19:ママとお説教
採血を終えた僕達は応接間にいた。
ここは以前、アレッサンドロ氏と契約を交わした部屋とは違うようだ。……いや、この屋敷に応接間っていくつあるの? ここはまさかの説教部屋??
僕と紅羽さんは二人並んでソファに沈み、しゅんと縮こまっている。向かいには陽子さん。顔はニッコリ――だが目は突き刺すように冷たい。
「で。ここに来る時、あなた達車の中で――」
陽子さんが話し始めるより早く、僕の口が勝手に動いた。
「違うんですお母様! 全部僕が悪いんです! 僕が紅羽さん以外の吸血鬼に、アレッサンドロさんや幼馴染の玲央くんに血を吸わせていたのがそもそもの問題でして! 紅羽さんは自分専用の食材をつまみ食いされたという怒り、ショックというか……言うなれば“食べ物の恨み“です! 僕は一人っ子で、その辺の“食べ物の恨み”の怖さが欠如していたのだと思います!! 誠に申し訳ございませんでしたあああぁぁ!!」
ガバッと頭を下げる。
「え……えっと。状況的に悪いのは紅羽だと思うんだけど」
「いいや、僕です」
僕は紅羽さんを庇うように腕を広げる。
「でもね――」
「紅羽さんを責めないでいただきたい。お願いします」
全力防衛モード発動中である。僕は紅羽さんの“食材”として、全力で肉壁になってみせるつもりだッ!!
「ちょっと黙りなさい」
「はい、すみません」
お母さんの切れ味鋭い視線に、肉壁になった僕はバラバラに砕け散った。――すまない、紅羽さん。食材では壁になれない。ああ、僕がコンクリートだったらよかったのに。あ、でもそしたら食べられないか。
「血を吸う場所は、吸血鬼にとって深い意味を持つ。知っているわよね」
「はい、知ってます……」
紅羽さんはしゅんとする。
僕が咄嗟に口を挟もうとすると、すかさずお母さんのレーザービームのような視線が飛んでくる。
「首筋は、関係を公にしたいという意味」
「腕は、大切にしたいという意味」
「鎖骨付近は、独り占めしたいという意味」
陽子さんは淡々と説明する。
僕の頭の中には、紅羽さんに吸われた時のこと、玲央に吸われた時のこと、そしてアレッサンドロさんに吸われた時のことがリフレインする。……意味が分かると、なんだかイヤぁぁぁぁん!! 恥ずかしい!!
「そして、胸は――?」
僕がさっき吸われた場所を問う。どんな意味があるのか。もし「お前を消し炭にする」みたいな意味だったらどうしよう。
紅羽さんがぽつりと、続きの言葉を告げた。
「……あなたを誰にも渡さない、です」
――えっ!? 思わず首がぴたりと90度回り、紅羽さんを捉える。
なになに?どういうこと!? やっぱり吸血鬼ってロマンチック!! というか、それ、キスマークの意味そのままじゃないの!?
視線を移すと陽子さんは――あ、全然ロマンチックな顔してない。目が冷たい。ダメだこりゃ。
「それで、あなたたちの関係は?」
消費者と食材の関係です。――いや、自分で言ってて悲しくなるけど!! 仕方ないけど!!
だがせめて紅羽さん、その関係をオブラートに包んで表現してくださいましっ! 僕は祈りを込めて紅羽さんを見る。
「……わかりません……でも、誰にも渡したくありません……」
新しい食レポを予想していた僕にとって――紅羽さんの言葉は、あまりにも思いもよらないものだった。
陽子さんも予想外だったのか、違う、そうじゃない……みたいな顔をしている。……やっぱり食レポ期待してました??
「あ、えっと……そういう“告白”の言葉じゃなくて……」
え!? 告白!? 今のって告白でした!? ちょっと意味が深すぎて分からないんですけど!? だって僕、食材ですし!!
「だって、分からないんだもん!!!」
僕がアホなことを考えているうちに、紅羽さんは涙ながらに訴えだした。
「順くんの……野中くんのことは好き! 大好き!!……でも……順くんの血は美味しすぎて……“好き”より“美味しい”が強くって……でも大好きで……分かんないんだもん!!!」
わーんと泣き出す紅羽さんを、僕と陽子さんは静かに見守る。
美味しさと好意。その二つを同じテーブルに並べることは――いや、めちゃくちゃ難しいな?
頑張って想像してみても答えは出ず、僕はなんとも複雑な気分でいた。
陽子さんは紅羽さんへハンカチを渡しつつ、静かに口を開いた。
「……食べることと、愛すること。最初はね、同じ皿の上に乗せられないものなのよ。血は血、愛は愛――そう思っていたわ」
紅羽さんは涙で濡れた目を見開き、母の言葉に耳を傾ける。
その声は優しく、けれどどこか懐かしさを帯びていた。
「心の場所か……ここにあるとしたら、それは胃袋ととても近いの。あなたのパパはいつも、自分の心と胃袋は同じなのか、それとも違うのか……と悩んでいたわ」
少し間を置いて、陽子さんは柔らかく微笑んだ。
「そしてある日、彼はようやく言ったの。“血を分けてもらうことが愛なんじゃない。君と一緒に、胃袋を満たす時間を過ごす――そのことにこそ幸せを感じるんだ”って」
「その時、私たちにとって“食”と“愛”は、ようやく同じ場所に並んだのよ」
紅羽さんは母の言葉に震え、涙をぽろぽろと落とす。
陽子さんは紅羽さんの隣へ座り、そんな娘の肩をそっと抱き寄せた。
――これって、要するに食事デートの話みたいな?
いやいやいや、深い愛の講義みたいに語られたけど……僕にはやっぱり“胃袋談義”にしか聞こえない!!
陽子さんは食材ポジション的に先輩なんだけど……深すぎて分からない!!!
陽子さんの言葉が静かに余韻を残す。……いや、なんだこの余韻。
紅羽さんは涙を拭きながら、小さくつぶやいた。
「じゃあ……パパの、野中くんに対する想いは……?」
場に妙な沈黙が落ちる。
陽子さんは少し考え込んでから、ぽつりと口を開いた。
「食だけ……と思いたいけれど。……いや、どうなのかしら?」
その瞬間、二人の視線が一斉に僕に注がれる。
――いや、見ないで!? 分かるわけないでしょ!!??
* * *
帰りの送迎車の中。
僕と紅羽さんは二人、無言だった。
窓の外には夜の町が流れていく。
……そういえば、美園家って全員バラバラの家に住んでいるんだろうか?
なんであんな広い屋敷があって、でも各自別の場所に住んでいるような雰囲気なんだ?
気になる。めちゃくちゃ気になる。
――その時だった。
紅羽さんが、何の前触れもなく、すっと僕の手を握ってきた。
迷いも照れもなく、本当に当たり前のことみたいに。
……この手なに!? この手なに!? この手なに!?!?!?
心臓がバクバクしているのを誤魔化すように、僕は必死で外を見続けた。
でも紅羽さんの温もりが、ずっと手のひらに居座って離れない。
……いや、本当にこの手なに!?




