14話 白雪様と迎えるお盆
8月13日。
お盆の入り口の日。朝、目が覚めた瞬間、部屋がいつもより静かに感じた。
カーテンの隙間から差し込む夏の光が、床に細く細い金色の線を描いて伸びている。
蝉の声は確かに響いているのに、どこか遠く、夢の向こう側で鳴いているみたいで、
現実と記憶の境目がぼんやり溶けているような気がした。
ベッドの隣で、白雪様はまだ眠っていた。
銀色の髪が枕にふわりと広がって、朝日を受けて淡く、まるで薄い雪のようにきらきらと光っている。
寝息は静かで、規則正しくて……小さな「すー、すー」という音を聞いているだけで、胸の奥が少しずつ、優しく落ち着いていく。
この音があるだけで、もう一人じゃないって、改めて実感できる。
私はそっと体を起こして、白雪様の額に、軽くキスをした。
柔らかくて、少しひんやりした肌に、唇が触れる瞬間、
心臓が小さくドキン、と鳴った。
「ん……綾……?」
白雪様は目を細めて、眠たそうに、でも優しく笑った。
金色の瞳が、朝の光に照らされて、溶けた蜂蜜みたいに温かく輝く。
狐の耳が、枕に埋もれてぴくりと動くのが、なんだか愛おしくて。
「おはよう、白雪様」
声が思ったより小さくて、自分でも少し照れた。
頬がぽっと熱くなって、慌てて視線を逸らす。
「おはよう……今日は、お盆の入り口の日だね」
私はうなずいた。胸の奥が、少しだけきゅっとなる。
去年のこの日とは違う、でもまだ少し痛む疼く。
「うん。今日は、みんなを迎える準備をする日だよ」
白雪様はゆっくり体を起こして、私の手を探すみたいに、そっと握ってきた。
指先が、あったかい。
去年の雪の中で感じた、あの温もりが、今もちゃんとここにある。
「綾……今日も寂しくならないように、私、ずっとそばにいるよ」
その言葉が、胸の奥にふわっと染み込んで、
凍りついていた部分が、優しくほどけた。
涙がにじみそうになったけど、痛みじゃなくて、温かさからくるものだった。
私は白雪様の手を、ぎゅっと握り返した。
指と指が絡まって、離したくないくらいに。
「ありがとう……白雪様がいるから、寂しくないよ。一緒に準備しよう」
私は小さく微笑んで、白雪様の手を軽く握った。
指先が触れ合うだけで、朝の静けさが少しだけ優しくなる気がした。
朝食の後、お盆の準備を始めた。
まず、お仏壇を開ける。
木の扉がゆっくり開くと、懐かしい線香の淡い香りがふわりと漂ってきた。
埃を払う柔らかい布を取り出して、ゆっくりと拭いていく。
白雪様は私の隣に座って、同じように布を手に持っていた。
小さな布が仏壇の隅まで丁寧に滑って、積もった薄い埃がふわっと舞い上がる。
朝の光の中で、埃の粒子がキラキラと浮かんで、ゆっくり落ちていく様子が、なんだか儚くてきれいだった。
私は白雪様の横で、同じように布を動かしながら、静かに言った。
「白雪様、ありがとう。ひとりじゃ、こんなに丁寧にできなかったかも」
白雪様は手を止めて、私の顔を覗き込んだ。
金色の瞳が、優しく細まって、狐の耳がぴくりと動く。
「綾……私綾の大事な場所だから、ちゃんと綺麗にしたいんだ」
その言葉に、胸がじんわりと温かくなって、私は白雪様の肩に軽く頭を寄せた。
銀色の髪が頬に触れて、柔らかくて、くすぐったい。
「白雪様……優しいね」
白雪様は少し照れくさそうに笑って、頬をほんのり赤らめた。
「綾が優しいから、私も優しくなれるよ」
そう言って、白雪様はキュウリを手に取った。
少しぎこちない手つきで、足になる楊枝を一本ずつ刺していく。
一本目が少し曲がって、二本目が長さが揃わなくて……出来上がった精霊馬は形がちょっと不格好だった。
でも、白雪様は満足そうに微笑んで、両手でそっと掲げた。
「できた……!綾、見て!」
私は白雪様の作った精霊馬を見て、自然と笑みがこぼれた。
不揃いな足、ちょっと傾いた胴体……でも、それが白雪様の真剣さと一生懸命さが詰まってるみたいで、すごく愛おしかった。
白雪様は少し照れくさそうに頬を赤らめて、もう一度だけ馬を見直した。
それから、小さな声で言った。
「綾……ありがとう。私、ちゃんと作れたかな」
私はその不格好な形が、白雪様の真剣さそのものみたいに見えて、胸が温かくなった。
指先でそっと馬の背中を撫でながら、優しく答えた。
「ちゃんと作れてるよ。これなら、ご先祖様も喜んで乗って帰ってきてくれる」
白雪様は私の言葉を聞いて、目を細めて微笑んだ。
金色の瞳が少し潤んでいて、嬉しさが溢れてるのがわかった。
尻尾が、ゆっくりと左右に揺れて、床に柔らかい影を落とす。
お供えのお菓子や果物も丁寧に並べていく。
スイカの重みのある緑の皮、桃のふんわりとしたピンクの頬、梨のつやつやした白い表面……一つ一つを仏壇の前にそっと置くたび、去年までの孤独な手つきとは違う、温かな空気が部屋にゆっくり広がっていく。
果物の甘い匂いが、線香の香りと混じって、懐かしくて優しい。
白雪様は桃を手に取って、皮のふわふわした産毛のような感触を指で優しくなぞりながら、静かに聞いた。
「これ、お母さんが好きだったの?」
その声が柔らかくて、私は桃を並べながら、小さく頷いた。
胸の奥に、夏の夕暮れの記憶がふわりとよみがえる。
「うん。お母さん、桃が大好きで、いつも『綾、甘いね』って笑いながら、一緒に食べてくれた」
母さんの指が桃を剥いてくれて、果汁がぽたぽたと落ちて、
二人でくすくす笑いながら食べたあの味が、今も舌の奥に残っているみたいで。
白雪様は桃を丁寧に置いて。
「じゃあ、今日はたくさんお供えしよう。お母さん、喜んでくれるね」
そう言って、隣の桃ももう一つ手に取り、並べ直す仕草がとても優しくて。
狐の耳がぴくりと動いて、私の気持ちをそっと確かめるみたいだった。
私は線香立てに線香を一本立てて、マッチで火をつけた。
ぱちん、という小さな音とともに炎が揺れて、線香の先が赤くぽっと光る。
すぐに細い煙がゆらゆらと立ち上って、部屋に優しい甘い匂いが広がっていく。
煙の先が少し揺れて、まるで誰かを待っているみたいに。
白雪様は線香の煙を見つめて、静かに微笑んだ。
「この煙、みんなに届くね……ご先祖様の道しるべになるんだよ」
私は白雪様の横顔を見て頷いた。
金色の瞳が、煙の向こうで優しく揺れている。
その瞳に、去年の雪の中で見た温もりが、今もちゃんと映っている気がした。
「うん……帰ってきてくれたら、嬉しいな」
白雪様は私の隣で、線香の煙をそっと見つめた。
煙がゆっくり部屋に広がっていくのを、静かに見守っている。
その横顔が、神様の分け身なのに、こんなに人間らしくて……
お盆の準備を、一緒に楽しんでくれているのがすごく嬉しくて、
胸の奥がじんわりと熱くなって、少し泣きそうになった。
涙がにじむのを、慌ててまばたきで抑える。
白雪様は私の視線に気づいて、そっと私の手を握った。
指先が温かくて、去年の雪の中で感じたあの温もりが、今もちゃんとここにある。
「綾……今日、みんなに会えるね」
私は白雪様の手をやさしく握り返した。
指と指が絡まって、離したくないくらいに。
手のひらから伝わる温かさが、胸の奥まで染み込んでいく。
「うん……白雪様と一緒に、みんなに会える」
煙がゆらゆらと立ち上る中、
部屋の中が、静かで、優しくて、温かかった。
今年のお盆は、去年とは違う。
白雪様がいるから、寂しさの向こうに、ちゃんと「会える」って思える。
線香の煙が、お仏壇の前でゆっくり揺れている。
細い灰色の糸がゆらゆらと立ち上っては、ふわりと広がり、部屋の空気に溶け込んでいく。
懐かしい甘い匂いが、夏の湿った空気と混じって、鼻の奥まで優しく染み込んでくる。
部屋の中が、白雪様の体温と、この匂いとで、静かに、温かく満ちていく。
このお盆は、ただの行事じゃない気がした。
白雪様と一緒に、家族へ「今、幸せだよ」って伝えられる。
そんな日になっていくんだって、思えた。
胸の奥が、じんわりと熱くなって、涙がにじみそうになるけど、それは痛みじゃなくて、優しい温かさだった。
夕方近くになって、ふたりで近くのお墓に向かった。
街外れの丘の上にあって、石段を上るたびに、夏の風が涼しく頬を撫でてくる。
木々の葉がざわめき、遠くで蝉の声が響いて、汗ばんだ背中を優しく冷やしてくれる。
白雪様は私の手を握ったまま、石段をゆっくり上った。
指が絡まって、離さない。
狐の耳が風に揺れてぴくりぴくり動くのが見えて、なんだか心が軽くなる。
「綾……ここに、みんな眠ってるんだね」
私はうなずいた。
「うん」
石段を上りきると、空気が少しだけ変わった気がした。
丘の上は風が強く、街の喧騒が遠ざかって、静けさが広がる。
私たちはそのまま歩いて、お墓の前に立った。
白石のお墓に、お父さん、お母さん、お兄ちゃん、妹の名前が刻まれている。
石の表面が夕陽に照らされて淡く橙色に輝いて、
去年まで感じていた冷たさが、少しだけ柔らかく見えた。
白雪様は私の手を強く握って。
「お墓……きれいだね。みんな、静かに眠ってる」
私はお線香を上げて、花を手向ける。
線香の先が赤くぽっと光って、煙がゆらゆらと立ち上る。
白雪様は私の隣で、静かに手を合わせて、目を閉じた。
銀色の髪が風に揺れて、長いまつ毛が静かに影を落とす。
「綾のお父さん、お母さん、お兄さん、妹さん……綾をこんなに優しく育ててくれて、ありがとう。綾は今、幸せです。これからも、私が綾を守ります」
白雪様の声が、風にのって優しく響く。
金色の瞳が閉じられて、祈るような表情がとてもきれいで、
胸の奥が熱くなって、涙がぽろりとこぼれた。
その声は、いつもの白雪様と少し違った。
柔らかいのに、まっすぐで。
言葉の一つ一つが、心の奥に直接届くように響いて、白雪様のまわりの空気まで、ふわっと温かくなった気がした。
夏の風が丘を吹き抜ける中でも、まるで小さな春がそこだけに訪れたみたいに。
私はそれを聞いた瞬間、涙が止まらなくなった。
ぽろぽろと頬を伝って、石段に落ちる。
でも、今度は痛みじゃなくて、胸の奥が溢れてしまうような、
温かくて、優しい涙だった。
「みんな……ありがとう。あの時、みんなの所に行こうとしてた。でも今は、白雪様と一緒に生きててよかった……心配かけたよね。もう大丈夫だから、見守ってください」
声が震えて、言葉が途切れ途切れになる。
でも、全部言い切れた気がした。
お墓の石が、静かに、でも確かに、そこにいてくれた。
白雪様は私の手を握って、静かに寄り添ってくれた。
お墓の前に、ふたり並んで座る。
石の冷たさがお尻に伝わるけど、白雪様の体温が隣からじんわりと流れてきて、
寒さなんて感じなかった。
風が木の葉をざわめかせて、夏の終わりの匂い。
草の青さと、少し乾いた土の香りが漂う。
私の肩に、そっと頭の重みが乗る。
少しだけ頬が寄って、銀色の髪が首筋に触れて、くすぐったいのに心地いい。
胸の奥が、静かになった。
「綾……ご家族、みんな優しい人たちだったんだね」
「うん……優しかったよ。だから、私も優しくなれたのかなって思う」
頬に、やわらかい手が触れた。
指先が軽く撫でてくれる。
温かくて、優しくて、まるで母さんが撫でてくれたときみたいに。
「綾は今も優しいよ。それが、みんなから受け継いだものだね」
その言葉が胸に残って、私は小さく息を吐いた。
涙の跡が乾き始めて、頬が少しひんやりするけど、心は温かかった。
家に戻ってからも、お仏壇の前で手を合わせた。
線香の煙がまだゆらゆらと立ち上っていて、部屋に甘い匂いが満ちている。
隣で白雪様が小さく笑って、煙を見つめている。
狐の耳がぴくりと動いて、金色の瞳が優しく細まる。
「お盆は温かいね。ご家族が近くに感じる」
私は白雪様を抱き寄せた。
細い体が、すっぽりと腕の中に収まって、銀色の髪が胸に広がる。
「うん……白雪様がいるから、寂しくないよ。これからも、ずっと一緒に」
白雪様は私の胸に顔を埋めて、甘えるみたいに言った。
「うん……ずっと、一緒だよ」
夜はベッドでくっついたまま。
シーツの柔らかさと、白雪様の体温が混じって心地いい。
耳元に、やわらかい囁きが落ちてくる。
「綾……お盆、ありがとう。綾のご家族に、会えた気がした」
私はその銀髪を撫でて、そっと返した。
「私も……一緒に迎えられて、嬉しかった」
指先が絡んで、胸の奥がふっと静かになる。
「おやすみ、綾……大好き」
「おやすみ……大好き」
ご先祖様が、私達を見守ってくれている気がする。
お盆の間は、家族と白雪様に抱かれてるみたいで、ずっと温かかった。
「白雪様と二人暮らし」をお楽しみいただけましたか?
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