいのか戦闘は、と思ったメンバーであったが、わざわざ戦いを再開することもないので突っ込まなかった。しぶしぶコウが答える。
「いや、ただの仲間だが」
「ほほう、ならそこの盗賊の坊主と付き合って」
「切り裂かれたいのか、お前は」
にこやかな笑顔に魔物は固まった。そろそろと窓の方に後退する。
「なら良い。……話は戻るが、貴様、本当に記憶を取り戻したくないのだな?」
「不要だと言っている」
「後で後悔するぞ」
「誰がするか」
「多分泣くぞ」
「ありえない」
「生きて帰れんかもしれんぞ!私が」
「お前がかよ」
全く動じることのないコウの様子に、魔物は呻き、座り込んだ。さりげなく座り方が女っぽかったため、コウの視線がさらに冷やかになる。
「ここで半年、待ち続けた私の苦労が水の泡じゃない!!ひどいわ、頑張って結界張って待ってたのにいいいい!!!」
唖然とする一行の前で、魔物は窓枠に手をかけた。
「いいこと、コウ!あとで後悔しても誰も助けてあげないんだからね――!!あ、次の相手は大地の神殿にいるわよん」
颯爽と去って行った魔物であるが、オネエ言葉で恰好よさは相殺されている。どころかマイナス評価だ。最初の残忍なイメージはとうに消え去っていた。五人はそれぞれの武器を手に、ぽかーんと魔物が消えて行った虚空を見つめた。
「…オカマには、久しぶりに会ったな」
バーリオの言葉に、ミルンが小首を傾げた。
「リオちゃんは久しぶりなんだぁ。わたしはねぇ、神殿の祭祀さんがオカマさんだったんだよぅ」
「それでいいんすか、神官って!」
「偉い人って、変な人多いよねぇ」
確かに、とそれぞれ知人を思い浮かべる。微妙な気持ちになったが、セフィは気を取り直してコウに問いかけた。
「コウ、あの……記憶が」
「ん?ああ」
コウは四人に向き直り、申し訳なさそうに頭をかいた。
「ごめんな、黙っていて。言うほどのことでもないと思ってさ」
「あの魔物……何か知っていそうだったけど、良かったの?」
一瞬遠い目をしたコウだったが、すぐにいつもの笑顔を見せた。
「うん。俺には皆がいればいいんだよ」
四人は思わず顔を見合す。そして、各々満面の笑みを返した。
「オレ、メンバーがこの五人で良かったと思うっす!」
「私もよ!」
「わたしもだよぅ」
「…ワシもだ」
「そっかー。俺は、チックはいなくても良かったかなあ」
軽やかに笑って部屋を出ようとするコウを、チックは追いかけた。他の三人もそれに続く。すでに結界は解かれた後だった。魔物が去ったことで解除されたのだろう。
「ひどいっす、兄貴!」
「ははは、うぜえ」
激しい戦闘を繰り広げたはずだが、屋敷にほとんど損傷はなく、五人は難なくその場所を去った。そこから続く道には、しばらく楽しげな笑い声が響いていた。空は青く、風は爽やかだ。
(それにしても、俺が後悔するってどういうことなんだ・・・?)
疑問に思うも、答えるべき魔物は既にいない。いずれ分かるだろうと、その問題を頭の隅に追いやった。そして、コウは会話の輪に戻っていった。
魔王討伐まで、残された時間はあと五か月。勇者一行は、ひたすらに北を目指す。
チックが武道家などの戦闘職でないのは、作者がパーティーに盗賊は必須だと思っているからです。まあ、スピードが速いので戦闘も得意なんですけどね。